第8話 ヴェイン・クレセントは何らかの理由で極悪非道を演じている
私――クロエとヴェインさんの出会いを話すためには数年前に遡らないといけません。
「おはようございます」
私はすれ違った人には、にこやかに微笑みながら挨拶をしていきます。
相手が誰であっても、どんな身分であっても、例え犯罪者であっても……誰にでも慈愛を注ぐのが聖女の務め。
私に拒否権なんて――ない。
すると、1人の女性の侍女がこちらに近づいてきました。
「聖女様、本日の予定でございます、ご確認ください」
そう言いながら、彼女は一枚の紙を手渡してくる。
その紙にはびっしりと今日の予定が書かれていました。
「9時から11時までは孤児院での炊き出し、11時から12時15分までは馬車内にてマーベル枢機卿と今日の会議についての打ち合わせ、12時30分には教会に戻って大会議を、その後も――」
いつも通りのほぼ休みのない予定。
聖女は世界に1人しか居ない――だからこそ、私は各地で必要とされているのだ。
これは仕方がないこと、仕方がないこと……私は今日も自分にそう言い聞かせる。
「わかりました、伝えてくれてありがとうございますね」
「聖女様にそう言っていただけるなんて……身に余る光栄です!」
侍女は感動したように深く頭を下げると、「では」と告げてどこかへ去っていった。
「……さて、私は孤児院に行くために馬車に乗らなければ」
私はため息を飲み込むと……最低限の荷物を持って、侍女が用意してくれた馬車に乗り込む。
「では、聖女様……出発しますね」
「はい、よろしくお願いします」
もちろん、ここでも微笑は忘れない。
私はぼーっと外を眺めながら馬車に揺られていると……賑やかな声がどこからか聞こえてきた。
『――わー、捕まっちゃったぁー! レン君、速いよぉー』
『えへへっ、どーだー!』
声の方向を振り向くと、私と同じくらいの年齢の2人の子供がいた。
彼らは鬼ごっこをしているらしい。
もしも……もしも私が聖女じゃなければ、あんな感じに遊んでいたのだろうか。
少し……羨ましい。
「あ……れ?」
暖かい何かが頬を伝う。
手で触ってみると、それは……涙だった。
「あ、あれ……? おかしいな……? あれ……?」
泣いていたら、目元が腫れてしまい、これから会う人に心配されてしまう。
私は必死に涙を止めようとするも、私の意思に反して涙はポロポロと流れ続ける。
「――せ、聖女様? 泣いていらっしゃるのですか?! 大変申し訳ございません! 私の馬の操縦があまりにも荒かったのですね……」
「い、いえ! そういうわけじゃないのです……でも、少しだけ馬車を止めてもらってもいいですか……? 少し街を歩いて気分転換をしたくって……」
「わかりました!」
すると、御者は道の端に馬車を停めてくれた。
「ありがとうございます……10分もすれば戻りますから少しだけ待っていただけませんか……?」
「聖女様のお願いとあれば! ……ですが、スリや人攫いにはお気をつけください!」
「ええ……ご心配、ありがとうございます」
私は近くにあった黒のローブを着て、フードを目深にかぶると馬車を降りた。
そして、大通りの道を歩き出す。
あまり人の少ないところに行くと危険な目に遭うかもしれない……そう思って、私は近くにあった公園に向かった。
公園で私は楽しげに遊ぶ子供たちを、ベンチに座りながら眺める。
笑顔を浮かべている人を見て、自分の気持ちを押し殺すのは私がよくやる手法だ。
しかし……今日に限っては気持ちが押し殺されることはなかった。
それどころか、涙はさらに勢いを増して目からこぼれ落ちてくる。
こんなの……初めてだった。
「どうして……どうして涙が止まらないのですか……?」
どうしたらいいのかなんて、わからなかった。
このまま……涙が止まらずにいつか、私は枯れて死んでしまうのでしょうか……。
「――だ、大丈夫か……?」
突然、そんな声が聞こえた。
どうやら、声をかけられてしまったようだ。
「な、なんでもありません……大丈夫ですから、気にしないでください」
私は俯いたまま、素っ気ない言葉を言い放つが――
「いや、流石に泣いてる人に大丈夫って言われても説得力ないかな……」
「っ……だ、だから何なのですか……? あなたにはこの気持ちはわからないに決まってます」
私は彼を突き放すような言葉を言う。
少し、冷たいようだが……今の私は誰かに優しさを振り撒けるような状態になかった。
「そうだな……確かに俺は君に共感したり、解決策を提示することはできないな……でも、話を聞くことはできる」
「話を聞く……それだけですか?」
「ああ、それだけだ……でも、俺が思うに君は誰かにその悩みを愚痴ることすらできないんじゃないのか?」
「ッ――!?」
まさに図星だった。
親も居ない、友達もいない……周りに居るのは私に幻想を抱いている人々のみ。
誰にもこの悩みを言うことなんて、出来やしなかった。
「俺は君のことを何も知らない、顔も、名前も、どんな人であるかも……だからこそ、相談できると思うんだ」
「……わかりました、ですが、私について詮索するのはナシにしてください」
「ああ、勿論!」
私は、恐る恐る……自分の悩みについて語り始めた。
私が周りから幻想を抱かれていること、私は本当はそんな人間ではなく、周りの子供達のように自由に遊びたいこと……本当は息苦しくって仕方がないこと。
「ご、ごめんなさい……一方的に色々愚痴っちゃって……」
気付けば、私は抱えていた悩みのほぼ全てを彼に打ち明けていた。
もしかしたら……誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
「いやいや、別にいいよ。俺が聞きたいって言ったわけだし……でも、やっぱり俺じゃあ、君の悩みがどれくらい辛いことなのかはわからないや」
「そうですか……」
「でも、一つだけわかることがある」
「……?」
彼は私の肩に手を置くと――
「それは、君が凄く苦労して、頑張ってきたってことだよ……! 君と同じような体験はしたことはないけど、その態度を見れば、それだけはよくわかった……お疲れ様」
「ぁ……」
涙が頬を伝い、肩に滴り落ちる。
でも、それはさっきのような悲しみの涙じゃない。
この世でも最も欲しかった言葉をもらえたことによる……喜びと感動の涙。
「あ、あれ? もしかして、俺、変なこと言っちゃったのか?! えっと……マジでごめん」
「いえ……違います、そうじゃなくって……私、嬉しくって……」
「そ、そうなのか……? 気持ちが晴れたようなら良かったけど……」
困惑と心配の混じった声だった。
これ以上、彼を心配させるわけにはいかない。
そう思って私が涙を拭うと――
「――ヴェイン様! ここにいらっしゃったのですか! 急にフラフラとどこかに行くから心配しましたよ!?」
どこからか、そんな声が聞こえてきた。
どうやら、彼のお付きの人のようだ。
「ああ、すまない……少し気分転換がしたくってな……」
「では、気分転換はお済みになりましたか? 領主様がお呼びでございます」
「そうか、親父がか……わかったすぐ向かおう」
彼は一瞬、悩むような間を開けると、お付きの人の言葉に頷いた。
「じゃあな」
彼は最後にそれだけ言い残して、去っていった。
……あれ、私、まだお礼言えてない……!?
私が急いで顔を上げた時には、彼の姿はもうどこにもなかった。
「彼に……お礼したい」
確か、お付きの人には『ヴェイン』と呼ばれていたっけ。
私はそれから、彼について調べることにした。
彼にこのお礼をするために。彼についてもっと知るために。
彼に……また会うために。
そうして、私は調べ上げた。
彼があの悪徳領主であるクレセント侯爵家の長男――ヴェイン・クレセントであることを。
彼が――何かの理由で極悪非道を演じていることを。