逃げ出した少女が抗う運命
この国には、いや、この世界には落とし子、という存在がまれに現れる。
別の国どころかおそらく別の世界から落ちてくる彼ら彼女は、自分たちとは異なる様式で生活していたものたちであり、姿形は近いもののその本質はやはり違っている。様々な軋轢があり、それでも彼らが持っていた知識や技術は、この世界よりも遥かに高度なものがある。そのことに気がついてからは、どの国でも落とし子が現れれば、その者を精査し、適宜彼ら彼女らを扱うことにした。それにより、この世界の順当な発展からすればかなり歪な進化を遂げることとなった。そしてそれは、国力の差、という身もふたもない現実をもつきつける。
つまるところ、便利で優秀な落とし子を手に入れ、有益に利用できる国は通常とは考えられない速度で成長していく、という事実だ。
エリザ・ハーネスは、そういう競争からはかなり遅れた非常に保守的な国の高貴な家に長子長女として生まれた。
祖父母ゆずりの美貌と頭脳は、同年代では頭一つ抜けた存在として有名な少女である。
その彼女の家の応接間にて、何かを殴打する乾いた音が鳴り響く。
少女、エリザと対峙する父親が彼女の頬を反射的に叩いたのだ。
二人の間には重厚な封書と、やはり上質な紙が散乱している。それは知る人が見れば王家から届いた手紙なのだが、彼はその中身を知り、それを届けたエリザの顔を見て瞬間的になじっていた。
「この恥知らずが!役立たずにもほどがある」
直接的な暴力だけでは飽き足らず、父親はさらにエリザに言葉で詰め寄る。
「それが、この家の当主としての判断だととらえてもよろしいのでしょうか?」
だが、エリザは体格に勝る成人男性からの圧力にも屈せず、つまらないものを見た、と言った風情で実父を見上げる。
その、視線を見て、当主である父は再び内から怒りが込み上げる。
——どこかで見た、瞳だと。
エリザの祖父母、つまり彼の両親が自分を見る目にひどく似ているのだと。
祖父母にしてみればそんなつもりはなかったのかもしれない。だが、美麗でさらには中身までもが素晴らしいと噂された祖父母とは何一つ似ていない自分自身について、生まれ落ちてからずっと劣等感に苛まれていた。
それは、祖母に似た美貌の実姉を見て育ってきたせいもあるのかもしれない。
美しいものが多い一族において、何もかも平凡な彼は、どこか鬱屈として自己主張をしない内向的な少年、青年として成長していった。その先に娶ったのは、多産系以外に取り柄のない、平凡な女である。
当然、自分たちに似た平凡な子供が生まれると思って見れば、生まれた子供は夫婦を遥かにしのぐよくできた美しい子供だった。
そしてエリザは彼の両親にひどく似ていた。
ずっと感じていた劣等感から解放されたのに、再びその原因が追いかけてきたような被害者意識に蝕まれる。
そして、エリザはこの家では少々浮いたものとして存在していた。
とりたてて虐待をしただの、ひどい目に遭わせたわけではないが、どこか彼女に対する態度は一線をひいていた。
家庭教師を手配する、彼らからの評価が高ければ、さらに厳しい教師陣を手配する。
——俺みたいに挫折して惨めな思いをすればいい。
そんな浅はかな思惑はあっけなく、エリザに破られていく。そして、それがまた彼の劣等感を刺激する。
そんなことの繰り返しで、皮肉にも優秀という評判のエリザはさらに優秀な少女となっていった。
次女のフローラが生まれてからは跡取りとして、さらに苛烈とも言える教育を施されたが、それすらも涼しい顔をしてこなしていく。
端から見れば悪いところはどこにもない。
だが、どこまでも彼にとっては気に入らない存在だった。
そして、ここにきて欠点のない彼女に、大いなる瑕疵がつけられた。
それが、散乱している手紙でもたらされた情報であり、彼女が顔色も変えずに報告をした王家の第五王子との婚約解消の知らせである。
「あたりまえだ!優秀だのなんだの、賞賛されたからといってえらそうにして。男一人つなぎとめられなかったじゃないか」
怒りのあまりに、あまり理論的ではない思いをエリザにぶつける。
エリザにしてもどこかよそよそしく、表面的にしか相手をしてこなかった父親の素の感情に触れたような気がした。それが、これほどにも残念なものだとは思わなかったけれど。
こんな関係ではあるが、エリザも多少は期待していたのだ。父にも親としての僅かばかりの感情が自分にも向けられているのではないか、というかすかな希望が。
それが今、ぼろぼろと崩れ落ちていく。
エリザの明確な「失敗」を見つけた気になって、そうであるならば家としての過失ともとられるはずなのに、どこか愉悦を含んだ表情を浮かべている。
劣等感を常に突きつけられる存在である彼女を、ようやくここにきて貶めることができる、と。
そんな気持ちを抱き、さらには言葉に出してしまう彼は、父としても当主としても明らかに失格だ。
王家からは「最近現れた落とし子が聖女と判明したので第五王子と添わせる」
といった情報が認められた手紙が届けられた。
それを見れば、彼らがどういう算段ですでに整っていたエリザとの婚姻を回避し、第五王子を聖女と結婚させようとしたことを理解しなければいけない。
この国は同じ規模の北東にある小国とともに、東にある多人種で形成される大国と接している。その大国に文化文明が劣るのは致し方がないことだが、さらには最近その小国にも差を付けられている。
それは、やはり何かをもった落とし子の差だと、王家は考えていた。
自分の国には有益な落とし子が落ちてこないせいで、遅れをとってしまったと。
それはある意味正しくて、ある意味間違っている。
たとえ有益な技術者であろうとも、それを正しく使えなければそれはまったく進化も利益ももたらしはしない。そして、この国で役立たずだと判断されたものの中にも、非常に便利な能力を持っているものたちは数多くいた。彼らたちはその大国に行って、それぞれ活躍しているとエリザは聞いていた。
そんなことは、この立場にたっていれば自然と耳に入る。
だからこそ、焦っていた王家が「聖女」と判明した落とし子を取り込もうとしているのだと、判断しなければいけない。
その聖女が、どの程度使えるのかはわからないが、まあ、エリザと結婚するよりも有益だと算段したのだろう。王子にしても、婿として一貴族に落とされるよりも、王家の範囲内にとどまることのできる婚姻を喜んでいるのだろう。エリザにとっては、それは容易く想像できる彼らの思考経路だ。
「承知しました。私にはやることがありますから」
何の感情ものらない瞳で、実父を見上げる。
彼の後ろには、母とその後ろに隠れるようにしておびえている妹のフローラがいる。
フローラは、両親によく似た面立ちで、だからといって父から愛されていたわけではない。エリザよりも関心は持っていただろうが、ただそれだけだ。
貴族子女として持たなければならない教育もろくに施されず、それでも母親の庇護でなんとかそれなりに成長した哀れな子供、それがフローラだ。
ちらり、と、その母子にも視線を送り、はずす。それだけでフローラはさらに背中へと隠れてしまう。
今から自分がやろうとしていることで、この家の未来はかなり暗いものとなる。
そんな思いが、少しだけ脳裏に掠めた。
表情にはいっさい現れなかったけれど。
「ということで、出てきました」
先触れ通りに現れたエリザに、彼女の従姉にあたる女性はおっとりと微笑んだ。
父の姉の子供、であるクリスティンはほんのわずかな驚きをのせ、従妹を家へと迎え入れた。
伯母コリーナは、もちろん実父が最も忌避する人間の一人だ。当然のように家同士の付き合いはないに等しい。エリザは個人的に祖父母とも親しくしていた関係上、伯母一家との付き合いも細々とは続いていた。今回はそのか細いつてに頼る形となる。
訪問客が通される応接間よりも一段親しい人間が通される部屋へと、コリーナ一家とエリザが集合する。
ずらり、と並んだ一家にエリザはたった一人で相対する。
「お迎えいただき、ありがとうございます」
エリザは、まずはと礼をする。
血縁とはいってもその付き合いは薄い。それをこうして迎え入れてもらっただけ僥倖だろう。
「堅苦しいことはよくてよ、王家に関しての答え合わせをできるのでしょう?」
にっこりと、エリザよりも年かさの子供がいるとは思えない華やかな容貌に笑顔をのせる。
伯母は、確かに父とは似ていない。社交界の華と名高かった祖母に、その顔は似ているだろう。そして、中身はどこか抜け目のない祖父にも似ている。
「王家は聖女を選びました。私は、王女の輿入れとともに隣国へと渡る許しを得ることができました」
あの王家からの手紙を実父へと渡す前に、エリザは堂々と王家と交渉を行っていた。
つまり、王家の都合で婚約が解消されるのだから、自分の生き道を自分で選びとってもよいという言質をだ。
エリザにとって婚姻に憧れはない。父親の言う通り、というほどではないが、家にとってよりよき相手を引き入れ、そして領地と家をもりたてていく。それはこの家に生まれた自分にとって義務であり疑問に思うこともない。
あまり出来が良くないとはいえ、見栄えのする第五王子を婿にとる、ということはエリザにとってはまあまあの選択でもあった。性格が悪い、ということはなく、ただひたすらぼんやりと素直な彼の性格を嫌っていたわけでもない。
そこのところは、この縁談をひっぱってきた王家に感謝しているぐらいだ。
ただ、それが解消となったからには、はいそうですか、と言われるままに王家の駒のままでいる気はない。
「その、聖女だけれども。あまりよい噂は聞かないわねぇ」
さすがに、嫁入りした割にはまるで当主のように君臨する伯母は情報をつかんでいるようだ。
「まあ、幼い方ですから」
実年齢はどうやらエリザよりも年上らしい聖女に対して、鷹揚に応える。
数度見かけた彼女は、その中身がとても自称の年齢とは釣り合いが取れていなかった。
幼げでそれなりにかわいらしく、そしてとても不安定。
それは、ある意味当然なのかもしれない。唐突に元いた世界から切り離され、何も知らないこの世界に投入されるのだ。言葉も習慣もわからず、見知らぬ誰かに囲まれて。そこに善意があったとしても、精神的にくるものがあるだろう。
だが、それを差し引いてもあの少女は、とても聖女の器があるとは思えない少女ではあった。
「もう、王子とはとても仲良しだと噂になっていますね、確か」
従姉のクリスティンがすかさず情報を提供する。
彼女は婚約者との仲は良好で、そろそろ本格的にあちらの家へ行って色々なものを習う頃である。
王子との婚約が解消されたのはつい先日のこと。もうすでに彼と彼女がそのような仲なのだと、クリスティンにすら知られている。それが示すことに、王家が気がつかないはずはない。
だからこそ、エリザは王女の輿入れに侍女枠として採用されあちらへと帯同することが可能となったのだ。
エリザがいつまでたっても彼らの目の届く範囲内にいれば、噂はいつまでたっても消えはしない。あまり深く考えることができない彼らが、短絡的にエリザがいなくなれば都合がよい、ましてやエリザの側からそれを望んだのならばさらには都合が良い、と思考したとしてもおかしくはない。しかも、王家たっての望みで嫁いでいく王女へ自ら帯同していく、それは前もってエリザが希望していたことだと、自分たちの中で納得して当然周囲もそう理解するのだと信じて疑っていない。
たとえ、王家が絶大な力をもっていたとしても、王家側からの婚約が反古になればそれに某かの感情を抱かないはずはない。まして、今の王家にかつての求心力はない。蔑んでいた隣国にはおいていかれ、僅かに下だと悦に入っていた北東の小国にも劣ることになってしまった現在、それをもたらした彼らに対する国民の感情すら徐々に希薄となっている。
隣国で華々しく活躍をするこの国が捨てた落とし人の話題が、こちらに伝わらないわけはない。その度に、国民は王家を恨み、そしてそれをよしとしている貴族たちにも反感を募らせていく。
そこで、聖女の存在が大きなものとなってくる。
彼女に何ができるのかは未知ではあるが、この国にもたらされた有益な聖女という存在を大々的に喧伝し、王子と添わせ取り込む。
彼女は、有益でなくてはならない。
今までのすべてを払拭するためにも。
だからエリザは逃げるのだ。
彼らに利用されるのを防ぐためにも、彼らの目が醜聞をそらすことに終始している間に。
「王女は、まだお小さいから」
まだ十にも満たない王女は、あちらの国としては無理矢理北東の小国へと嫁がされることとなった。
侍女どころかまだ乳母がいる彼女は、時を満たせばあちらの王子たちの誰かと婚姻することとなるだろう。
だが、それはこの国がそのままあれば、という前提条件である。
「そろそろ私たちも決めなくてはね」
コリーナがつぶやく。
彼女の嫁いだ家は、東の大国との国境沿いに領地をもつ。つまるところ国防の一つを担う家、ということだ。この王都にある屋敷には夫人であるコリーナと家の子供たちが住まい、領地邸には常に領主がつめている。
王都にいるとて、安穏としているわけではない。
常に情報を更新し、掴み、それを領地にいる領主へと知らせる。
コリーナの役割は、いわば諜報活動に近い。
そして、そんな彼女はある種の決断をしつつあった。
「エリザ……」
侍女服のスカートをギュッと握り、戸惑いを含んだ瞳で王女がエリザを見上げる。
結局数人の侍女と、侍従、下働きに近い女中だけを伴い、王女が輿入れをした。
受け入れ側も、彼女がまだ子供だということを承知で、それなりに温かく迎え入れてくれはした。
邸を賜り、そこを維持するには少なすぎる人数で腰を落ち着ける。
最も高い家格をもつエリザが、筆頭として采配を振るう。
王女に忠誠心があるものはおらず、ただこの国へと派遣された不運を嘆くばかり。彼ら彼女らは正式に彼女が嫁いださいには、母国へと帰国することを確約されている、らしい。
エリザはもちろん、帰るつもりなどない。王女の輿入れ先へ帯同できなくとも、それ以外の道でかじりついてでも居座りつもりである。
「さあ、お茶を用意しましたからね」
一番年が近い、といっても十以上は離れている末王子の訪れを迎え入れる。
彼らなりに、小さい王女に寄り添おうとしてくれている。
だが、肝心の王女はふるふると首を振り、かすかでも知っているエリザにしがみつく。
自分が同じ年のころを思い出し、それでもこんな様ではなかったのだけれど、とためいきをこらえ彼女を王子が座る前の席へと落ち着かせる。
かちこちに固まって、ゆっくりと茶器をもち、口に含む。
それはわざわざ母国から持ってきた茶葉であり、王女にとってもとても慣れた味であるはずだ。
それに気がついた彼女は、ほう、とためいきをついて後ろに控えるエリザに笑顔をみせる。
そしてぽつぽつと王子と王女の会話がつたないながらも始まった。
家庭教師がつけられ、徐々にこの国に王女が慣れていったころ、伯母経由で母国の情報がもたらされた。
その頃には母国の政情の不安定さはこちらにまで伝わる有様で、当然王女の立場も不安定なものとなっていた。末王子は、それでも彼女を娶るのだと公言してくれている。それは、いわば何も持たない彼女を後押しする一助となっている。
聖女は、確かに強い力を持っていた、らしい。
一瞬にして傷を治し、病を治す。
そんな希有な能力を王家に取り込めたことに、当初はその判断をした人間たちはずいぶんと鼻が高かった様子だと。
だが、聖女はただ一人きりだ。
癒すにも限度がある。
治療を受けられるものは、王家や高位の貴族たちに限られ、それも高額な寄付と一緒なのだと。
そうなれば大多数の国民にとっては全く役に立たない何かだ。
むしろ寄付をもらって贅沢な暮らしを続ける彼女に悪感情が向くのも仕方がない。
むしろそこで、奉仕活動、という体で孤児院や教会でけが人にでも施しをすればよかったのだ。だが、そういう地味な活動を嫌った聖女と、思いつきもしない第五王子ではうまくそういった彼らの感情を制御することができなかった。
察した王家側がなんとか挽回をはかろうにも、既に感情は行き着くとこまでいっていた、らしい。
今、あの国にはわかりやすく失態を擦り付けられる存在はいない。
誰かが邪魔をしただの、聖女を害そうとしている、だから国民に施せない。だのという見え透いた嘘すらつけない。かわいそうな被害者となって、民衆の悪意や興味をそらせることもできはしない。そうなったかもしれないエリザは、この国で王女に寄り添いながら立場はしっかりとしたものとなっている。
これが実りの聖女など、わかりやすくその益が庶民にも還元されるものならばよかったのだ。
だが、現実は癒しの聖女様だ。
それを有用に活用できていない。
伯母から綴られた文字に、こめかみを押さえる。
さらには、癒しの力は強いが、いろいろと知識の足りない彼女は、複雑な骨折を一瞬で治すのはいいが、骨が互い違いであったり、曲がったままだったり、とても「元通り」に戻せるものではなかった。それは、まあそうだろう、あの年頃の普通の少女が人体について詳しいはずはないのだから。
彼女の治療で不具となった貴族は少なくなく、それもかなりの力をもった貴族であったことがさらに不幸を呼ぶ。
彼女はもはや、聖女とは呼ばれなくなって久しいのだと。
返す返すもあの国に居残らなくてよかったと安堵する。そしてあの国の行く末について全く心配していない自分に気がつく。
伯母家族や、今やすっかりなつかれた王女に対して心は砕くが、その他については正直どうでもいいとまで思っている。
領民は、誰が統治してもそれなりならそれなりだろう。それは国民もそうだ、誰が玉座を得ようが、彼らの生活は変わりがない。
そんな単純なことに、ようやく気がつくことができた。
なんとか王女と王子を添わせ、新たな家を興し、しっかりと自分もそこへ侍女頭としてついていく。
この国育ちではないエリザは、それこそ王宮側のそれなりの立場の侍女たちに教えをこい、最近はようやくと及第点をもらえるようになっていた。
久しぶりの学びはとても刺激的で面白く、母国や家族のことなどすっかりと思い出さなくなっていた。
王女が滑り込むようにして結婚した後、伯母の領地はこの国へ迎え入れられ、彼らより王家の名前が変わったのだと知らされた。
両親と妹のその後は、エリザは知らない。