停滞する雲
時折、あたしは永遠にハタチにならないんじゃないかって思う。
本当に折につけてそう思う。友人の未成年喫煙に白い目を向けて「香夜は硬いな」なんて言
われた時。彼女が自炊を始めた時。或いは別の友人が車の免許を取った時。
誰も彼もあたしを置いて行く。
わかってる。もちろんそんなことはないの。誕生日を迎えれば、七月七日の午前二時を越え
れば十九に一を足して二十になる。自明。
「し・ご・12、し・ろく・13、し・しちっと、ところがこれじゃあ 20 にはなれない。こん
な事をアリスが言う場面があってね。付き合い出して何度聞いたかしれないが君がそれを
言う度こいつが思い出されるんだ」
あのね、別にハタチが特別なんじゃないのよ。ジュウニの時はこの一年以内に自殺する気で
いたし(理由もなく)、トオの頃は桁が変わるのが不思議で(n 進法は救いにならない)、もう
しょうがなかった。それが今目前の節目に対して漫然とぶり返している。
要はそれだけ。
「そら。いいから楽にしてろ。作ってくれたんだから、洗い物くらいさせろよ」
彼の家に夕食を作りにきたぬるい梅雨の「折」だった。ガツガツと小気味よくあたしの料理
を平らげる彼が無性にスキなのだ。
スキなのに。いつか置いていかれるって確信がヒタヒタとふくらはぎを登ってくる。
あたし、ハタチにならないんじゃないかしら。
黙って、窓に映る自分に問いかける。お返事は雨音。
ザーと空気を切る音、ポタリ・ポタリと屋根を伝う音。二重奏。水の上を車が走ると水たま
りの跳ね上がる音も加わる。彼が洗剤を洗い流し始めたから計四人の奏者。水音が気だるい
あたしを慰めれ。頼むから。
車は過ぎ、雨脚は弱まり、洗剤は落ちきった。ポタリ・ポタリ氏のソロ。
「コップが」
彼が食卓のグラスを洗い忘れた。荒々しいのは、イヤ。
ソロを邪魔しないで。
「良いよ。洗っておくから」
「そう言うなって」
違う違う、遠慮とかじゃないのよ。わかってない。
「違う違う、まだ飲むの」
足元の瓶を爪先で小突いて微笑む。飲まないけど。
窓辺にもたれるあたしに、もたれるように座った。わかった振りで。
知ってる、貴方は納得はしてないの。
「アリスには 4×5 は難しかったのね」
「そうさ。でも違うかも」
コロっと話したいことに食いつく。可愛い。あたしの彼は可愛いらしい甘えん坊。
「作者の国の初等教育では十二までかけ算を暗記するんだって。だから五から始めて十二
までで七。順に増えてくなら、十二足す七は十九だから二十にはならない。こう言うわけさ」
前の彼は違うことを言ったっけ。かけ算表の話もしてたけど、なんか、18 進法がどうとか。
みんな同じことを言う。あたしがこう言う時だけは。
「やっぱり飲む」
体を起こして足元のウィスキー瓶を手繰り寄せた(足ででも言っていいのかな)。グラスに半
分残った炭酸に同量を突っ込む。氷は入ってない。溶け切った。いらない。常温がいい。
「家では飲むんだよな、君」
あたしがこう言ってる時だけは、みんな変わらない。行動と共にあたしの世界は変わってい
く。彼が見せて来る十九年前の生年月日。一つ前の彼と一緒に取ったバイクの免許証に乗っ
ている。「香夜も様になってきたな」って言ったのは今のか、取った時のか。さて、ね。
「あたし、ハタチにならない気がする」
「いつもそんな事言ってるね」
Fin