flag.1.5 幼馴染 side.大和
少年は、早朝の廊下を駆けていた。
『廊下を走ってはいけません』
そんな誰でも知っている当たり前の校則を、しかし守っているほどの余裕は、今の彼にはなかった。
少年の名は武田 大和。恋ヶ丘学園のマドンナである長老院 撫子の幼馴染である。
彼は、自分の中の、抑えきれない情動を、遮二無二走り回ることでなんとか誤魔化していた。
(さっきは、びっくりしたなあ……。もし、K・Yが割り込んでこなければ、どうなっていたんだろう)
大和は、先ほどの撫子の顔を、鮮明に思い出していた。
ほのかに頬を紅く染め、今にも吸い込まれそうな瞳で、絡めとるように自分のことだけを見つめる彼女のあのーー恍惚とした表情を。
大和は、ごくりと唾を飲んだ。
(ダメだダメだ!何考えてんだ俺は!撫子は大切な幼馴染だぞ!)
邪念を振り解くように、大和はいっそう足を早めた。気づけば、体育館の更衣室に着いていた。
少し落ち着きを取り戻した大和は、ゆっくりと制服に着替え直す。
ずっと『幼馴染』の関係であった大和と撫子。二人の間に流れた微妙な空気。『幼馴染以上の関係』への発展を期待してしまうのは、健全な男子高校生として当然である。そしてまた、その発展に不安を抱くのも、健康的な男子高校生として必然であった。
恋に悩み、恋に惑い、恋に浮かれ、恋に振り回され、恋に葛藤するーーそんなどこにでもいるような、恋に恋し、爽やかにスポーツで汗を流す青少年。
「それにしても、今朝はちょっとドジったな」
制服の襟を正しながら、ぽつりとこぼした。
「勇み足で、ユニフォームのまま行っちゃうなんてな。しかもそれを、撫子に突かれるとは。用心しないと」
すると、彼は不気味な笑みを浮かべ、
「危うく、俺の『日課』がバレるとこだったーー」
そう言った大和が手にするスマホの画面に写し出されるはーー撫子の姿であった。
ところが、その写真は真正面から撮られたものでもなければ、彼女が笑顔を作ったり、ピースをしている様子でもなかったーー端的に言えば、明らかな盗撮写真である。
撫子は言った。
『毎朝の早起きと、校舎の散歩が日課だ』と。
大和は知っていた。
『毎朝の早起きと、校舎の散歩が撫子の日課である』ということを。
そして彼の日課は、
『常時陰ながら、長老院 撫子を見守ること』であった。
平たく言えば、過剰愛である。
大和と撫子は、物心ついたときには、すでに互いのことを知っていた。
年端も行かぬ頃から、その才覚と美貌をすでに発揮していた撫子に、大和が惚れるのは時間の問題であった。
ところが、いくら幼馴染とはいえ、これほどまでに女神然とした撫子と自分が釣り合うはずもないと、幼少期の段階で悟った大和が選んだ手段は、『直接的な過干渉は避け、陰ながら見守る』ということであった。
初めの頃は、『落とした消しゴムを拾ってやる』等、些細なことであったが、盲信にも似た彼の撫子に対する想いは日を増すごとに増幅し、彼の愛情表現は激化し、今では立派な変態である。
つまりは『筋金入り』というわけだ。
撫子に気づかれないように、撫子に付け回るーーそれが大和のやり方であったにもかかわらず、今朝に限っては、はやる気持ちを抑えることができず、ユニフォーム姿のまま、さらには本人との接触さえしてしまう大失態。
撫子と対面していたとき、大和の息が荒く、身体が火照っていたのは、朝練を終えた直後だからーーではない。
撫子と対面していたとき、大和の息が荒かったのは、焦っていたからで、身体が火照っていたのは、ただ単に興奮していたからである。
「ほんと、どうかしていたよ俺は」と、大和は苦笑いをこぼした。
「あの撫子と俺なんかがお近づきになろうだなんて……思い上がりも甚だしい」
そう言って、彼はスマホの秘蔵フォルダを開いた。
そこには、おびただしいほどの撫子の写真が収められていた。
その一つひとつを、丁寧に、じっくりと、鑑賞した。
その刹那ーー、
ハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスハスーー!!
愛でるように、愛するように、『そこにあるはずのない撫子の香り』をーー大和は胸いっぱいに取り込んだ。
「そうさ。俺はいつだって、こうやって、あいつのことを傍で見続けていられればそれでいいんだ。いつだっていつだっていつだっていつだってーーそうさ。それなのに……っ!」
先ほどの撫子との急接近を思い出し、大和は身震いした。
「幸せすぎて、どうにかなりそうだったよ……!」と、馬鹿みたいに口を開けたまま、その場で呆けてしまった。
始業のチャイムに気づくことすらなくーー。
さて、ここで武田 大和という男について、改めておかねばならないことがある。
恋に悩み、恋に惑い、恋に浮かれ、恋に振り回され、恋に葛藤するーーそんなどこにでもいるような、恋に恋し、爽やかにスポーツで汗を流す青少年ーーなどではもちろんない。
撫子に狂い、撫子に狂い、撫子に狂い、撫子に狂い、撫子に狂うーーこんなやつ近くにいてたまるかというような、過剰愛に生き、愛する女を想い涎を垂らす超ド級の変態。
それがーーそれこそが武田 大和である。
彼もまた、他人には言えない秘密を持つ生徒の一人であった。
さてーー、
学生人気、世間の評判、進学率ーー様々な面において高い評価と結果を常に叩き出す。そんな嘘みたいな名門校。それが私立恋ヶ丘学園である。
勉学やスポーツなど、あまねく分野の第一線で活躍する生徒たちが在籍する。それが私立恋ヶ丘学園である。
一方で、超絶尻軽な学園のマドンナや、激ヤバストーカーなど、特定の分野の第一線で活躍する生徒も少なくないーー何を隠そう、それこそが私立恋ヶ丘学園である。
私立恋ヶ丘学園、もうダメかもしれないーー。




