第三節「スピリティズム」
数時間後――。
いつもならそわそわしながらあの人を待っているはずの私は、別の意味でドキドキと高鳴る心臓を抑えながら、スピリティズムをインストールしていなかった仕事用パソコンを前にしていました。
念のため、窓も閉めきり、玄関のドアも特定の人以外が開けられない設定したので、おそらく、あの人以外は入ってこられない安全なお城が完成したはずです。
ここまで準備している中で、分かったことが幾つかありました。
まず最初に調べたのは件の初心者狩りの件でした。
インターネット上にある情報は明日華さんや、園崎さんの言った言葉と変わらない内容で、共通していたのは"霧の出た安全圏で狩られた"という事だけ。
この方法に心当たりはありますが、噂になるほどの事ではないと私は判断出来ました。
次に園崎さんについてです。
直接会いに来た点といい、不審な言動も多かったので不審人物筆頭でした。……が、園崎さん自身は会社にいらっしゃる社員なのは間違いありませんでした。
本当は調査依頼の件も含めて会社の方に聞くべきだったかもしれませんが、本当に極秘だった場合"あの人"に確認を取ってもらった方が早いからです。
調べて分かったのはこの程度でしょうか。
正直、"あの人"を通じて調べればすぐに終わってしまう事件かもしれません。ですが、このゲームには思い入れもありますし、とりあえず直接ゲームをプレイして確かめることにしました。
本当なら"あの人"との時間を大事にしたかったのですが、どうしてもこの事件のことが気になってしまい、居ても立っても居られないのです。
あの人には申し訳ないとは思っています。
もし、ゲームの中で何かが起きたとしても"あの人"に訪ねてきていただいた時にすぐにでも起こしてくれるという勝手な期待もあります。
なので、心置きなく私はゲームへ調査に赴かせてもらうことにしました。
あの世界を直接見ることが出来ない私はまず『眼鏡』を専用ケーブルでパソコンにつなげる。
普段の機械操作ですと大きな戸惑いを持ってしまうのですが、ゲームと仕事の時だけ手際がいい自分が居て、継続は力なりという言葉の重みを実感させられます。
いつもそうするように仕事用に使っている相方さんに触れ一撫でする。
「今日はちょっと違った用事ですけど、よろしくお願いしますね」
相方さんにそう声をかけ、起動ボタンを押して椅子に体重を預けます。
体が浮遊感に包まれ、数秒ほど待っていると、光の入ってこないはずの瞳に光を感じていく。『眼鏡』で世界を見た時と同じように、頭の中に直接光が差し込まれて眩しくなる。
まぶしさに目を細めながら少しずつ目を慣らしていくと、石畳の敷かれているボロボロの木で出来た小屋の中に立っていました。
スポーンポイント……ゲームの初期地点の光景です。壊れかけたテーブルの上には本とランタン。その二つがこのゲームを始めるための設定になっていたはずです。
懐かしさを覚えながら、近くにあったテーブルの上にある本を開くとゴシックなデザインが施されているウィンドウが表示されていました。
目の前に現れたウィンドウを弄り、設定を済ませていく。とりあえず最低限必要な情報だけを入力していき、ゲーム内の職業を決める項目で、手を止めました。
「初心者の方は、どの職がいいのでしょうか……戦士、魔法使いに盗賊……」
このゲームの初期職業には戦士、魔法使い、盗賊の3つから選択式になっています。このゲームは使用上膨大な時間を使ってやりこみ、レベルを上げていくハック&スラッシュ――俗にハクスラと呼ばれる類のゲームで、どの職業も最終的には使い方次第のバランスですが、調査をするという名目上時間をかけるのは得策ではありません。
――初心者狩りの方を相手にできる職業……この中だと魔法使い、でしょうか。
指で魔法使いを選び選択すると、職業の説明のウィンドウと注意書きが表示されます。
そこには"魔法使い職は特殊なコツがあるので初心者の方は最初に選ぶのは推奨しません"と書かれていました。
魔法使いはどのゲームでも難しい職業なのですが、スキルを使用するゲームという関係上、バランスをとるために非常にシビアな構成になってしまったため……と関係者の方には聞いています。
残念ながら、能力をスキルでカバーするためにはその手段を使わざるを得ません。なので、そのまま承諾を押してゲームをスタートしました。
ゲームを起動した時と同じように、光に飲み込まれるような演出が体を包み、徐々に自分の周りの景色が一新されていく。
まっくらになったところで、パキっと音がして目の前に扉のような気が現れ、それを押すとたくさんの人が行きかったり、その場に座って雑談を楽しんでいる、寂れた広場が広がっていました。
始まりの広場。このゲームの設定で色々な物語が始まった場所であり、終わる場所……という設定の初期地点です。
広場の真ん中には大きな木が生え、今私は根元には大きなうろから出てきたはずです。
ちなみになんですが、このスタート地点のうろは私の我儘で追加したもので、ファンタジーの始まりをっぽさを演出したいなと思ってつけてもらいました。
石畳もレンガで組まれた石畳でして、建物と同じ素材を使い、古びた風景を描写するためところどころがかけているようにデザインしたのも個人的にはグッドポイントです。
明かりにはガス灯、と呼ばれる街灯をモチーフにした街灯が並び、ちょっとした窓や、段差の鉄柵は刺々しいとも言うべきデザインを施し、実際にモチーフにしたイギリスやフランスの光景よりも攻撃的なイメージが付くようにしてもらいました。
少し外れた路地や地下水路が見える穴には、ただでさえ難しい水面表現で汚水を表現してもらい、生理的に近寄りがたいものを彷彿とさせる。
ところどころに配置した荷車や馬車は、装飾の違いからこの町が富裕層と貧困層が湧けられている階級制度のある街なのだという印象付けを行い、NPCである商店や、町を歩く人々の表情はどこか暗く、疑心の心が芽生えてしまっているかのようにぎょろりとし、プレイヤーたちと分かりやすく差別化したのもゲームとしてとても分かりやすい表現です。
空を見上げれば本来なら青空や夕焼けが覗いているはずの空は薄暗く、いつも雲に覆われているような曇天の空が広がっていて、暗い町の雰囲気を、さらに暗く演出させていました。
どれもこれも、ゲームデザインという形で無理を言ってしまいましたが"あの人"の知り合いだからと無理やり聞いてもらった甲斐はある、というものでしょうか。胸が高鳴って抑えきれなくなりそうです。
……おほん、少し語り過ぎてしまったかもしれません。
街の外に視線を向ければ、町のはるか遠くにある丘には、デュークさん、と呼ばれる、もう一人のデザイナーさんが作った渾身の崩れ落ちかけている城が、夕陽のような赤い光をバックに後光が指しているようにも見えました。
視覚以外の五感は共有できるゲームではないはずなので、温かさは感じないはずなのに外の世界で日に当たっているかのような錯覚すら覚えてしまう……そんな風景でした。
「ああ、やはり、外の世界はとても美しいですね」
何度見てもこの世界の光景は、私の胸を躍らせてくれる。
正直、最初にこの町と衣装をデザインした時はとても渋られてしまいましたが、今では無理を言って作ってもらったのが正解だとお互いに認め合える作品に仕上がっています。
「そう言えば、私は調査をしに来たんですよね。早速聞き込みでもするべきでしょうか」
周りにはちらほらと新規の方と思われる、革製のフード――初期装備の方がいらっしゃって、とても喜ばしいことです。
ボロボロの衣服に革製のフード付きのポンチョ。旅人をイメージした装備なのですが、この町の中で深くフードをかぶっていると、荒れ果てた廃墟の町という世界観が加速していきそうです。
はかどってしまいかねません。
とりあえず、最初は周辺を見て回ることにしました。
しかし、どれほど歩いても初心者狩りを荒れることもなく、むしろチャットやほかの方の行動を見る限り治安が悪いといった印象は受けられません。リアル金銭のやり取りであったり、男子が執拗に女性らしき人に迫る図、上手くいっていないチームに、公然と触れ合っているカップルらしき姿。
どれもこの手のゲームにしては在り来たり……と言った姿なのではないでしょうか。
これは空振りしてしまったでしょうか。
そう思いながら視線を広場に戻すと、小学生程度の身長の方がスタート位置周辺で、きょろきょろと周辺を見回していました。
初めてプレイする方は性別や身長がいじれないように設定してあります。
この手のゲームに慣れていない方がランダム作成をしてしまうと、動けるようになるまで時間がかかってしまうからというのが理由です。
ただし、ゲームを進めたり課金要素である程度自由度のある見た目を設定できるようにしているため、最終的な判断には使えません。
怪しいと思い、しばらく観察してみたのですが、どうやら動けなくなってしまったらしく、どうしたらいいか分からずにいる、と言ったところでしょうか。
小学生あたりほどの背丈で、顔立ちも幼いようです。年齢を考えるに周りの子たちと一緒にゲームで遊ぶため……でしょうか。この手のファンタジーゲームを選ぶのは日本人では珍しいので、すこしだけおせっかい心が湧いてしまい、気が付くと不審者よろしく声をかけてしまっていました。
「あの、大丈夫ですか」
「え? な、なに?」
「もしかしたら初めてのゲームで動けないのではないか、と思いまして。この手のゲームで動くのにコツが要りますから……。間違っていたでしょうか」
「ち、ちが! ……い、いえ、そう、です」
恥ずかしいからでしょうか、一度否定しようとはしたものの、頼る人もいないので本音を吐露してくださいました。
ただ、声色が硬くまだ緊張しているように聞こえます。おそらく、警戒をしているのでしょう。とりあえず顔を覚えてもらおうと、目線を合わせフードを後ろの方へとずらしてアバターの素顔をさらしました。
「怖がらなくても大丈夫、と言いたいところですが、知らない人に声をかけられるのは怖いことですよね。えっと……」
どうやって言葉を続けようか迷っていると「平気!」という声が聞こえ、その子は私を見上げてもじもじとしていました。
やはり警戒されていただけのようでした。フードを外して正解です。
「大丈夫です。ちょうど困っていたので」
「はい。何に困っていたんですか?」
「あの、このゲームがわからなくて……。友達と一緒にやろうって思ってたけど、お姉さんの言う通り、どうやっても体が動かなくて……」
「途方に暮れていた……いえ、困っていたんですね」
「うん……」
やはり、動き方が分からないだけのようでした。
マイク越しとはいえ、声色を聞いても嘘を言っている音ではありません。とりあえず私が最初に動けるようになった時のアドバイスをしてみましょう。
「最初は……そうですね、ゆっくりと目を閉じてみてください」
「う、うん」
「はい、いい子ですね。それでは……君は、テレビのゲームをやったことってありますか?」
「ううん、わかんない」
「なるほど。じゃあ、私と同じ方法を試してみましょう」
「同じ方法?」
「はい、とっても簡単な方法です。手は上げられますか?」
「う、うん! えっと……」
元気の良い返事の後、ゆっくりと少年の腕が上がり、私の方に延ばされました。腕が動けるということは体全体に意識が向いていないだけ、ということでしょう。目とは違い、体は意識して動かすものではありませんから、そこに意識がない方だとこの手のゲームでは苦労する、と聞いた事があります。
とっておきの魔法をかけてあげるために伸ばされた手を取る。
「今目の前が真っ暗だと思います。でも、このままでは動けません。あたなは前に進んでみたい。そうは思いませんか?」
「ちょっと、こわい、です」
「はい、それも正しい感想だと思います。私も最初の一歩を踏み出そうと思った時、とても怖い思いをしたのを覚えています」
「お姉さんも?」
「とてもよくわかります。ですが、動くためにはその勇気が必要なんです。真っ暗闇のつぎに外の世界……たくさん見たことがない町が広がっている。触ったことのない生き物がたくさん歩いている。そんな世界を見てみたくはありませんか?」
「見たい……見て、みたいです!」
「はい、そのイメージがあるのなら大丈夫です。ゆっくりと足を動かすイメージをしてください。現実の足を踏み出すのと変わりません。小川の向こうにジャンプするイメージで体に勢いをつけてください」
「川の向こうにジャンプ……」
「はい。えいって飛んでみてください。その先にたくさんの世界が広がっているんです」
じっと待っていると、彼の右足が、地面を確かめるようにゆっくりと、すり足を始めました。
とっておきの魔法が効いたようで頬が緩くなってしまいます。
私もこの子の動きに合わせてちょっとずつ背後に下がり、自然に歩けるようになってから手を放しました。
「お、お姉さん?」
「もう大丈夫ですよ。ほら、目を開けてください」
「…………。っ! わあ、歩けてる。すごい、これがゲーム」
「もう、手を離しても歩けるようですね」
「はい! ありがとう、お姉さん!」
驚きながらも、喜んでいただけるのは関係者としても喜びもひとしおです。
こういう初心者の方にもっとこのゲームを楽しんでいただけるよう、件の調査を一刻も早く終わらせなければいけませんね。
「歩けるようになって、私も嬉しく思います。それでは、私は用事がありますから、ここで」
「……ま、待ってください」
早速、調査に乗り出そうとすると、あの子からそんな風に声がかかり、何かに引っ張られるように足を止められてしまいました。
振り返るとフードをしっかりとつかまれ――いえ、表現としては摘ままれて――動けなくされてしまいました。
「は、はい? なんでしょうか」
「用事って急いでますか?」
視界の端に映る時計に目を移しますと、まだ夕方にも少し遠い時間、と言ったところでしょうか。子供であれば現実世界に戻るべき時間とも言えますし、遊ぶのを諦めるかと言えば多少の猶予はある、そんな時間でしょうか。
私も私も今すぐにでも何とかしなければというよりは向こうから来るのを待つことになりそうではあったので、今日一日くらいは平気だろうと頷きました。
「……いいえ、大丈夫ですよ。なにか聞きたいことがありますか?」
「な、なら少しお話を聞いてもいいですか?」
「お話し、ですか」
「はい! 友達もまだ来ないし、お姉さんに教えてほしいっていうか……」
「ナンパ、というものでしょうか」
「なんぱ?」
「いえ……お話でしたよね?」
「っ、はい!」
彼は不安そうに、そしてきゅっと勇気を振り絞った表情でナンパをされてしまいました。理を入れてからすこしだけ思慮の時間をもらう。
人が多いロビーや、場所で大勢で立ち話をする、というのもこの手ゲームの醍醐味、私はそう思っています。知らない人との交流手段としても優秀なツールだとは思いますし、せっかく勇気を振り絞ってくれた彼の提案を断るのは……大人として格好悪い……かもしれません。
「…………。分かりました。ここで話していると、少し迷惑かもしれませんので、少し場所を移動しましょう」
「はい! あ、ありがとうございます!」
いたいけな笑顔を向けられ少しだけキュンとしてしまいました。
私は年下の方の方が好みだったのでしょうか。
一考の余地あり、と言ったところです。