第八節「事件の後に」
スピリティズムの初心者狩りが落ち着き始めてから、一週間ほど経ったでしょうか。
あれから、忙しくなってしまった"あの人"とも会えず、仕事での行き詰まりを感じていた私に明日華さんが「たまには外で昼食でも食べません?」と誘われ、テラス席のある喫茶店に足を延ばしていました。
久しぶりに外出すると冷たい風が頬を撫でる感触がこそばゆく、耳には通りを歩く雑踏の足音がまばらに聞こえて落ち着かなくなる。
早々に明日華さんが頼んでくれていた温かい紅茶を手に一息つきました。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか」
「うん、ありがとね、店員さん」
紅茶を飲みながらテーブルから離れていくウェイターの方の足音を聞き、胸を撫でおろしてしまう。こんな生活をしている関係上、人と会う機会が少なくなってしまいこういった場面ではついつい緊張してしまいます。
「ふふっ、それにしても……」
「はい? 誇らしげな声ですけど、何かありましたか?」
「何を言ってるんですか、聞きましたよ。"スピリティズム"の件。義姉さんが解決したんだって」
「……何のことでしょう」
「あはは、とぼけたって駄目ですよ。兄さんからもうすごかったってキメ顔でコーヒー飲みながら自慢されましたから」
「ご心配をおかけしないように黙っていたはずなのですが……あの人は些か口が軽すぎる気がします」
「何言ってるんですか、兄は口が軽いですよ、義姉さん。家族に義姉さんの事を言わなかったのが奇跡みたいなものなんですから」
「はあ……奇跡的、なのはそうだとは思いますが」
意外と言えば意外です。あの人は私に対しては書く仕事も多く、口にしないことも多いので秘密は守る人なんだろうなと思っていたのですが。
部外者ではあったので、仕方ないとは思いますが少しだけ明日華さんに嫉妬してしまいそうでした。
「あ、でも心配しないでください。うち、これでも口がライトマシンガン並みに重いんで、他の人には一切言ってませんから」
「軽くないのは分かりましたけど、伝わり辛い重さですね」
「めっちゃ重いっすよ。鉄の塊なんで。大人の猫三匹くらいです」
例えて教えてくださるのは嬉しいのですが、いまいち想像しにくいのは明日華さんの仕様なんでしょうか。
明日華さん専用の変換機が欲しいと思ってしまいます。
「ところで、兄に聞いたんですけど、犯人さんって家に直接来た人だったんでしょ?」
「ええ、まあ……」
「そこから捕まえたって聞いて驚きましたよ。だって、あの家には結構な人が来るじゃないですか? うちも含めて。義姉さんはうちが犯人だった、って考えなかったんですか?」
「ん……あの、おっしゃってる意味が分かりかねます」
「えー? だってあの家に出入りをしてた人が犯人候補だったんでしょ? それだったらうちも候補じゃないっすか」
「元々明日華さんのことは疑っていません。"あの人"に直接紹介して頂いた人は信頼を寄せていますし、介助をしてくださるとき、明日華さんからは"あの人"のように気遣いつつも私に合わせた距離を保っていただいています。なにより――」
そこで言葉を切り、一度紅茶を口に含むと、口内から一般的な茶ばの香りが広がり鼻孔を通り抜けていきました。
「明日華さんは男性じゃないですか」
私がそういうと、きょとんとされたような間が広がり「あはっ、そっか」と明日華さんが噴き出したように笑われました。
「あはは、なんだ犯人は女の人だったんだねーそりゃうちには無理ですね」
手足を投げ出し、椅子のバランスが崩れる音が聞こえハラハラとしてしまいましたが、明日華さんが笑ったままなのを聞くと、姿勢を崩しただけだったようで色々な意味でホッとしました。
「ネット関係の犯人だから、もっと根暗な引きこもりの男の人ーって感じだと思ってたんですけどねー」
「私も根が暗くて引きこもりの類ですよ。……少なくともアバターはお綺麗な方でした」
「え? ゲームの見た目ってその人なんですか?」
「人による、としか。性格によって傾向があるのである程度は信頼性はありますよ」
「へー。そうなんですか?」
「はい。例えば、明日華さんがゲームをプレイ場合、おそらく化粧系のコスメティックは買うでしょうけど、アバターの外見は変更せず、そのままゲームをプレイする方だと思います」
「へえ、コスメもあるんですか? たしかにそれなら自分のままやりそうな気はしますね」
「明日華さんは自信のあるお方ですし、
「自信がある……ですか。そう見えます?」
「ん、私の目――いえ、耳ではそう思えますよ」
「ふふっ、やだな。うちが自身に満ち溢れているのは義姉さんのおかげなんですよ?」
「はあ……そう、なのですか?」
「あはっ、そうですよ。うちが会って来たたくさんの女性で一番尊敬できる人ですよ、在世義姉さんは」
「ずいぶん慣れていらっしゃるように聞こえますね、明日華さんは」
「え? あはは、ばれました? うちがたくさんの女の人に会ってるのは兄にオフレコでお願いしますね、まだ義姉さんの手伝いはしていたので」
「はあ……」
カフェの入り口から何やら騒がしい言い合いが聞こえ、騒がしかった場所からテラス席付近にドカドカと鳴らす足音が聞こえてきました。
「なにごと、でしょうか」
「え? 何かあったんですか?」
「いえ、入り口の方が何やら騒がしくて……」
ガチャンと陶器の割れる大きな音がし、周りの方がの声に悲鳴が混じる。誰かの走り出した音がこちらへ向かい、誰かの「ナイフを持ってる!」という叫びが響き渡りました。
ナイフということは強盗でしょうか。
なんてぼうっと考えていると正面からガシャンと大きな音が聞こえて背筋がビクンと跳ね上がってしまう。
「立って! 在世義姉さん!!」
「っ! は、はい!」
怒鳴るような明日華さんの声に反射で立ち上がろうとし、服のすそが何かに引っ掛かり、中途半端な体制で動けなくなってしまいました。
引っ張っても取れず、明日華さんが机に手を触れながらこちらに近づいてきてくださり、私の足元にしゃがみ込みました。
「あ、明日華さん。ごめんなさい、服が……」
「そんな場合じゃないって!」
足音が間違いなく私たちに向かい、ナイフを持ったらしい人の狙いがもう私たちに定まっているのは間違いありませんでした。もう何人かの足音も聞こえましたが、追われているのでしょうか。
出来れば、明日華さんだけでも助かってほしい。
そう思い、彼をかばおうとして――
「危ないよ、二人とも!」
こんな危険な場面だからでしょうか。
居るはずのない"あの人"の声が聞こえ、すぐ目の前からテラス席の床材の上に誰かが倒れるような重い音が響き息をのんでしまいました。
いったい、何が起こったのでしょう。
状況が文字通り見えず、おろおろとしてしまう。
「に、兄さん!? なんでここに!」
明日華さんがそう叫ばれて幻聴が聞こえたわけではないと分かり、ついで今の現場に"あの人"が居たと分かりさあっと血の気が引きました。
まさか"あの人"が私なんかの代わりに犠牲になってしまったのでしょうか。
音を聞くために耳元に手を当てますが、野次馬の声や写真の音が五月蠅く情報が一気に増えて何も分かりません。
手を伸ばし近くにいるはずの明日華さんを探しました。
「あ、あの、明日華さん。あの人が……あの人は大丈夫ですか。さっき、ナイフを持ってる人が居たって……」
"あの人"にもしもの事があると思うだけで、心臓が痛くなり、息が詰まりそうでした
不安で不安で仕方なくなり、伸ばした手が誰にも触れられず虚空を掴むたびに呼吸が荒くなっていく。
あの人は……あの人が……!
あわあわと伸ばしていた手が誰かに触れられ、無意識で拒絶しそうになると優しく両手でとめられました。手入れの行き届いた白魚のような手の感触でしたが、太い骨がある手。いつも介助して頂いている明日華さんの手でした。
「明日華、さん?」
「はーい、深呼吸深呼吸。大丈夫、兄さんはあれでも護身術もできるから。ちゃんとナイフの男を抑えてるよ」
「本当、ですか?」
「ほら、血の臭いもしないでしょ? だから、刺されてはないって。あんまりうちが触ってると怒られるから、手を放すね?」
「…………はい、ごめんなさい、明日華さん」
触れられていた手が離れ手を胸元に持っていく。いまだに心臓が痛いほど鼓動を打ち、呼吸をするたびに締め付けられていました。
落ち着こうと深呼吸をしていると、明日華さんと"あの人"の会話が聞こえてくる。
「兄さん、在世さんを心配させちゃ駄目だろ!」
「悪、い……。心配させたのなら謝る。でも、二人とも無事でよかったよ」
「うちは良い。でもうちよりも言わなきゃいけない相手がいるでしょ?」
「そりゃそうだけど、犯人取り押さえてるのに無茶を言う……。在世! 僕は、おっと。大丈夫だから安心して! すいません、誰か警察とこの男を抑えるのに交代と協力をしていただけませんか!」
「っ……は、はい。良かったです」
"あの人"のへらへらとしたいつもの返事でようやく安堵し、胸を撫でおろしました。
人がひしめきあう音が聞こえ、"あの人"が抑える役割を変わってくださったであろう方にお礼を言うとこちらに向かって歩いてくださったかと思うと指先からゆっくりと手を取られ、甲に口づけをされてしまい頬に火が付いたように熱くなりました。
「心配かけてごめんね、在世」
「い、いえ……あの、すいません……」
「ふん……。二人でイチャイチャするのもいいけど、兄さんはなんでここに?」
「ん? ああ、今日は開発班に無理やり言って暇をもらったからね」
「そうじゃなくて――」
「分かってる。とある筋から在世の身に危険が迫るかもって忠告をもらってさ。休暇もとれたしサプライズで家に行ったらもぬけの殻。いやな予感がして奥の手を使ったら案の定ってところかな」
「あなたではなく、私が危険……ですか?」
「うん。とある情報筋って言うのは君が捕まえた犯人。つまり今君を刺そうとしたのは、君の調査を依頼した黒幕は親父の会社系列社員――もっと詳しく言うと会社内部の情報を外部に漏らしてた真犯人だった。親父は嫌われ者だからね、うちの会社の情報と弱みを握って脅そうとでもしてたらしい」
「はあ……。それで、どうして私が狙われることになったのでしょう?」
「え? 義姉さん知らなかったんですか?」
「はい?」
「義姉さん、もう父さんたちの会社では社長の息子の許嫁って噂が広まってて、弱みって意味じゃ立派に兄さんの弱みっすよ」
「……それは本当ですか?」
寝耳に水な情報が明日華さんの口から聞かされ首を動かして"あの人"に聞くと、彼は大きくため息をついていました。
どうやら、あながち嘘という訳でもなさそうでした。
「明日華……」
「えー事実じゃん。それともまさか義姉さんに言ってなかったとか?」
「……」
「え、マジ? ちょっとソレはさすがにひどいよ?」
「うるさい、年中昔の原宿ファッションに手を出してるお前に言われたくない!」
「いやいや、それとこれは関係が無いっていつも言ってるじゃん! だいたい兄さんは――!」
先ほどまでの話はどこへ行ったのでしょう。
いつもの兄弟喧嘩を始められた二人を見て、ドッと体から力が抜け浮遊感に包まれてしまいました。
あれ? と思った時には膝が折れ、倒れこむ体を支えようと伸ばした手が何かに当たり、陶器が擦れ倒れる音と、温かい水が服に染み込み肌に吸い付いてくる。
服が濡れてしまったな、とぼうっとしていると、足元で陶器の割れる音がしました。
「わわっ、義姉さん大丈夫っすか!? あー結構服が濡れちゃってますね」
「あっ、あの……カップが……」
「そっちは僕が何とかしておく。それよりも在世は平気?」
「は、はい。私はなんとも」
平気だと二人に示そうとして、また足元がふらつく。二人の焦って息をのむのが聞こえ、両腕を誰かに支えられ、そのままゆっくりと近くの椅子に案内されてしまいました。
「とりあえず君は家に戻ろう。事情聴取とかそのあたりのことは僕が全部対処しておくから。――明日華、彼女についてやってて」
「うちでいいの? 本当は兄さんがやってあげたい癖にさ」
「茶化すなよ、色々な意味でそうしたいのはやまやまだけど、お前じゃ会社の説明が出来ないだろ」
「りょーかい。じゃあほら、義姉さん、行きますよ。もう一回腕入れまーす」
「は、はい。もうしわけ、ありません」
「謝らなくていいよ、在世は被害者なんだから」
「そうそう、すいませーん。この人目が見えないかたなので、道を開けておいてくださるとうれしいでーす!」
また二人に迷惑をかけてしまったという罪悪感と、結局どうして私を狙ったのかはっきりしない疑問を胸に、その場を"あの人"に任せ明日華さんに連れられて家路につきました。