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第一節「目覚めの暗闇」



 遠くで、部屋の壁に設置してある自動掃除機が仕事を終えた音を立てました。

 ゆっくりと頭の中がさえていく感覚。おそらくベッドの中に居るであろう温かさの中、音につられて目を開けると広がっていたのは光を感じない暗闇でした。


 いえ、普段から見慣れた暗闇、と表現した方が正しいでしょうか。


 他の人に今の状況を伝えるのであれば、何も見えず、音がとてもよく聞こえる。と言った方が分かりやすいかも知れません。

 ……ああ、端的に盲目の世界の方が分かりやすいかもしれません。


      *     *     *      


 私の目は、生まれつき光を受け取りにくい体質でした。

 全く見えないというわけでもなく、眼鏡をかければ大丈夫と言える範囲だったのですが、とある事故をきっかけに完全に外の色は遮光されてしまいました。

 それから、まあ、その色々ありまして……。おそらく普通に暮らしでは出来ない経験を多数。今はこうして最先端の技術で補助してもらっているという形になります。

 それなりの苦労はしている……と思います。ですが、私としてはそこまで気にする苦労ではなかったのでこうして一人暮らしを謳歌させてもらっています。

 誰かの手を借りつつも、ですが。


      *     *     *      


 ぼうっとする頭でそっと自分の体が触れている部分に集中していき、指先で感触を確かめていく。

 指を頭のほうへ動かしていくとシーツのなめらかな肌触りの後に、シーツとは別の枕カバーの感触が指先に伝わって来る。

 耳にはいつも聞いているのと同じ音がひろがっていて、自分が居る場所が自分の住んでいる部屋の寝室だと理解して、落胆と同時に安心することが出来ました。

 落胆してしまったのは……、理由があると言えばあるということになりますか。

 一度、特別な経験をしてしまうと、こうして普段通りに過ごせる、というのはとても貴重な経験なのだな、という実感がわいてしまうもので、同時に不可思議なことはあれ以来ないのだな、という不思議な気持ちが自分の中に芽生えてしまうものです。

 でもこのお話をしたら"あの人"は驚いていたので、こう思ってしまうのは私だけなのかもしれません。

 そんなことを考えていると、ふと、今日の予定が特別な来客のある日だった、ということを思い出しました。


 特別な来客――。

 それは私が"あの人"と呼ぶ大切な人のことです。


 お恥ずかしながら、私はその来る相手のことを考えるだけで、すこし気持ちが高ぶりふわふわした気分になってしまいます。

 それほど、私にとって特別なものをくれた人ですから。


 その人との約束は午後からなのですが、なにせ何も見えない身です。なので、準備をするにも相応に時間がかかるのはいつもの事。

 こうしてベッドの上でいつまでも眠っているわけにはいきません。

 指先でマットレスに沈み込む指先に力を入れ体がベッドから落ちてしまわないように気をつけ、ゆっくりと体を起こす。

 長い間切らずに置いた髪の毛と掛布団が体の表面を滑り落ちていく感覚が腰のあたりからしてきました。

 一人で暮らすようになってからずいぶんと経っているので、ベッドから一人で起きるのも慣れたもの。危なっかしいと初めての人には言われますが、今では確認することもなく自由に起き上がることもできます。

 これは誇ってもいいと、自負しています。

 えへん。


 ……さて、ベッド脇のチェストに置いてあるはずの眼鏡のような物があるのですが、それを指先で探り当て髪の毛に引っかからないようにかけると、耳にある認識デバイスが作動し、暗闇しかないはずの目の前に"ウィンドウ"と呼ばれる画面が浮かんできました。


 最近の科学は凄い、というべきでしょうか。

 視神経が生存している前提の機能ですが、盲目である私の視界にウィンドウを表示し、日常生活を補助する機能が備わっています。

 電気自動車はもうずいぶん昔に一般化したため、近くに車が来た際白杖を振動させる機能や、パソコンなどの電子機器をイメージディスプレイとして表示する等々……。この"眼鏡"は一般流通していないとはいえ、そういった補助目的のためのデバイスです。

 具体的には、いくつも画面が開いているパソコンの画面で、と言えば分かりやすいでしょうか。背景が真っ暗のまま、私の目の前にいくつかの画面が出てくるのです。

 開発した方はとても天才と言わざるを得ません。


 ……身内贔屓、かもしれませんが。


 "ウィンドウ"にいくつかのアプリケーションのアイコンが表示され、その中から予定表という表記に触れ、今日の予定を確認していく。


「今日の予定……"あの人"が来てくださる日、ですね。準備のためのあの子が来る……さすがに寝間着は気まずいので着替えてしまいましょうか」


 とりあえず"眼鏡"の別機能の電源を試験するために、起動コードを思い出そうとしました。


「ええと……『電源オン』でしたっけ」


 シンと、自分の声だけが響き――いいえ、正確にはくぐもった電子機器の起動音が部屋の中に響きました。

 起動は出来たようですが、思っていたのとは別の起動音がしているようでした。

 はて、とずいぶんと昔の癖で瞬きをしていますと、起動音がしたのに目の前が暗いままなことに気が付いて頬が熱くなっていく。


 耳を澄ませばわかりますが、駆動音がしているのは隣の仕事部屋なので、間違いありません。

 どうやら、仕事用に使っているパソコンの起動コードを言ってしまったようで、隣の部屋でパソコンさんが仕事モードに入られてしまったようです。

 誰も見ていないでしょうがお恥ずかしいミスをしてしまいました。


「あ、ち、ちが。えっと……あっ。お『オープンマイアイズ』です」


 慌てて欠片同じ文字列のないコードを言い直すと、かけている"眼鏡"から起動音が鳴り、虹のようなエフェクトが起動して、私の目が起動してくれたことを示していました。

 虹の光が私に向かって飛んでくるようなエフェクトなのですが、何度やってもなれる物ではありませんでした。

 ……電源オンの方ではありません。


 瞼を閉じながら待ち、ゆっくりと時間をかけて瞼を上げていくと、真っ暗なはずの視界に光が入り、部屋の光景が自分の視界に広がってくれる。


 援助をしてくれている方のおかげで、埃もほとんど積もっていないはずの室内。

 自分の座っているベッドには青いシーツやお布団が敷かれ、脇のチェストに持たれかけるように白杖も置いてあります。

 視界を右に移していくと、最近設置していただいた化粧台や、窓辺で揺れる薄い桃色のカーテンに至るまで、細部までしっかりとその様子が目の前――頭の中に浮かびました。

 この光景を見るたびに、見えてしまう自分の視界には、感動と違和感を覚えずにはいられません。


 この"眼鏡"の二つの機能は、医療関係者である"あの人"と、もう一人の開発者さんが協力して開発した空想であるVR技術とそれらを現実世界に拡張するAR技術を併せ応用したものだそうです。

 この眼鏡で撮影した一定条件を満たした光景を疑似的に映像化し、再び眼鏡を媒体に通して脳に直接映像を送り込んでいる、とお聞きしました。

 なので、専用の家具であれば装飾などの細部にわたるまで脳に直接映像を送り込むことが出来るらしいのですが、システム上脳に負担をかけ過ぎてしまうので長時間にわたって使うのは禁止されています。

 もちろん、こうして見えるようになるには相応の条件や手術やリハビリをたくさん受けることになりますが、慣れてしまうと普通の光景と変わらない景色が見れるようになると、これを開発した人も満足げに話していたいました。


 ただし、私の家はその方たちの特別支援を受けて建てられているので、再現度を高くしてモデリングされています。

 適応外の屋外では四角の物体や丸い物が浮かんでいるだけ。まだまだ、専用の家や部屋で転ばなくなる程度の代物で、患者に負担をかけないようにどうするべきかと開発者の方は悩んでおられました。


 それにしても……。


「ああ、恥ずかしい……。あの人はなんで英語を起動コードにしたんでしょうか」


 もしかしたら、開発者の二人に意地悪をされているのかもしれません。

 今度お会いした時に文句を言いたい気分になってしまいます。

 もちろん、感謝はしていますが。


「っと、そうでした。着替えを……」


 来客の準備をしなければいけないので、うかうか物思いにふけっているわけにはいきませんでした。

 慌ててこの部屋にあるはずの箪笥に向かい、来客用にセットされている服を手探りで探し当ててゆっくりと時間をかけて支度をすることにしました。


      *     *     *


 寝室で着替えを終えると、ちょうど部屋に設置していたチャイムが誰か来たことを教えてくれました。


「はい、今行きます」


 見えていないときの癖は抜けにくいもので、転ばないようにゆっくりと壁の方へと向かい、リビングの壁につけてあるカメラのボタンを押して起動する。


「すいません、お待たせしてしまいました」


 カメラを使って玄関先を覗くと、そこにはとてもかわいい人が映っていました。


 これは"眼鏡"の機能の一つでして、登録されている人物はモデル化されています。

 詳細な服やメイクも本人の写真を登録した際に作られたもので、こうして相手の姿を見ることもできる優れものです。


 カメラに写っている方は濃い目の青色の動物を象ったパーカーフードをかぶり、目元には星型のシールを頬につけていました。袖までもまるで動物のようなデザインをしていて、とても愛らしい感じに仕上がっています。明るいベージュの短いパンツに、縞々の靴下と白と黒の左右で色の違う靴。ピンク色の大きめのバッグを持っていました。

 例えるならば、数世代前の原宿系というべきでしょうか。カラフルな色合いにゴシック的な雰囲気を纏う化粧や服装をしているとてもかわいらしい方です。

 多少、その見た目に憧れを抱いてしまいますが、私にはとても似合わない服装なので断念せざるを得ません。

 ……正直、ここまで見えるように作ったのはやりすぎ感はありますが。


 このかわいい方は天皇院明日華という方で、介護や介助、理髪の資格も持っている、とてもファッションやメイクなど詳しい人で、私よりも小さい背丈に、中高生と言っても差し支えないくらいに顔立ちも整っている子だと"眼鏡"越しでは見える……ちょっぴり属性過多な方です。

 "眼鏡"に登録されているのをいいことに、私の仕事のモデルになってもらったりもしていますので、とても助かっています。


 今日来ていただいたのは、この後"あの人"と会うために準備が必要だからお呼びしていました。

 明日華さんもカメラが起動したことに気が付いたのでしょう、暇そうにしていた顔を笑顔に変えてカメラに微笑んでくださいます。


『あ、こんにちは。在世さん。着替えは済んでいますか?』

「はい。すいません、今ちょうど起きたもので着替えをしていました」

『いえいえ、大丈夫です。在世さんのおかげで美容師と介護士、ついでに特別支援の資格も持て余さずに済みますし、普段の出不精を解消するのに、これくらいの事ならお受けしますよー。ちゃんとお手伝いのお礼ももらってますし』

「勤勉な明日華さんには、いつもお世話になっています。門の鍵は開けておきますので」


 カメラ越しですが深々と頭を下げ、カメラの横に設置されてる門の施錠を解除するボタンを押す。しばらくして慣れた足取りで明日華さんの足音が聞こえてきました。


「よいしょっ、と。まだ義姉さんは見える世界には不慣れでしょうし、料理とか化粧っていう細かいことも難しいでしょうから、大丈夫ですよ」

「お義姉さんは、その、まだ早いかと。決まったわけでは、ないので」


 

 この子の言う"兄"と言うのは私が"あの人"と呼んでいる人で、私にこの眼鏡の試験を推薦した人物の一人の事で……お恥ずかしながら、だいぶ長い間過ごしている特別な人なので、そう思われてもおかしくないのかもしれません。

 でも、彼は優しいのできっと私が口にしたり、緊急事態にならなければそういう事態にはならないと分かっています。なので、そういう関係ではありません。

 ……あまり否定をするとかわいそうでしょうか。

 私が考え込んでしまっていると、明日華さんに「あはは」と笑われてしまいました。


「あはは、もう決まったような物じゃないですかー。うちは応援しますよ?」

「お恥ずかしい」

「でもいいんですかー?」


 いい、とは何のことでしょうか。

 普段から考えるのは苦手なのですが、少し考えこんでしまいます。


「…………。えっと、なにが、でしょうか」


 結局答えが見つからず、聞き返すことにしました。


「嫁入り前なのにうちなんかを家に上げちゃって、ってことですよ。知らない人を家に上げているって兄に教えたらそれはもう面白い動揺の仕方をしそうなんで」

「ああ……。いえ、いつもお世話になっていますし、それにこなくなられてしまうと、私が困ってしまいますので。仮に怒られたらそう言わせてもらいます。……あと、嫁入り前ではないです」

「あはっ、あの馬鹿兄にもぜひそれ言ってやってください。動揺の方も嫁入り前っていうのも。きっと卒倒しますよ」

「そこまでお馬鹿さんではない気もするんですが……」

「えー、兄の素行を知らないから言うんですよ。って思ったけど、そっか。在世さんも割と長く一緒に住んでましたっけ」

「はい、まあ」


 たしかにあの人には言えない間柄と言えば間柄で……。まあ、一緒に住んでいたといえばそうなるのでしょう。それはまた別のお話ですが。


 懐かしく思っていると、明日華さんが左手を上げて、手首を曲げて、まるでそこに何かあるかのように視線を映していました。

 何をしているのかと思っていると、何かを見つけたのか驚いたように表情を変えました。


「っとと、そんなこと話してる場合じゃないっすね。えっと、料理とメイクどっち先にしちゃいますか?」


 言葉につられて玄関の横にある時計を見ると、確かに少し時間がたってしまっていました。

 どうやら、驚かれていたのは時間が差し迫っているから、のようでした。


「お急ぎですか?」

「すいません、この後予定入れちゃって……本当はゆっくりするべきなんですけどね」

「平気ですよ、お世話になっているのは私の方ですから。ええと、それならご飯はあとで大丈夫です。まだお腹もすいていないので」

「相変わらず小食で、燃費良いっすね。分かりました。それじゃあメイクを先にしちゃいましょう。化粧台は寝室でしたよね?」

「はい。あっています」

「じゃあ、そっちに連れて行きますね。ちょっと失礼しまーす」


 合図に合わせて右腕を上げると、するりと右手に誰かが触れそっと持ち上げられる。空いた腕と体の間に明日華さんの腕が差し込まれました。

 他人から見れば恋人が腕にしがみついているような感じでしょう。

 一応、"眼鏡"の機能で見えてはいるのですが、いつ壊れるかは判断できませんので、こうしていつも補助をお願いをしています。


 "あの人"に話したらむっとする気配がしたことがありましたので、それ以降は言っていませんが。

 そのまま玄関から寝室までを腕を引かれながら案内していただきます。


「はーい、ドアがありますから気を付けて。バリアフリーですけど」

「ふふ、そうですね」

「へへ、いつも通りですね。じゃあ、右に曲がりまーす。おっとと、止まってください。回れ右してくださいね。……おっけーです。今回も椅子を音を立てるために大げさに引くので、肩を叩いたら座ってくださいね」


 いつものように手際が良いな、と思っていると、背後で椅子を引かれる音がし、目の前の椅子が明日華さんによって引かれる映像が映ります。

 背後に回った明日華さんに再び腕を取られ、椅子の前で肩を叩かれたので、言われた通り、指先で座るべき場所を確認しながら座ってみます。

 位置的には数ミリ程度のズレでしょうか。音がズレてる事以外は誤差の範囲内と思われる程度でした。


「はい、在世さん。オッケーです。どうですか? 今日はズレとか」

「ん、多少音ズレ……映像ズレですね。は、していますが大丈夫だと思います。今、座って椅子のふちを確認しましたが、位置はピッタリです」

「おっけー。兄貴たちにそう伝えておきます。それじゃあ張り切ってメイクしちゃいますよ。えっと、とりあえず顔を洗う前に化粧品の確認をしますね、指を開いてください」


 明日華さんが横に移動して、何かを広げ始めました。化粧品まではデータ登録が済んでいないので、何か、としか表現できませんが、触らせてもらって確認もしたので、たぶん化粧品のはずです。


「はーい、確認はおっけーです。じゃあ次は水桶を持ってきますので、顔を洗ってから今触ってもらったものを中心にお化粧していきますね」

「はい、お願いします」


 明日華さんの促しに多少興奮しながら受け答えをします。

 久しぶりに新しい行動でしたので、ちょっとドキドキしながらもお化粧というものに挑戦させてもらうのでした。



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