日常
延々と続く続くように感じられた階段を登るとそこから駅のホームが見える。波打つ鼓動を落ち着かせながら電車を待つ人々の流れを眺めていた。毎日同じ時間に同じ人たちが流れていく。それはまるで同じ時間を繰り返しているような錯覚さえ与えるものだ。毎日ここから眺めている私もまた、他の視点から見れば同じ時間の中に組み込まれているのだろう。
「この日常から抜け出したい」
私は心に溜まっていく不安を口に出していた。しかし時間は同じように過ぎていく。変わることなど無い。私は諦観している。しかし、どこかで期待もしているのだ。小さい頃見た本やアニメのように、ハイジャックが起きたり、急に知らない世界に飛ばされてそこで生活したりできるのでは無いかと。そんなことはありえない。ありえないのだ。夢を見れるのは子供の特権だ。自我が芽生えた人間は同時に客観視を獲得する。それによって周りとの差を確認する。
人々は「自分にはできない」「向いてない」など諦めることになる。自分が経験したことだけを現実とし、想像の世界を否定する。そして想像の世界にいる他人を攻撃する。
私も想像の世界を否定してきた。他人が夢を語っていても、「ありえない」と嘲笑した。しかし、自分自身を鑑みると捨てきれない自分もいるのだ。私はその狭間に浮かんでゆらゆらと揺れている。この浮遊感はなんとも言えない、得体の知れない感じがするのだ。それは不安でもあり、焦燥でもある。そこに滞留して動けなくなっている自分をどうすることもできずに毎日が過ぎていくのである。
通学・通勤の時間も過ぎ、今日も同じように時間が流れた。また明日も同じ時間が流れていくと思いながら、ふとホームに目をやる。
私はそこで気が付く。いつもと違う時間が流れていることに。
そこにいたのは一人の少女であった。通学時間が終わり、誰もいないホームのベンチに一人ポツンと座っている。
私は会社に行くため、改札を通りホームに降りた。彼女はずっとベンチに座っている。私も少し離れたベンチに座り、電車を待つ。いつもは一人の時間。そんな日常に入ってきた、一つのもの。
「寝坊したのだろうか」「何か用事があったのだろうか」
この街で就職して三年、こんなことは一度もなかった。ただひたすら同じことを繰り返してきた。
しかし今日は違う。彼女はどう考えているのだろう。私と同じようにいつもと違う日常に物思いをすることがあるのだろうか。日常の異物である私をどう思うのだろうか。
そんなことを考えながら彼女のほうを見、私は目を見開いた。
彼女もまた私のほうを見ていたのだ。私が驚いて固まっていると、不意に彼女の口が動いた。
「仕事?」
「そうだよ。君は」
私がそう聞き返すと彼女は
「なんか乗る気になれなくって。」と遠くを見ながら言った。
「繰り返しを終わらせたいの」
私はハッとした。私と同じことを考えていたのだ。しかし、嬉しさと同時に羨望も抱いた。この少女は変えるために動いたのだ。
「毎日同じ日常でしょ?私がいてもいなくてもこの世界は回っていくの。」
「回るならいなくてもいいかなって。」
そう言って彼女はまた視線を前にやった。
時間から切り離された二人はそのまま沈黙を続けた。
私は心地よい空間に心を預けていた。しかしその心地よい時間は続かなかった。
電車がホームに入ってくる。私がいつも乗っている電車だ。私は迷っていた。
このまま乗らなければ・・・。
しかし、私には勇気がなかった。少女はどんな思いでこの選択をしたのだろうか。
私は電車に乗り込んだ。ベンチには少女が座っている。流れていく景色を見ながら私は泣きたくなった。
階段を登るとそこからホームが見える。そこには少女はいない。