10 舟旅1
「兄ちゃん凄い」
「兄ちゃん、商人の方が向いてるよ」
河港に向かって歩きながら、ミラとミロが久々に僕を尊敬の眼差しで見つめている。
商区にある商人ギルドでの出発前の打ち合わせということで、ミラとミロに同席していたのだが、ギルドの職員の筆算よりも僕の暗算の方が早くて正確なので、何度も相手の計算間違いを指摘して見せたことや、たまたま隣で打ち合わせをしていたミケロス人の通訳があまりにも酷く、見兼ねて手伝ってやったことで、ギルド職員に酷く驚かれたのだ。
特にミケロス人と商人ギルドとで交わした契約書が酷かった。
互いに交わした筈の契約書の主語が間違っており、全然違う内容になっていたのだ。
ミケロスは海を越えた中央大陸の古い文明国で、新興国である僕の国との交流はあまり無いが、古い言語の様式を多く残したミケロス語を使っており、古代文字の解析の際には、必ず参照する言語の一つなのだ。
本音を言うと、生の発音を聞ける滅多に無い機会だったので、恥ずかしかったが、橋渡しを買って出たのだ。
微妙な変化をしつつ変わって行く微妙な発音なども体感でき、物凄く参考になった。
ついでに、契約書そのものに不適切な言葉使いがあったので指摘しておいた。
古語の原型を伝える法律用語として調べたことがある言葉だったので、法律的な定義も含めて説明しておいた。
それまで、冒険者は無学と侮って対応していたギルド職員の対応が一変し、それがミラとミロには嬉しかったらしい。
河港は大河ストロデスに面するグラロッサの玄関口で、商売の神のエビルス神殿を中心に商会や倉庫が建ち並ぶ商区と面している。
河岸には倉庫が建ち並んでおり、町の中へ伸びている運河には、多くの小舟が行き交っている。
祭りの前後の最盛期には、立錐の余地も無いほど舟が河岸に連なっているそうだが、今日は比較的ガランとしている。
商人ギルドから指定された河岸へ向かうと、屋形の比較的大きな帆舟が用意されていた。
屋根と甲板には鉄板が張られており、垣立には、河族撃退用のボウガンが備え付けられている。
舟に乗り込むと、ちび助達がはしゃぎ回っていた。
その中で、何故かマハムだけが物凄く落ち込んでいる。
「マリー、マハムはどうかしたのか」
「うん、エリザがミーナに宣戦布告したんだけどね・・」
エリザはマハムの今年九歳になった妹で、来年から僕らのパーティーの荷物持ちとして加わることが決まっている。
そのエリザが、ミーナと顔を会わせた途端、”お兄ちゃんは、私の旦那様になるんだから手を出さないで”とミーナに宣戦布告したらしい。
本人も必死の思いの戦線布告だったらしいのだが、それを受けたミーナは、”まあそうなの、なら、私全力で応援するから”と嬉しそうに抱きしめたらしい。
今も二人並んで何かを仲良く話しているが、それでマハムが落ち込んでいるらしい。
なんでそんなことで落ち込むのか良く判らない。
「良く判らないけど、励まして来るよ」
「ちょっと待ってお兄ちゃん、それは絶対止めてちょうだい」
「なんでだよ」
「お兄ちゃんが河に放り込まれるか、マハムさんが河に飛び込むかのどちらかだよ」
理由が良く判らないが、どちらも困るので止めておいた。
ーーーーー
「舟が出るぞー」
船頭が良く通る声で周囲に出舟を告げ、岸壁を竿で突く。
大きな舟が、船頭の細い竿一本で、魔法の様に河に向かって滑り出す。
見渡す限りの水面が広がる中、流れに吸い込まれる様に舟が港から遠ざかって行く。
河の流心まで達すると、舟は矢の様に進み、対岸の森が霞んで見えて来るようになる。
河の流量が多くなるこの時期は、森の半分程まで川幅が広がっている筈なので、対岸には村も町も存在しない。
船員二名、船頭、副船頭の四名でこの舟を動かしている。
帆は張らず、帆柱も倒している。
船頭が時々舵を操作し流木などを避け、あとは河の流れに任せている。
僕ら護衛は、舟首にカーラ、右舟腹にトマス、左舟腹にミーナ、舟尾に僕とマハムが陣取っている。
魔魚や魔獣は、川の流れに乗って襲って来るので、盾役マハムと初撃役の僕がこの場所に配置している。
河族は、先行した上級冒険者達が蹴散らしている筈なので、たぶん壊滅状態だから心配していない。
マリーやミラやミロは、ちび助達と一緒に、目の前の艫屋形でせっせと光玉を作っている。
マハムの妹と弟が三人、ミーナの妹と弟が五人、カーラの弟が四人、トマスの妹と弟が三人。
マリー達を含めた十八人が雑談をしながら玉を作っているので、結構屋形の中は騒がしい。
僕は、目に魔力を込めて調整し、魔力を見る練習をしている。
丁度目の前に魔力の籠った玉が並んでいたので、本に書いてあった内容を試しているのだ。
本に描いてあった絵から想像するに、実態の有る物を見る能力を上げるには、目の裏側に魔力を込め、実態の無い物を見る能力を上げるには、目の中に魔力を込めれば良いらしい。
目全体に弱く魔力を込めると暖かさが、少し魔力を込めると音が、さらに強く魔力を込めると魔力が見えて来た。
面白半分に目の中の魔力を圧縮してみると、最初に空中に漂う青い光の玉が、さらに圧縮していくと、世界が幾重にも見え始め、奥の方で、見知らぬ生き物が蠢いていた。
怖くなったの圧縮は止め、魔力を観察することにした。
光玉や廃ミスリルが輝いて見えるのは勿論だが、子供達の骨が透けて見えている。
背骨の部分の光が強く、特に魔獣では魔石と呼んでいる骨の部分が特に強く光っている。
思っていた通り、魔力は、貴族や王家特有の能力では無かったのだ。
対岸に目を移すと、森の中に魔物の形をした光がはっきり見えている。
距離に関係なく、遠くの魔力まで認識出来るようだ。
上流に目を移すと、大きくて長い物が近付いてくる。
河の流れに乗って、物凄い速さだ。
「河魔蛇が来たぞ!」
舟の中に緊張が走った。
水魔蛇はそのまま襲い掛かって来る思い身構えていたが、舟に近づくに連れて、深く潜って行く。
舟の真下まで来ると速度を落とし、舟と同じ速度で泳ぎ始めた。
・・・・たぶん、真下から舟に体当たりして、舟をひっくり返す積もりなのだろう。
不味い、ちび助達が河に放り出されたら、蛇に食われるか、溺れ死ぬかのどっちかだ。
実戦で試すには心許なかったが、目と頭の中と腕と足の四カ所に魔力を込め、僕は河の水の中へ飛び込んだ。
河魔蛇の魔力がはっきり見える。
それは相手も同じようで、僕の方へ、魔力の籠もった目を向けている。
美味しい餌が近付いて来たと思ったのだろう、突然河魔蛇が槍の様に襲いかかって来た。
たぶん、物凄い早さなのだろうが、今の僕には普通に見える。
でも悲しいことに、はっきり見えていても身体の動きが追い付かない。
がぶりと鋭い牙で噛みつかれてしまった。
もう直ぐ解明できそうな古代文字の言葉が頭の中を駆け巡り、無念さが込み上げて来た。
”ガチ!”
下半身が飲み込まれ、腹から下を完全に食い千切られた思って死を覚悟していたが、ミスリルの鎖帷子が牙を受け止めてくれた。
足に絡んだ舌を切り飛ばし、鼻先にミスリルの剣を突き入れると、河魔蛇が僕を吐き出した。
僕は鼻先に突き刺してミスリルの剣を必死に握り、河魔蛇から離れないようにした。
距離を取られて、鎖帷子の無い頭や足を狙われたら、一溜りも無い。
鼻先に突き入れたミスリルの剣から、河魔蛇の魔力を吸い上げる。
その魔力を腕と足に込め、ミスリルナイフとミスリルの剣を突き立て、河魔蛇の頭を這い上る。
頭骨を登り、背骨が見える位置まで来たら、背骨目掛けてミスリルの剣を突き入れる。
背骨にミスリルの剣が達し、じわりじわりと沈み込んで行く。
剣が背骨を断ち切った瞬間、河魔蛇の魔力が僕の身体に流れ込み、河魔蛇は河底へ沈んで行った。
ギルドへ納品すれば、相当加算点が貰える筈の魔獣だ。
でも息が苦しくて回収は無理だったので、泣く泣く諦めた。
水面に向かって思い切り水を蹴る。
紙一重で水面までぎりぎり息が持ち、喘ぎながら舟に昇った。