新たなクラスメイト
「お、御主は何を言ってるか分かっておるのか!?妾が何の化身か知っていよう!?」
もちろん知っている。蛇の化身だ。
「イテテ!額が割れるかと思った。···昔話しで蛇との結婚なんて、よく有る話しじゃないか」
確かに有る。ただし、正体がバレて御破算の話しばかりだが。
「わ、妾は神じゃぞ!?」
それも知っている。だが、神と人との結婚も、世界中に話しが有る事だ。
「俺は気にしない!」
声を大にして言い放った。そして、再び額にオボンがめり込んだのだった。
「あ、頭を冷やせ馬鹿もんが!」
と、崩れ落ちた小次郎に言うが、怒気とは違う朱が華澄の顔を染めていた。微妙に口元が嬉しげに緩んでいるのを、突伏した小次郎は見る事が出来なかった。
※
(しかし、我ながら大胆な事を言ったな…)
小次郎は部屋で寝転んで、自分の吐いた言葉に赤面していた。
別に、では結婚しようとの即答は期待していなかった。そもそも、自分が華澄に抱く感情も曖昧なのだ。
(好きか嫌いかで言えば好きだ。でも、愛しているかどうかは分からないな)
半ば勢いで言ったのだが、軽い気持ちや冗談ではなかった。まだ付き合いは浅いが、華澄と一緒に居るのは楽しい。明確に愛しているとは言えないが、一緒に居たいとは思うのだ。
神力を上げる為に一緒に居る。だったら、結婚して夫婦と言う形にしても良いのではないかと思ったのだ。
「ちょっと···いや、かなり先走り過ぎたか。華澄の言うように、頭を冷やそう」
小次郎は苦笑した。
※
数日が経過した。学校にも慣れてきて、特に問題もなく日々が過ぎると思われた矢先、編入学の生徒が加わると先生が言った。
「その人は立場が特殊な人です。色々と事情が有って、港川学園に来ました。とは言え、歳は皆と変わらないし、共に勉学に勤しむ仲間ですから仲良くしてください」
と、先生は言った。手続きの都合で、入学式に間に合わなかったそうだ。
クラスがざわめいている。男か女か?容姿はどうだ?期待が膨らんでいた。
小次郎はチラリと隣を見た。今まで何も無かった場所に、今朝は机と椅子が置いてあったのだ。どうやら、編入生の為の物だったらしい。
だが、小次郎ほ席を一瞥しただけで特に気にする事もなく、朝から夕飯の事を考えていた。
最近は華澄が夕飯を作ってくれる事が多いのだ。小次郎に絶賛されてからというものの、料理の楽しさに目覚めたらしい。
※
『華澄が作ったら、神力が上がらないんじゃないか?』
『上がるぞ。考えてみよ。妾が作った料理を小次郎が食べ、それを称賛する。嬉しい。美味しい。歓喜の感情が溢れるであろう?奇跡や御業ではなく料理ではあるが、妾が下した所業に他ならぬ。それに感謝等の感情を向ける事は、信仰や祈りを捧げるのと同義なのじゃ』
『成る程な。確かに美味いと称賛し、感謝するのは華澄に向けた感情だ。意外と融通が効くんだな』
と、小次郎は納得した。神力が上がるなら、お互いに利益に成る話だ。華澄は楽しく料理をして力が上がり、小次郎は美味い食事を味わう事が出来る。しかも、美人の手料理だ(これが一番重要なのだ)。
※
「では、入ってきてください」
今夜は何を食べられるか?飯の事しか頭になかった小次郎の視界に、有り得ないものが映った。
クラスメイトのざわめきが大きくなる。
「す、すっげえ美人!」
「き、綺麗···」
「えぇっ!?外人?日本人?」
皆、驚愕を隠すことが出来ない。それ程の衝撃だったのだ。
透明感の有る白皙の肌。新雪の様な輝きを放つ白髪。赤い瞳は深い知性と意思を宿し、凛とした雰囲気は威厳すら感じさせた。
「な、な、な···!」
目の前の人物に対して、小次郎は皆とは違う意味で驚愕し、絶句した。
「白織華澄さんです。皆、仲良くしてね」
見間違う筈がない。家に居る筈の華澄が居たのだ。
「それじゃあ白織さん。自己紹介をお願いね」
「うむ。妾は白織華澄じゃ。話し言葉が古風なのは、古い家系故の事じゃ。何分、外で勉学に勤しんだり、同年代の者に接する機会が無かったものでな。分かりにくい言い方も有ろうが、許されよ」
箱入り娘。或いは、深窓の令嬢と言った感じだ。高貴な雰囲気が有るから(神様だから当たり前だ)誰も疑わない。
古い家系なのも事実だ。太古の昔から存在する神の系譜に列なる白蛇姫なのだから。
同年代の者に接する機会が無かったのも本当だ。天界に居たのだから。人間とは年齢の基準や幅が違う。同い年なんぞ、滅多にいない。
間違ってはいない。だが、正しくもないのだ。開いた口が塞がらない小次郎の前で、華澄の自己紹介は続く。
「髪が白いのは、先天性色素欠乏症であるが故じゃ。所謂アルビノじゃな」
休みの時に華澄と話した設定だ。日本人の多くは黒髪であり、ハーフで茶髪がいたりするが、染めたり脱色したりしない限りは、お年寄りでもなければ白髪はいない。そこで、理由を聞かれたらアルビノと言うのが一番だと言ったのだ。
動物にも人にも現れるモノで、アルビノの白人は、まるで妖精の様だと絶賛されるくらいである。
実際、神秘的な印象を受ける華澄だ。不自然さは無かった。
(···よし!知らないフリをして、後で口裏を合わせよう)
知り合いだとバレたら、何でだと突っ込まれてしまう。そこから一緒に住んでいる事がバレたら厄介な事に成りかねない。
小次郎は須藤に対する一連の態度から、ぞんざいな扱いをしたと、一部の生徒から敵意を向けられていた。既に厄介な爆弾を抱えているのに、須藤以上の美人である華澄と同棲していることが知られたなら、実に不味い事に成るだろう。
小次郎は密かに机の下で、華澄に初対面のフリをしようとメッセージを送ろうとした。が、不意に華澄と小次郎の視線が交差し、小次郎の背筋に冷たい戦慄が走った。
(ヤバイ!)
霊感の強さ故か華澄との繋がりの強さ故か···。直感的に、華澄が何を言うか察してしまった。
止めなければ!アクションを起こす間も無く、華澄は爆弾を投下した。
「住まいは小次郎の家じゃ。妾も小次郎も不馴れな土地であるが故に、共々よしなに頼む」
言った!言っちゃったよこの人!
教室に居る生徒全員が、小次郎に驚きの視線を向けた。
(な、何てこった···)
小次郎の平穏な学生生活が完全に崩壊した瞬間だった。
「その点も考慮して風間くんの隣に席を作ってあるから、其処に座ってちょうだい」
「うむ!」
先生は知っていた様だ。いや、当然だろう。学校に行くのに住所不定とはいかないし、学校側が生徒の状況を把握していない訳がなかった。だが、小次郎は一人暮らしだと先生は認識していた。なのに、華澄が一緒に住んでいる事を当然と受け入れている。となれば···。
(これか!記憶を弄ったり書類を改竄したりってのは!)
実に自然だった。先生は当たり前の様に二人が一緒に住んでいると認識していたのだ。
いつ記憶や書類を弄ったのかは分からないが、流石は神様のすることだ。先生は疑いもしない。
「···どうしたのじゃ?頭なんぞ抱えおって」
無邪気な神様が小次郎の顔を下から覗き込む。只でさえ美人なのに、そんな可愛い仕草をしたら非常に絵に成る。
「うん···。平穏な生活を懐かしんでいたのだよ。何で一緒に住んでいるって言っちゃうかな~」
は~。と、重いタメ息を吐いた小次郎に、華澄はキョトンとした顔で言った。
「事実じゃろうが」
おっしゃる通り。まごうことなき事実で御座います。しかし、言わなくても良い事実と言うのも世の中には有るものだ。
「はい。ではホームルームを終わります」
途端に華澄は小次郎も含めて囲まれた。蟻の這い出る隙間もない完全な包囲網だ。男子は華澄に熱の籠った視線を向け、小次郎には殺意すら感じそうな鋭い視線を突き刺した。
女子は好奇心に目をギラつかせ、全ての事実を詳らかにせよと、無言の圧力を加えてくる。
一言一句聞き漏らすまい。全身から気迫を漲らせた悍馬の如き野次馬が質問···否、尋問を開始する。
「白織さん!風間と住んでるって、どう言うこと!?」
「どうと言われてものう···。家同士の古い付き合いなのじゃ」
「それじゃあ、風間くんも歴史ある家柄なの?」
名家の令息かと思われた様だ。だな、小次郎は何の変哲も無い小市民だと思っている。
煩わしさを避ける為にも、此処はハッキリと否定しなければならない。
「いや、俺の家は一般的な家庭だよ。ただ、祖父母が華澄の家と繋がりが有ってな。俺はその縁で少し関わっていただけなんだ」
大した家じゃないと分かったら、露骨にガッカリした表情を浮かべる女子がいて、小次郎は思わず苦笑した。資産家だと思った様だ。
「妾も古い家系と言うだけで、資産家ではないぞ?」
神社のお賽銭は神の懐には入らない。そもそも、天界に貨幣制度は無いのだから、資産家も存在しないのだ。
「でも、古い付き合いだからって、何で風間の家に住むんだ?そもそも、わざわざこの学校に来るなんて···」
田舎に来る事も無いだろうにと言いたい様だ。
「うむ。先日母様から、小次郎も一人で大変だから様子を見てくる様に言われての。小次郎に会ってその様子を母様に言ったら、良い機会だから一緒に住むように言われたのじゃ」
間違ってはいない。だが、話の流れ的に不味いと小次郎は思った。一人で大変と華澄は言ったのだ。となると、次に来る質問は決まっている。
「え?風間くんの両親は?と言うか、同棲じゃん!」
「うむ。小次郎は一人暮らしじゃった。小次郎は両親が他界しておるからのう。それで、母様は心配しておったのじゃ」
やっぱり!華澄がバラしちゃったよ!華澄と二人暮らしだと皆に知られてしまった。
「え?風間くん、両親がいないの?」
「ああ。もう結構経つな。それで、進学を機に祖父母の家に越したんだ。家賃が勿体無いから」
「へ~。大変だったんだね」
思った通り、当時を知らないから淡白な反応だ。小次郎が陰鬱な表情で言えば違った反応だっただろうが、普通の態度だから、誰もそこまで気にしない。
「食事はどうしてるのよ?」
「自炊くらいするぞ」
「うむ。小次郎はなかなか料理が美味いでな。初めて馳走になった親子丼は美味であった」
「意外!小次郎って料理出来るんだ」
「失敬な!和洋中なんでも作るぞ?夏希より上手いかもな」
挑発的に言うと、夏希が青筋を浮かべて言った。
「どっちが失敬よ!私は料理が得意なのよ!」
「ほほう?カップ麺にお湯を入れたり、レンジでチンする事だな?素晴らしい腕前じゃないか!実に美味そうだ」
美味い事は確かだが誰にでも出来るし、そもそも料理とは言えない。夏希は無言で小次郎の後ろに回ると首に腕を回して、にこやかに締めた。所謂スリーパー・ホールドと言うやつだ。
「アンタ···死にたいのかしら?」
「し、絞まってる!絞まってるって!ぐ、ぐるじい···ご、ごべん!(ごめん!)がんべんじでぐで!(勘弁してくれ!)」
夏希の腕をタップして降参する。
「は~。苦しかった。···背中の感触は気持ちよか···グハッ!」
「ドスケベ!」
夏希が顔を真っ赤にして小次郎をどついた。
「む、胸を押し付けたのは夏希じゃない···グエッ!」
「御主は学校でも変わらんのか!?」
今度は華澄が小次郎に天誅を食らわした。
「家でもそうなの!?···あっ!私は横山夏希よ」
「夏希じゃな。よろしゅうな。···此奴は妾にも似たような事を言いよるわ。ホンに、どうしようもない男じゃのう」
「でも、本当に小次郎は美味しい料理を作れるの?」
夏希はまだ疑っているらしい。
「うむ。ロールキャベツやエビチリなんかも作ってくれたのう」
「意外!それこそ、カップ麺ばかり食べてそうなのに!」
夏希も案外酷い事を言う。
「最近は妾が夕食の用意をすることが多いが、小次郎が料理を得意なのは本当じゃ」
その言葉に男子が食い付いた。
「風間!白織さんの手料理を食べてるのか!?」
「ふざけんな!許せねえよ!」
と、非難轟々だ。だが、小次郎にしてみれば不公平だ。
「待て待て!俺だって作ってんだ!お互い様なのに、何で俺だけ責められるんだよ!?」
「お前の手料理と白織さんの手料理を比べたら、残飯とフルコース以上の価値だろうが!」
「そうだ!月と鼈どころか、太陽と鼈くらい違うぞ!」
酷い言い種だ。流石に小次郎もムッとしたが、嗜めたのは華澄だった。
「御主らが何に憤っておるのかはよう分からぬが、小次郎の料理を貶める発言は控えよ。御主らにとっては価値の無い物かもしれぬが、妾の為にと、手ずから拵えた物なのじゃ。妾にとっては何にも優る御馳走ぞ。小次郎自身も、妾にとっては大切な存在なのじゃ。あまり手酷い事を言わんでほしいのう」
やんわりと言ってはいるが、これ以上の暴言は許さぬとの明確な意思が籠っていた。
彼等の知る由の無い事だが、華澄は神だ。備わる威厳は、そんじょそこらのお偉いさんとは格が違う。
何より華澄にとって小次郎の料理は、自身の力を上げてくれる物なのだ。華澄にとっては、とても価値のある物だ。それを貶める発言は、容認出来るものではない。
「妾の為にと、小次郎が心を込めて拵えた。その事実は、妾にとって何より嬉しいものぞ。余人の口出しすることではないぞ?」
神たる華澄の御言葉だ。威厳に満ちた佇まいから紡がれる厳かな調べは、ともすれば平伏してしまいそうな力が有った。
取り囲んだ生徒は、凛とした態度と威厳に満ちた雰囲気に固まった。
美すら感じる佇まいに。厳しく、反論を許さぬ言葉に。
誰もが理解した。世間知らずの深窓の令嬢ではないのだと。