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平穏なき家  作者: 四季
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後編

 ビタリーは待っていた。

 この地獄という檻の中から飛び出して、外の世界へと行ける時が来るのを。


 自分はともかく、当たり散らされてばかりの母親をどうにかしなければならない。それはもう数カ月以上前からビタリーが思っていたことだ。


 ただ、母親は家から逃げることを恐れていた。

 その恐れの対象もまた、夫であった。



 ——そして、ついにその日がやって来る。



 その日は朝から不機嫌だった父親が、母親に「買い物にでも行ってこい」と命令したのだ。もうずっとゴミ出し以外で家の外に出ることを許されていなかった母親に与えられた、外出の機会だった。


「チキンバーを忘れるなよ! つまみも二種類くらいは買ってこい!」

「は、はい……」

「間違っても逃げ出したりすんなよ? いいな!」

「もちろんよ……そんなこと、しない……絶対しないわ……」


 ちょっとのお金を持たされた母親は、弱りきった小動物のように家から出ていく。足取りにも力がない。だがそれは仕方のないこと。もうずっと、運動なんてしていないのだから。


 家の中には、男三人だけが残る。

 ビタリーは母と使っている部屋におり、父親は定位置で酒を飲み、兄は自室にこもって寛いでいる。


「父さん」


 母親が出ていって数分が経過した頃、ビタリーは父親がいるキッチンに近い部屋へと歩いていった。

 父親に自ら話しかけるのは久々だ。


「あぁ? お前か。何だ? 文句あんのか?」

「もし良かったら、何か作るよ」


 ビタリーはゴム手袋をはめた状態でそんなことを言う。


「要らねぇよ! 今は機嫌がワリィんだ!」

「あのチーズのはどうかな」

「はぁー? ありゃ最悪だ! もう絶対食わねぇ!!」


 刻んだスライスチーズを余り物のサラダに混ぜる料理。以前作った時、父親は意外と気に入っていた。余り物で作ったにしちゃマシだな、などと、珍しく褒めていた。だが、今の彼は、そのことすら忘れているようだ。


「そっか。分かったよ。じゃあ今日は別のにする」

「要らん要らん!」

「でもせっかくだから何かしたいし」


 言いながら、ビタリーは流しの下の引き出しから包丁を取り出す。


「おい。なーに調子に乗ってやがる」


 そんな時だ、父親の怒りが一気に膨張し始めたのは。

 父親は飲んでいた酒を放置して椅子から立つ。そして、脅すような目つきをしながら、流しの前に立っているビタリーに接近。背後から圧力をかける。


「テメェは何だ? 嫁か? あぁ? 男のくせして料理とは情けねぇ」

「僕にはこのくらいしかできないから」

「んあぁ? 何じゃその口の利き方は——が!?」


 その時既に父親の胸部に包丁が刺さっていた。


「て……テメェ……」


 呻くように述べる父親は青い顔をしている。いつも赤らんでいた顔面が、一気に青白く変化した。まるで別人にすり替わったかのよう。


「クソが……覚えてろ……」


 ビタリーはそのまま父親を地面に倒し、もう一撃加える。

 その傷が致命傷となり、父親はその虚しい人生を終えた。


 母親を傷つけてきた男は死んだ。これで悪夢は終わると、そう思っていた矢先。兄が駆けつけてきた。


「お……お前……」


 父親が倒れた音で気づいたのだろう。兄が様子を見にやって来ていた。結果的に、兄は、ビタリーが父親を刺した光景を目にしてしまうこととなる。


「何してやがる!?」

「兄さん。僕はもう、このまま生きてはゆけない」

「父親殺しは大罪だぞ!!」

「誰も知らなければいい。そうすれば罪は罪でなくなる」


 ビタリーは息絶えた父親から離れ、兄に狙いを定めた。

 兄は「次は自分が殺される」とすぐに悟ったようで、顔を引きつらせる。


「ま、待て! 待て待て待て! まずは落ち着け。話をしよう!」


 それまでは父親に似て強気な態度を取っていた兄だったが、命を狙われていると気づくや否や弱気になる。嫌いだった話し合いを自ら提案するくらい、彼は動揺していた。


「ないよ、話すことなんて」


 ビタリーは包丁を手にしたまま兄に近づいていく。その瞳に躊躇いはない。ただ、夜の湖畔のような静けさのある表情で、目標に近づいていく。


「く、来るな!」

「さよなら」

「だ、黙る! 父のことは誰にも言わない! だから止め——」


 兄は懸命に訴えるが、ビタリーは止まらなかった。


「……よし」


 ビタリーが横になって倒れている兄の上から離れたのは、兄が命を落としてから数十秒以上が経った後。


 暴力に満ちていた家が静まり返った。

 誰も口を開かないし、誰も動かない。


「……扉」


 ビタリーは重い腰を上げ、入り口の扉に向かって歩く。死の直前兄に抵抗され片足を痛めていたが、それでも短距離なら歩けた。ビタリーは肩で扉を開けて、流しの方へと戻る。その頃になって、疲労感が湧き上がってくる。ビタリーは床に寝転び、そのまま眠りに落ちてしまった。



 ◆



「……リー、ビタリー!」


 ビタリーが次に意識を取り戻した時、病院のベッドの上にいた。


「こ……ここは……病院?」

「起きたのね! ビタリー! あぁ良かった。良かったわ」


 傍らには母親。彼女は既に涙した後だったらしく、顔中を赤く腫らしていた。けれども今は喜んでいる。


「母さん……僕は……」

「泥棒が入ったのでしょう!? 聞いたわ。まさかわたしがいない間にあんなことになるなんて」


 その頃になって記憶が戻ってくる。

 己が何をしたのかを思い出す。


「……父さんと兄さんは」

「その、ね……心して聞いて。ビタリー、二人は……亡くなったの」

「死んだんだ」

「えぇ……いまだに信じられないわ……」


 その日、母親は泣いていた。

 ずっと虐められ続けてきたというのに。



 ◆



 その後、父親と兄の葬儀が執り行われた。


 葬儀中も母親はずっと涙を流していた。彼女の落ち込みは最高潮に達しており、まともに動ける状態ではなかったので、半分以上の用事をビタリーが代行する。一部、まだ年若いビタリーにはできない用事だけは、母親の両親が手伝ってくれた。


 その会場にて、ビタリーはイヴァンと初めて出会う。


 あれほど人の心のなかった父親を弔うため皇帝がやって来るとは——それがビタリーの正直な気持ちだった。

 だが、イヴァンとの出会いによって、ビタリーの中に生まれた希望もあった。イヴァンに気に入られれば母親を養っていけるかもしれない。それが、彼の中に生まれた小さな希望だ。



 ◆



「母さん、調子はどうだい。僕はもうすぐ出発するよ」


 事件から数年。

 あれからはずっと母親の実家で暮らしていたが、発つ日がやって来る。


「ビタリー……本当に……行く気なの……? 戦場に、なんて……」

「うん」

「……心配だわ」

「大丈夫。僕はきっと成功する。そうしたら、母さんも幸せを取り戻せる」


 ビタリーはイヴァンと知り合ったことをきっかけに帝国の軍に入ることを決めた。そして、今日、家を出る。心身共に回復しきっていない母親を残して出てゆくことには多少躊躇いがあったが、それでも、ビタリーは行くことを止めはしなかった。それは、成功したところを母親に見てもらいたかったからだ。


「……ごめんなさい、ビタリー。いつも……貴方には、苦労ばかり……させてしまうわ……。勝手に、生んでおいて……」


 今にも泣き出しそうな母親の手を、ビタリーはそっと握る。


「約束するよ。いつか絶対頂点に立つ。そして、母さんのところに帰ってくる。だから……その時を待っていてほしいな」



◆おわり◆

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― 新着の感想 ―
[良い点] 余計な寄り道をせず淡々と話がまとめられているのがいいな、と思いました!
[良い点] 拝読しました。 なるほど。それでビタリーはどうしても頂点に立ちたかったのですね。 だから母親への優しい気持ちもありながら、冷酷な一面もあるということなのですね。 本編では今、正に頂点に立…
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