悪女、驚愕する
話の進行上ご不快になる表現があるかもしれませんがご了承下さいませ。
「昨夜?私と一緒だって?おかしいな…あなたは酔って裸で歩き回っていたと思うが…?」
ケイ殿下が私の肩を摩りながら静かにそう言った。え?と思い、顔を上げるとケイ殿下は非常に苦々しい顔でファシアリンテの顔を見ていた。
「飲んで騒ぐので…私とリシュリアンテは共に別部屋で休ませてもらっていただろう?憶えていないのか?」
そうか…夜這いを他国の皇太子殿下に仕掛けた…なんて不敬を通り越して醜悪な国家間の戦争にもなりかねない案件だ。ファシアリンテは酔ってケイハーヴァン殿下の部屋に乱入してそのままそこで寝てしまった……。そこにケイ殿下は収めるつもりだ。
「え?何…え?」
ファシアリンテはまだ事態が飲み込めていないのか…まだ半笑いのままだ。
私達の後ろにはメイドや侍従が控えている。彼女達はもう体勢を立て直して、無言の肯定をファシアリンテに送っている。ファシアリンテだけが分かっていない。ここはあなたは酔っ払いで通しておかなければならないのよ?
「夜番の近衛からも夜着姿でうろつくファシアリンテ殿下の目撃情報もある。深酔いは控えよ」
「そ…ん、私達昨夜あんなに愛し…」
ファシアリンテは寝台からマッパのままで出ようとしたが、ケイ殿下が手で制した。
「一国の王女が落ち着きなさい。誰か、彼女の国のメイドを呼んできなさい」
侍従の1人が呼びに行くと、ワーゼシュオンから連れて来ていた10人くらいのメイドと侍従が押しかけて来た。
「ああっファシアリンテ殿下!」
「なんて無体なっ!これでは…」
とメイド達は嘆くようにしながらファシアリンテにガウンを羽織らせている。
「殿下っ責任を取って下さいませ!」
ファシアリンテ付きの侍従がケイ殿下に大変に不敬なことに食って掛かっているが…この彼の魔質。溜め息が漏れる。昨夜、この部屋の鍵を開けたのはこの侍従か…。これは『夜這い』が成功した時の芝居のうちのようだ。
最初からこういう台詞を言ってケイ殿下に責任を取らせて、ファシアリンテの思惑通りにするつもりだったのだろう。
「鍵を開けたのは、こいつか?」
ケイ殿下は私にそう聞いてきた。ケイ殿下は侍従の気配?のようなもので分かったのだろうか…私が頷くと
「私の部屋に無断で侵入しようとした狼藉者だ、近衛、連れて行け」
そう言って近衛のお兄様に命令をした。その侍従はキョトンとしてケイ殿下と私を見た。
「昨夜は全部見ていたのだよ。私もリシュリーも近衛もうちの暗部もだ…。部屋に鍵がかかっていておかしいと思わなかったのか?」
ケイ殿下がそう言うと、侍従は顔色を変えて青くなった。スパダリ殿下+腹黒の罠に見事に嵌ってしまったのだ。彼が鍵を開ける前に…一国の皇太子殿下の寝込みを襲う、事の重大性を鑑みていれば自ずと気が付いたはずだ。
ケイハーヴァン殿下の部屋の鍵は開けられませんでした。
そうたった一言言えばファシアリンテも諦めて部屋に帰ったはずだ。少なくとも昨日は何事もなかったはずなのだ。
侍従は泣いていた。彼はそのまま連れて行かれた。ファシアリンテはまだキョトンとしている。昨夜一夜を共にしたケイハーヴァン殿下…そうだと信じているのか?ただ、チラリと見せてもらったケイ殿下の身代わりのあの幻術魔法の試作品…結構荒い術式だった。
余程のことが無い限り、人間の体と布の感触の違いが分からないことは無いはすだ。質感を誤魔化せる幻惑系の魔法は魔法陣には描かれていないものね。ケイ殿下を模したシーツに触れれば違和感に気が付くはずだ。
触って生肌か布か…分からないなんて…。思い込みって怖いわ。
「あなたは酔っておいでだ。部屋の鍵を開けてまで侵入して…騒いだ。この件は私とリシュリアンテの胸の内に収める」
やっとファシアリンテは気が付いたみたいだ。そしてベッドの上を見てシーツや枕がこんもりと置かれているのにも気が付いたみたいだ。
嵌められた!
とはちょっと違うけど、ファシアリンテの気持ちとしてはそうかもしれない。そうしたら案の定…
「騙したのね!」
と、叫んでケイハーヴァン殿下と何故か私を睨んできた。あのね…寝込みを襲っておいて騙すなんてっ!て…やっぱりこの子はおバカなのか…。
「お父様に言いつけてやるから、覚えていなさいよっ!」
いやぁ…あの?
ファシアリンテはメイドと侍従を引き連れて部屋を飛び出して行った。とことん不敬だ。
その場に残された私、ケイ殿下…この国のメイドと侍従はポカンとしていた。穴があったら入りたい…すみません、私が育てた訳ではないけれど、アレがワーゼシュオンの次期女王なのです。どうしよう…。
「リシュリー…」
「も…申し訳御座いません!不出来な異母妹でして」
ケイ殿下は怒るのを通り越して、びっくりしているみたいだ。
「あ、ああ…泣き叫ぶかな?と予想していたのだが、怒って親に言いつける?というのは予想外だった」
「感覚がお子様ですね、おはようございます。ケイ殿下、リシュリー殿下」
敬礼をした後、シツラット少尉が部屋に入って来られた。魔質が少し疲れている…あれ?もしかして…。
「シツラット少尉…徹夜明けですか?」
「おや?さすが、リシュリー殿下。視たら分かります?」
ちょっとだけ嫌な予感というか…先程ケイ殿下が言っていた言葉で確信を得た気もするのだけど…
これさ、昨日の私とケイ殿下のアレコレ…皆にバレてるの?まあ実際に皇太子妃としてここに居る訳だし、でもこうも筒抜けっていうか、オープンなの?これが皇族だからなのか?
そう言えば中世ヨーロッパとかでそういう寝室に見届け人みたいな人が居て、見られながらした…とか聞くしね。ああ、恐ろしい。
さて午後一番でワーゼシュオンに帰って行ったファシアリンテを見送って…その次の日
私はケイ殿下の執務室でクバラファーさんとシツラット少尉と黙々と仕事をしている殿下の傍で…腕の治療用手袋を作っていた。魔法陣を紙に描き上げて、手袋の内側に縫い付けていく。
防腐、魔物理防御…恐らく急激に魔力と体力を使うから、手袋の外側に空中の魔力を吸収できる魔法を~と術式を考えていると、軍の方かな?紺色の制服を着た細身の方が入口で敬礼してから入って来ると、ケイ殿下の前に立った。
「ご報告致します。潜り込ませている密偵によりますと、ファシアリンテ殿下はワーゼシュオンに帰り、ケイハーヴァン殿下に襲われた…とそして追い返された…と虚言を国王陛下に話しているようです」
「!」
あの子!本当にどうしてああなってしまったんだろう。シツラット少尉とケイ殿下がほぼ同時に息を吐いた。
「じゃあ、アレ本当なんでしょうか?」
「だろうな…」
ん?アレって何だ?私がシツラット少尉をジッと見るとシツラット少尉は大きく肩をすくめた。
「密偵からの報告で…ファシアリンテ王女殿下がこちらにお越しになる前に、クリアイト=ノーガンソン侯爵子息に婚約破棄を申しつけたとのことです」
「婚約破棄ぃ?!」
思わず大きな声を出してしまった。何故…またクリアイトと婚約破棄?
「なぁに、ファシアリンテ王女殿下の一連の作戦の流れを見ていれば分かるさ。私との既成事実を作って素早く皇太子妃の座に座りたいのに、自国で婚約していてはマズかろう?一応身綺麗にしてから国を出て来たという訳だ」
唖然とする。ケイ殿下の言葉の後を紺の制服の方から受け取った報告書を読みながら、シツラット少尉が続けた。
「今まではその身で迫れば落ちない男はいなかったのでしょう?だから、全て上手くいくと踏んで来た…今回は失敗されましたがね。おまけに婚約破棄を言い渡されたクリアイト=ノーガンソン侯爵子息はその日のうちにミイダーケ伯爵令嬢に求婚して、既に婚約しています。いやぁ皆様、素早いね」
「求婚?!」
はやっ…皆の変わり身の早さに驚かされる。いや?もしかしたら、クリアイトは同時進行でその伯爵令嬢と付き合っていた?それとも綺麗な言い方をすれば…ずっとその令嬢が好きだったが、仕方なくファシアリンテ王女殿下の婚約者を演じていた?晴れてその役を解任されて本当に好きな人と結ばれた?
恋人と引き裂かれて結ばれたと思う方が私的には気分がいいのだけど。
「でも、おと…国王陛下にそんなありもしないことを訴えるなんて…」
私がそう言うと、ケイ殿下はまたもニヤッと笑われた。最近は悪人面ばかりしていますね。
「さぁて、ワーゼシュオン国王陛下はどうでるかな?でも私からの親書は出してあるよ?」
私が眉間に皺を寄せていると、ケイ殿下は少し表情を緩めた。
「この間ファシアリンテ王女殿下に言ったことそのまま…だよ?ファシアリンテ王女殿下は到着した夜の夕食で少々深酒をされたようだ。酔ったまま皇城内を徘徊し、侍従に鍵を破壊させてあろうことか私の部屋に侵入し、そのままそこで騒いだ後、眠ってしまったと…。目撃者も多数いるが胸の内に収めるようにする故、ワーゼシュオン神聖国も問題にするのは避けたいだろう?と伝えておいた」
うん、問題ないね。ファシアリンテが酔ってないだけで後は全て真実だもの。
そして次の日、左腕欠損の女の子に手袋出来たよ!と連絡するとその日の午後に受診したいとご本人とお母様が直接、医院に来たのでその日の午後に手袋を渡すことになった。
午前中は顔の火傷のスルトさんだ。来院された時すでに表情が明るい。
「先生おはようございます。今日、顔に傷のある友達と一緒に来ているんです。俺の顔を見て、是非見て欲しいって」
確かに予約が入っているわね。カルテを確認するとスルトさんからご紹介の一文が摘要欄に書かれている。
「こう言っては何ですが、スルトさんにこの医院の宣伝をして頂けて有難いです。もっともっとご不便を感じている患者さんは沢山いらっしゃると思うので、少しでも私がお力になれればと思います」
スルトさんはすでに涙目だ。
「先生はまさに女神様ですよぉぉ…ぐすっ」
「はいはい、では治療始めましょうか」
スルトさんの治療を始めた。今日は魔力も体力も意識して補ってくれていたのか…体内の魔流の流れが綺麗で魔量も多い。私は魔力の放出を始めた。この分なら今日で完治出来そうね。治療魔法がぐんぐん体に入って行く。
よしっ…痣は消えた!うん!
助手についてくれている男性2人からも安堵の声と歓声があがる。
「やりましたね」
「スルトさん完璧に消えましたよ」
「えっ?!」
ふらつきが無いかどうか注意しながらスルトさんに聞きながら、今度は準備していた大きめの姿見鏡をスルトさんの前に持って行った。
スルトさんは立ち上がって鏡を覗き込んで何度も顔を触っている。
皆で泣きながら歓声をあげた。そして興奮したスルトさんはお友達の男性患者さんを診察室に連れて来た。
「なぁ…俺も治ったから、お前も希望を持て!」
「う…うん」
なし崩し的にその男性の病状を診てみた。片目が完全に潰れている…顔の正面から傷口が斜めに走っている。
「顔を切られたんだ、野盗にね。生きているだけで良かったよ」
スルトさんより若い…私と同じ年の男の人だ。私は先ずは眼帯を作りたいので、それまで滋養のつく食べ物と魔力の籠った食べ物を積極的にとるように指示した。
さて、午後は待合室で待っていた片腕欠損の女の子の診察だ。
「おねーちゃん先生、さっきのお兄ちゃんお顔に怪我してたよね。お花屋のお兄ちゃんだよ。ミー、知ってるよ。お顔が綺麗になってた」
「スルトさんかな?うん、怪我は治ったよ」
ミーちゃんはパアッと微笑んだ。
「ミーも治る?」
「大丈夫だよ。はい、これ手袋ね、付けてから治療するね。気持ち悪いかもしれないけど手袋は外さないようにしてね」
「はーい!」
私はお母さんに注意事項を説明して、ミーちゃんの左腕に手袋を装着して魔法をかけた。
「腕……どうなってるの?」
「見てもいいけど…多分気持ち悪いから見ない方がいいと思う。肉と筋…骨の再生中に見ちゃうと…肉類が食べられなくなると思うから」
お母さんは納得した。ミーちゃんも何とか納得してくれた。