派閥とか立ち回りとか面倒だよな
ハリーサ・チップ・ビルカーラは優雅に微笑みながら、目の前にいる少女ショークリア・テルマ・メイジャンに対し、胸中で首を傾げた。
両親からはメイジャン家――特に騎士爵を得て独立したフォガード・アルダ・メイジャンを家長とするキーチン領メイジャン家に関する様々なことを教わった。
(ショークリア様とお話した感じ、お父様たちから聞いていた印象とずいぶんと異なるようですが……)
父や母から教えてもらった話や、ショークリアに関する噂話。
自らが獣を狩り、その血を啜る野蛮な鮮血令嬢という話を、ハリーサはどこまで信じて良いのか分からなくなっていた。
(野蛮な方には見えません。
それに、明らかに他の方々よりも舌の滑らかさが抜きんでています)
第一印象は、触れてきたものを誰彼構わず焼き尽くす炎の魔女という感じだったのだが、話をしてみると、そう恐ろしい人物というわけでもなさそうである。
噂話程度のことだが、ショークリアに火傷を負わされたと喧伝している者もいたようだが、実際に話してみれば、その理由は――
(迂闊に手を出し、怒らせたからこそ焼かれただけなのでしょうね)
実際、自分がそうだ。
父のけしかけたロームングノスを話の種にして、一戦交えてみたのだが、見事に返り討ちにあってしまった。
それだけでなく、自分を踏み台に父をも口撃してきたのだ。
あの瞬間――ハリーサは、勝てないと悟った。
魔獣に対する知識も、美食に対する知識も、そして舌戦も。
ハリーサでは――いや、ビルカーラ家では敵わない、と。
悔しくはあったが、それを表に出しては淑女ではない。
潔く引き下がったハリーサであったのだが、そこへ実力差の分からない者たちの不躾で不快な視線が多数飛んできた。
そのことに腹を立てた時だ――こちらの引き下がる為の言葉を汲み取って、ショークリアが支援するような言葉をかけてくれたのだ。
「機会がありましたら是非、ご一緒しましょうハリーサ様。
未知の美食というものはですね、口にした瞬間から世界の見え方が変わってしまうほどのチカラがあったりするのですよ。
あの感動……是非とも誰かと分かち合いたいと思っておりましたの」
何で――と疑問に思いながらもショークリアの顔を見ると、彼女は扇をズラして、優しく微笑む口元を見せてきた。
(完敗、ですわね……)
こちらを心から気遣う笑みだ。
ハリーサにだけ通じるように、口元を見せてきた。
それは嫌味ではなく純粋な好意によるものだと、ハリーサには理解できた。
だから、ハリーサも扇を僅かにズラらして、ショークリアにだけ口元を見せることにする。
真正面から答えるのが気恥ずかしくて、少し視線を逸らしてしまったのだが……。
「べ、別に興味があるわけではありませんが……。
そうですね――美食家を名乗るお父様と共に様々なモノを食べている私を満足させられるだけの逸材であるならば、ご一緒するのもやぶさかではありませんわ」
それが社交辞令ではなく本心であると、通じたかどうかは分からない。そう不安ではあったのだが――
「ええ。ええ。その機会がございましたら是非にお願いいたしますわ」
嬉しそうに答えてくれるショークリアを見て、ハリーサはどこか安堵するように息を吐いた。
そして、息を吐くと同時に、ハリーサはふと気がついた。
(そういえば――ショークリア様については、すべて伝聞だけ……。
本物と見えてみなければ、分からないコトもあるのですね)
考えてみれば、噂を真とし、それを理由に足を引っ張り合う姿ばかりを見てきた気がする。
それが普通だと思い込んでいたのだが、ショークリアとのやりとりで、その思い込みが消し飛んだ気がした。
(ショークリア・テルマ・メイジャン……。
お父様たちは嫌がるでしょうけれど、個人的にはもう少しお近づきになりたいですわね)
そんなことを考えながら、この場に留まってショークリアともう少し言葉を交わすか、一度この場から離れるか――と迷っている時、ホールの中に声が響きわたる。
「第一王女トレイシア・ウェイ・ニーダング殿下。お見えになりました」
どうやら、ショークリアの元を離れる機会を逸してしまったようだ。
談笑していた声は止まり、皆がトレイシアの為に道を開ける。
優雅な足取りでホールの真ん中を進んでいき、皆と同じようにドリンクを受け取る。
それから、ホールの奥にある一段高くなった場所へと進んでいった。
そして、その場所で参加者の方へと向き直ると優雅に微笑む。
「皆様、大変お待たせいたしました。
本日の――夏のデビュタントにおいて主催をさせて頂きました、トレイシア・ウェイ・ニーダングでございます。
赤の神の威光が強く輝き、緑の神が鮮やかに映え、その力強き神々のお力にて、歩むだけで人のその身に雫滴る、この日。
この場所へと足を運び、参加して頂けたコト大変喜ばしく思います」
涼やかで愛らしく、それでいて芯の通った声がホールに響く。
ただ声だけで異性も同性も惹きつける魅力ある音。
それだけで、王族とは、これほどのものなのかという印象を受ける。
「我々は今日、この日から、大人と共に社交会へと参加する権利を得ます。本日の催しはその準備と予行演習のようなもの。
緊張しすぎず、けれども気を抜きすぎず。この時間をどうか共に楽しみましょう。
長々とした挨拶というのは詰まらないですからね。私からの挨拶は以上とさせて頂きます。
もう暫くしますと、私の父であり、我らが国を治めるキズィニー・クォコ・ニーダング陛下が、デビュタントを迎えた我々を言祝ぎにお見えになります。
その時までもうしばらくの歓談の時間と致しましょう。
どうぞ皆様、お楽しみくださいませ」
歓談の時間――とは言うが、実質的には、ここからは主催であるトレイシアへの挨拶の時間とも言える。
これは身分の高いものから順に挨拶に向かう。
ハリーサは中級貴爵の令嬢である為、もう暫くは番が回ってこないだろう。
そんなことを考えていると、ハリーサの横でショークリアが自分の連れた侍女と何やらやりとりをしている。
「ミローナ、準備は?」
「万端です」
ミローナと呼ばれた侍女は、何やら箱のようなものを持っていた。
どうやら、トレイシアへの手みやげのようだ。
周囲を見渡すと、手みやげを持ってきているものは参加者の半々くらいのようだ。
ちなみに、ハリーサは持ってきてない側である。
そもそも両親から、持って行く必要はないと言われたからなのだが。
ふと疑問に思ったので、ハリーサは自分の後ろに控える侍女に訊ねることにした。
「トレイシア様へ、何かお持ちになった方が良かったかしら?」
「さぁ、私では分かりかねます」
涼しい顔で、淡々とした調子でそう答える。
父がつけてくれたこの成人済みの侍女は、仕事をそつなくこなしはするものの――
(主人や家に仕えるというより、ただただ仕事をしてるだけなのですよね)
デビュタントの場に来て周囲を見ていると、何となく分かる。
この侍女は『侍女の仕事』はできても『侍女の振る舞い』ができないのではないだろうか。
「そうですか」
ハリーサは嘆息を隠しながら答えたあとで、やや遠慮がちに近くにいるショークリアへと声を掛けることにした。
情けない気もするが、ここで正しい答えを得ておかなければ、今後ずっと間違ったままでいそうな気がするのだ。
今回の手みやげの件だけでなく、それ以外のことも。
「あの、ショークリア様」
「はい? どうかなさいました?」
「その……持参品というのは持ってくるべきだったのでしょうか……?」
我ながら間抜けな質問だ――そう思いながらも、ハリーサは意を決するようにショークリアへと訊ねる。
他の相手ならいざ知らず、ショークリアなら真面目に答えてくれそうだという直感もあった。
「個人的には持ってこないという選択肢はなかったのですが……」
そう前置いてから、ショークリアは言葉を選ぶように答えてくれる。
「恐らくは、皆様のご実家の派閥にもよるのではないでしょうか?」
「派閥、ですか?」
デビュタントでそんな話が出てくるとは思わず、ハリーサは思わず聞き返す。
「聞いた話によると、現在は王宮を中心に王子派と王女派に分かれているという話ですから」
「そうですか……」
まさか、デビュタントの時点で派閥が絡んでくるとは。
両親はそれを意識して、手みやげなどいらないと教えてくれたのだろうか。
「あとは単純に、トレイシア様に覚えよくしてもらいたいという方々もいらっしゃることでしょうね」
派閥に関係なく、王女であるトレイシアから覚えが良くなれば、そのつながりも一つのチカラになるわけだ。
「んー……他には何かあるかしら、ミローナ」
それ以上はショークリアも思いつかなかったのか、後ろに控えているミローナという侍女へと訊ねる。
それに、ミローナはスラスラと淀みなく答えた。
「トレイシア様からの覚えが良くなってしまうと王子派閥から睨まれかねないので持ってこないという中立の方々もいらっしゃるかもしれません」
「……だ、そうですわ」
中立派の中でも立ち位置を意識している者たちがいることに驚くと共に、ショークリアの問いにすぐに必要な答えを出してきたミローナに驚いた。
(うちの侍女とは大違いですわね)
見ればミローナは自分たちとそう大差のない歳のように見える。
なのに、風格も立ち振る舞いも、自分の背後で控えている自分の侍女とは大違いだ。
「ありがとう存じます。ショークリア様。それにミローナ、でしたか」
「いいえ、お気になさらずハリーサ様。それよりも――」
「どうかなさいまして?」
「実家の思惑が分からないのであれば、ご挨拶の際に大変でしょう?
実家とは別に、ここではハリーサ様個人による言葉であると、そう理解して頂いた方が、後々の面倒ごとが避けられるかもしれません」
ショークリアに言われて、ハリーサは確かにとうなずいた。
加えて、その後に続けられた言葉に、感謝をする。
「デビュタントなどというのは名ばかりで、すでにこの場において、本物の社交が始まっているのですね」
「ええ。私はお母様からそう教わって、この場に臨んでいるのですよ」
(ああ――ショークリア様が周囲の方々とどこか違って見えたのはそれですか)
恐らく、参加者の多くがまだまだ親の付き添いの延長のような感覚でこの場にいるのだろう。
そんな中で、ショークリアはすでに大人たちと渡り合う為の準備をし、臨戦態勢だったのだ。
(なるほど、私では勝てないワケです)
だけどそれでも……あるいはだからこそ。
(ですが、ショークリア様との短いやりとりの中、大変勉強させて頂きました)
その結果、自分の信じてきたことなどが色々と揺らいできたのだが、揺らいだからこそ、知りたいことが増えたともいえる。
(でも、湧いた疑問や知りたいコトなどは、今は脇へと寄せます。
まずはトレイシア様への挨拶に意識を向けなければ)
ふぅ――と息を吐いて顔を上げる。
「重ね重ねありがとう存じます、ショークリア様。このお礼はいずれ……」
そろそろ、自分も挨拶に伺う時機だ。
「では、私も挨拶へと行って参りますね」
「ええ。行ってらっしゃいませ」
ショークリアに笑顔で見送られながら、ハリーサは優雅に歩き始めた。
○ ● ○ ● ○
その様子を、お酒を片手に見ていた青の女神は微笑む。
「あらあら。ショコラちゃんったら、また無自覚に他人の未来を変えちゃったわ。本当に、見ていて飽きない娘よねぇ……」
井の中の蛙として成長し、ようやく外へと出て大海を知ってもなお、井の中だけで世界を知り尽くした気になって調子に乗り、両親共々盛大にやらかしてしまう未来。
「ふふ。日本においては悪役令嬢という奴だったかしら?」
その未来が今――ショークリアによって薄らいだ。
まだ完全に消滅してはいないものの、あと一押しの何かがあれば、実家はともかく、彼女そのものの破滅は防がれるだろう。
「実家まで無事の未来は……うーん、どう計算しても難しいわね。
全責任を父親に押しつけて、母子はわりと無事……みたいな未来の可能性が、僅かながら見え始めたけど……」
何はともあれ、ショークリアという存在は、あの国にとっての劇薬となっている。
それがどう作用し、どのような影響を及ぼしていくのかが、完全には分からない。
だからこそ、青の女神はそれを楽しむ。
未知を未知と認識した時点で、その権能によって既知となってしまう彼女にとって、未知を未知のまま楽しめるショークリアという存在は、本当に代え難いものなのだ。
「ふふ、ショコラちゃんと関わったハリーサちゃんの未来はどんな風に変わるのかしらね?」