厨房でも騒ぎになってるみてぇだ
お読み頂いている方々、ブクマ・評価・感想をくれた方々、ありがとうございます٩( 'ω' )و
ここ最近、本作が絶好調のようで、皆様のおかげでランキングでランクが上下しつつも結構長いこと居座れております。
今後とも、『喧キラ』を よしなにおねがいしまーす٩( 'ω' )و
ジン・トゥーンジャーは、口の中に広がるキョフテの味に、思わず動きを止めてしまった。
この王都にある別邸の厨房を取り仕切っているのが、このジンである。
甘いマスクに、細身で長身のジンは、大柄で筋肉質なシュガールとはある意味で反対の見た目をしている男だ。
だが、その胸に秘めた料理人としての思いは、シュガールにも引けを取らない。
今回はシュガールがお嬢様に頼まれた料理を作るということで、ジンは補佐に徹していた。
もちろん、補佐をしながらシュガールの技を見て盗むことは忘れていない。
「年老いたペーフスの肉が、これほどの味になるのか」
「香辛料、香草……塩を使わない分、これらで味と香りを整える……口にすれば簡単だが、実際にやってみると奥が深いんだ」
それはシュガールの仕事を手伝っていたジンも分かる。
お嬢様が事前に細やかな分量を決めていたので、シュガールは何とか作り上げられたが、それがなければ、味の調整だけでかなり時間が掛かってしまっただろう。
「だが、お嬢様がやっているように、細やかな分量を正確にまとめておけば――多少の料理の心得があるものなら、庶民でも作れる料理でもある、か」
素材はともかく、手順と分量が細やかに書かれているのだ。
これは革新的なレシピであるといってもいい。
「お嬢の恐ろしいところはそこだよな。
料理のレシピなんてものは滅多に外には出さないものって固定観念が壊されたようだぜ」
門外不出と言えば聞こえはいいが、その料理を作れる者が誰にも伝えぬままに居なくなってしまえば、その料理は永久に失われることになる。それはとてつもなく勿体ない。
それがお嬢様の持論だった。
「全くだ。どうしても門外不出にしたいなら、同じ料理でも二種類のレシピを作っておけばいいという考えも、すごい発想だ」
心得のある人が読めばある程度は作れる簡易レシピと、自分だけの門外不出用のレシピ。
一つの料理に、その二つを用意しておけば、どうしてもレシピを寄越せという相手に前者を渡して逃げられるとも言っていた。
シュガールもジンも平民上がりの料理人だ。
旦那様たちに外へと連れていかれることもある。
その時、出向先の厨房で、身分の高い料理人からレシピを寄越せと脅される可能性は充分にありうるのだ。
そこまで考慮しての提案なのだろう。
「門外不出の方も必ず文章として認めておけというのも、な。
いずれ自分が料理できなくなった時、その情熱を受け継いでくれる人へと託せるように、か」
そんな場面など想像もできないのだが、お嬢様はかなり真面目な顔をして言うのだ。
不慮の事故、不運というのはいつどこでどのように起こるかは分からない。だからこそ、発生してから嘆くことにならないように、準備しておくべきだ、と。
「まるで、一度全てを失ったコトがあるかのような顔をされますからね。お嬢様は」
「そうなんだよな。あの顔で言われると、説得力がハンパねぇ」
だから二人は――いや、二人だけでなく、シャッハやそれ以外のこの家に仕える料理人たちは、お嬢様の言う通りにレシピをメモに残している。
時折、自分たちの秘密レシピ以外は、メモを見せ合ったりして、切磋琢磨しているのだが、これがなかなか面白い。
「他人のレシピのメモを見ると、いがみ合うコトなく競いあえる相手がいるというのは貴重だと、実感するんだ」
「分かるぜ。料理人なんてものは、孤独で当然だと思ってたしな」
「僕と君だけだったこの一家の厨房担当もにぎやかになったものだ」
「シャッハが入ってからこっち、年に一人、二人は増えてるモンな」
かつて――
この別邸に、本家から減塩料理のレシピが届いた時、我が目を疑った。だが、お嬢様が考案しシュガールが絶賛したというそのレシピを試してみずにはいられなかったのだ。
以後、この別邸においても減塩料理が振る舞われることになった。
そして、それを口にした別邸を管理する従者たちは、それ以外を口にできなくなってしまっている。
やがてシャッハが本邸の厨房に加わった。
最初こそジンも女が厨房に――と思いはしたものの、旦那様に連れられてこの厨房にやってきて、その腕前と料理に掛ける思いを聞かされて考えを改めた。
同時に、羨ましいと思った。
お嬢様の思いつきを即座に試せるというのは、料理人として本当に羨ましい。
やがて、別邸にも人が増やされた。
そうして、ある程度減塩料理が手に馴染んで来た頃から、本邸と別邸で定期的に人材を交換し合うことが始まったのだ。
ジンが本邸で鍋を振ることもあれば、シュガールが別邸で包丁を振るうこともある。
減塩料理は素材の味を生かす調理方法だ。
だからこそ、環境が変われば、同じ食材でも風味が変わるというのを実感して欲しいというお嬢様の提案だったらしい。
「さて、お喋りしながらだったが、焼けたぜ。ジン」
「ペーフスのチョップグリル……か。
自分の知るペーフスをこのように焼いても、あまり美味しくはならないのだが……」
お嬢様が調達してきたペーフスを、シュガールが調理したのだ。
先入観など持たない方がいいだろうというのは頭では理解している。
「ま、喰ってみてくれ。驚くぜ」
「ああ。驚かせてもらおう」
ジンには、チョップ肉を一枚そのまま渡した。
一方で、もう一枚焼いていたチョップ肉は、骨から肉をそぎ落とし、一口大に切り分けて、様子を伺っている厨房の料理人たちへと差し出す。
そして、別邸の料理人たちが一斉にグリルを口にして、言葉を失った。
「ペーフスの肉……なのか?
いや、味は間違いなくペーフスだが、一体これは……」
「生まれて一年ほどの若いペーフスの肉だ。
お嬢によると、肉の味ってのはその魔獣の生活様式や年齢で変わるんだと」
シュガールが、事前にお嬢様から教わっていたらしい情報を口にすると、ジンは思わず胸を押さえた。
素晴らしき情報と、その情報が手に入る場に身を置いている自分の幸運さに胸が詰まる。
「ああッ! 我が敬愛する神クォークル・トーンよッ!」
やがてジンはバッと手を大きく広げながら、天を仰ぐ。
「このような素晴らしき職場を用意して頂けたコト、我が生涯を感謝の言葉で彩ったところで足りないコトでしょう!」
突然の出来事ながら、シュガールもほかの料理人たちも気にせずに自分の仕事をする。
ジンの突然の神への感謝はいつものことなのだ。
なのでシュガールも特に驚くことなく、いつものように冷静に告げる。
「とりあえず、ジン。
お前さんの生涯ってのは、言葉で彩るより、料理で彩った方が、クォークル・トーンも嬉しいんじゃねぇの」
「確かに!」
シュガールの言葉で正気に戻ったジンは、大きくうなずいてから――シュガールの手元を見て首を傾げた。
神に祈っている間に、シュガールは次の準備をしていたらしい。
ダエルブの生地のようなものがいくつかある。
それも、色とりどりだ。事前にある程度は用意していたのだろう。
「それは何だ?」
「ネリキリだよ」
「ネリキリ?」
聞いたことのない名前にジンは思わず眉を顰める。
「デビュタントで、王女様へ献上する為にお嬢が考案した菓子だ」
「む。それなら邪魔をしない方がいいな」
「いや。見てていいぞ。食後の甘味として試作品を提供するコトになってるからな」
そういいながら、シュガールは丸めたネリキリとやらを軽く丸めた。
「正直、コイツは料理っちゃ料理なんだが……最後の仕上げに必要なのは細工職人のような細やかな仕事なんだよなぁ」
シュガールの苦笑する様子から、最後の仕上げとやらが難しい――いや、苦手なのかもしれない。
そのまま様子を見ていると、シュガールは黄色いネリキリを薄く伸ばして星のような形にした。
続いて白いネリキリで小さな玉を作りそれを平たくしたものを、先ほどの星の真ん中に置く。
今度は茶色いネリキリを手に取ると、白で作ったものよりも小さな平玉を作ってそれを白の上に置いた。
茶色の縁に薄いヘラの角を当てて、星の頂点に向けて、五本の線をさっと引いていく。
「色の違うネリキリを複数組み合わせて、ナーサの花を作ったのか」
「よし、ナーサの花に見えてるようだな」
シュガールが盛大に息を吐くのを見て、ジンはこの料理が難しいという理由を知る。
「完成させるには、細工職人の腕がいるという理由を理解したよ」
「ジン。ネリキリ餡はそれなりに色を作ってある。お前も挑戦してみる気はないか?」
「ふむ。夕食のシメには間に合わないだろうが、やってみたい」
「ああ。このあとのシメの分はおれが作るよ」
あわよくば、お嬢様に持たせるネリキリは、ジンに仕上げて貰いたい――そんな思惑を胸の奥にこっそりと片付けて、シュガールはシメに間に合わせるように、ネリキリでナーサの花を作り始めるのだった。