たまには夫婦水入らずってか?
ニーダング王国の貴族において、夫婦の寝室は個別にある。
だが、それぞれの部屋のベッドは二人用となっていた。
言うまでもなく、どちらかがどちらかの部屋へ泊まる為に用意されているものだ。
これは第一夫人だけでなく、第二以下の夫人もまた二人用サイズのベッドが用意される。
とはいえ、キーチン領の領主の元にいる夫人は一人だけだ。
フォガードが第二夫人を娶る気がないという理由もあるが、それ以上に、現状のフォガードが貴族としての魅力がないというのが大きい。
人間的な魅力であれば、フォガードは英雄であり、炎剣の貴公子という二つ名も含めて、非常に高い。平民たちには人気の英雄騎士でもある。
だが、キーチン領は貴族の多くが見向きもせず、英雄に押しつけられた最悪の領地だと言われるほどだ。
フォガードがどれだけ領主としての能力が高かろうと、細々とやりくりをして赤字を防いでいる程度の貧乏領地。特産物などなく、開拓も遅々として進まない。しかも領地の北側にある山脈は、仲の悪いラインドア王国との国境だ。長々と延びる山脈の一番越えやすい場所なのだ。
そんな領地など、誰も欲しがらないのである。
それでも、フォガードは笑いたければ笑えと常に思っていた。
国境沿いの領地を賜るのは、実力を認められた誉れだと思っている。
ラインドアの監視と、開拓の同時進行は非常に骨が折れるが、やってやれないことはない。
国境を守る重要性は理解しているつもりだった。
同じく国境沿いの山脈に隣接した領地である、ダイドー領の領主も自領の重要性を理解しているようだ。
会えば嫌味ばかりをぶつけてくるが、その嫌味には多くの情報が混ざっている。
恐らくは表立って協力すると、中央王都の貴族たちから、仲間外れにされる可能性があるからだろう。
だからフォガードも、この野郎、嫌味ばかり言いやがってクソが――という態度で、接することにしているのだ。
もっともダイドー領の領主に対しては、そういうフリをしているだけだが、ほかの領地の領主たちへは、わりと心底からそう思う時がある。
特にもう一つの隣接領、コーロン領の領主などは、キーチン領への嫌がらせに汗水を流しているのだから、面倒なことこの上ない。
閑話休題。
フォガードが愛する妻マスカフォネ。
第二夫人を取る気のない彼にとって、彼女と共にどちらかの部屋で過ごす夜というのはかけがえのない時間である。
子供達が寝静まった時間――
今日はマスカフォネの寝室にある小さなテーブルを二人で囲んでいた。
「貴方は、どれだけのお酒を秘蔵してるのかしら?」
「それだけは、君にも教えるわけにはいかないな」
ゴブレットに注がれたエニーヴの果実酒を飲み、そんな言葉を交わしあう。
こういう夜の為に、フォガードは様々な酒を隠し持っている。
それなりに高額のものもあるが、全ては自身の小遣いから出しているものであり、領地予算から購入しているものではないことだけは、常に主張するのを忘れない。
そうしないと、みんなから余計なツッコミが来そうで怖いのだ。
変なところで小心者の領主である。
「今年も、もうすぐショコラの誕生日が来るわね」
「それを過ぎれば新年で、ショコラのお披露目か。早いものだな」
「ええ、本当に」
うなずいて、マスカフォネがゴブレットの中の深い赤色の果実酒を飲み干した。
それを見、フォガードがそのゴブレッドにおかわりを注ぐ。
「ありがとう」
「お前は楽しそうに酒を飲むからな。良い酒を用意する甲斐がある」
「ふふ、ならたくさん飲ませてもらおうかしら」
冗談めかしてそう言いながら、マスカフォネは新たに注がれた分で口を湿した。
「その為には、小遣いを増やさないとな」
「それを増やすには、領地を富まさなければならないわね」
「だが、希望が見えてきた」
「ええ」
これまでは、収支がほぼトントンの状態で、領地予算がギリギリになってから、開拓も停滞してしまっていた。
だが、ショークリアがその状況へ、風を運んできたのだ。
「来年は良い意味で忙しくなるだろうな」
楽しげな笑みを浮かべて、フォガードはゴブレットを煽る。
そのフォガードの横顔を見ながら、マスカフォネは両手で自分の持つゴブレットを包むよう持って、少し俯いた。
「どうした?」
「……ショコラのコト、どう思います」
その言葉の意味が分からぬほど、フォガードは愚かではない。
娘のショークリアは一言で言えば異質だ。
物覚えの良さ、運動能力。どちらも一級品――いや特級品といえるだけのものを持っている。
さらには、高い魔力を有しており、少なくとも白の加護は強く持っているだろうことは予想されている。
それだけではない。
本で読んだ知識を身につけ、すぐにそれを応用できるだけの能力まで備えているのだ。
一言で言えば天才。
しかも才能が溢れていながらも驕らずに努力をする類だ。
だが、彼女は天才の枠では収まらないものがある。
遠い異国の話を、なぜか妙に知っていることだ。
本人は本で読んだと言っているが、それが嘘だというのは早い段階からフォガードもマスカフォネも気づいていた。
何しろ屋敷の図書室にそのような本はない。
出入りの商人が持ってきたものなどの中にも、ショークリアが生まれてから今まで一冊・二冊あったかどうかだ。
恐らくは、何らかの知識の源泉たるものを秘めている。
もしかしたら、青の神から与えられた知識の加護なのかもしれない。
あるいは、創造神から与えられた創造の加護かもしれない。
可能性はいくらでもある。現実的なものから、妄想といっても差し障りのないものまで、いくらでもだ。
だけど、それでも――
「あの子は、我々の娘だ。強くて優しい――俺たちの娘だ」
「……フォガード……」
「生まれた時から、何か秘密を抱えていたのだとしても、あの子が我々の娘であるのなら、それでいい。違うか?」
「……そうね。秘密を悪用する様子は今のところないようですし……」
「そうだ。それこそ、ちゃんと教えてやればいい。
その強さも、知識も、秘密も……ひけらかすコトなく、悪用するコトなく、自分が正しいと思うコトに使え。使いこなせ、と。
それを教えるコトが、親の仕事で、親の責任だ――そう思わないか?」
「ええ」
互いにゴブレットを傾け、口に含む。
大した数の言葉は交わしてないはずなのに、不思議と口の中が乾いたのだ。
「……マスカ」
「なに?」
「あの子は……産婆が取り上げた時、泣かなかったんだ」
「……そうなの?」
「君はショコラを出産した時には意識を失っていたからな。
だから、言っていなかったコトが一つだけある」
「なに?」
「止まっていたんだ。心臓が」
「え?」
マスカフォネが身体を強ばらせる。
「焦ったよ。俺も、産婆も。
だけど、それでも、諦めたくなくて……ここで諦めたら、お前まで目を覚まさないんじゃないかって、そう思って……あの小さな身体の小さな心臓を、俺は叩いた。叩き続けた。
叩くって言っても大したコトじゃない。生まれたての赤子に、大人へするような叩き方はできない。指先でトントンと小さく叩くだけだったが。
そうして――奇跡が起きた」
「……動き出したのね」
「そうだ。やがて、泣き始めた。奇跡だと思ったよ。
嬉しくて嬉しくて、みっともなくその場で大泣きした。
その場にいた者たちには、お前に余計な心配をかけまいと、黙ってて貰うコトにしたんだ……すまなかったな」
「気にしないで。きっと、逆の立場なら私もそうしてたと思うのだから」
ショークリアは奇跡の子だと、フォガードは思っている。
「そんなショコラを、俺は信じたい。見守りたい」
「そうね。生まれた時に少し心臓が止まっていたなんて思えないほど、元気な子に育ったのだもの」
マスカフォネが、横へ座るフォガードへと身を寄せる。それをフォガードは抱き寄せながら、もう片方の手で果実酒の瓶に栓をした。
「あら? 飲むのは終わり?」
「酒以外で、君を酔わせたくなってきたからね」
「そう。だったら服の中に手を入れるのはダメよ」
首に回した手を寝間着の中へと潜り込ませようとするフォガードを、マスカフォネは窘める。
「夢を重ねるのは、お互いに気持ちの良い夢を見れる場所でなければいけないでしょう?」
「君となら、どこでだろうと気持ちの良い夢を見れると思ってるけど」
「気取っているようで、あまり響いて来ない言葉ね」
「言ってて思った。君の気持ちを無視してるものな」
そう笑って、フォガードはマスカフォネを抱き抱えた。
「夢を見れる場所へお連れしますよ、我が緑の神」
それは、閨にて男性が女性を褥に誘う言葉だ。
強制力などは一切無く、女性側はそれに対応する許可か拒否の言葉を返すのが作法となっている。
「優しくお願い致しますわ、我が赤き神」
マスカフォネはフォガードに身を委ねながら、彼の首へと手を回した。
「白き神が見守る月の下で」
「ええ。青き神の囁く夢の中へと共に参りましょう」
ゆっくりとベッドへと運んでいき、マスカフォネを下ろす。
マスカフォネの靴を脱がし、自身も靴を脱いで、ベッドに乗ると、その天蓋から降りるカーテンを閉じた。
優しく囁くように、互いに創造神と五彩神の名前を口にする。
これは男女が互いに認め合い、神々の許可を得て行われるものだという宣誓だ。
「このひとときだけ――黒の神の許しを得て……」
「今宵は、甘き夢を重ねることを楽しみましょう」
期待をするように目を潤ませて、マスカフォネは両手を広げる。
「創造神への祈りは?」
「捧げたいわ。そろそろ三人目を授かりたいもの」
フォガードはマスカフォネに腕の間へと入り、覆い被さった。
「わかった。甘き夢を重ねた先を祈るとしよう」
「ええ――祈りあいながら、夢を重ねあいましょう」
息づかいさえ聞こえるほど顔を近づけあって、最後の言葉を口にしあう。
そして、マスカフォネがゆっくりと瞳を閉じると、フォガードはその美しき唇に、自身の唇を重ねるのだった。