大丈夫なのか、こいつ?
レビューを頂きました٩( 'ω' )وありがとうございますッ!
(あの馬鹿――やりやがった……ッ!?)
その様子を見ていた者たちが思ったのは、そんな感想だった。
自分たちが見下していた成り上がり貴族の娘が、姫殿下から笑顔を引き出し談笑しているのが気にくわないと思っていた者は多い。
だが、だからといってそこに割り込んでいくのは、マナー違反どころか、王族に対する不敬だ。
王族の会話相手が誰であれ、そこに割って入るのであれば、まずは一言断ってからにするべきである。
それだって、催しの半ばの自由時間での雑談に対する話であり、今のトレイシアとショークリアのやりとりに対してしてやって良いことではない。
何せ、今の二人のやりとりは主催者と招待客の挨拶だ。
ショークリアのような立場による敵意とは異なる、明らかな侮蔑や呆れの眼差しを向けられながらも、割って入った男は気にした様子はない。あるいは気づいていないのだろう。
トレイシアとショークリアの間に割って入っていったのは、準上級貴族であるランニッテ家の三男グルーベ・ソル・ランニッテ。
上二人は優秀だが、三男はイマイチというのが世間からの評価となっている。
だが、デビュタントという場で蓋が開けられてみれば、イマイチなんて言葉は生温いほどの馬鹿であったらしい。
「私の挨拶を飛ばし、長々と話をして、貴様は何様のつもりだッ!」
「ええっと、貴方こそ何様のつもりなのかしら?」
戸惑っているからか、言葉遣いが崩れつつも訊ねるショークリアに対し、周囲は思わず――
(デスヨネー)
などと、同意してしまう。
そもそも彼が順番を飛ばされたのは、知り合いとの談笑を優先するあまり、王女の元へと行きそびれたからにすぎない。
準上級の肩書きを持つ参加者が次々と挨拶に向かう中、後続がいないと判断されれば、中級たちが動き出すのも道理である。
そして、彼がトレイシアへの挨拶に気づいたのが、今だったというだけだ。
ただの自分のミス。
ショークリアには何の落ち度もない。
ショークリアが準中級の中に混ざっていることに関する不満を抱くものは多いモノの、建前上の地位を考えれば、間違っていないのだ。
それを踏まえて考えると、ここでショークリアを責めた場合、ショークリア以前に挨拶をした中級・準中級たちが皆、順番を違えたことになってしまうのだが、きっとグルーベは気づかないことだろう。
「お前は私を知らないというのかッ!」
大声を上げながらズイっとグルーベが踏み込んだ瞬間――
「え?」
ショークリアは手にしていた扇を畳んで、グルーベに突きつける。
彼女の横にいる従者もまたいつの間にやら手にしていたナイフをグルーベに突きつけていた。
「それ以上、大声を上げ踏み込んでくる場合、トレイシア様への害意をあるものとみなし、私ショークリア・テルマ・メイジャンの責任をもって、従者ミローナと共にこの刃を振るいます」
凛とした声が響く。
決して大きくはないが、有無言わさぬ迫力を伴う宣言。
瞬間、トレイシアの護衛たちの空気もピリリと引き締まる。
「な……なにを言っているッ!
私は、お前に対して、目上の者に対して不敬だと言っているんだッ!」
ショークリアに対して指を突きつけるグルーベ。
その指を、扇でもって思い切り弾くショークリア。
(いや、お前が一番不敬だよ)
――という周囲のツッコミなど、当然グルーベには聞こえない。
それに、今グルーベはそれどころではなかった。
「~~~~~~~ッ!!」
声にならない声を上げてうずくまるグルーベ。
ショークリアの鉄扇で指を強打された為、激痛に悶えているのだ。
とはいえ周囲から見れば、扇が鉄製だなんて分からない。故に何が起きているのか分からなかった。ただグルーベが扇に弾かれた指を押さえて顔を歪ませているように見えるだけなのだ。
だが何が起きているのか分からなくとも、周囲はショークリアの本気を理解する。
同時に、様子を見ている者たちは、ショークリアが騎士爵の家の娘であることを思い出した。
それも炎剣の貴公子という二つ名を持ち、王国騎士たちの中には憧れや尊敬をしている者すらいると噂される騎士の娘だ。
女だてらに騎士道を重んじ、加えて英雄騎士の才を宿しているのだとしたら――
「言ったはずです。これ以上、大声を上げて踏み込んでくる場合、姫殿下への害意と判断すると」
うずくまるグルーベを見下ろす目は非常に冷たい。
さっきまで談笑をしていた年相応の笑顔とは異なる、大人びた眼差し。
(退け、退けッ! お前、今相当やばいところにいるぞ……ッ!!)
退いたところで王族への不敬は覆らないが、それでもまだ引き返せるギリギリのところに立っている。
そもそもショークリアは、ケンカを売られた時点で、トレイシアを護る側であることを示した。
そのまま巻き込まれてケンカになれば、諸共不敬にされてしまう可能性があるのだから、その咄嗟の判断は正解である。
本心かどうかはさておいて、少なくとも会話に割り込んでくる常識知らずの男よりも、ずっと理性的に、国と王女への忠義を見せたのだ。
この時点で、グルーベに勝ち目はない。
王女を護るという忠義を見せた上で、ショークリアは警告を口にし、決して先に手を出さなかった。
手を弾かれたのは、警告を無視したグルーベの自業自得だ。
何より、あの状況をトレイシアも、その護衛の騎士たちも止めようとしていない。
つまり、関係者たちの思惑はさておいて、対外的にはショークリアに任せて問題ないと判断しているのだと思われる。
そして誰もがショークリアとグルーベのやりとりを注視している中で、トレイシアだけは周囲の様子を伺っていた。
(ふむ……元より周囲から良くは思われてなかった方でしたよね。
もっとも、ここまでやるとは――という感じのようですが。それは私も同様に思っておりますけれど……)
グルーベ・ソル・ランニッテ。
トレイシアも一応、噂には聞いていた。
その噂も、兄二人が優秀であるが故に、劣等感などで歪んでいるだけで、最低限のことはできる人物だろうと考えていたのだが――
(周囲が見えていないにもほどがあります。
ショークリア様を責めるにしても、もっとやりようがあるでしょうに)
トレイシアはショークリアを咎める気はない。
むしろ、あの状況において咄嗟に自分を護ろうと動いてくれたことに好感を抱いたほどだ。
例えそれが自身の保身の為であったとしても、あの行動と発言ができるというだけで、充分だ。
「やりやがったなッ、お前ぇぇぇぇぇぇぇ――……ッ!!」
そして、グルーベはどこまでも愚かだった。
全身に赤の魔力を纏いながら立ち上がる。
炎のように揺らめくそれを何に使うのか分からないが、会場内の騎士たちや、騎士を目指す者たちが慌てた様子になることから、それなりに危険なのだろうことは分かった。
もっとも――
「……それで?」
微塵も慌てていない女騎士と侍女がここにいた。
グルーベが身に纏う赤い魔力など無いもののように、扇を喉元に突きつけるショークリア。
さらに、ショークリアの従者であるミローナは、いつの間にかグルーベの背後へと回って、手にしたナイフの切っ先を、彼の首の後ろに当てていた。
「な、何で怖がらないんだ……?」
「怖がる? お父様の奥義を受けたコトのある身としましては、この程度の赤の魔力など怖くはありません。この程度で怖がっていてはお父様へ刃が届きませんので。
何より、殺気も無い怒りだけの、実戦経験もない者の脅し目的の魔力など、恐るるに足りません」
彼は気づいているだろうか。
ショークリアも、ミローナも、武器を突きつけるだけで留めてくれていることを。
トレイシアの前だからこそ、無闇な殺生や流血を避けているにすぎないことを。
「ショークリア。
貴方の従者を下げた上で、殺さない程度のお仕置きを許可します」
それを理解しているトレイシアは、王族の顔で告げる。
その言葉にショークリアは僅かな逡巡のあとで、ミローナの名前を呼んだ。
「……ミローナ」
呼びかけに応え、ミローナが突然姿を消す。
トレイシアがそれに驚いている間に、彼女はショークリアの背後へと何事も無かったかのように控えた。
「トレイシア殿下ッ! なぜ、そのような薄汚い小娘を……ッ!」
「薄汚い? 私の目には貴方の方が薄汚く映っておりますが?」
彼は何を言っているのだろうか。
彼は自身が何をしているのか分かっているのだろうか。
「アンタ、自分の背後が見えてる?」
「何を?」
「心配そうに、不安そうに、申し訳なさそうにしている、従者たちの顔、見えてるのかって言ってるの」
ショークリアは言葉を崩して告げる。
そうだ。彼の背後には、彼を憂う従者たちがいる。
きっと今回のやらかしも、彼らが必死に止めただろうことが分かる。
「それが見えてないから、アンタはこんな馬鹿をやらかすのよッ!!」
ショークリアが手首の動きだけで扇を開く。
同時に、開いた扇から虹色の魔力が無数の蝶々となって舞い始めた。
「下等な成り上がり如きがッ、準とはいえ上級貴族の私に逆らうのか……ッ!!」
赤い魔力が炎に変わる。
それに対してショークリアは魔力の蝶々を従えるように扇を構える。
「アンタは今ッ、王族に対してッ、絶賛逆らい中でしょーが――……ッ!」
「は?」
苛立ちのせいか言葉がかなり崩れているが、それでももっともなショークリアの指摘に、何故かグルーベは目を丸くした。
そのグルーベの姿に、トレイシアだけでなく周囲の者たちすら、驚いた顔を見せた。
(え? お前、気づいてなかったの……?)
――みたいな、心の声が一つになる。
「アンタは私にだけケンカ売ったつもりでしょうけど、状況はもっと最悪なの理解してないみたいね」
「何を言って……ッ!」
「虹翔胡蝶扇ッ!」
グルーベの質問を遮って、ショークリアは開いた扇を横薙ぎに振るう。
扇から衝撃波が放たれると、周囲に舞っていた魔力の蝶が一斉にそれに乗って、グルーベへと襲いかかった。
本来は蝶々の一匹一匹もそれなりに高い攻撃力を持っている技なのだが、今回ショークリアが放った蝶々に攻撃力はない。
蝶々は演出で、ほとんど衝撃波だけでしかないものだ。
「うわああああああああ…………ッ!」
それでもグルーベはたまらず吹き飛ばされて、自分の従者の前へと転がった。
彼が従者たちに抱き抱えられたところで、ショークリアはわざとパチンと音を立てながら扇を閉じる。
それに併せて、蝶々となった魔力の残りが、花びらのようにひらりと舞った。
目を回すグルーベを一瞥した後、トレイシアは彼の従者たちへと冷たい声で告げる。
「それを連れて会場の外へ出なさい。別室を用意するからそこから出ないように。ランニッテ卿をお呼びし、追って沙汰を下します」
グルーベの従者や護衛たちは青ざめた顔で一礼すると、目を回すグルーベを連れて、素直に会場を出ていった。
そうして彼らが外へと行くのを確認してすぐ、ショークリアとその従者はこちらに向き直るなり跪いた。
「御前にて騒動を起こしたコト、お詫び申し上げます」
「ショークリア様とその従者の……ミローナでしたね。二人とも顔を上げてください」
それに対して、トレイシアは出来るだけ二人を怖がらせないように、柔らかく声を掛ける。
「此度のコトは、全ては彼のやったコト。
私に危険が及ばぬように立ち回って頂けたコト、感謝こそすれ、咎めたりなどいたしません」
「ありがとう存じます」
ショークリアが礼を告げ、頭を下げた。
「では、二人とも立ってください。
そしてショークリア様。改めて、挨拶をしましょう?」
戸惑ったような顔で立ち上がるショークリアに、トレイシアは楽しそうに告げる。
「ではまた、青の女神の時計の針が重なる時に」
「……はい。また青の女神の時計の針が重なる時に」
グルーベに邪魔されて言えなかった別れの挨拶。
だけど、それだけだと物足りなかったトレイシアは、そこへさらなる言葉を付け加えた。
「もし重ならないようなら、赤と緑の神々の力を借りて、無理矢理時計の針を動かしましょう?」
茶目っ気を込めてそう告げると、ショークリアはますます困った顔をして――それでも、無碍には出来ないと判断し、小さく息を吐いて笑って見せた。
「重ならないのであれば神に頼らず、自らの力で重ねた方が、面白いと思いませんか?」
思いもよらないショークリアからの返答に――
「ええ。それはとても素敵なコトだと思いますわ。楽しみにしておりますね」
――トレイシアは無自覚ながら心の底から浮かんだ笑顔を向けて、大きくうなずくのだった。
それはトレイシアにとっては、本当に久々の、心からの笑顔だった。