掴みは上々ってか?
トレイシアに仕える空色の髪の侍女チノ・ナッツ・プルーカスは、ショークリアの侍女が開けた箱の中を見て、思わず絶句した。
大きめのメガネの奥にある薄茶色の瞳を大きく見開いたまま、動けなくなる。
いや、その反応はチノだけでなく、トレイシアもまた言葉を失っている。
そこには、花畑が広がっていた。
ネリキリという聞き慣れぬ菓子で作ったという花畑。
夏の風物詩たるナーサの花を中心に、水を思わせる色をしたもう一つの夏の風物詩ランジアの小さな花が無数に咲く。
箱の中には区切りがされており、恐らくその区切りごとに一つのネリキリとなっているのだろう。
けれども、一番外側の枠には、野花を思わせる緑中心の小さなものを配置し、中心はナーサの花をメインに、その周囲にランジアの花メインに配置することで、箱の中に花畑を作り出していた。
菓子細工という未知がそこにあり、食べることが出来る花畑というのは、それだけで王家が口にしうるだけの価値あるものだと、チノは素人考えながらもそう思えた。
ショークリア・テルマ・メイジャン。
キーチン領メイジャン家に対する先入観は、チノであってもかなり強かった。
だが、トレイシアとのやりとりや、目の前に広がる箱の中の花畑などからして、チノの中にあった先入観は完全に払拭されたと言える。
そんな驚くべき菓子細工であるネリキリを示してショークリアは言った。
「食べ物である以上、一度目の前で毒味をするべきなのですが、私が選んではあまり意味がないかと存じます。
ですので、不躾ではございますが、トレイシア様にお一つ選んで頂けませんでしょうか?
こちらが選ばないのであれば、毒味の意味が正しく出るのではないかと、思いますので」
なるほど正論だと、チノは思った。
王族に対して不躾ではあるのだが、複数種類の菓子細工がある以上、ショークリアが選んだものをショークリアが食べても、毒味としての意味が薄い。
だが、それを別の誰かが選び、それをショークリアが食べるのであれば、意味はあるだろう。
トレイシアもそれを理解出来るからこそ、首肯はしたのだが――
(迷っておられますね……)
無理もない、とチノは思う。
これは苦渋の選択だ。
どれか一つでも欠ければ、芸術としての価値が下がるのだから。
それでも、外側に広がる草原部分であれば、まだマシだろう。
しかし、それを選ぶこと前提で毒が仕込まれている可能性はあるのだ。
だからこそ、トレイシアとして選ぶのは、中央のナーサか、一番大きなランジアの塊が最善である。
(なんて残酷な選択肢なのでしょうか)
お気に入りの絵を、自らの手で崩せという話に他ならないのだから。
そしてトレイシアは悩み抜いたあとで、箱の中心に咲く一番大きなナーサの花を指し示す。
それに、ショークリアは驚いた顔を見せた。
ショークリアの雰囲気からして毒は仕込まれていないだろう。
それでも、これをしなければならないのが王族だ。
そして一番毒が仕込まれている可能性が高いのは、主役であるナーサの花になってしまうのである。
「では、こちらを失礼して……」
そう言って、ショークリアは少し困った顔をして固まった。
「ミローナ」
「…………」
呼びかけられた侍女のミローナも、何かに気づいたように固まった。
微妙な空気の中で、チノは唐突に気がついた。
それをトレイシアに耳打ちする。
「トレイシア様、もしかしたら毒味の為のカトラリーが無いのかもしれません」
チノの言葉に、トレイシアは一瞬キョトンとした顔をするのだが、意味を理解した途端、クスクスと笑い出した。
「ショークリア様、多少の不作法は大目にみますわ」
「ありがとう存じます」
顔を赤くし、申し訳なさそうにお礼を告げるショークリアの姿は大変愛らしく見える。
大人顔負けの立ち振る舞いをしていた少女の、年相応の姿がようやく見えた気がすると、チノは思った。
そうは言ってもチノも年齢的には、デビュタント参加者より二つ上程度だ。
学園と王城に勤める侍女の二足草鞋を履いているチノは、国王陛下直々に、デビュタントでトレイシアに仕えるよう命ぜられたのである。
どこの派閥の息も掛かっていない若くて優秀な侍女という条件から、チノが選出されたのだ。
ただそのチノの振る舞いは、トレイシアを大いに喜ばせているのは間違いない。
余計なことをせず、聞かれたことには可能な限り素直に答え、出しゃばらず、それでいて先回りしてことをすませておける。
何より、チノが自分の意志と意見を持っていることが、トレイシアにとって好感度が高い要素であった。
それはさておき――今はショークリアだ。
「では、多少不作法ではございますが――」
一言断りを口にしたショークリアは、中心にある小さなナーサの花を指で摘み、口へと運んだ。
その際、敢えて口を隠さず、しっかりと口の中へ入れて咀嚼する姿を見せていることに、チノは好感を覚える。
淑女として、このような姿を見せるのははしたないと言われる行いだ。だが、ショークリアは今、毒味をしているのだ。
扇で口元を隠しながら食べては、何か細工――例えば解毒剤を一緒に口にしていたり等――している疑いがもたれる。
だからこそ、ショークリアは堂々と口にし、堂々と飲み込むところまでをトレイシアや、その側近たちに見せることにしたのだろう。
最後に、取り出したハンカチで手を拭い、一礼する。
「ネリキリは空気に触れすぎると堅くなりますし、暑さにも弱いお菓子となっております。
箱の蓋はかならず閉じておき、あまり日の光の当たらない涼しい場所に置いてください」
ショークリアがそう説明し、トレイシアがうなずいた。
「ええ、わかりました。
チノ――そういう場所の心当たりはあるかしら?」
言葉の裏に、信用のおける場所でお願いね――という意味があるのを理解した上で、チノはうなずく。
「はい。ございます」
「では、そこで保管するように」
「かしこまりました」
ミローナが箱を閉じ、それをチノへと差し出す。それをチノは受け取り、一度蓋を取って中身を見たあと、蓋を閉じて一礼する。
その様子を見ながら、ショークリアはトレイシアへと補足する。
「トレイシア様、できれば早めにお召し上がりを。
可能ならば三日以内に食べるのを推奨させて頂きます。あまり日持ちはしませんので。
食べる際には、渋みや苦みが強めのお茶をお供にすると良いかと」
トレイシアはそれにうなずき、視線をチノに向ける。
チノはショークリアからの説明をしっかりと記憶した上で、トレイシアへとうなずいて見せた。
「ふふ、食べるのが楽しみだわ」
「お口に合えば良いのですが」
トレイシアとショークリアの様子は、このまま談笑が続きそうな雰囲気になっているのだが、これ以上の時間を過ごすのはよろしくない。
一人に対してあまり時間を取りすぎるのは、相手がやっかみを受ける理由になりやすい。
その辺りを理解し、管理するのも王族の努めであり、王族に仕える従者の仕事でもある。
なので、チノは小さな声でトレイシアの名前を呼ぶ。
同時に自分が身につけている懐中時計を視線で示した。
「トレイシア様」
その意味を理解したトレイシアは、チノに対して視線だけで理解を示す。それからショークリアへとすぐに視線を戻した。
「ショークリア様。
楽しい時間というのは、青の女神のお力をもってしても、永遠にはならないようです」
「黒の神もせっかちですからね。名残惜しいですが、下がらせて頂きたく存じます」
そうして、お互いが最後の挨拶を交わそうとした時だ。
「私を差し置いて、何を長々と話をしているんだ、成り上がり風情が」
そんなことを口にしながら、少年が一人、近づいてきた。