第006話
「なるほど、彼とはそういう御関係ですか」
クーラは乃愛のこれまでと葵との関係を聞き、縫い終わったセーラー服を手渡した。その表情を曇らせているのは、葵の記憶喪失の事だろう。
「差し出がましい事は百も承知ですが、人間の寿命は魔族の半分以下であり、圧倒的に脆弱です。もう関わらない方がいいと私は思います」
「…………わかってる」
セーラー服を受け取り、クーラから離れるように背を向けて歩きながら、床に落ちていた下着を身に着ける。と、そこで少し気になった。
「なあ、この世界にブラってあるの?」
素朴な疑問。七年前、この世界にいた時は必要がなかったので身に着けていなかった女性の必需品。
その概念を乃愛が知ったのも中学生になる頃だ。そう思い、振り返ってクーラを見るが彼女の着ている服は胸元の周りが露出して、とてもブラジャーをしているようには見えない。
「申し訳ありません。ブラというのは何を意味する言葉なのでしょうか?」
「…………いや、いいんだ。忘れて」
顔を引き攣らせて乃愛はクーラの問いに応答し、セーラー服を着る。
今後流石に着替えない訳にはいかないのだが、そうなると下着の替えが必要になる。が、ブラジャーという概念がない以上は今身に着けている物しかなく、下はともかく上の替えは今後手に入らないだろう。
──異世界ものって、そういえば男主人公ばっかりだもんなぁ。
内心泣きそうになりながら、異世界の何がいいんだと自身の故郷に怒りを覚える。
世界移動は二度目になる。魔力も充分に回復したのだから、その気になれば自身の魔力によって行って帰る事は出来るのかもしれない。
一度目は事故。
二度目は葵を死なせたくないという気持ちで意図せず次元に穴を開ける程の魔力を解放した。
しかしおいそれと試せる事ではない。魔法や魔力に精通しているとはいえ、異世界転移はイレギュラー中のイレギュラー。例外中の例外であるその事象に問題点を乃愛は思い浮かべる。
最初に考えたのは時間軸。
今回は現代世界で七年後から異世界の七年後へと帰る事に成功したが、現代世界とこの世界で同じ時間が過ぎているという確証はどこにもない。
楽観的に考えれば過去の体験からして大丈夫であるとしてもいいのかもしれないが、もし転移後に戻って来た異世界が二十年三十年過ぎていたらと思うと目も当てられない。
下着を取りに帰って浦島太郎になりました、などと笑い話にもならないだろう。
次に転移座標。
前回も今回も何とか陸地に降り立つ事が出来た。パニックにならない人目のつかない場所で、だ。次に転移する場所が真昼間の商店街のド真ん中という可能性がない訳ではないし、宇宙や米軍基地などとんでもない場所に転移する可能性もない訳ではない。
人目につく場所ならまだいい。下着を取りに帰って銃殺刑や大気圏突入など馬鹿げている。
そもそもが下着を取りに現代世界に帰るヒロインなど間抜けの限りであり、死活問題ではあったが心が折れそうながらも乃愛は断念しようと気持ちに整理をつける。
とはいえ公式ノーブラ設定ヒロインなど、それはそれで不名誉な事ではあるのだが。
「服、ありがとう。これからだが、お前はどうする?」
心の中でため息を吐きながらクーラに問う。
今まで待ち続けていてくれた唯一の従者。しかし従者を従える程の財力も権力も今の乃愛にはない。というより日本円しかなく、それもキャッシュカードもただの板切れになった今、財布の中身も一般学生の持っている額と変わらない。
「私はルシフェリア様に忠義を誓った身。足手纏いにならぬ限り、その旅路をサポートさせて頂こうと思います」
「そうか。……私は冒険者になろうと思っている。葵と二人で、彼の望むままに」
「ルシフェリア様。私のような者の言葉には耳を傾ける必要はありませんが、どうか御自愛下さい。人間と貴方様では──」
頭を深々と下げて進言するクーラの肩を掴み上げて姿勢を正させる乃愛。
「わかってる。けど、仕方ないだろ」
不要となった陽光に別れを告げるように窓とカーテンを閉めながら、乃愛はクーラに言い聞かせる。
「せめて、それならあの人間に本当の事を御話し下さい。過去の御関係を明かしさえすれば、元の御関係に戻る事も出来ましょう」
「それは駄目だ」
プリクラ帳の写真。葵が乃愛に謝罪したかった事と、聞きたかった事。
二人は彼氏彼女の関係であったのではないかという葵の疑問。
「何故でしょう?」
「私と付き合っていたのは記憶を失う前の葵であって、今の葵に押し付けていいと思えない。それに記憶を失った葵に事実を押し付けて元の関係に収まるのは、私と付き合っていたかつての葵への裏切りだ」
その事実は彼のいない所で明かされる。
「私は葵の記憶が戻らなくてもいい。ただ葵といられれば何も望まない。二人で冒険者になって、この世界で一から関係を築きたい」
──……だというのに、プリクラ帳なんて持って来るんだもんな、あいつ。
言いながら、異世界に飛ばされた時に目にした彼の持ち物。乃愛の趣味で絵日記のようになっていたそれを葵が持っていた事を知った乃愛は、異世界に降り立ってすぐに葵から奪い、共に異世界に降り立った鉄骨ごと破壊した。
新しい物語に過去の遺物など不要だと、独り別れを告げて。
「そうですか。ならばもう何も言いません」
そう言って、クーラは一枚の紙を乃愛に差し出す。受け取った乃愛は「何だこれ」と言って記されている文字を読む。
そこには“適正診断書”と書かれていた。
「聖痕は御存知でしょう? 冒険者になるには聖痕持ちの適正診断が必要になります。私は魔族ですから当然聖痕は持っていませんが、何かと資格は便利ですので魔法を使って資格所持者になりました」
「いや、こんな事しなくても葵と一緒に──」
「魔王だった貴方様の適正なんて見たら正体がバレなかったとしても大騒ぎです」
葵と二人で審査を受ければいいと言いたかった乃愛だが、クーラの言っている事は正しい。魔王の適正が素人冒険者の適正と同じハズがなく、もしも能力値を見る事が出来る聖痕持ちであったなら人類全体に知れ渡る程の大騒ぎになりかねない。
「そこに私のサインが書いてありますから、適当な職業に印をつけて冒険者ギルドの店員に渡して下さい」
「わかった。本当にありがとう、クーラ。そろそろ葵も心配するだろうし行って来る」
「わかりました。私も今後を考えて動きますが、その前にもし何かあればここに御立ち寄り下さい」
階段を下りる乃愛の後を追いながらクーラは、懐かしい背中を見ながら今まで人間の街に潜伏していてよかったと、この七年間が報われたと感激に浸る。
「ルシフェリア様。記憶を失ったあの少年の隣にいて、貴方様は御幸せですか?」
扉を開けた時、そう声をかけられた乃愛は振り返る。その振り返る間に葵が記憶を失ってからの今日までの寂しさを思い出しながら、
「うん、すごく幸せだよ。だからこれからも一緒にいたい」
何の迷いもなく、乃愛はそう答えた。
付き合っていた時も幸せだった。ただその日々が眩し過ぎるだけで、今も幸せであると心から思っている。深くは語らずとも彼女の微笑みはそう告げていた。
「それじゃあ、行って来るね。また後で、クーラ」
クーラに別れを告げて、乃愛は走る。
見送るクーラは、その乃愛の背中の隣に七年前の乃愛の背中の面影を見た。
「いってらっしゃいませ、ルシフェリア様」
振り返る事なく乃愛は走る。
今頃葵はどうしている事だろうと感じながら、その長い銀髪とスカートを靡かせながら冒険者ギルドへと駆けていく。
かつて自身は魔王であった。その過去の座を再び手に入れよう、取り戻そうと彼女は思わなかった。
世界中の魔族が彼女を狙っている。霧の国ニブルヘイム、その王であった彼女。それは彼女にとって最早過去の話。
当時は世界を憎んだ事だろう。ニブルヘイムが滅んだ結末を、覆してやろうと思った事だろう。
しかし青春時代の多くを現代世界で暮らした彼女にとっては、優先したい事が他に出来た。
『それなら僕は、僕に似合うような“間違った世界”に生きたかった』
夜坂葵が記憶を失ってもまた口にした願い。
魔王ルシフェリア・ニーベルング──咎崎乃愛にとって自身を追いやったこの異世界は紛れもなく間違った世界。
自身の復讐よりも、彼の願ったこの地が彼をどう祝福するのかを乃愛は見てみたい。叶うならばずっと隣で、と。
息を切らし、やっと辿り着いた冒険者ギルド前。両膝に手をついて息を落ち着かせる。
舞い上がり過ぎているのは彼女自身自覚しているだろう。
しかし、仕方のない事だ。現代社会で生き難いと言っていた葵が、この間違った世界でどう生きるのかが乃愛にとって楽しみで仕方がないから。
だったのだが、
「ほら、この方ですよ!」
「ああ、うん。ありがとう」
冒険者ギルドの開かれた窓の先で、先程の聖職者の少女が葵の手を引いているのが見えて乃愛は表情を曇らせた。
そういえば、よく一緒にゲームをした。
アニメや映画、ドラマを一緒に鑑賞した。
同じ小説や漫画を読んだ。
乃愛の趣味とは葵の趣味と言っても過言ではない。そうして同じ物を見て来たからこそわかる。
夜坂葵は、いわゆる守ってあげたい系ヒロインが好きだ。
彼はよく喧嘩をしていた。
やり過ぎて自分で自分の身体を潰したり、警察の御世話になったりとしていたが、ほぼ総てが誰かを助けに入った結果。記憶を失ってもそれは変わらなかった。つまりそれは夜坂葵という人間の本能である。
──……よく考えたら、私って真逆じゃないか?
若干十歳にて魔王となり、その力を恐れられた事と複数の理由により霧の国ニブルヘイム諸共他の魔王によって追放されたルシフェリア・ニーベルング。
ハッキリ言って、守ってあげようなどと毛程も思わない。
ハムスターや犬を可愛がる者が鬼を可愛がる事は恐らくない。ワニやライオンを可愛がる動物愛好家はいるが、鬼はそもそもそういう存在じゃないのだ。
「は、ははは……」
乾いた笑い。
真昼間だというのに乃愛の周囲だけ空気が暗く重い。始まったばかりというか未だに冒険の一つもしていないのに雲行きが怪しくなって来た。
「いや、落ち着け咎崎乃愛。今の私は葵と同じ異世界初心者、そういう設定だ」
葵がどういう性格かなど知り尽くしている。伊達に恋人をやっていた訳ではないと、乃愛は砕け散った心をゆっくりと拾い集める。
「葵が一緒に遭難した女を見捨てるか? いや、そんな事はない。なら私は彼の中でそういう対象のハズだ」
事実である。実際に葵はこの世界で彼女を守る為に今情報を集めながら考えを整理している真っ最中。
心に言い聞かせながらぶつくさと大通りのド真ん中で呟いている自称ヒロインは、よしんばヒロインだとしても横を通り過ぎる街の者達からしてみれば関わりたくない変人だ。が、しかし乃愛は周囲の人間など眼中にない。というか葵の事しか考えていない。
「そうだ。ルシフェリアじゃない、咎崎乃愛だ。アタッカーじゃなくて守ってもらうヒーラーになればいい」
ゲームでいえば葵はまず前衛を好む。それならば後衛になればいい。
「あ、でも褒めて貰うのもいいかもしれない」
七年前とはいえ元魔王。前衛でなくともアタッカーであれば余程の事がない限りは余裕。ゲームでいうなら魔王の力をほんの少しでも使えばチート級だ。
活躍すれば頭を撫でてくれるかもと妄想して頭を抱える乃愛。
が、視線の先の聖職者が腹立たしい。故に、
「よし、神官になろう」
ヒロイン枠は自分であると言わんばかりに適正診断書に神官の適正を記入する。
それを終えた所で、冒険者ギルドから歓声が上がった。
気になった乃愛は首を傾げながら冒険者ギルドへと入り、とある人だかりに視線を向ける。
その中心には話題の中心である葵が立っていた。
「狂戦士適正Sランクだってよ」
「マジか。あんな見た目して狂戦士かよ」
特に聞き耳立ててなくとも聞こえて来る話し声。その内容に乃愛は納得する。
殴り過ぎて腕を折った事もある彼、先天性無痛症である事を考えれば当然と言えば当然の適正。危なくとも突っ込むその性格を考えてもそれが妥当。
そして、少し感動する。自身は魔族であり神官に向いているとは全く思えないが、神官と狂戦士といえば相性はこの上ないからだ。
「思った通り、魔法系は全滅なんだね」
近付き、声をかけようとした所で葵の声が聞こえる。彼としてはどうやら狂戦士の適正に不満があるようだ。
「ねえ、Cランク以上ならどれを選んでもいいんだよね?」
「え、ええ。でもSランクの適正があるのに他を選ぶのはオススメしませんよ?」
「いいよ、適正Bの密偵で。その方が便利そう」
「え、あお……ッ」
葵と呼ぼうとして口を紡ぐ乃愛。密偵といえば前衛でも後衛でもない、言わば遊撃系。神官との相性が悪いという訳ではないが、気配を消す密偵と回復職の神官では明らかに神官が狙われる。
「あ、咎崎。帰ってたのか。今密偵で申請した所なんだ、け……ど。どうかしたの? 顔色悪く見えるけど」
近寄って来る葵。今葵は注目の的であり、それが近付いてくれば乃愛にも視線が集まる。今この状況で適正診断書を書き直すのは不可能だろう。
「い、いや大丈夫。そっか、密偵かー」
徐に視線を明後日の方向へ向けて、あからさまに不自然な声を上げてしまう。
が、そのおかげで後ろ手に隠している適正診断書はまだ見つかっていない。
「咎崎も見てもらいなよ。適正診断を受けないと冒険者になれないんだ」
「え? ああ、いや……私は、その……」
言わずもがな。適正診断など受けてはならない。どう転がっても大騒ぎになる。
しかし、密偵と相性がそれ程よくない神官で提出するのは気が引ける。何より二人で冒険に出れば間違いなく魔獣達が総出で神官を狙うだろう。
「わ、私は別の場所で診断して来たんだ」
とはいえ、騒ぎは避けねばならない。後ろ手に隠していた適正診断書を葵に見せる。
「神官B……だけ?」
聖職者の少女が呟く。
葵に護って貰う事と、聖職者の少女へのライバル意識で、神官以外考え付かなかった。故に、他総て適正なしと記入してしまっていた。
「こっちの嬢ちゃんは……普通だな」
「まあ、似合ってるしいいんじゃないか?」
周りの冒険者が好き勝手言っている。目の前にいるのは魔王だが、そんな事彼等が知った事ではない。
「おいどうすんだ? 神官と密偵は……まあ神官が逃げ回れば問題ねえと思うが」
聖職者の少女の隣、屈強そうな戦士の男の声。苦笑いを浮かべて葵へと語り掛ける。
葵は腕を組み、何やら天井を見上げ、
「まあ、何とかなるよ」
職を変える気はないと告げた。
「はは……どうしてこうなった」
かつて最強の魔王と謳われたルシフェリア・ニーベルング。咎崎乃愛として神官になる事を決めた彼女であったが、ヒロインへの道は険しいものになりそうだった。
四日目の更新です。前途多難ですが、大丈夫かこの二人。




