表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
楽園変生 第一部 ──不死の随伴者──  作者: 紅葉 昂
第一部【不死の随伴者】
7/52

第005話

「あ、先生帰って来たー」


 そこは診療所。扉が開いた音に中にいた子供五人がバタバタと音を立てて玄関口に駆け寄った。

 が、子供達は玄関口に立つ白衣の女を見て呆けている。


「ただいま。ごめんね、急患だから今日は帰りなさい」


 否、白衣の女──クーラを見ていた訳ではない。彼女が背負い、荒い息を吐く銀髪の少女──乃愛を見ていた。


「ねえ、大丈夫?」


「ほらほら、心配してあげるなら道を開けなさい」


 乃愛の衣服を引っ張り、首を傾げ、正面に回って乃愛の顔を覗き込む。五人の子供はそれぞれ乃愛を気にかけていたが、クーラの言葉に声を揃えて返事をして玄関から飛び出ていく子供達。

 それを見送った後で、クーラは「やれやれ」と呟いて歩き出し、すぐ傍にあった階段を上がる。


「今のは、人間の子供だな」


 二個目の階段にクーラが足をかけた所で乃愛が口を開く。しかしその言葉は妙だ。明らかな物を見ておきながら、それを問う必要があるだろうか。


「はい。今の私は医者ですから」


 三度階段を上がり、辿り着いた先でクーラはカーテンを払い除け、窓を開ける。射し込む陽光に照らされて、乃愛は眩しそうに目を細めながらもその光を見上げた。


「ありがとう、後は自分で出来る」


「承知致しました」


 屈んだクーラの背からゆっくりと降り、羽織っていた葵の制服を腕にかけ、背中の破れた上着を脱ぎ捨てて床に落とす。

 セーラー服の胸元にあるブローチを外し、スカーフを解いてその下のブラウスのボタンを上から下へ外していく。

 腕にかけた葵の制服で胸を隠しながら、半裸となった乃愛は陽の光に背を向けてから僅かに艶のある吐息を漏らした。


 羽根が舞う。


 透明に見えてしまう程に薄く、粉雪のように宙を漂う羽根を舞わせ、乃愛の背中より生えた翼は狭い室内に大きく広げられた。


 比喩的な表現の必要もなく、その姿は正に天使そのもの。


 まるで人間が手足を広げて身体を伸ばすように、天使は翼と背筋を伸ばして気持ち良さそうに息を吸い込み、吐いた後で翼を小刻みに震わせた。


「典型的な魔力の枯渇症状ですよ、陛下。この七年間、どこにいらしてたのですか?」


「陛下はやめてくれクーラ、私はもう魔王じゃないんだ」


「何を仰いますか! 貴方様は──」


「クーラ」


 詰め寄るクーラの名を、まるで子供を言い含めるようになだめる乃愛。

 クーラは言いかけた言葉を呑み込み、跪くように膝を落とした。


「それにしてもお前が人間の街で医者か。私の周りにいた者達は皆人間嫌いだったと思うが……」


「……ニーベルング家、霧の国ニブルヘイムがなくなってから七年。私は貴方様の復権を信じ、人間の出入りが多いこの街で潜伏しておりました。貴方様であれば、魔族の侵攻が少ない土地で人間を隠れ蓑にすると思いましたから」


「魔族は皆私を狙っているから、か?」


 笑いながら口にする乃愛にクーラは沈黙で答える。

 ふとその視線が乃愛の脱ぎ落した制服の破れた部分に行きつき、クーラは拾って立ち上がり、乃愛に背を向けて歩き始めた。


「まったく、気持ちの悪い世界な事だ。たった一人の女の貞操を狙って大軍が攻め込むなんて、私のいた世界では聞いた事がない」


「私のいた世界、ですか? それはどういう……?」


 部屋の隅にあった机の引き出しから裁縫道具を取り出したクーラは、破れていた乃愛の制服を縫い始めていたが、乃愛の言葉にその手を止める。


 咎崎乃愛と、ルシフェリア・ニーベルング。


 ……そう、二つの名を持つ彼女にとって、


「私はな、クーラ。あの戦いの果てに異世界に飛ばされる事で生き延びた。……まあ、あちらの世界は魔力が存在しない世界だったから、こうして魔力の回復をするのは実に七年ぶりになる」


 葵が初めて降り立ったこの異世界こそが故郷。


「魔力のない異世界、ですか。異世界など、ただの迷信かと思っていましたが」


 呆気に取られるクーラを見て乃愛は笑ってしまう。事実、乃愛もかつてはそう思っていたのだろう。


「嘘を言っているように思うか?」


「いえ、そのような……。寧ろ、であれば納得です。天使族でもあり、魔族でもある貴方が魔力の枯渇など、そのような途方もない話でなければ起きにくいかと」


「天使は昼夜に関わらず、陽の光を翼に浴びせれば。魔族は夜の空気を吸って魔力を回復する事が出来る、か。そんな事、随分と忘れていた気がする」


 懐かしむように笑みを浮かべ、乃愛は翼を折る。クーラの下へと足を運び、自身の衣服を縫っている手慣れた手つきを見て感心した後、その肩に手を置いた。


「人間嫌いなお前が私の為に七年間も耐え続けてくれた事、嬉しく思うよ。ありがとう」


「陛下……」


 優しく微笑んで来る乃愛にクーラは目を奪われる。やがて潤んでいく瞳は涙を零し、それを隠すようにクーラは俯いた。

 肩を抱き寄せ、その手を後ろに回して子供をあやすようにクーラの髪を撫でる。

 従者を置いて逃げ延びた事。仕方がなかったとはいえ、少なからず乃愛には罪悪感があった。七年もの間、自分を待ってくれていたのなら尚更だ。


「でも陛下はやめれくれ。異世界の私は普通の一般人なんだ」


 王と呼ばれた彼女。しかし七年も前となると十歳だ。十歳からの思春期を現代で生きた乃愛にとって、年上の人物から敬われるのは慣れないようだ。


「では、何とお呼びすれば……」


「咎崎乃愛。それが今の私の名前だ。陛下をやめてくれれば、元の名前でも構わない」


 言い終えた所で、乃愛はクーラの頭を撫でていた手を掴まれる。

 その肩がワナワナと震えている事に、何やら嫌な予感を感じて乃愛は後退りしようとするが、腕を掴まれているのでそれは出来ない。


「では、ルシフェリア様。あの人間の若造とはどういった御関係で?」


「え? え、見てたの?」


「この街においで下さったその瞬間から、じっくりと」


 即答。

 その答えに乃愛は苦笑する。自分がどういう態度をしていたか、葵と何を話していたかを思い出しながら、客観的に見ればそれがどう見えるかを考えた。


「大変仲がよろしいようで」


「あはは……」


 どうやら見抜かれている。言い訳をしない方が今後の為にもなるのだが、果たしてどう説明すればいいものか。

 関係としては複雑だ。

 そもそも今はクーラの考えているような関係ではない。


「御話し頂けるまで服は返しませんからね」


「中々鬼畜じゃないか」


「魔族ですから」


 クーラの笑顔はまるで子供のようで、それでいて凄みがあるのは年長者であるからか。何にせよ、その悪魔の微笑みに乃愛はため息を吐いた。











「え? じゃあ冒険者ってどんな職を選んでもいいって訳じゃないの?」


 冒険者ギルドの酒場。

 先程まで光の射し込まなかったその店内は明るくなっている。

 どうも蝋燭が切らしていたようなのだが、周囲の冒険者が雰囲気を出す為にわざわざカーテンを閉め切って薄暗い店内にしていたようだ。

 いい加減仕事がし辛いと怒った女性店員が顔を真っ赤にして今もカーテンを開け回っている。

 そんな当初のイメージをぶち壊す陽気な冒険者達が集う酒場の隅っこ、葵はテーブルを挟んだ先にいる二人組の男女にそう言った。


「うん。初めの武器や防具は支給されるから、その支給品もただじゃないし、不向きな職を選んだ新米冒険者に支給したら、装備が無駄になるじゃない?」


 確かに理に適っている。葵はそう考えるが、自由に職が選べないとなると審査がいる、試験がいるという事だ。

 今日泊まる宿代すらない状況だ。試験や審査に数日いるのであれば他に金を稼ぐ当てが必要になる。


「あ、でも心配しないで。審査はすぐ終わるの」


「え? どのくらいなの?」


「十秒くらい」


「テキトー過ぎない?」


 いくら何でも彼の言う通りだ。


「審査は資格を持った聖痕(スティグマータ)持ちが適正を見るの。冒険者ギルドにもいるし、冒険者の中にもいるよ」


──いきなり話が厨二臭くなってきたな。


 聖痕と言えば、聖なる傷痕の意味。

 神によって与えられた物や、磔にされたキリストの身体に浮かび上がったなど、説は色々あり、葵は部屋にあった小説で何度かその単語を見ている。

 基本的に、聖痕を持つ者には超能力がある。常人の持ち合わせていない非科学的な力。


「で、この世界……じゃなくて、聖痕っていうのは?」


 思わず「この世界での聖痕の意味は?」などと問い掛けて聞き方を変える。異世界からやって来ましたと言っているようなもので、確実に話がややこしくなると思ったからだ。


「聖痕は聖痕を通じて知覚する事で対象者の様々な事を知る力。例えば──」


 言って、聖職者風の少女は葵の手に触れる。瞬間、慌てた様子で席を立った。


「左腕どうしたの、骨にヒビ入ってるよ!?」


 彼女は机にかけていた杖を素早く手に取り、葵の左腕に逆の手を向けた。


 魔法が起動する。


 杖の先端にあった碧い宝石に光が灯り、その光がいくつかの光の線を作り、杖を伝って彼女の左手から袖の中へ。肌の上を撫でるように光の線は彼女の二の腕へと流れていく。


 それはまるで、電気が導線を走るように。


 後に現れた魔法陣は足元から彼女を照らし、いかにもという碧い光が少女を染め上げる。


挿絵(By みてみん)


「“ヒール”」


 光が葵を覆い、一呼吸程の時間で消え失せる。

 初めて魔法を体験した葵にとって、その不可思議な光景は思わず見惚れる程。

 少し機械的なメカニズムが垣間見えたが、何もなかった所に浮かび上がった魔法陣だけでも、どの創作物よりも目の当たりにしたからこその臨場感が湧いた。


「これでよし!」


「ありがとね」


 役に立てた、と満足そうに少女はいかにも女の子らしく愛らしいガッツポーズをして椅子に座る。

 しかし、


──……ま、痛くなかったから治ったのかどうかもわからないんだけどね。


 夜坂葵は痛みに気付けない先天性無痛症。臨場感は湧いたが、効果の実感は出来ない。寧ろ魔法を受けた際に僅かに痛みを覚えた気もするが、と魔法の初体験だというのに葵は心の中で落胆する。


「話が飛んじゃってすみません。見ての通り私も聖痕を持ってるの。私は右手だから、右手で触った人の怪我の具合や場所がわかるって感じかな」


「なるほど。聖痕は人によって場所が違うのか。って事は能力も?」


「そうだよ。だから私は審査資格がないの。聖痕の多くは対象者の向き不向きを見る能力だったりするから、それが出来る聖痕持ちに御願いしないとね」


 と、そこで葵は一瞬だけ表情を険しくする。

 彼女は最初に“適性を見る”と言い、聖痕持ちは冒険者ギルドだけに所属している訳ではないとも言っていた。

 だが今“聖痕の多くは対象者の向き不向きを見る能力”と付け足した。

 つまり“もし敵対する人間がいた場合に力量に関わらず不利になる”という事だ。

 葵は元々、人間が敵にならないなどと楽観的に考えてはいない。冒険者ギルドや商人がいるくらいだ。野盗や山賊、そういった暴力的な集団もいる。そういう者達の中に聖痕持ちがいれば、何も知らないで戦っていればまず勝つ事は出来ないだろう。


──厄介だなぁ。都合よく僕にも特殊能力が備わるような事も、今の所期待出来そうにないし。


 そこで脳裏に浮かべるのは乃愛の顔。

 彼女が戦えるとは到底思えない。異世界に共に飛ばされた数少ない知人とわざわざ別行動する気は葵になく、であるからこそ女を守るのは男の役目だろうと考えていた。

 職選びを慎重にせねばならない。向いている職よりも欠点を補うような職を選ぶべきか、その逆か。

 乃愛と別れたすぐ後に、職の傾向や種類についてを教わった。護るなら魔法職よりも近接職。近接職でもあまり重装甲……所謂タンクと呼ばれるような職はいざという時に動けない恐れがある。


「ところでさ、みんな持ってるそれは?」


 考えを纏める為にも情報は必要。葵が次に気になったのは周囲の冒険者が首から下げたり、目の前の聖職者の手首にある腕輪。

共通して文字が刻まれているプレートの部分がある装身具を、皆が好みでつけている訳ではない。

 恐らくは冒険者の証。

 その材質が人によって変わっている事を除いては勘のいい葵に理解出来ない物ではない。

 その材質の事に関しても薄々理解はしているが、聞いておく必要がある。


「これは冒険者の証だよ。ある程度の強さで違う材質の物がギルドから支給されるの」


 周囲に最も多いのは木製。次に銅製のプレート。他の材質を持っている冒険者は見える範囲にはいなかった。


「私達は傭兵級(ハイアリング)で、慣れて来た冒険者達が実力を認められるとこの銅製のプレートを貰えるの。最初は奴隷級(スレイヴ)で木製ね」


 という事は周りにいる冒険者達の多くは新人や凡人。見た目的にはガタイのいい男も木製だった。

 という事は、目の前にいる少女はそれより強いという事になる。

 確かに、魔法という概念がある限り身体能力だけでは強さを測れない。当然それも冒険者としての功績であって、目の前の少女と周りの奴隷級の冒険者が一対一で戦った時の勝敗に関係する訳ではない。

 そもそも補助職や回復職は一対一の対人戦を想定している職ではないのだから。


「奴隷級から傭兵級に。傭兵級から守護級(ガーディアン)になると、冒険者として一流。銀色のプレートが貰えて、運が良ければ王国の騎士としてスカウトされる事もある。大型の魔獣も一人で倒せるような実力者だから当然ね」


 周囲には銀色のプレートの者達はいない。流石は異世界ファンタジー。どうやら最初に辿り着いた街はゲーム風に言うなら始まりの街そのもの。

 セオリーといえばセオリー。しかし葵がそれを笑う様子はない。むしろ周りの強そうな冒険者達が奴隷級や傭兵級である事に、それよりも強い守護級が“銀色のプレート”である事に表情を曇らせている。

 そしてその銀のプレートを持つ冒険者が、大型の魔物を一人で討伐するという現実的には難しく思える事を成し遂げる猛者である事。

 銀といえば金が上に来る。これはどんな人間でも思い浮かべる共通認識だろう。異世界創作物に触れていれば尚更だ。

 ならばその守護級よりも強い存在がいるという事だ。それは勿論敵にしろ味方にしろ、人外と人間の両方に。


「で、じゃあ金は?」


「金のプレートは聖戦級(クルセイド)で、人間の限界に達した人達。各ジョブマスターや王国の騎士団長、前線で戦う冒険者。魔獣よりももっと高位な魔族と戦う事の出来る人類の希望、かな」


「魔族、ねえ……」


 魔獣というのが獣、異世界の獰猛な動物の事ならば、魔族というのはどういう存在か。


──さっき蹴り飛ばしたあれは、魔族と魔獣のどっちなんだろう。


 異世界に降り立ったその時に出くわしたゴブリンを思い浮かべる。

 ギャグと思える程呆気なく蹴り飛ばす事が出来たあれが魔族なら、恐らくこの世界の人間は恐ろしく貧弱という事になりかねない。

 しかし流石に「ゴブリンは魔族ですか?」なんて聞こうものなら笑われるだろう。

 聞きたくて堪らないが、保留にしようと葵は判断する。


「ゴブリン族を始めとする魔族は──」


──魔族かよッ!


「──高い知能を持ってて各々の文明を築いているの。ゴブリンは魔獣に近い存在だけど、高位なゴブリンは人語を話す事も出来る。けど気性は荒く、今まで人間と友好関係を結んだ事はないの」


 途方に暮れる葵。

 簡単に撃退出来たあれが魔族か、と。

 異世界ファンタジーありきの無双設定かと、周囲の強そうな冒険者達を眺めながら落胆する。

 共に異世界に来た咎崎乃愛を守るという目的はどうやら余裕そうだと、落胆とは別に安堵する心もあった。


「他にも“夜の魔族と戦うな”っていう言葉があったり……って、説明ばかりで飽きちゃった?」


「いや、必要な事だし。とても助かってるよ」


 その様子を見た聖職者の少女は首を傾げながら苦笑いを浮かべていた。そんなに顔に出ていただろうかと、葵は一度片手で顔を覆ってから気を引き締める。


「でも、これだけはちゃんと覚えておいて。最も危険なのは人間に近い形をした魔族だって事」


 急に彼女の雰囲気が変わった。

 先程までは柔らかい印象であったが、気が緩んでいる葵に釘を刺すように険しい面持ちと声色をしている。


「それぞれの魔族には必ず長や王がいるの。最下級魔族のゴブリンだったとしても“人の形に近ければ近い程に”その知能も力も桁違いだから、もし見つけたら絶対に逃げて」

三日目の更新です。

読んで頂けてとても嬉しく思っております。はなよう共々頑張っていきますので、何卒応援よろしく御願い致します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ