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楽園変生 第一部 ──不死の随伴者──  作者: 紅葉 昂
第一部【不死の随伴者】
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第049話

 紅い海。霧がかった水面に広がる波紋。それは紅い海に滴り落ちる水滴によって作り出され、広がり終える前に小さな波に飲み込まれる。


 紅い海に注がれるは血。


 同じ色、同じもの。混ざったところで何も変わらず、しかし絶えず滴り落ちる。それは空から降っている訳でも、無から滴り落ちている訳でもない。


『ああ、ダメよ。もう……たまらない、たまらないわ』


 紅い水面に横たわる一人の男。かつてはアインと、そして今は葵と呼ばれる男に跨る女がいた。ある時は直接、ある時は拾い上げ、毛先の蒼い白髪の女──ヒュドラは男の胸の中にある臓器──心臓を貪っていた。


 天を仰いで喉を鳴らし、唇から溢れた血を拭い舐め、指先や爪の中、手の平にこびりついた肉片を付着した血と共に啜る。


『美味しい、美味しいわアイン。貴方の想い、激しくて…………私の中で蠢いてる。嬉しい。もっともっとって、私を求めてくれるのね』


 白い髪も白い服も、その指先も唇も、横たわる葵の血で紅く染めながら、胸の穴に顔を埋めて心臓を食い破り、目をキラキラとさせながら頬張る。整った顔立ちからは到底想像出来ないその行いには品性どころか人間性もなかった。


 産まれたばかりの赤子か、まるで獣のような。


 喰われ続ける葵の身体は無抵抗。そもそも既に意識はなく、ただ喰われるがままに身体を揺らし、紅い海に新たな波を作るだけ。


『でもダメよ、もう食べちゃったもの──』


 しかしその時、歓喜に満ち満ちていた表情が一変した。血に塗れた白く長い髪を翻し、葵の下半身に跨ったままヒュドラは振り返る。その蒼き瞳が捉えたのは鏡か、瓜二つの者がそこに立っていた。


『…………誰?』


 問いかける。それが鏡ではないからだ。対照的に紅い瞳を持つ白髪の女。白く全身を包むヒュドラのドレスとは反対に露出の高い黒いドレスを身に纏い、優し気な顔立ちのヒュドラと真逆に他者を見下す顔立ちをした者。


 似ているようで似ていない。瓜二つの二人はただただ真逆。


 腕を組み、険しい表情を浮かべる黒衣の女は倒れ伏す葵の姿を見てピクリと眉をひそめた。


『問う知恵が働くならまず名乗れ。寛大な私の気が変わらぬ内にな』


 その紅い瞳は次にヒュドラを射抜く。言葉ではそういうものの、その瞳の奥には敵意が宿っていた。


『ヒュドラ。本当の名前はもう忘れちゃった』


 しかしヒュドラにその気はないのか、答えた後すぐに指についた肉片と血を舐めとっては視線を後方の女から葵の心臓へ移す。何の躊躇いもなく胸の中に右手を突き入れ、葵の心臓の残骸を掴み、引きちぎる。もう残っていないかどうか胸の中を覗き込み、満足げに頷いて残りのそれに恍惚とした視線を向ける。


『……そうか。まあ私も似たようなものだ。お前にもコーラスと名乗っておく』


『ふーん、そう』


 かぶりつき、音を立てて喰らう。食べながら「美味しい、美味しい」と繰り返しながら。それがもしスイーツであれば見ようによっては可愛げのあるものだろうが、生々しいにも程がある心臓をスイーツに見立てる事など出来るハズもない。


『ごちそうさま。待っていてくれてありがとう』


『ああ。それが何であれ、食事の邪魔をする趣味はない』


 それ、と顎で指して言うコーラスは組んでいた腕を下ろし、可愛らしく飛んで身体を振り向かせたヒュドラと向き合う。


『それで、お前は何だ? なぜ(それ)の中にいる? あの剣は何だ?』


『一度にそんなにたくさん聞かないで』


『順に一つずつ話してくれていい』


 首を傾げながら笑うヒュドラと呆れるようにため息を吐くコーラス。どうにも二人の性格は合いそうにない。


『私は私。いつから私なのか覚えていないけど、いろんな世界を渡り歩いていたらある星で捕まっちゃったの。みんな私を神だとか宇宙人だとか言っていた』


 神。宗教によって異なる意味合いを持つ言葉ではあるが、総じて人知を越えた存在である。中には天地万物を創造する程の力を持った者もいると、そういう“設定”をコーラスは知っている。


──どうやら私と似ているのは姿形だけじゃないらしい。


 人知を越えた存在。その最も身近な存在は宇宙人だ。もし宇宙を彷徨う人型の存在がいてその者に不思議な力が宿っていれば、人によってはその者を神と呼称しておかしくはない。

 当然、神を捕獲するような者達が神を崇める者達でない事くらいは誰でも理解出来る。徹底的な調査、検査、研究が行われるのは明白。その力を我が物にする為に、ありとあらゆる方法を用いた実験が行われる。

 人間はいつだってそうであると、コーラスは知っている。


『アインの中にいるのは、アインがあの剣の持ち主だから。……私の飼い主だから』


『……飼い主を食べたのか?』


『ごはん』


 頭を抱えるコーラス。これは聞き方を変えなければならないと、視線を背けて言葉を選ぶ。刹那、ヒュドラの両手がコーラスの胸に添えられ、その谷間に頬を埋める。


『貴方も……とても美味しそう』


『……触るな』


 ヒュドラの雰囲気が穏やかで油断していたか、コーラスは三日月のような軌跡を描いて右肘を振るう。しかしそれは元の位置へ飛んで逃げるヒュドラの蒼い毛先を斬るだけに終わった。


『ねえ、次は貴方を感じさせて? 貴方はきっと……アインと同じくらい激しいと思うの。私の中が貴方でいっぱいになるくらい』


『神造兵器“力の奴隷(Dyne-Slave)”……だったか? 字面を踏まえれば、お前が造ったものになるが……』


『……残念。そうね、あれは私の半身。人々が望み、分け与えたモノ。貴方達風に言うとそうね…………法則と同じもの』


 取り次ぐ島もないコーラスにヒュドラは残念そうに視線を下げ、その後は懐かしむように瞼を閉じて言葉を並べる。


──人々が望み、分け与えたもの、か。メリアスと同じように星に芽吹く神……豊穣神といったところか。


 豊穣神。別名を地母神。名の通り豊穣を司る神であり、その加護は人々に生きやすい世界をもたらす事。世間一般的な意味合いとしては多産や肥沃だが、ヒュドラの場合は違う。


 あの剣はそういった類のものではない。半身や分け与えたというからには元々彼女の力であり、神と呼ばれた彼女の絶対的な力の一部を人の身で使えるようにしたもの。


『……なるほど。剣の所有者はさしずめ生贄。お前の力を行使する為に捧げられる供物という訳か』


『アインは私の為に作られた。だからとても美味しかった。今まで食べた誰よりも、ずっとずっと』


 コーラスは鼻で笑う。それは今吐かれた言葉が原因ではなく、先の言葉が原因。


──法則と同じ、か。笑わせる。


 まるで一緒にするなというように、僅かに細めた視線でヒュドラを睨む。


『それを聞きに来たの?』


『いや、当然別件だ』


 コーラスはそういえばというように答え、その視線をヒュドラから葵に移す。その視線を追ってヒュドラも葵を振り返り、交互にコーラスを見ては首を傾げた。


『もしかして食べちゃダメだった? 貴方のだった?』


『………………いいや、この葵は私のものではない。私の要件は自動にしていた私の力が働かなかった事についての原因究明だ』


 言ってコーラスは腕を組む。呆れるような視線を葵に向け、ここに来て何度目かになるため息を吐いた。コーラスの言うコーラスの力とは“不死の王”である事は明白。受けたダメージが死に近ければ近い程に急速に再生を遂げる不死の力が働かず、動かなくなった子孫を見ての行動という事。


 原因が別の神の干渉とあらば仕方ないかとコーラスは頭を抱えた。そのまま考え込むように顔を片手で覆い、ヒュドラに視線を向ける。


『今(それ)がいる世界にはかつて私を含め二人の神が降り立ち、神は世界に一人でいいと二人の外なる神はその星で生まれた神を巻き込んで争い、戦った』


『……貴方は負けたの?』


『いいや、私は和解したよ。私は私自身がこの世界に干渉するのをやめた。私は人間が嫌いだが、この星で生まれた神はそうではなかった。……見てみたくなったんだ。私と違う神がどう世界を祝福するか。だから干渉をやめた私がお前を滅する事もない。そこは安心していい』


 僅かに身構えていたヒュドラがその言葉を聞いて安堵するように笑みを浮かべる。


『しかし座においての退屈しのぎを奪われるのは御免でな。お前に用はないしそこの男にも用はない。……だが、お前の食べた心臓には用がある』


 そう言って眼前で手を広げるコーラスの指の先に現れるは紅い結晶体。それを見た瞬間、飛び退いたヒュドラだったが、違和感を覚えた腹部に手を添え、コーラスを睨みつける。


『返してもらうぞ。まだ私は物語の続きが見たいからな』


 握り潰した結晶体の中から現れたのは心臓。脈打つそれを手にして、コーラスの姿は紅い海から消滅した。











 うつ伏せに倒れた乃愛が胸を押さえて苦しみ始めてから数十秒が経過した。イオリアはどうしていいかわからず、辺りに広がっていく乃愛の血を見ながら顔を覆っていた。


「死なないんでしょう? ねえ、乃愛──」


 そう言って乃愛に触れようとしたイオリアの手が止まる。先程まで苦しんでいた乃愛が急に動かなくなったからだ。だが、死んでいない。死んだと思って手を止めた訳ではない。


 風が変わった。


 先程の葵もそうであったが、まるで別人。凄まじい嵐を目の当たりにするように、イオリアは短い悲鳴を上げて後退りする。それを合図にするように動きを止めていた乃愛が立ち上がり、自身の姿を見下ろした後で葵に視線を向けた。


「世話が焼ける」


 言いつつ手足に絡みつく鎖を眺め、鼻で笑って長い髪を払うように腕を薙ぐ。瞬間、その両手両足を覆う結晶が現れ、即座に砕け散る。鎖をも消し去った結晶の破片が舞い散る中で右手は胸元へ伸び、心臓を挟んで背中側に再び紅い結晶体が隆起する。


 翼の如く飛び出した紅い結晶体が砕け散ると同時に、乃愛の身体はまるでゼンマイの切れた人形のようにしてその場に倒れ伏す。その倒れいく中でイオリアは元の乃愛の風を感じて我に返り、うつ伏せに倒れた乃愛に駆け寄って抱き起こす。


「服が……」


 ヘリオスとの交戦でボロボロに破かれていた衣服の一部、手足と胸元の部分の破損が消失していた。他の部分は変わらず悲惨な事になっているが、破損が消失した部分は汚れ一つも存在しなかった。

 乃愛の話では“不死の王”の結晶体は、その結晶体が包んだ部分の破壊をなかった事にする力だった。故に服の破損も同時に行われるが、乃愛の両手両足に絡みついていた鎖が消し飛んでいる理由がわからない。


 イオリアは困惑するも、もう何が何だかわからない中で生きている乃愛の体温を感じてホッと胸を撫でおろした。


 とりあえず友達が無事でよかった。


 そんな笑顔を浮かべるイオリアの背後に迫る影。小さな声で「逃げろ」と必死に伝える乃愛の言葉を聞いて振り返るイオリアを突き飛ばしたのはシャーロットだった。


「くっ、まだやる気なの……!?」


「動くな! 動くとこの女の心臓を潰すわよ!!」


 武器を持たないイオリアが身構えつつメッザルーナの在り処を視線で探す中、シャーロットは意識が朦朧としている乃愛の身体に跨って乱暴に胸を鷲掴む。シャーロット自身も動揺してはいるが、全員が正気に戻る前に動いたのは正しい判断だった。


 荒い息を落ち着かせながら周囲を見渡すシャーロット。ヘリオスが死んだ今、彼女が逃げ延びるには意識が朦朧としている乃愛を人質にして周囲の者を無力化する必要があった。当然、法則の力は健在であり、法則がなくとも武器を持たないイオリアや手負いのヴァナヘイム軍など倒すに容易い。


 しかしヘリオスを倒した葵は別だ。自分より遥かに上の戦闘力を持つヘリオスを失ったシャーロットは、その葵の動きを完全に止める必要があった。


 だが、肝心の葵が見つからない。どこにもいない。故に何度も周囲を探す。シャーロットの誤算は気が動転し、乃愛にかまけて葵が“飛び上がったのを”見ていなかった事だ。


「くッ、どこに──」


 着地する葵とシャーロットとの距離はほぼゼロ距離。降り注いだ絶望に法則を使う暇はなく、葵の突き出した魔剣ダインスレイヴがシャーロットの下腹部を串刺しにした。


「ぐ、ぁあーっ、痛、いたっいィ……」


 そしてその誤算は敗因に繋がる。人質とはそもそも人質の安否を気遣って身動きが出来なくなる者にのみ有効な手段。今までの葵であれば少しばかりの時間稼ぎにはなったのかもしれない。


「気に入らないな」


 しかし今の葵には無意味だ。ヘリオスすらも圧倒した強さを持つ葵にとって、そして過去を思い出した葵にとって目の前で乃愛を人質にする事に意味はない。危害を加える者がその場にいるなら殺してしまえばいいと考えるから。


 当然人質に取られた乃愛が傷つけられる場合がある。いくらそうさせない為にやられる前に殺すと考えた所で、傷つけられる可能性はゼロではない。だが普段の葵なら絶対に避けるべきだと考えるその可能性は、過去の葵はそうではない。


 乃愛を大切だと微塵も思っていない過去の葵にとっては、どうせ腕を斬り落とされても生えてくるんだろと、その程度の感覚にしかならないのだ。


 今の葵は二重人格という訳ではないが、人間の行動判断基準が過去の経験や記憶に左右されるのであれば、今の葵がいくら乃愛を大事にしようと考えたところで、それ以上の年月で乃愛を道具として扱っていた葵の記憶が優先される。

 ただし、所有者は所有物をないがしろにしたところで、それを奪おうとする輩に容赦はしない。


 つまりどちらにせよ、むしろより一層、咎埼乃愛に仇成す総ては二つの記憶を持つ夜坂葵によって全力で排除される。


「何でアンタ達魔族も血が紅いのさ? そうじゃなきゃ道徳に反しないのに」


 片手で持ったダインスレイヴを持ち上げ、シャーロットを見上げる葵はそう吐き捨てる。串刺しにした相手を眺めるその冷めた表情に道徳を語る資格はない。


「何で、どうしてぇ……法則が、使えな……かふッ」


「ああ、確か触れたものを振動させるだっけ? けど残念だね。この剣には法則は効かないみたいだ」


 シャーロットは今乃愛の上で持ち上げられ、その手足は何も触れない。触れるのはダインスレイヴのみ。しかしその剣は法則を受けつけない。残念とはどの口が言う。完全に狙ってやっている。している上で、葵は今この状況で笑みを浮かべている。


 ヘリオスのオリハルコンでも斬れなかった剣。オリハルコンをも消滅させた砲撃。それを成し遂げてなお、その剣に法則が適用されると恐れるなど愚者以外の何物でもない。


「ご、ごめ……んなさぃ。もぅ、何も……何もしないからぁ……ぁぐ、見逃して……下さ、ぃ」


 命乞い。もはや成す術がない故に当然の決断。魔族であるなら魔法を使えそうなものだが、下腹部を串刺しにされて宙吊りにされている痛みの中で魔法の使用は難しい。それは何度も殺され続けて痛みに苦しんでいた乃愛がいい例えだ。


 曰く魔法は精神集中を要とする。故に激痛が走る中では発動が難しく、発動出来たとして目の前にいるのが法則をものともしない化け物とくれば、いくら魔王といえどこの状況ではどうしようもなかった。


「……知ってると思うけど、僕はアンタを殺したい」


 首を傾げる葵。シャーロットの真意を覗くように。対するシャーロットはもがく事で手足から血や涙を撒き散らしている。真下にいる乃愛が嫌がる素振りを見せてやっと葵は剣を薙ぎ払うようにしてシャーロットを放り投げた。


「けど、まあいいや」


 背中を向ける葵の後方で、地面を汚らしく転がったシャーロットはその背中を見据えて立ち上がる。ヘリオスを倒した者に挑むは自殺行為。だがこの距離であれば、とシャーロットは膝をつくようにして大地に手を添える。


 触れたものとは、当然地面でも可能である。彼女の奥の手は即ち地中を振動させ、遠隔地を隆起させる技。葵はともかく、未だ倒れている乃愛の心臓を狙う事は造作もない。後は逃げ続ける際に地震でも引き起こせば一瞬の内に乃愛を抱えて逃げ切れる。


 そういう算段を立て、実行に移すべく口を開く。


「“我が法則を──”」


「聞く訳ないだろ」


 一瞬。ほんの一瞬、振動させる大地に意識を移した隙に葵はシャーロットの懐に飛び込んだ。


 シャーロット・ホリスタン。その法則を“震えて(Lie with)眠れ(Me)”の名を持つ神通力。触れたものを振動させ、臓器の破裂や地震を引き起こす理を成す外法にして外道の所業。自己を優先し、万象を想いのままに書き換える我欲に塗れた大逆無道に他ならない。


「あの世で一生震えていればいい」


 法則とは願いであり、在り方であり、所有者の理だと葵の乃愛に聞いた事がある。己が何かに怯えているからと、その震えを他者に強要するなど許されるハズがない。


 故に、葵は剣を振るう。


 一度、二度、三度と絶え間なく、どこを斬れば死ぬかなど知った事かと無造作に乱暴に斬りまくる。一撃で既に死んでいる事など知ろうともせず、何度も乃愛を苦しめた外道の死体をこの世に残さないと言いたげに……否、ただ怒りのままに。


 やがてシャーロットの身体が総て肉片と成り果てた頃、その一つを踏み潰してやっと葵は止まった。


 怒りをぶちまけた惨状を見渡して、口を覆う。その光景に誰もが吐き気を催したのだと思ったが、本人のみが知っている。込み上げたのは吐き気ではなく昂揚感だという事に。


 法則をも凌駕する力。


 その代償を知っている葵は、今なぜ自分が生きているのか見当がついている。であればあの力をいつでも自由に扱える。そう気分が昂揚し、そして気づく。その考えが乃愛を道具のように扱っている事に。


「……違う。僕は、僕には……!」


 どれだけ否定しようとも過去の自分が物語る。綺麗事をいくら並べた所で、咎埼乃愛は夜坂葵に過去の面影を見る。その事実は絶対に変わらない、変わりはしない。

 昂揚感は絶望に上書きされ、いつしか剣が消えた事で葵は痛む頭を両手で押さえつける。


 どれ程押さえつけようとも激しい頭痛は消えはしない。全身の毛穴からにじみ出る汗も聞こえる周囲のざわつきも、総てが総て鬱陶しい。

 法則をものともしない存在が、たった一人の事を考えるだけでこれ程苦しむのは、それは心が中途半端であるから。


 強い力に振り回される弱い心。葵とアイン。今の葵は総てが半端。半端だから悩み、決められないから心は揺らぐ。


「葵……?」


 朦朧とする意識の中、視界の隅に見つけた苦しむ者の名を呼ぶ乃愛。その視線を感じて、その声を聞いて、夜坂葵の金色の眼が彼女を見つける。憎み、怒り、蔑むべき世界で見つけたたった一人の大切な人。


 …………決めなければならない。


「僕には、君が……」


 彼女が必要か、否か。

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