第047話
暗闇に明滅するエマージェンシー。常闇を切り裂く漏電した施設。無数のケーブルが中央の巨大な装置に接続され、至る所で小規模な爆発が起きていた。
巨大な装置は元々輪を象っていたのか、半壊したその輪の中央で黒い渦のようなものが出来上がっていた。
『作戦……成功だ。軌道ゲートの破壊は完了──』
その渦の下、二人の人影の片方が膝をついた。黒い外套から伸びる左手で胸の辺りを押さえると、口元を押さえる事なく床に血を吐き出した。
『オッサン!?』
もう一人の人影は少年だった。薄汚れた植物のようなカーキ色の外套に身を包む少年は、右手に持っていた機械的な大剣を手放して男の傍まで駆け寄った。
『今度は上官をオッサン呼ばわりか。まったくお前は……』
『何で……奴らは全員僕が引きつけたハズだ』
その血の量は確実に致死量だった。今なお男が生きている理由はわからないが肌が露出した右腕は異常な程強張り、近くにいるだけで全身の骨が悲鳴を上げているのがわかった。
『因果応報ってな……。何かを壊そうとする奴ぁ……いつか必ず壊される。覚えとけよアイン』
『どういう──』
少年──アインは言葉の意味がわからず目の前の状況に動揺するも、男がアインの胸元に強く押しつけた右腕に視線を落とした。
『この剣をお前に渡す。この星を取り戻す為に作られたお前等リベルタスやその非人道的な調整も、正しい事だと周りに言われて流されてきた。ただ……流されるだけに戦って来た』
血を吐き出しつつ、男は語る。必死に、死ぬ前に言う事があると、確実に訪れる死に抗うように。
『お前はこの世界が間違っているとさえ言ってのけたのにな。……まあ、何が正しいかは結局わかんねえが……。そもそもツヴァイがいねえ今、これは代わりにお前が持て。その後お前が何をしようと……今から死ぬ俺には関係のない話だ』
『…………ああ、わかった』
アインの金の瞳は男が差し出している剣に注がれる。左手に握り締めていたアサルトライフルをその場に置いてアインは剣を受け取った。剣というにはあまりに歪で、身の丈の倍はあるその剣を見るその視線は魔に魅入られたように輝いていた。
『っ、何だ?』
鳴り響く高音にアインは二人で先程破壊した装置を見上げた。装置を破壊した際、黒い渦は収縮しつつあったハズだが今は高音と共に徐々にその回転と大きさが増していた。
『そうだ、この剣で……』
アインは先程受け取った剣を見下ろす。しかし、さっきまでそこにあったハズの剣はその姿を消失させ、もはやどこにも存在しなかった。動揺する視線はすぐさま傍に置いておいたアサルトライフルへ向けられ、アインは素早くそれを手に取って立ち上がる。
『おいオッサン──』
視線を上官に向けるアイン。しかしその視線の先で男はもう何も言わぬ屍と成り果てていた。どの道救う事は出来なかっただろうが、アインは舌打ちして頭上へと視線を戻すも、その視界は黒く染まった。
『……ッ!?』
否。黒い渦はその大きさを増し、アインの身体を飲み込んでいた。
波の音が聞こえる。身体が揺れている。瞼を開けると、そこはいつかの紅い海だった。
『やっと起きたか、夜坂葵』
聞こえた声はよく知った声。他の誰でもない僕自身の声だった。おかしな話だ。僕は喋っていないというのに、どうして僕が僕の声を聞く事になる。
『さっきのはいったい……?』
身体を起こし、頭を左右に振るう。先程まで紅い海に浸かっていたのに、僕の髪から紅い雫が滴り落ちるような事はなかった。
『夢か』
『ああ、夢さ。けど現実にあった事だ』
僕の声が僕以外から聞こえて来る。状況もその言葉の意味もよくわからず、僕は反射的に声が聞こえた正面を見上げた。
『やっと僕を見たね、夜坂葵』
『…………そんな馬鹿な』
そこには僕がいた。通っていた学校の制服を着た僕がそこにいた。どうして僕が僕に会う事になる?
『君が君自身の為に僕を求めた。だから僕はここにいる。ここで君と話が出来る』
『君は……僕か?』
見た姿も喋り方も僕に似ている。けど違うものが一つあったから、僕は僕に問いかけた。確かめる為に。
『違うさ。僕は君が捨てた僕。君の過去、本当の君だ』
達観しているというか、悟っているというか、目の前の僕には総てを知っているという妙な雰囲気があった。僕のように迷う事も、突然の事に動揺する事もないのだろう。
ただ、本当の僕という言葉が気に入らなかった。
『……さっきのが現実にあったって何の事さ?』
『そのままの意味だよ。僕の本当の名前はリベルタス・アイン。母星を奪還する為、神造兵器を最大限に使えるように調整して生産された新人類。リベルタスシリーズの一人目だ』
何の話かわからなくなってきた。ここが夢だとしたら僕は途轍もない厨二病みたいだ。
『否定はしないよ。僕等の義理の両親になってくれた夜坂家の夫婦は創作家だったからね。元の世界に帰る手掛かりになるかと家に置いてあった小説やゲームは全部目を通してたし。……まあ、何の役にも立たなかったけど』
それはそうだろう。帰る方法を探すのに大真面目にそういうものを参考にしていたとしたら馬鹿過ぎる。……元の世界に帰る方法? 僕等は別世界の人間だったのか。
『僕はあの黒い渦に吸い込まれて夜坂夫婦の二人の前に転移した。ちょうど行き詰ってた二人は歓喜していたよ。本当にあったんだ異世界はってね』
想像していた両親のイメージが崩れてきた。
『それからは質問責めだった。二人の知り合いの医者を紹介されて精密検査を受けさせられて、その世界の人間と身体の作りは似ているものの人間ではないという結果が出た。二人は本当に異世界人はいたんだってまた喜んでいたね』
『どこからどこまで冗談なのさ?』
『全部本当の事だよ。君が目を覚ました病院も通っていた病院も同じ場所だったろう? あれは全部そこの院長が根を回していたからさ。だから僕の存在は世間の明るみに出なかった』
冗談だと思いたいものの、一度別の病院に行った時に追い出された事があった。あの時は何でだよと腹が立ったけどそういう理由なら納得は出来る。
とはいえ新人類や神造兵器だって? もはや何が何やらサッパリだ。
ただやけにハッキリしている意識も、この海の波の感触も総て現実と何も変わらない。そう考えると、僕は今過去の僕と対話している事になる。
『だから初めからそう言ってたよね。君がやっと僕に目を向けたからこうして会えたんだ』
何の事だろう。別に僕は昔の僕と話したいだなんて思った事はない。
『君はあの亀裂に、あの力に手を出した。あれは過去の君の……つまりは僕のものだから、結果的に君は僕と向き合う事になったんだ』
あの亀裂。そのフレーズを聞いて思い出した。僕はこんなところで話している暇はない。早く帰らないといけないんだ。咎埼を助けなくちゃならない。
『乃愛が心配?』
……………………。
『睨む事ないだろ。君だって薄々気がついてたんだろ。昔の自分と乃愛は──』
『うるさい。それ以上喋るな』
『──つき合っていたんだって事くらい』
瞬間、何を思うより早く僕は立ち上がって僕に殴りかかった。気安くその名前は呼んじゃいけないから。始めは夜坂と僕を呼んでいた彼女がいつの間にか葵と呼んでいたあの時から、僕がどれだけその名前を呼ぼうとしていたか、知らないくせにと。
許せなかった。
だから叩き潰す。例えそれが僕自身であろうとも、その名を気安く呼ぶ奴は僕じゃないから。だけど殴りつけても、目の前の僕は笑っていた。
『知ってるだろ。僕等は痛みを知らない。痛覚神経は君達でいうところの魔力を通す為の管であり、それ以外には機能しない。それがヒュドラの為に造られた新人類リベルタス。……君は僕よりあの世界の常識に疎いだろうから教えておくけど、普通の人間は金属バットを受け止めて骨にひびが入るだけじゃ済まないよ』
腕のひび。リーベに治してもらったのを覚えている。もうこの僕が言っている事が嘘だと疑うつもりはないけれど、そこに立っている存在はもうどうしたって僕じゃない。
『そうまでして乃愛に固執するのはどうして? 僕等は被害者だろ?』
何の事だ? 僕がいつ咎埼によって何かを被ったというんだ。
『君も聞いたハズだよ。乃愛の第三法則によって僕等はトラブルに巻き込まれ続けた。確かにつき合ってから不幸続きだったよ。君も思っただろ? どうしてこんなにも世界が腐って見えるんだってね』
いつだって世界は腐って見えた。それは否定しない。否定しないが、どうしてだ。僕は誰にだって怯んだ事はないのに、どうして震えが止まらないんだろう。
これは……怒り?
いや違う。もっと別の……これが恐怖。だとしたらどうして、僕は僕にこんなにも恐怖しているんだ?
『その総てが乃愛の仕業だったんだ。あの時はヒュドラに似てて、もしかしたら何かに使えるかもしれないって傍に置いたけど、やっぱり僕の最後の選択は間違っていなかった』
背筋が凍った気がした。わからない。この目の前の僕は何を言っているんだろう。
『君もそろそろ思い出してきたんじゃないか? 僕は君だ。こうして向き合った以上、僕は君に帰る。そして君は思い出さなきゃならない。あの日僕等がどうしたのか。どのようにして君が生まれたか』
頭を抱える僕の脳裏で情景が浮かぶ。込み上げる気持ちは過去、その情景に見合った気持ち。
出逢って、告白されて、つき合って、色んな所に出かけた記憶。あのプリクラ帳でも見た咎埼の笑顔がいつだって咲いていた。新調した服、初挑戦したネイルや髪型。装飾品や水着を見せびらかして、嬉しそうに、時には恥ずかしがり頬を膨らませて拗ねたりして、色んな咎埼がそこにいた。
なのに、流れ込んでくる感情はどうしてかいつも冷めていた。
あの時、初めてコーラスと会う前に見た夢でも見た光景。後ろから抱き締められて声をかけられた暗い部屋での出来事の時でさえ、込み上げる感情は怒りだった。
まさか、と僕は頭を抱える。そんなハズはないのだ。仮にも僕である限り、そんな事はあり得ない。どうして咎埼に対してこんな感情が芽生えるんだ。
わからない。
どうして。
いや違う。そもそもその理由を聞きたくない。
こんな感情を寄越すな。こんな僕は僕じゃない。知りたくもない。僕は僕であってお前じゃない。だから思い出させないで欲しい。
『君が欲したんだ。僕の力を。だからもう手遅れだ』
『うるさい!』
頭を抱えて叫ぶ。もう何も聞きたくない。何も思い出したくない。僕はまだ僕でいたい。このままだと僕は彼に塗り潰される。
『どう……して……?』
聞こえたのは咎埼の声。聞いた事もない声音に意識が傾いた。
『お前が望むなら何でもする。お前が好きなものは私も好きになる。料理だって頑張って出来るようになったし、何だって苦じゃない。私じゃダメなのか? 私はお前の彼女としてずっといたいんだ』
これは、いつの話だ。
『だから私を使え! 私を必要だと言ってくれ!』
聞いた事がある言葉。彼じゃない僕が、つい最近聞いた事のある言葉だ。あれは……二度目の言葉だったのか?
どうして咎埼がこんなにも苦しそうにしているのに、ちゃんと向き合って話す事すらしないんだ。どうして僕はこんな感情を咎埼に向けているんだ。
『別にいらない。僕には必要ないよ、乃愛なんて』
どうしてこんなにも彼女を鬱陶しいと感じてしまっているんだ。どうしてこんな冷たい態度がとれるんだ。
『別れを告げた次の日、咎埼に呼び出されたけど僕は行かなかった。ヒュドラに似ている乃愛と出逢った時、もしかしたら元の世界に帰るのに“使えるかもしれない”と思ったけど、数年一緒にいてもそんな兆しはなかった。……だから、使えないものは捨てたんだ』
そんな馬鹿な話があるだろうか。こんな馬鹿な奴がいるだろうか。
『待ち合わせ場所で座っている乃愛を見て引き返して、僕は家に帰ろうとしたんだ。そしたら大型トラックに轢かれて記憶を失った。乃愛がきっと“最初からやり直したい”と思ったのさ。もしくは第三法則による報酬としての責務を果たさせる為か』
法則の力は絶対だ。世界の流れすら無視して、ありとあらゆる順序、規則、総てをないがしろにして理を成す力。それが法則。
咎埼への第三法則の報酬としてアインが存在していたのなら、その意に反した彼は第三法則によって抹消された事になる。
簡単な話、用済みになった役者を捨てて都合のいい役者を据える結果になった。
……それが、僕か。
『どちらにせよ彼女の意志に反した僕は消え、そして乃愛の望む通り第三法則の報酬として“ずっと乃愛の味方をするだろう夜坂葵”が、つまりは君が生まれた』
コーラスが言っていた。帰る場所など自分で壊したくせにと。確かにそうだ。夜坂葵は自分で居場所を壊した。咎埼を泣かせて、傷つけた。それは彼だけじゃない。僕もあの日、咎埼に叩かれたあの日に酷い事を言った。
『そして一ヶ月の間、乃愛は記憶を失った僕を尾け回した。まるでストーカーみたいにね』
その言葉がどれだけ咎埼を悲しませるかも知らずに。
僕は馬鹿だ。こんな、こんな過去知りたくなかった。こんな僕がどうして咎埼を護るだなんて言えたんだ。
利用出来ると思った女を、その好意を踏みにじって、道具みたいに使って、いらなくなったからと捨てて、出来上がった紛い物が勘違いして……。
何が世界が間違っているだ。
何が世の中腐ってるだ。
間違っているのは総て僕じゃないか。他人の痛みを感じないクソ野郎か。あの陰口は本当の事じゃないか。
世界はとても単純だ。クソ野郎にはクソな世界にしか見えない。当たり前だ。目が腐ってるんだから、品性が曲がった奴が真っ直ぐな夢を見られる訳がない。どうしてこんな簡単な理屈すらわからず僕は足掻いていたんだろう。
……もう、一人で消えてしまいたい。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………だけど、
『僕は君が怖い』
あの笑顔は……………………誰にも奪わせちゃいけない。
『もう君に帰る場所はない。壊れた居場所はもう元には戻らない。なのにどうして君は立ち上がる。どうしていつだって、敵わない敵に向かって行けるんだ』
あの笑顔が誰かに歪められる事だけは、何があろうと許さない。
『僕は消えたくない。僕は僕を知った君が勝手に消えてくれると思っていた。だけど君は僕を知っても消えない。このままじゃ僕は君の一部となって消えるだけ。君から僕を奪えない』
『僕も君を知りたくなくてずっと目を背けていた。だけど知ってしまった。もう何もかもどうでもいいって本当にそう思った』
だけど。
『乃愛を思い出した』
『咎埼を思い出した』
僕にはもう、咎埼を好きでいる資格はないだろう。
もう彼女は壊れてしまっている。きっと第一法則を使ったのも、キュクロという知り合いを殺す作戦に参加したのも僕に気に入られる為、必要とされる為。
咎埼がどう言おうとも、咎埼が例え無意識であったとしても、過去の関係を気にせずにはいられない。
失ったものに縋る彼女はまともな精神状態とは言えない。三途の川で積んだ石を崩されて、泣きながら石を拾い集めているようなもの。
世界が一切の咎なき彼女を追い詰めるから。
だから、僕は総てを焼き払おう。
腐った僕の心でも、腐った目でも見つけた美しい人を、当然のように踏みにじる世界はこの手で叩き潰す。咎埼に仇成す総てを葬り続けよう。永遠に、咎埼が望む限り。
『約束したんだ。僕は咎埼の望む永遠を叶えるって』
総てを知った。
黒い渦に巻き込まれて降り立ったのは神に見捨てられた世界。平凡な毎日が繰り返されるだけの怠惰だけど平和な世界。そこで出逢ったのは、その存在故に争いの引き金となり世界を追放された一人の少女だった。
互いに異なる世界から訪れた二人が出逢うなんて、奇跡に等しい確率だと思う。
『……なら、死ぬまで生きて……彼女を護れ』
これが例え第三法則の報酬として、世界がそう差し向けていたとしても僕は進む。奇跡だとしても法則だとしても咎埼が僕を呼んだ事に変わりはないから、僕は彼女の望んだ永遠を叶えよう。
いつか歩けなくなる日まで、僕は止まらない。




