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楽園変生 第一部 ──不死の随伴者──  作者: 紅葉 昂
第一部【不死の随伴者】
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第045話

「くっぁ、ぁぁああ、ぁあッ!?」


 突如として現れた化け物に右翼を食い破られ、両手で引きちぎられて乃愛は悲鳴をあげた。何度も何度も、不死の王の再生が始まるより先に食らいつき、かじり取り、引きちぎる。

 自力で飛ぶ事も出来ず宙吊りになった乃愛は苦し紛れに視界の隅で照準を合わせる。しかしヴェルミクルムは寸前で飛び退いた化け物には当たらず空の彼方へと消えていった。


 黒き翼を羽ばたかせる化け物。顔半分を占める巨大な口と無数の牙。まるで洋画などに登場しそうなそれは翼や感じる魔力から考えて間違いなくヘリオスだった。


──あの威力に耐えたというのか。


 右翼を失い雲の海を漂い落ちる中、乃愛は考えるが現実的な考えではなかった。あの威力の魔法に耐える存在などこの世にいる訳がない。ならば躱したと考えるべきだが、ヴェルミクルムは着弾しなければ爆発しない事を考えればそれも妙である。


「貴様はこれから余の子を産む。ミノタウロス族に不死の力を永遠にもたらす子を産むのだ」


 深く黒い雲の中、視界の狭まったそこで語りかけるヘリオス。未だ再生しきっていない結晶の生えた翼では移動もままならず、乃愛の腹部に重い一撃が直撃した。咄嗟に腹部の硬度を上げて耐える乃愛だったが、あまりに大きいその衝撃に呼吸が止まる。


 しかしそれだけでは終わらない。


 暗い雲の海の中を縦横無尽に泳ぐヘリオスにとって、今や乃愛は海に落ちたネズミも同然。放っておくハズもない。擦れ違い様に何度も何度も蹴りを、拳を叩き込まれ、鋭い爪の餌食となっていく乃愛は短い悲鳴を上げつつ踊らされる。


 視界が狭いこの状況ではヴェルミクルムの照準は合わず、気配を察知して防ごうとしたところで右翼を失った今成す術がない。


 痛みに耐えながら乱れる呼吸に苦しみながら、今乃愛に出来る事は翼の再生と暗がりの雲の中を早く抜けるように願う事だけだった。


「貴様の後はあの人間の小娘よ。貴様には劣るとも、あの小娘もまたよき器だ」


 だったのだが、ヘリオスのその言葉に乃愛の手が動く。こんな視野の狭い中で争うのは不利であったとしても、自身だけでなく友人さえも手にかけると口走った眼前の魔王を許せなかったから。


 腹部に直撃した拳の両手首を抱き抱えるように両手で抑え込む乃愛。込み上げてくる吐き気に堪えながら繰り出した右足がヘリオスの側頭部に叩き込まれる。

 だがその蹴りによってダメージを受けたのはヘリオスではなく乃愛だった。


──硬い。やはり法則か。けど、どうやって……。


 ヘリオスの法則の発動は踏み砕く足場を必要としていたハズだと乃愛は不思議に思ったが、考えを纏められるような状況になかった。


「自ら股を開くとはよい心がけであるな!」


 開けた足の間へと手を伸ばすヘリオス。しかしほくそ笑んだその行いは、乃愛のスカートの裾を引き裂くだけに終わる。寸前、乃愛はヘリオスの身体を踏み台にして下へ飛んだのだ。


「もう逃げる事など出来はせぬぞ!」


 脚力によって加速した落下の勢いで雲を抜け、再びヴァナヘイムの上空へ戻ってくる乃愛。やっと再生を終えた翼を羽ばたかせて制動を加え、追って来たヘリオスへ視線を向ける。飛び台にしたが故、最短距離で追って来るなら真後ろに現れると計算したうえでの反撃である。


「“紅に沈め(Vermiculum)”」


 故にもう一度。地上への被害を考えある程度加減はするものの、魔王を殺すに相応しい魔力を込めて再びヴェルミクルムを放つ。


 雲を抜けたばかりのヘリオスだったが、その反撃を予測していたのか僅かに躱す素振りを見せるものの、その光は間違いなくヘリオスの左翼に直撃し大爆発を引き起こす。爆風から眼を守るようにして腕をかざす乃愛だったが、爆発の中より無傷のヘリオスが真っ直ぐ飛び込んできた事に驚愕する。


 驚くのも束の間、ヘリオスはすかさず乃愛の腕を掴み、乱暴に振り回した後に地上へ投げつけた。視線を下へ向ける乃愛。その先に何やら何者かと争っているヴァナヘイム軍がいたのを確認し、翼を広げて制動をかける。


「その顔は万策尽きたという顔だな。その通りだルシフェリア・ニーベルング。余の創造する物質はオリハルコン。この世界に存在せぬ空想上の物質を法則によって生成する故、いわば形ある法則と呼べる。貴様とて魔王、法則の絶対性は知っていよう?」


 寸前のところで空中に止まり、ヴァナヘイム軍に被害を出さずに済んでホッとするも、乃愛の表情は険しい。その険しさはしかし、ヘリオスの言葉を聞いて動揺の色を浮かべた。


 法則とは宇宙法則すらも書き換える絶対の力。故にあらゆる理の上位に位置する。乃愛でさえ法則の影響を受けて強大な魔法を放てるものの、それはあくまで“魔法を強化する法則”に過ぎず“法則による攻撃”ではない。


 しかしヘリオスのような“空想上の物質を形成する法則”はその物質自体が法則と言っても過言ではない。つまり、魔法という概念に留まっている乃愛の攻撃ではヘリオスには傷一つつける事は出来ないのだ。葵達に法則と魔法の優劣関係を説明した乃愛自身も知っているし、魔族では当然の常識。


 法則を真っ向から打ち破るのは同じく法則でなくてはならないのだ。


「既に貴様は負けておるのだ、ルシフェリア・ニーベルング」


「……いいや、私はまだ──」


「乃愛! 葵様が……ッ!」


 負けていない。そう言うつもりだった乃愛の耳に届くイオリアの悲鳴に似た声。視線を下へ向けて葵を探す乃愛。首を左右に振って、ようやく見つけた葵の傍には見た事もない獣人が佇んでいた。


 藤色の長い髪は眼もとの上にある角が分け隔て、成熟した容姿とは裏腹に未発達の胸。局所的に胸を隠す黒い布を着ているに過ぎず、服というにはあまりにも隠さない肌は夜の闇に光る程白い。細い腕や首元、目元を黒色のレースで飾り立て、一見して男を手玉に取る魔性の女に見えなくはなかったが、その足は黒い毛に包まれた獣のものだった。


 俯せに伏した葵の背中にその足を乗せ、乃愛を煽るように笑みを作る口の下には黒子。それを指で撫で下ろし、真っ赤なルージュを塗られた唇の隙間を縫って這い出た舌はわざとらしい音を立てて舌なめずり。


「何をして──」


 癇に障った乃愛の言葉を遮り、熱い吐息と共に唇から解き放つは絶望。


「“我が法(Astral)則を訊け(Logia)”」


 乃愛の鼓動が跳ね上がる。正体不明のその女が口ずさむ言葉は、その女の存在を明確にするものだった。乃愛の視線がヘリオスに向かう。その視線の先では元の状態に戻って顔を晒していたヘリオスが腕を組んでほくそ笑んでいた。


 絶対的な防御性能のある姿から元の姿になっているヘリオス。


 魔王しか口にせぬその言葉を紡ぐヤギ角の女。


 今尚何やら必死に叫んでいるイオリア。しかし耳に届く友人の言葉が頭に入らない。乃愛の理解が状況の変化に追いつかない。自身が最強の潜在能力を有する魔王であるからこそ、この状況の意味がわからないのだ。


「“震えて(Lie with)眠れ(Me)”」


 瞬間、異変は起きる。乃愛の唇から何かが零れ、手の平で受け止めたそれを見下ろした視線の先で手の平は真っ赤に染まっていた。意味も分からず首を傾げそうになった時、胸に激しい痛みを感じると共に視界が明滅する。


「っあ!?」


 反り返った乃愛の身体の中腹、胸の谷間を縫うように突き出る不死の王の結晶体。


 一瞬身体の自由が効かなくなった事でよろめいた体勢を大地に着地して整え、砕けた結晶体の生えていた胸の谷間に手を添える乃愛。何が起きたと、言いたげな表情をヘリオスに向けた。


「諦めの悪い貴様にわかるよう教えてやろう。余はまず“配下を連れてはいない”と言ったが仲間がいないとは言っていない。奴はバフォメット族魔王、シャーロット・ホリスタン。その法則は触れたものを振動させる力。臓器を直接超振動させれば数秒も立たずに破裂する」


 バフォメット族。契約を重んじる魔族であり、群れを成すよりも個々人が他の魔族に取り入って契約を結び、配下となる代わりに莫大な恩恵を要求する種族。加虐的な性格が多く、ヴァンパイアのように魔法を得意とするその種族は、現代でいうところの悪魔のイメージに酷似している。


──……葵の心臓を振動で破壊したという事か。


 乃愛は納得し、額に浮かぶ汗を拭う。絶体絶命と呼ぶに相応しい状況であるが、御丁寧に法則の解説とはと乃愛はつけ入る隙を見つける。今にも振動の法則が発動されれば心臓を共有している故に負傷を受けるが、不死の王を持つ乃愛は身体的な破損はたちどころに回復する。


 葵は意識が朦朧としているのか動く気配はないものの、葵の背中を踏みつけるシャーロットをその場から退かせばいいだけの事。そう考え、駆け出した乃愛の耳に再び届くヘリオスの声。


「次に余の法則“理想物質”は余が手足が直接触れて破壊した物質の傍にオリハルコンを形成する力。貴様は余の足が踏み砕いた足場と誤認したようだがな」


 シャーロットへ駆ける中、告げられた言葉に乃愛は悪寒を感じる。ヘリオスが乃愛の衣服を散々破いていた事が引っかかった。当初も今も嫌悪感を抱く行いではあるものの、相手の衣服を破壊する事が法則の引き金になり、それもゼロ距離に形成されては躱しようがない。

 確かに理に適っているが、法則によって作られた爪や具足では直接触れていない事になる。故に今、ボロボロの衣服を身に纏う乃愛の傍でオリハルコンが形成される事はない。

 そう思って、しかし鼓動が早まる。


 それは最初の一撃。イオリアを拘束した後にヘリオスが繰り出した攻撃。葵の手を放す事が出来ず躱しきれず受けた拳が、二の腕の装飾を破損させたのを思い出した。


「しまっ──」


「貴様の敗北は最初から決まっていたのだ」


 現れる黒き液体が乃愛の身体に纏わりつき、鎖を象り乃愛の手足を締め上げ大の字に拘束する。もがいても、鎖を破壊しようともビクともしない。


 当然だ。今乃愛の身動き総ては宇宙法則よりも強固な理によって封じられたのだから。


 最強の魔法ですら破壊する事は出来ない鎖に一度捕まれば最早逃げる事など出来はしない。だが乃愛はそれでも諦めない。


「だとしても!」


 紅い光が十字に瞬く。動けずとも見えている。愛する者を足蹴にする忌々しいバフォメットを灰にするには縛られていようが関係ない。この際周囲の影響も考えてはいられない。ある程度威力を出してでも一撃でシャーロットを殺しにかかる必要がある。


「敗因は貴様の見る目のなさだ。弱者に同情でもしたか、愚か者が」


 解き放たれる紅。しかしそれはヴェルミクルムではなく乃愛の吐血。吐き出された血が意味するのは葵と乃愛の心臓の破裂。魔法は高度な精神が生み出す超常現象。故にいくら不死の王によって一命を取り留めようとも、その瞬間に一度死んでいる乃愛が魔法を行使出来る道理はない。


──そんな、馬鹿な……。


 不死の王によって意識を取り戻した乃愛は再び右眼に紅い光を宿すが、結果は同じ。いくら最強最速の魔法といえど、放たれなければ何の意味もない。


「ぐぅッ、あ……かはッ!? うぐ、ぁあ……っ!」


「第一法則を弱者に与えた事。これが貴様の敗因だ。」


 同じ結果が何度も何度も繰り返される。何度も何度も、乃愛は死んで生き返る。乃愛が空にてヘリオスと戦っている間、シャーロットと戦っていたヴァナヘイム軍は立つ事も出来ずその様子を眺めているしか出来なかった。


「ごめんなさい……ごめんなさい乃愛。葵様……」


 そして何度も死にいく友人を見るイオリアも、その悲惨な光景に瞼を閉じて涙する。磔にされていなければ、葵を抱えて逃げる事くらいは出来ようと。突然であったとはいえ成す術なく捕縛されてしまった自分が情けなかった。


「やれやれ、そう何度も死んでいては廃人になるぞ。余は人形を抱く趣味はない」


 口元を緩ませて何度も何度も乃愛の心臓を潰すシャーロットを見かねたヘリオスは、近くの小石を拾い上げた後乃愛へと歩き出す。


「な、にを……く……っ」


 痛みに苦しみ、汗まみれの身体を振り乱しながら何度も紅い光を右眼に灯し続ける乃愛はヘリオスを睨みつける。しかし今の乃愛にヘリオスを怯ませるような覇気はない。苦し紛れのその見栄を前に、ヘリオスは鼻を鳴らして笑い飛ばした。


「貴様の魔法は右眼が見えてなければ使えまい」


 最強の魔力を持つ乃愛の魔法を封じる方法は七年前に出回っている。故にヘリオスも知っていて当然。そしてヘリオスの法則があれば封じる事は造作もない。


「まさ、か……っ」


「そのまさかよ。貴様とて廃人になるまで死に続けるよりは幾分マシであろう」


 乃愛は焦る。視界を遮る物質を作られれば、それこそもう勝ち目はない故に。手足を力任せに振るい、ヴェルミクルムの術式を何度も頭に思い浮かべながら、しかし死ぬ度にそれは白紙に戻る。この状況を抜け出すのは最早自力では不可能だった。


「葵ーッ!」


 だから乃愛は、動く事のない随伴者の名前を呼ぶ。この状況を打開する為には葵が目を覚まし、シャーロットから距離を取る以外に残っていないから。


「頼む、起きてくれ! 目を開けてくれ! 私、く……っ、わた、しを……たすけてくれ!」


 鎖を打ち鳴らし、血と共に大声を吐き出して、ただ救いを求める。不死の随伴者。未来永劫、共に生きていく事を誓った最愛の人の名を呼ぶ。


「葵……っ」


 何度も。


「あお、い……っ!」


 何度呼び続けても、


「私、負けたくない……ッ!」


 しかし不死の随伴者は目を覚まさない。


「“我が法(Astral)則を訊け(Logia)”」


 悲痛な叫びがこだまする中で、残酷に響くは法則の予兆。乃愛の傍で足を止めたヘリオスは乃愛の右眼の前で小石を砕く。


「“理想(Idea)物質(Material)”」


 現れる黒い液体は乃愛の右眼に飛び込み、瞳を覆うように薄い膜状に形成される。異物を入れられた痛みに瞼を閉じる乃愛。やがて心臓の痛みが治まり痛みの引いた右瞼を開けるも、その視界が外界を捉える事はなかった。


「ぁ……あ、あ……」


 絶望。涙か汗かわからぬものを零し続けながら、乃愛はついに暴れるのをやめた。反撃の為の望みも消え失せた今、抵抗は無意味と悟ったのだ。


「あーあ、もう終わりなの?」


 大人しくなった乃愛を見下ろしながら満足げに顎を撫でるヘリオスの背後、葵の背中を足蹴にしながら背伸びをするシャーロットが呟いた。真っ赤なルージュを塗りたくった小さな唇を大きく開けて欠伸をしては、用のなくなった葵の身体を転がすように軽く蹴飛ばしてヘリオスと乃愛へ歩み寄る。


「何だ、まだ足らぬのか?」


 ヘリオスの前を通り過ぎ、シャーロットは乃愛の正面に立つ。乃愛はジロジロと嘲笑うように眺めて来るシャーロットの視線から逃げるように瞼を閉じて顔を背けるも、前髪を掴み上げられ無理矢理顔を覗き込まれる。


「全っ然足りないわ。私はこの女嫌いだもの」


「……っ、奇遇だな。私もお前が嫌いだよ」


 苦笑いを浮かべて乃愛は軽口を叩く。しかしその笑みは腹部に突き入れられたシャーロットの小さな足によって苦痛の表情へと変わった。吐き気を催すように大きく開かれた唇から足元へ数滴の唾液が糸を引いて滴り落ちる。


「あらぁ、まだ威勢がいいじゃない。そうこなくっちゃ」


 足をねじり、乃愛の苦痛に歪む表情と呻き声を聞きながら悦に浸るシャーロット。腕を組みながらそれを見下ろすヘリオスは呆れたようにため息を吐き出した。


「契約を守れシャーロット。それはまだ余のものだろう?」


「ええ、わかってるわ。けど少しくらい味見しても構わないでしょう?」


 注意されてもなお乃愛をいたぶり続け、頬に手を添えて舌なめずりするシャーロット。ヘリオスはやれやれといった表情を浮かべて首を左右に振って再びため息を吐いた。


「……契約? 何の事よ?」


「契約は契約だ。余は“不死の王”を、シャーロットは“第三法則”の所有権をというな。余は聖杯なんぞに興味はない。あらゆる総ては自らの力でもたらしてこそ価値がある」


 イオリアの問いに答えたヘリオスは聞き覚えのある言葉を告げる。葵が撃退した魔王、キュクロ・アルゲースもまた第三法則の所有者や聖杯など、意味深な事を言っていた。魔族領域全土に知れ渡っている乃愛の情報は、目の前の二人も知っているようだ。

 しかしイオリア達は第三法則を知らない。イオリアの様子を見てヘリオスはそれを悟り、含みのある笑みをこぼす。


「……なるほど。ではどうやら仲間意識のある貴様らに教えてやろう。この女がもたらす災厄を。貴様達がなぜこのような窮地に立たされたかを」


 乃愛を虐め続けるシャーロットを横目にヘリオスはイオリアへ、ヴァナヘイム軍へ視線を向ける。両手を広げ、まるで教祖か何かのようにして。


「ルシフェリア・ニーベルングの第三法則は、この女を所有する者に災厄を引き起こし続け、その試練を乗り越え続ける者に永遠なる栄華をもたらす。聖杯と呼ぶに相応しいその名を“大いなる栄光(Ars Magna)”」


「つまり今貴方達がこんな事になっているのは、総てこの女が災厄を呼び起こしてるって事ね」


 つけ足されたシャーロットの言葉でヴァナヘイム軍がざわつき始める。そもそも三つの法則を有している事をヴァナヘイムの者達は知らないが、法則の意味は知っている。

 魔王が持つ宇宙法則をも書き換える理。ヘリオスが言う“大いなる栄光”が本当だとすれば、この状況を招いたのは間違いなく乃愛の法則によるものという事になる。


「そんな……」


 馬鹿なと言おうとして、イオリアは口を閉ざす。心当たりがあったのだ。まずイオリアが身を以って知っているリオンの襲撃。そしてずっと姿を見せなかったサイクロプス魔王キュクロの来訪。そして、二人の魔王が同時に襲撃してくるこのあり得ない状況。


 聞いた話では元いた世界で葵は幾度となくトラブルに首を突っ込んでいたと乃愛はイオリアに話していた。しかしそれは所有者である葵が乃愛の第三法則によって試練を与えられていたのではないか。

 キングゴブリンによって死した葵。なぜ奴隷級の冒険者がそんな奥地まで進む羽目になった。


 総ては大いなる流れによって、葵の前に災厄を寄せ集めていたのではないか。


 乃愛の周囲では不幸が多い。国は滅び、そして逃げ延びた先の世界で義理の両親となってくれた者も数年で他界したと聞いている。この世界に戻って来たのも、トラブルを叩き潰し続けた葵に対しての報酬として“間違った世界に生きたかった”という望みを叶えた結果にはならないか。


「…………乃愛、貴方……」


 イオリアは乃愛へ視線を向ける。それを知られては一緒にいられないから、だから黙っていたのかと。だからクーラも何も言わなかったのかと。あの時、法則が三つあると告白したあの時、自分は仲間だと信じていたのに乃愛達は自分を……何より葵を信じていなかったのかと……。だが、


「イオリア、何を……話してるんだ?」


 当の本人は状況が理解出来ていないでいた。その瞳には一切負い目などなく、イオリアから不審な視線を受けて僅かに怯えてしまってさえいた。


「あははは! 面白いわ、いいわねこれ! いい玩具が手に入ったわ!」


 込み上げた笑いを抑える事なくシャーロットは後ろから乃愛に抱き着き、嬉々として笑い転げる。ヘリオスもまた思うところがあるのか、瞼を閉じてほくそ笑んでいた。


「まあ、責めてやるな小娘。この第三法則はあらゆる方法を以ってしても自覚出来ぬという。……つまりこの女は無自覚に親しい者に災厄を撒き散らす疫病神という事よ」


「何だ、何がおかしい……っ!? やめろ、私に触るな!」


 身体を撫でまわされる事に嫌悪の表情を浮かべ、乃愛はわめき散らしながらもがく。その様子は、目と鼻の先での“会話が一切聞こえていない”ようだった。伝えようとしても教えようとしても絶対に自覚出来ない法則。法則故に、それは宇宙の理よりも強固に、乃愛自身が災厄の撒き餌である事を知る事が出来ない。


 イオリアは安堵し、そして哀れに思う。仲間だと信じていたのが一方的でなかった事に安堵し、総ての不幸が自分の法則によるものだという事に気づけない乃愛が不憫で仕方がない。


 だが、ヴァナヘイム軍は別だ。ヴァナヘイム軍はイオリアのように乃愛の人となりを知らない。故に、その視線は厄介者を見る目になるのが必然。


「私が……何をしたって……くぅっ」


 その目に怯えながら、乃愛はしつこく身体を撫でまわすシャーロットを引き剥がそうと身を捩る。しかし両手両足を大の字で拘束された乃愛に成す術はなく無駄な抵抗だった。


「大丈夫よ。誰も引き取ってくれない貴方の居場所は私の隠れ家。たくさんお友達が出来るわよ。口を縫ってたり、眼がない子もいるけど、きっとみんな仲良くしてくれるわ」


 そう言って腰に取りつけていた火バサミのような形と大きさをした器具を取り出し、アイスピックのように尖った四つの刃先の内一つに舌を這わせ、乃愛の眼前にチラつかせる。


「……っ、何だこれは?」


「さあ? 使い方はいずれ教えてあげるわ。貴方がヘリオスの子を産み落としてから、ゆっくりと」


 それがまともな道具であるようには見えない。何に使うかわかりはしなかったが、イオリアも乃愛もその表情を凍りつかせた。シャーロットは危険な匂いがする。ある意味でヘリオスよりも厄介で、恐ろしく禍々しい。


「案ずるな小娘。ルシフェリアと違って貴様はミノタウロス族と共に来てもらう。少なくとも、あの女に遊ばれるよりはいい思いが出来ようぞ」


 特に乃愛に対しては。否、むしろこの場で彼女は乃愛以外に興味を示していなかった。何かしら因縁があるのかもしれないが、生憎乃愛はシャーロットに見覚えがなかった。当然過去に何があったかを知ったところで、そして詫びる何かがあって詫びたとしても所詮は無意味。


 故に末路は決定した。


 ルシフェリア・ニーベルング。その法則を“大いなる栄光(Ars Magna)”の名を持つ神通力。その存在は大いなる災厄をもたらし続ける忌むべき外道の理。永遠を求めるあらゆる万物が彼女に群がり、万象そのものが彼女に仇を成す。信じ救うべき仲間を貶めるその法は彼女が望む望まないに拘わらず大逆無道である事に他ならない。


 ルシフェリア・ニーベルングとは王として存在するにはあまりに不相応。聖杯は栄華という名の美酒を注がれた杯故に、誰も彼もが彼女の内包する栄華を求めて争い続けるから。


 故に彼女は道具。


 そこに人権はなく、当然救いなどない。慕う者を貶める者が救われる謂れはない。だからこそ道具は道具のまま、他人の願いを叶える願望器としての役割を担う。永遠を願う彼女故に、それこそ永遠に。


「………………誰か……」


 望まぬ男の子を産み、その後は光を見る事なく苦痛と屈辱に塗れる生涯を辿る。あまりにも非人道的運命に彼女は救いを求めて涙を流した。


挿絵(By みてみん)


「誰も、いないのか……?」


 諦めた表情で涙を流し、それでも誰かの助けを欲している乃愛を見てイオリアは再び顔を伏せる。救いたい気持ちもあるだろうが、自身の力ではどうしようもない。第三法則を知って、その不幸な境遇に納得してしまってすらいる。どうしてそんな法則が宿っていると、やり場のない怒りすら覚えた。


 法則とは我欲に塗れた大逆無道の神通力。


 自己中心的に世界法則を上書きする理のハズで、法則の所持者を不幸にするようなものではないハズなのだ。しかし“大いなる栄光(Ars Magna)”はむしろ邪魔でしかない。なぜ所有者ではなく他人に栄華をもたらす法則なのだ。

 そんなものがなければ、乃愛はルシフェリア・ニーベルングとしてずっと幸せに暮らせていたかもしれないのに、と。


「おい、あれ……」


 そう考えて、イオリアはある答えに辿り着いた。それも自然と納得がいく解に。


「何なんだアイツ……」


 総ての不幸は第三法則によって招かれた。だとしたら、今の今まで乃愛は試練を乗り越えていた事になる。国を滅ぼされても生き延び、そして逃げ延びたのだから、それは試練を乗り越えた事に他ならないだろう。であれば聖杯として聖杯自身に試練を乗り越えた報酬があって然るべき。


 彼女の願いは何だった?


 彼女は欲していたハズだ。未来永劫、それこそ永遠に、自身の隣で味方してくれる存在を。ルシフェリア・ニーベルングにはいなかった存在。咎埼乃愛にはいる存在。逆に考えれば、第三法則がなければルシフェリア・ニーベルングは咎埼乃愛になどならなかった。異世界に逃げ延びたからこそ得た絆。そして我欲に塗れた第一法則。聖杯の所有者。


 その男は今、今こそ立ち上がる。


 血塗れとなったその黒き外套を靡かせ、両手を広げて立ち上がる黒き背中はゆっくりと視線を二人の魔王に向ける。


 葵の風が止んだ。


 嵐の前の静けさとはこの事。イオリアは目の前にいる彼を彼と認識出来ない。その理由も、その意味も、どうして彼が立つ事が出来たかもわからない。しかしその目的は、これから彼が行う事は、もう嫌という程に理解出来た。


「………………………………邪魔だ」


 不死の随伴者はいつだって、咎埼乃愛に仇成す総てを破壊する。

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