第043話
魔族領域某所。廃墟となった街にその者達はいた。
金髪に長く尖った耳。色白に碧の瞳を共通点とした者達。通称、エルフと呼ばれる長寿の魔族であるその者達は首筋や手首に包帯を巻いてはいるものの、キュクロ・アルゲースが言っていたような奴隷という雰囲気は見られない。
月が煌々と輝く夜空の下、遠くで雲のかかった空を見上げる者達。
宝石のような瞳でただ呆然とその空を見上げる者達が数名。肉体的な強さを持たない種族であるエルフの男は、その多くが命を落としている。その場にいる者達も九割が女であり、残る一割の男は皆小さな子供だった。
瓦礫の山の頂上にいたエルフの少女が手を伸ばし、その遥か遠くにある雲がかった空を見つめている。
「故郷が恋しいですか?」
聞こえた声に少女は伸ばしていた手を下すと逆の手でその手首を掴み、ふるふると髪を振り乱しながら首を横に振った。
「私達の居場所はここですから」
少女は答える。瓦礫の山に彼女は一人。故に誰かに届ける言葉ではないように思えるも、しかし“それ”はどこからともなく月光の下に現れた。
「そうですか。ならばどうか、御役目を……」
黒いマントに黒き鎧。羽音と共に現れた白髪の男は片膝をついてエルフの少女に頭を垂れる。頷く少女はその手を差し出し、差し出された手に両手を添えた男は立ち上がると共にゆっくりと瞼を開く。
ヴァンパイア。
月下に咲く紅い瞳は少女を見下ろすとその華奢な身体を低調に抱え上げた。その紅の瞳を見上げる少女はそのヴァンパイアの整った顔立ちに見惚れているようだった。
「では参りましょう。我等が王が貴方を御待ちです」
瓦礫の山を飛び下り、多くのエルフ達の前に降り立つヴァンパイア。それを見たエルフ達が次々に左右に別れ、彼の通る道を作ると共に跪いて瞼を閉じる。
その中をゆっくりと歩き始めるヴァンパイア。視線と行く先は真っ直ぐ、廃墟の街の最奥にある丘の上──崖際に聳える大聖堂。
巨大な扉の門番のようにして左右に控える全身甲冑。中身のある全身甲冑では凡そ出ないような空洞のような足音を立てて姿勢を正し、ヴァンパイアの方に向き直って天に掲げた剣を胸元に礼を一つ。
「扉を開けよ」
ヴァンパイアの言葉を聞き、鎧達が完全に同じタイミングにして左右反対の動きで剣の柄頭を扉に二度打ちつける。すると中より扉が開き、ヴァンパイアは常闇の中へ足を踏み入れる。
「ひっ」
短い悲鳴のような吐息。中に入る刹那、扉を開けた者の大きく見開いた爬虫類独特の瞳が見えての反応だった。
「御安心を。彼は竜人族。我等ヴァンパイアと同じく誇り高い種族ですから、戦意のないものを襲う事は早々ありませんよ」
歩きながら優しく微笑むヴァンパイアは、まるで姫に仕える騎士のように言い聞かせる。その声音に少女の恐怖心は幾らか和らいだものの、これから起こる事にその胸の鼓動は早まるばかり。両腕に抱き抱えられたこの状態ではその音が聞かれてしまうと、恥じた少女はヴァンパイアから視線を背けるように余所見がちに俯いた。
「王よ、御連れしました」
入口より数十歩。扉も閉めた事で窓から射し込む月光のみが明かりとなったその場所で、膝をついたヴァンパイアが少女を下した。
聖堂の奥の巨大なステンドグラス。月光によって淡い光を射し込むものの、横に並んだ窓から射し込む光も含めて聖堂全体を明るくするには及ばず、十字架の代わりに置かれた玉座の背をほんのりと照らすだけ。
むしろステンドグラスの光が影を作り、肝心の王の姿を闇で覆い隠していた。
ただ、そこにいる。
ハッキリとそれがわかる。魔族は近くの魔族の魔力を感じる事が出来るというのもあったが、そういう意味ではその存在はハッキリと認識する事が出来なかった。魔力が乏しい、否。王であるからして、魔力が乏しい事などあるハズがない。
であるならば抑えているとして、ともかくその存在がそこにいるという確証は別の感覚によるものだ。
「前に必要ないって言っておいたハズだけどね」
それは息遣い。圧倒的に格上の存在を前にした時に感じる威圧感。何もせずただ座しているだけに過ぎない王の威厳を肌で感じ、少女は未だ顔を見せない王の存在を感じ取っていた。
「御言葉ですが王よ。我々は貴方に新世界の王となって頂きたいと願う者。それはけして、ヴァンパイア族に限った話ではありません。そこに控える誇り高き竜人族、今も身を粉にして働いているドワーフ族や多くの種族。そして亡者までもが門番となり貴方に付き従っている。その奉公を受ける義務が王にはあるのです」
主君に尽くすが民の義務。その義務を受ける義務もまた王には課せられているとヴァンパイアは謳う。その最もではあるが真面目過ぎる物言いに、座する王は少々多めに息を吐き出した。
「主よ、私達エルフは貴方にこの身を捧げるが義務。戦う事も不得手、産み出す事も不向きな私達に出来る唯一の奉公をどうか御受け下さい」
少女は震える足を誤魔化すように膝を折り、ふくよかとは言えない胸に手を添えて頭を下げる。その心臓がこれから起こる事に対しての恐怖で大きな音を立てているのを悟られるのが恐ろしくて、エルフの少女は瞼を閉じようとした。
「わかったよ」
その時、玉座から放り投げられたのか銀のナイフが少女の前に転がって来た。そして意味がわからず顔を上げた少女の視界に、それは現れた。
気が狂いそうになる程に不気味で、宝石のように瞬く真紅の瞳。薔薇を彷彿させるなど、血のように紅いとは陳腐な比喩だが、形容するにはそれ等が最も的を射た表現であった。
それはただ瞼を開いただけに過ぎない行動ではあったが、ただそれだけで心臓が悲鳴を上げるように鼓動を跳ね上げ、エルフの少女はそれ以上見てはいけないと顔ごと視線を下に向けた。
「ッ、ぇ……?」
しかしその視線は再び紅い瞳を正面から眺める事になる。
「怯えてるね。……僕がそんなに怖い?」
少女が視線を下に向けた後、玉座より舞い降りた王は視線を合わせるように、そして少女の顔を覗き込むようにして両足を開いて屈み、その右手で少女の前髪を掴み上げるとその手を放し、震えながらも身体を強張らせる少女の首筋を撫でる。
「弱いというのは哀れだね。強者に、環境に、明日に怯えながら生きていく」
声音は若く、体格も少女と同じ程度。男にしてはあまりにも小さいその王は少女と左程変わらぬ年頃の少年であるとわかる。
「私は弱くなんか……ない」
王を持たないエルフ族は弱者。多くの魔族の奴隷として生きていくか、隠れ潜んで生きるかしか道はない。人間に敗北した魔族など例え長寿と優秀な知能を持っていたとしても取るに足らないと思われるのは自明の理。
だがしかし、こうして逃げる事なく血を捧げる覚悟をした自分は弱くなんかないとエルフの少女は震えた声で否定する。
「いいや、君は弱いよ。次代の王を残さなかった先代の王が憎い。……そう思うのは勝手だけど、随分他人任せな生き方だとは思わない?」
「他人、任せ……?」
「そうさ。確かに王の有無でその種族の運命は大きく左右する。今までにない事例だし、前例がない以上対処のしようがない。だけどその憎しみも悲しみも、そして僕に対する恐怖さえも原因は君が弱いからだろ?」
首筋を撫でる手をは上から下へ、鎖骨に触れてからエルフの少女から離れると足下にあったナイフを拾い上げる。すると王はクルリと手の上でナイフを弄び、刃をつまんで少女に差し出した。
「君に力があれば亡き王を恨む事も悲しむ事もなかった。みんながやっている事だからと流されて、怖れに震える身体を引き摺って僕の前に訪れる事もなかったハズだ」
「流されて……」
少女の覚悟を真っ向から否定する。言われるがままにここへ来た。そして今も差し出されるがままナイフを受け取り、その手に握り締めている。少女はナイフに視線を落とし、強く強く握り締める。
「そのナイフは僕からの餞別だよ。自分を斬って僕等に血を捧げてもいいし、他の事に使うのもいい。僕か与えたそのナイフの分だけ今の君は自由だ」
他の事と言いつつ自らの首を指で二度つついた王はその手で少女の顎を引く。
「よく考えて、選ぶんだ。世界に流されて君を殺すか、君でいる為に世界を殺すか。……過程を経由すれば必ず結果は訪れる。覚悟っていうのはね、結果を踏まえて行動を選択する事だ」
遠くの空で光る稲光。それは僅かな光ではあったが、少女の瞳に王の姿を焼き付けた。紅い瞳に銀色の逆毛。優しめの大人し気な口調とは違い、その紅い瞳は嘲笑うように少女を見下ろしていた。
優しい声に諭されそうになっていた気持ちがその真紅の瞳によって現実に戻される。
彼の王はヴァンパイア。吸血の鬼。深遠なる真紅の王。弱肉強食の理の中で圧倒的上位に位置する高位魔族。故に弱者である者の気持ちなどわかるハズもなく、対等な立場で話す事はない。礼儀正しく、そして丁重にここまで同行した隣のヴァンパイアですら、エルフの血を啜る鬼なのだ。
故にその言葉は真摯に自分と向き合って紡がれた言葉ではない。言ってしまえば家畜に語り掛けただけの事。強いられる選択もまた彼の王によって用意されたものに過ぎない。
腹立たしい。
手も足も恐怖に屈する中で少女は感じる。どれを選んでも流されているだけに過ぎない。自分がここにいる意味も生まれた意味もなく、自らを偽りこうして蔑まれようとも生き延びる事が最善。しかし周囲に流されて生きるだけでは、そもそもそれは自分である必要はない。
自由と力。
奴隷や家畜では自らを縛る鎖は壊せない。しかし、しがみついたナイフがあればそれは壊せる。目の前の王が差し向けたように、すぐ傍で無防備に晒している首を斬り捨ててしまえばいい。
──そんな事……ッ。
否。出来る訳がない。斬ろうとする事は出来る。しかし相手は仮にも王と呼ばれる者。無防備であろうともこんなナイフ如きではその刃は届かない。いや、もしかしたら殺す事が出来るかもしれない。窓から射し込む月光に煌めく刃はそう錯覚し力に溺れるように魅了される程に美しい。
だが王を殺した者がその国に住まうなど出来るハズもない。王に従っていた者から追われる人生。それをこのナイフ一つで切り抜けられる訳がない。選択肢はあるようでないのと同じなのだ。
「……足り、ない」
故に少女は握り締めたナイフを下ろし、涙の溢れる瞳で視線の先の王を睨みつける。
「もっと、力が欲しい」
もっと力があれば自由になれる。何も憎む事はなく、何も悲しむ事もなく、何を恐れる事もない。自分らしく自由に生きる為には力がいる。与えられたナイフの分だけの自由なんて少な過ぎるから、少女はもっと力を欲した。
「五十六」
腕を組んで少女を見下ろすヴァンパイアの視界の端で、王は静かに呟いた。その言葉に半ば呆れるように笑うヴァンパイアだが、少女には何の数字かわからなかった。
「これは僕の前に連れて来られた者に同じ言葉を吐いた数と、そのナイフで自分の血を捧げた者の数だ。……それは同時に僕が守るべき弱者の数で、そして君はその数に入っていない」
立ち上がる王。少女はそれに怯え、全身をガタガタと震わせながらナイフを身構えて後退る。立てもしない足を引き摺って、一刻も早くここを立ち去らなければ殺されると予感する。
「ルーファス、彼女の部屋と装備の用意を。明日の調達班の護衛に同行させるよ」
ルーファスと呼ばれたヴァンパイアは命を受け深く頭を下げる。そして王の紅い視線は再び少女を見下ろした。
「立ちなよ。強くなりたいというのならその手で掴むんだ。君が選んだ道だろう?」
「どう、して……?」
含むように笑みを浮かべつつそう言って少女に背を向ける王。その王の背中に少女は問い掛ける。王は玉座へと足を運びつつ、少女の問いに答えるべく口を開く。
「僕は弱者に興味がない。僕の下に集まった総てのエルフが血を捧げた中、君だけはそれを選ばなかった。だから君に興味を持ったんだ」
振り返り、玉座に座ると頬杖を突きつつ笑みを浮かべる王。その笑みは先程の選択を強いた時のような蔑むような色はなかった。
「強き者は戦わなくてはならない。……僕の父の言葉だ。弱者を守り、王は民に道を示す者でなくてはならない。力を持てば今の君とはまた別の選択をするかもしれない。だからまずは僕の下で強くなりなよ。先の言葉に違わぬ成長を、僕は君に期待している」
殺されないと知り、少女は力を抜いて安堵する。未だに身体は震えているものの、恐怖という感情はもうどこにも存在しなかった。
「今日はいい日だ。いい拾い物と──」
王は視線を窓の外へ。遠く彼方、雲がかかった空に瞬いた紅い十字の光に目を向けた。
「──探し物を見つけた」
「…………そうだったね。僕は、間違ってなんかいないんだ──」
乃愛の差し出した手を握り締め、葵はそう呟いた。僕達の、そして私達の物語はまだ始まったばかりなのだと互いに笑みを浮かべて。
イオリアもまた、やるべき事はこれから山のように残ってはいるものの戦争の終結と葵の勝利に気分が高揚していた。抗わずに立ち向かえば、弱者であっても強者に勝てると、夜坂葵という男が道を示してくれたから。
その勘違いが命取りだった。
力のない者に自由はない。どこか遠くに座する王が唱える理。それこそが真理。どんな世界もそのように出来ている。
まるでその場にいる勝利に酔う者達にそう教えるかのように、その巨漢はイオリアの背後に舞い降りた。轟音と共に空から舞い降りた巨漢の足下が砕け散り、突然の事に反応しきれなかったイオリアの視線がその男へと振り向くその時に、
──風より速く……ッ!?
「“我が法則を訊け”」
風の音よりも早く耳に届く言葉。それはその者が魔王である事と、このゼロ距離に加えて不意打ちという状況で法則の使用を許した事を意味する。
「“理想物質”」
その場で最も早く反応したイオリアであったが、巨漢の足下から出現する十字架の鎖に手足を囚われ、あっという間に磔にされる。
「何──」
次に巨漢は乃愛に視線を向ける。同時に駆け出し、砲弾の如き巨大な拳を振り被った。
振り返った乃愛は躱そうとするも、利き手である右手を葵と繋いだ状態では間に合わない。自分だけ躱す事なら間に合うタイミングであったが、乃愛が葵を見捨てる事など出来るハズもなかった。
「ぐっ!?」
突き出された拳は身を捩りつつ防ごうとした乃愛の左二の腕を掠め、その圧倒的な怪力によって乃愛の身体は葵を巻き込んで後方へ吹き飛ばされる。
「くっ、大丈夫か……?」
「何とか。それより何が起きて……」
イオリアと乃愛以外何が起きたのか理解出来なかった。吹き飛ばされた葵を含め、周囲にいるヴァナヘイム軍総ての者が呆気に取られて状況を把握しきれていない。
乃愛は怪我を負ってはいないものの、その圧倒的な怪力による拳によって亀裂の走った左二の腕の装飾を押さえつつ立ち上がると、正面に立つ男を見上げる。
顔を覆うように生えた巨大な四本の牛の角。野性的な髪は鬣のようで、赤銅色のマントと共に風に揺れている。皮膚がはち切れんばかりに膨れ上がった筋肉を隠す気のない張り付いた衣服は黒く、さながら巨大な銅像か何かを前にしているような威圧感がそこにあった。
先程の大砲のような打撃を繰り出した腕を組み、そこに立つ様は正しく王の貫禄があった。
「いきなり御挨拶だな。それに単独で来るなんて私を知っているとは思えない愚か者だ」
葵の前に立つ乃愛はそう言いながら周囲を見渡す。本来魔王は切り札を隠しつつ、配下の魔族に戦わせるのが多い。策を弄するような見た目には見えないものの、既に配下がこの場を囲んでいる可能性があったからだ。
「馬鹿な娘だ。戦いには目的が必要だ。余とて無用な争いなどせぬ。そして余の配下を警戒しておるようだが、元々ここには戦争するつもりで来た訳ではない。キュクロ・アルゲースが何やらよからぬ事を企んでおると噂を聞いて見物しておっただけに過ぎぬ故、余のミノタウロス族は同行しておらぬ」
ミノタウロス。牛人族。闘争を好み、闘争心のままに他種族を襲う気性の荒い魔族。人類は未だに知り得ぬ魔族であるが、乃愛は当然知っている。その趣向も習性も、かつてのニブルヘイムと何度か戦った事も乃愛は知っている。
「しかし安心するでないぞ、ルシフェリア・ニーベルング。余の目的が何であるかくらい知っておろう」
そう、知っている。ミノタウロス族はけして他種族と友好的な関係にはなり得ない。サイクロプスもそうであるが、ミノタウロスはそれ以上の理由があるのだ。
「…………そうだな。人間を嫌う魔族が多い中私はそうではなかった。多種族混合国家に生まれ、その王家として差別を否定していた私でさえもお前達は気色が悪い。……お前達に比べればオークの方がまだマシだ」
一つ。ミノタウロスは物を生み出さない。総て略奪によって手に入れる。
二つ。ミノタウロスは自己至上主義。闘争の果てにしか物事に決着はない。
三つ。ミノタウロスは決まった国土を持たない。故に常に移動し他種族を脅かす。
話し合う知能を有するにも拘らず、それをしないのはサイクロプスより質が悪いのは言うまでもない。それでいて繁殖率も高いともなれば瞬く間に全魔族の領土を埋め尽くす程の数に成り兼ねないが、しかしそれはない。
自己の強さを誇示する事がミノタウロスの思想であるからこそ、常に戦い常に奪い常に死んでいるのだ。生まれる数と死ぬ数が同程度であるからこそ、そういう悲惨な出来事は起こりえない。
「言いよるわ、小娘が。しかしそれでこそ相応しいというもの。余の名はヘリオス・ミーノース。覚悟はよいな、ルシフェリアよ?」
言って腕を解くミノタウロス族魔王──ヘリオス。しかしそこにゆっくりと割って入る人影があった。
「話がわからないけど、君が咎埼の敵だって事は──」
「よせ葵ッ!」
だが割って入った葵をヘリオスは人差し指だけで吹き飛ばし、葵の身体は乃愛を通り過ぎて後方の木に激突した。
そして、四つ目の理由。ミノタウロス族には雌が産まれない。
故に襲われた際に男はなぶり殺しにされる。そして女は凌辱の限りを尽くされ、死ぬまで子を産まされ続ける。女を快楽のままに貪り、人としてすら扱わずに弄ぶ外道の魔族としてミノタウロス族はあまりに有名過ぎる。
要するに男に用はないのだ。それも闘争を楽しむ事の出来ぬ弱者であればある程に。
「小童が。キュクロを退けた事は褒めてやるが、その程度の膂力で余の前に立つ事は許さぬ。……まず手始めに貴様を木っ端微塵に潰してやろう」
そしてそれだけでは終わらない。吹き飛ばされた衝撃によって明滅する葵の視界の中でヘリオスが窮迫する。振り上げた拳を真っ直ぐ、それこそ葵の四肢が飛び散る程の勢いで突き出した。
しかしその時、紅き光が解き放たれる。
「……私の負けだ」
その拳から葵を救う為、間に割って入った乃愛は右手でヘリオスの拳を受け止めると同時にそう呟く。葵はその言葉に当然怒り、立ち上がって怒鳴り散らそうとするも身体が動かないどころか声も出ない。
「ほう。しかし余は一度決めた事を違えた事はない。故、その屑の命を見逃せなどと──」
「覚悟はいいかと、そう言ったな?」
ヘリオスの腕を押し返す乃愛。ヘリオスはその勢いで二歩程後退り、その足跡を見下ろす。話には聞いていたが、魔力によって強化された乃愛の力がこれ程とはと、感心を抱きつつも不服な笑みを浮かべて。
「覚悟とは結果を踏まえて行動を選択する事だ。望む未来を手にする為に、思い描いた未来の為にどうするかを選ぶ事。……お前のような魔族に言ったって女心はわからないだろうが」
一度背後の葵を見る。申し訳なさそうに、そして悲しむように。
「女には女の闘いがある。愛する男の意志を尊重し、傷つく彼を見守る事。それが“男を立てる”という事で、歯痒くとも不安だろうと耐え続けるのが女の闘いだ」
葵に一瞥した後、再び魔力を解放する乃愛の紅い瞳がヘリオスを睨みつける。語る持論は咎埼乃愛として、思い描いた未来の為に覚悟した選択。守る側にはない守られる側の覚悟。守る側にはわからない守られる側の痛みだ。
あの日、別人となった葵に向けて手を差し伸べたあの日からの夢。
冒険者となって葵の隣で彼を支える事を誓ったあの日から続けた女の闘い。ヒーローに守られるヒロインでありたい。夜坂葵に好かれるような女でありたいと願う気持ち。別世界で培った乙女心。
それ等総てを思い出し、懐かしみ、今でもそれが大切だと言い張りたい気持ちをかなぐり捨てて、咎埼乃愛はその背中に純白の翼を解き放つ。
「故に、お前の勝ちだ。私は咎崎乃愛としてではなく、魔王ルシフェリア・ニーベルングとしてお前を殺す」




