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楽園変生 第一部 ──不死の随伴者──  作者: 紅葉 昂
第一部【不死の随伴者】
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第039話

「それじゃ、行くか」


 イオリアの超人的な出陣を見送った後、隣で葵達を見上げていた乃愛へギリアムは言葉を投げかけた。

 視線はもう見えなくなったイオリアや葵から隣にいる乃愛へ。星空の下で淡く光る銀色の髪と寂しげな紅い瞳。ギリアムの言葉に瞼が一度閉ざされたのを境に、その紅い瞳は前だけを見据えた。


「そうだな」


 純白の衣を翻し、城門の脇にある木の影から飛び出す乃愛。ギリアムもそれを追って走り出す。その最中、重い大剣は葵に渡して正解だったと思い浮かべる。

 乃愛は長杖を持ってはいるものの足取りは軽く、それでいてギリアムより遥かに小柄な体躯。物影から物影へ、建物の中へと入り、周囲の魔族の目を盗んで別の民家の塀に移る速度も間隔もギリアムには堪えるものがあった。


 今は塀に持たれつつ身を屈めているものの、葵がいうにはもっとスローペースでも問題ないハズだった。気が急いているのかと思いふと隣を見ると、乃愛の火照った頬を伝う汗がふくよかな胸に落ちて弾んだのが目に留まり、ギリアムは自然と息を呑む。

 今はそんな場合ではないのだが、小さな肩も背中も視線を背ける事が出来ない。当然乃愛の護衛なのだから、乃愛から目を離す訳にはいかない。故に当然その肉体に意識がシフトする別問題が発生する。


 あの日、あの時ギリアムはその手首を握り締め、あの小さな背中を逃げられないように壁に押しつけた。その首筋も、その唇にも触れようとした。耳に届く吐息の熱は、今初めて感じたものではない。


 あの一瞬、葵達を追って来る前のあの刹那、咎埼乃愛という存在はギリアムのものだった。


 乃愛の意思を別にして彼女の呼吸も身体も見ているものさえも、総てが自分自身でいられた。ならばもう一度と望むのは必然。好んだ香をもう一度嗅ぎたいと思うように、美しき光景をまた見たいと感じるように、舌に合う酒を再び口にしたいと願うように、その脈動もその肉体も、あのガーネットのような紅い瞳も自分のものにしてしまえばいい。


「ギリアム」


 名前を呼ばれ、視線を重ね、その指が自身の額に触れる。それだけ、たったそれだけの行為でギリアムの理性が崩壊する。理性という名の制御装置を失った獣はただ目の前の雌を貪るのみ。


 想いのままに、あるがままに、総ての生命はそうあるべきなのだから。


 雄が貫き、雌が受け入れ、雄の存在を雌が認める。原始的な行為で、最も進んだ異性のカタチ。滾り、溢れ、満たされる想いの最終地点。


 それが皆がアイと叫ぶモノ。


 口を開き、額に触れる指へギリアムは震える手を伸ばす。もう彼は限界なのだ。“不死の王”の魅了の力は一度捕まえたものをけして逃がさない。


 だから、


「顔色が悪い。やっぱり私といると……」


 ギリアムは愛しいその手を払い除けた。


「うるせえ、俺の役目は護衛だ。護衛役が襲っちゃ意味ねえだろうがッ」


 ふざけるなと、彼は怒りを覚えた。


 湧き上がる肉欲に抗うのは理性ではなく怒り。もう歯止めは効かない。理性という名の制御装置は既に壊れ、ギリアムの肉体は咎埼乃愛の総てを求めている。であるからこそ許せない。想いの丈をぶちまけて、その奇麗な肢体を汚してしまいたいと願うのが許せない。

 それではまるで不死の王の魅了によって生まれた他人任せの想いのようであるから。欲する事も求める事も、共にすごした時間を経て育てていくものだから。だからギリアムは怒りを覚えた。


 何より乃愛を悲しませたくないから。端的に言って見たくないのだ、乃愛の涙を。


 夜坂葵は乃愛を護れるかもしれない。有象無象と湧いて出る魔族から乃愛を護る為、その肉体が滅びても戦い続ける事が葵には出来るかもしれない。

 しかし駄目なのだ。葵では乃愛を悲しませる。絶対に彼女は泣いてしまう。


「俺はアンタを泣かせねえ。いいから行けよ、しっかり護ってやるからよ」


 だからせめて、自分は彼女の涙を拭える存在になりたい。弱い自分でもそれぐらいならやってやれないハズはないからと、ギリアムは自身を奮い立たせた。


「わかった。苦しくなったら護衛は気にしないでくれ」


 そう言って乃愛は立ち上がり、身を縮こませながら塀の外をうかがってサイクロプスがいない事を確認して飛び出した。

 その後姿を見送ってギリアムは立ち上がる。腰の長剣を抜き、鏡のように真新しい刀身を見下ろした。そこに写っているのは額に汗を浮かべ、血走った眼で剣を見下ろす自身の顔。それはとても醜く浅ましく、まるで自分ではないかのように思えた。こんな顔をしていては乃愛も不安になるというもの。

 だがそうはいっても作戦を安全に成功させるには自分が乃愛を護らなければならない。そう言い聞かせ、近寄ってくる足音にギリアムは顔を上げて歩き出した。


「何だよ、先に行ってて構わねえのに──」


 惚れた女へと歩みより、笑みを浮かべるギリアムの腕を掴む手。その手は塀の外へ彼を連れ出し、その身体を強く抱え込んだ。











 ヴァナヘイム。

 かつてエルフ族が統治していたその地は森の中の平地に存在し、四方を取り囲む巨大な城壁を持つ石造りの城を後方に控えた城下街が唯一の街。本来周囲の森の中の至る所にも拠点や集落があったものの、今やサイクロプスの進攻に踏み潰されて跡形もなく、たった一つ残されたこの街も現在は戦場と化している。

 石で出来た建造物は辛うじて原型をとどめ、木で出来た建造物はその半数が焼け崩れて見る影もない。つい先日まではまだこの街を住人達は利用していたが、今や城壁の中へ避難している。故にこの戦いにおいて兵士を除いて被害を受ける事はない。


──でも、私達がしている事って……。


 だが、それはあくまでこの戦闘においての話だった。多くの建物が半壊し、そして森の集落や拠点が消滅している今、この戦いで魔王を打倒したとしてもヴァナヘイムの未来が明るい訳ではない。

 魔族領域に堂々と君臨し、栄えていた城下街を飛び回りながらイオリアは戦闘中にも拘わらず戦後を憂う。その一瞬をキュクロの眼は見逃さない。


 イオリアの右足首に巻きつく鞭。空中にて足を引かれ、しまったと思ったその時にはイオリアは地面に叩きつけられていた。


「おやおや、ちょこまかとお逃げになるのはおしまいですか?」


 口を大きく開けた醜悪な笑みを浮かべるキュクロ。その手にはイオリアの足に巻きついている鞭が握り締められている。その鞭へメッザルーナを振るうイオリアだが、剣に打ちつけたかのような手応えを感じた。


「無駄ですよ、その鞭は世界樹に伸びていた蔓で作られた特別性の代物。オーガやゴブリンの魔王が持つような安物の武器ではありません。……今貴方が相手にしているのはサイクロプス。魔族としての質がそもそもそれ等とは段違いなのです。当然、身に纏う物の格も違うという訳です。……貴方々ともね!」


 背後を振り向くキュクロ。その視線と、鬼の形相で飛び掛かった葵の視線が重なる。瞬間、イオリアは足を引かれ、薙ぎ払われたキュクロの腕に沿って宙に投げ出される。解き放たれたその身体は、しかし葵へと襲い掛かる。


 舌打ちする葵は背中の大剣から手を放すと、イオリアの背中を受け止めて後方の民家に激突。幸い木製の民家であったが為に背中を強く打ちつける事はなかったものの、イオリアを抱き抱えた葵の身体は木製の壁を突き抜けてしまう。


 受け身を取り、すぐさま周囲を見渡す葵。その視線が探しているのは乃愛の姿。彼女には建物内や物影を移動するように言い含めている為、運悪く居合わせた場合には作戦が台無しになるからだ。


「申し訳ありません、葵様。不覚を取りました」


「気にしなくていいよ。僕もこれが重くて追いつけなかったしね」


 周囲に乃愛の姿がない事を確認しては安堵しつつ葵はイオリアに返答する。しかしその意識はイオリアに向けられていない。葵の脳を駆け巡るのは奇襲作戦に必要なキュクロの隙をどう作り出すか。

 幸か不幸かキュクロは二人をただの人間として見ている事から完全にナメきって法則を使用しようとはしない。だが左腕は肘から先がない重症の状態であるにも拘らず、その体裁きは並みのサイクロプスの比ではない。


 暴れ回る猛獣の動きとは真逆の洗練された動きで、速度もイオリア程ではないが葵より速い。そんな魔王の動きをどうやって止めるか。葵は今それのみを考えている。


 だがその時、ただならぬ風を感じ取ったイオリアによって頭を抑え込まれた葵は片膝をついて伏せる。その瞬間頭上を通過する衝撃。見上げた葵の瞼は強く大きく開かれた。


「これがサイクロプスの魔王……」


 イオリアが隣で呟き、立ち上がった葵は周囲を見渡した。周辺の建物総てが吹き飛んでいたのだ。その範囲、およそ三十メートル。今もその瓦礫となった建物は葵の後方へと飛んでいき、正面のキュクロは涼しい顔で鞭を持っていた。


──今のが、鞭による攻撃なのか。


 イオリアの能力がなければ間違いなく上半身が吹き飛んでいたところだった。脳裏に過ぎった今とは別の未来にゾッとし、葵は素早く駆け出した。

 周囲の建物がなくなった事でここでの奇襲作戦が不可能になったからというのもあるし、付近には葵とイオリアを追って来ている乃愛がいる。見晴らしのよくなったこの場所に向かって来てもおかしくない故に、ここに長居する訳にはいかなくなった。


「馬鹿の一つ覚えのように逃げ惑うばかり! 先程の威勢はどうしたのです!?」


 しなる鞭。キュクロは葵を追いつつそれを頭上で回転させる。まるでヘリが飛び立つかのような騒音が響き、葵の背筋が凍りつく。同様に、キュクロと葵を追う形で建物の上を飛び交うイオリアは葵よりも早くそれに気づくも、距離が開いてしまっている為葵を突き飛ばす事すら間に合わない。


 刹那、鞭の一薙ぎが嵐を呼ぶ。


 振るわれた鞭は回転していた遠心力とキュクロの腕力を乗せて、触れた建物総てを破壊する。まるで重機のハンマーが建物を崩し破壊するが如く、その鞭の破壊の軌跡は葵を追う。


──躱しきれない……ッ!?


 先程建物の中に身を隠していた際はイオリアが傍にいた。予備動作の多い同じ技ではあるものの、先程はその予備動作を確認出来ていなかった。故にこの二度目の攻撃を回避する術を葵は持たない。


 故に、イオリアは愛する男を護る為に鞭と葵の間に飛び込んだ。


 その鞭の威力は先程見た通り。当然防ぐ事など、ましてや止める事など出来はしない。だがそれが何だというのだ。想い人を身を挺して護る事に何の躊躇いがあるという。それに、イオリアは乃愛に葵の身を頼まれた。当然そんな約束などあろうがなかろうがイオリアは葵を護る。だが約束を交わした上で葵を護れなければ、それは負い目を感じる事になる。


「そんなのは御免なのよッ!」


 故に、イオリアはメッザルーナを押し当てるように鞭を斬り上げる。当然その鞭の強靭さはキュクロの言った通りそうやすやすと切断出来るものではなかったが、硬いなら硬いで好都合。もとよりメッザルーナは武器の軌道を逸らす事に特化した半月型のダガー。その円に沿って打撃斬撃を受け流せる。


 結果、激しい火花を散らして鞭の軌道は上方へ逸れた。これにより葵は無事だったが、ホッとしたイオリアの前でキュクロは口元を歪ませた。


 上方に逸れた鞭はメッザルーナと衝突した部分を軸に鞭先が進行方向を反転。失速しつつ反転した鞭の先端は後方右側から再びイオリアへ襲い掛かる。超人的な反応速度でそれに気づくイオリアは、しかし鞭の速度を超える事はない。

 蛇のようにイオリアの右手首に巻きついた鞭はキュクロの常人離れした鞭捌きによって先程振り上げたイオリアの左手首をも絡め捕る。


「イオリ──」


「ヒャーーーッハァーーーーッ!」


 イオリアに手を伸ばす葵の視線と、助けを求めて葵に振り返るイオリアの視線が重なったその時、聞くに堪えない耳障りな叫び声と共にイオリアの姿は葵の視界から消失した。そこにいたハズなのに一瞬で消えた仲間。その光景を葵は過去に体験している。キングゴブリンに奪われたリーベの姿と、先程のイオリアの表情が重なった。

 だが此度のそれは法則ではない。視界から消えはしたがその存在が突如別の場所に転送された訳ではない。その証拠に見上げた葵の視線の先には両手を引っ張り上げられたイオリアの姿があった。


 一瞬、ほんの少しの間無重力を味わったイオリアの両手を引く鞭。突如進む方向を変えられたイオリアの身体は、キュクロの振り下ろした腕の軌跡を追って地面へ激突して砂煙を巻き上げる。

 その風圧が葵を襲う。立ってはいられるものの、その風は葵の足を止めさせる程に強力なもの。そして両手を縛り上げられたイオリアは抜け出す事も受け身を取る事も出来はしない。


 だというのに、キュクロはもう一度振り上げた腕を今度は反転させる事なく後方へと薙ぎ払う。


 砂煙より飛び出したイオリアは成す術なくそのまま地面に激突し、強大な風が再び吹き荒れる。振り返り、様子を見るキュクロ。どうにもその視線は訝しむようで、その表情に笑みはない。

 砂煙が薄れたのはほんの数秒先。そこにはあれ程強力に叩きつけられて尚、起き上がろうとしているイオリアの人影があった。


──……受け身を取った? いや、そんなハズは……。


 思考すると同時に今度は横に腕を薙ぎ払おうとしたその時、キュクロに影がかかる。振り返った先では飛び掛かってきている葵が大剣を振り下ろしてきていた。しかしそんな攻撃に当たるキュクロではない。軽やかなステップで躱したキュクロは、葵が大剣を振り下ろし終えるのを待ってからその首筋に蹴りを叩き込んだ。


「中々にタフですねぇ。それに考える頭もあるようだ」


 蹴りを受けて尚立つ葵から視線を下ろすキュクロ。葵の大剣が振り下ろした先、キュクロとイオリアを結ぶ鞭がそこにあった。


「しかし人間如きが作り上げた武器が、このサイクロプスの王に役立つと思っているのは些か知能が足らないようだ!」


 葵の狙いはキュクロと見せかけてその実鞭だった。でなければ月明かりを遮るように奇襲をかける訳がない。しかし結果は先程のイオリアと同じ。鞭は葵の渾身の一撃ですら傷一つつかず、キュクロはあろう事か言葉と同時に鞭を引く。

 起き上がろうとしていたイオリアは両手を引かれ地面を引きずられる。すると当然イオリアの向かう先はキュクロとの間にある葵の持つ大剣の刃。


「どうやって受け身を取っていたか知りませんが、これで終わりです!」


 下卑た笑みと行為。その目的を素早く悟った葵は地面に半ば刺さった大剣を引き抜くようにして投げ捨て、イオリアを救う為にその鞭を掴み取る。しかし葵の握力を以ってすらキュクロの引く鞭は止まらない。擦れた手袋から煙が昇り、引かれていく足はそれでも尚踏み止まろうと大地を抉る。

 このままでは止まらない。ならばと手を放した葵の取った行動はイオリアを見捨てる事でも逃げる事でもない。ましてやイオリアを受け止めるという愚策でもない。そんな事をすれば二人共引き摺られてどこかに叩きつけられるのが関の山だから。


 であれば鞭を握り締めるキュクロの右手を斬り落としてしまえばいい。


 長い鞭の先、無防備に腕を晒しているキュクロの腕。左手は肘から先がなく、そして二の腕を縛る事で止血している事から最近片腕を亡くした事がわかる。鞭は切断出来なくとも、腕は別。何より失っている左腕がそれを証明している。

 疾走する葵。鞭に引かれていた勢いも利用して駆け、カランビットを握り締めた右腕を薙ぎ払う。


「な……ッ!?」


「言ったハズですよ。人間風情が作った武器でこの私を傷つけようなど、愚の骨頂であると!」


 強く握り締めていたカランビットが葵の手を離れて宙を舞う。そんな馬鹿なと、驚いている間に葵の腹を蹴り飛ばすキュクロ。吹き飛ばされた方角と鞭の薙ぎ払われた先は完全に重なり、イオリアの背中が踏み止まった葵の脇腹に直撃する。


「が……ッ!」


 どちらかが声を上げ、或いはお互いが声を上げた。しかし互いに、そんな呻き声よりも身体の中で響いた破砕音に耳を傾けながらその場に倒れ伏す。

 魔王との圧倒的な差。わかってはいたものの、文字通り歯が立たないとまでは思っていなかった。


「葵、さま……」


 呟きつつ、解放された両手で身体を持ち上げるによう起き上がるイオリア。しかし全身擦り傷を負ったその両手は震え、上手く力が入らない。幸い背骨が折れた訳ではなさそうで、痛む骨盤の左側に右手を添えながら立ち上がる。だがやっとの思いで立ち上がったイオリアの視界に飛び込むのは、先程まで自身を縛り上げていたあの鞭。

 一度捕まれば今度は死ぬまで解放される事はない。むしろ先程地面に叩きつけられた際に死ななかった事の方が不思議なのだから。

 飛び込んでくる鞭の狙いはイオリアの首。締め上げられた瞬間に死が確定する。だが、痛む骨盤はイオリアの超人的な体捌きを支える軸と言っていい。そこを強打した今、その捕縛を躱す術をイオリアは持たない。


 そう、イオリアは。


 死を覚悟して瞼を閉じたイオリアの第六感、曰く風を感じる力が彼女に告げる。まだ終わりではない。まだ負けない。未だ風は吹き荒れていると。


「ほぉ、見上げたものですね。身代わりとは……。ならば……ッ、んぬ……ッ!?」


 瞼を開く。その先で、イオリアとキュクロの間に割って入った葵の背中が見えた。吹き荒ぶ風に黒き外套を翻すその背中は広く力強い。その右腕にはイオリアの首を狙った鞭が巻きついていた。イオリアはそれを見た途端血相を変えて口を開くものの、葵の右手はその巻きついている鞭を握り締めているのを見て絶句した。


「捕まえたぞ、魔王」


 捕らえられたのはあくまで葵。しかしその実、キュクロの右腕は葵を振り回そうとするも、葵は微動だにしない。


「ば、馬鹿な!? パワーでサイクロプスであるこの私が負けるなどと……」


 先程は既に引かれた後の鞭の中腹を掴んだ事で、葵の力はその総てが鞭に伝わっている訳ではなかった。しかし今、腕に巻きついた鞭は葵の腕を放さない。加えてそれを葵が握り締め、互いにゼロからの引っ張り合い。純粋に力の勝負であればと、葵はその全身全霊を賭けて勝負に出た。


 結果、キュクロの動きは止まった。


 腰のベルトに取りつけていた音響弾を左手に、放り投げると同時にキュクロの身体を全力で引き倒す。よろめくキュクロの視界で、葵の手から投げ出された音響弾が大地を跳ねる。


 刹那、炸裂する音響弾に合わせて紅い光が十字を切る。


 それは魔族領域の長い歴史の中で最強の魔法。若干十歳のヴァンパイアによって生み出された魔法ではあるものの、長射程超火力、そして予備動作なしにして光速の魔。ルシフェリア・ニーベルングが誇る“紅に沈め(Vermiculum)”。

 VermiculumとはVermilionの語源。文字通り紅の意味を持ち、その光を浴びた生物は紅い塊となって死を迎える。


 その眩い光の先に佇む女性を見つけ、キュクロは音響弾による轟音響く中、笑みを浮かべた口を開く。


「“我が法(Astral)則を訊け(Logia)”」


 閃光瞬き音響がこだまする魔王と魔王の戦い。奇襲は完全に成功した。故にその眼に勝利を焼きつける為イオリアと葵は瞼を開く。


 崩れいく魔王。


 戦いは常に相手を上回った者が勝つ。それは作戦、思惑、能力、力。故に切り札を如何なる場面で使うかが鍵であり、一度決した勝敗は覆る事はない。事切れたように両膝をつき、ぐらついた身体は横倒しになって天を仰ぐ魔王。その瞬間、葵は走り出した。


挿絵(By みてみん)


 敗北し倒れ伏すルシフェリア・ニーベルングのもとへ。

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