第033話
長らく乃愛の話を聞いていた葵は、やはりコーラスから聞いた内容だと内心感じつつ初めて聞いたかのように振る舞った。もうこれ以上面倒事は御免だと思いながら。
「ざ、ざっとこんな所だ。やっぱり聞こえてるっていうのはお前の勘違いだったんだな。…………よかった」
最後の一言、乃愛は聞こえていないつもりだろうがハッキリと葵は聞き取った。気にはなる。乃愛が敢えて話していない何かが気にはなるが、それを聞いては演技した意味がない。故に葵は不死王の座にてこちらを覗いてるであろうコーラスを心の中で罵倒しながら乃愛に礼を言う。
丁度その時玄関の扉が開く。葵も乃愛も意識が会話から離れ、息を揃えたように扉へと視線を向けるとイオリアとギリアムが入って来た。
「御目覚めになられて何よりです、葵様」
「あ、うん。ありがとう……?」
言葉とは裏腹にイオリアの表情は暗い。隣のギリアムもやるせなさそうな顔をしていた。先程乃愛の部屋の前でクーラがイオリアには葵が目覚めた事を伝えたと言っていた。恐らくイオリアはその道中でトゥーレから戻ったギリアムと合流したのだろう。二人の表情を見るに、ヴァナヘイムへの援軍要請が上手くいかなかったと見て間違いない。
「そっか。やっぱり集まんないか」
「……俺も他人事なら引き受けねえしな、そんな割りのよくない依頼」
納得は出来ても苛立った気分は隠せず、ギリアムは吐き捨てるようにそう言うと手前の席に座っている乃愛を見下ろした。苦笑いを浮かべてはいるものの、乃愛も心境はよくないようだ。
──ニブルヘイムを救おうとした魔族もいなかったんだろうな。
当時十歳にして最強の魔力を持つとされたルシフェリア・ニーベルング。法則を三つ有して生まれた禁忌の存在。国外の総ての魔族に狙われ、頼る当てもなく国を滅ぼされた。
ヴァナヘイムは元々魔族領域であり、滅ぼされる理由はニブルヘイムとは違っている。だが今にも滅ぼされそうになっている国の代表の気持ちがわからない訳ではないのだろう。当時乃愛も味方する国や人々を欲したに違いない。縋りたい気持ちがあったに違いないと、ギリアムは乃愛の表情を読み取って凡その気持ちを汲んだ。
「明日もう一度当たってみるからよ、そう気を落とすな」
ニブルヘイムの救援に行く事は出来ない。既に起きた出来事は変えられない。だからギリアムは気落ちしているイオリアにそう言った。乃愛に過去を思い出させるような体験をして欲しくないから。
ライヒが生きていたら今の自分を見てどう思うだろうか。ギリアムはそう考えて心中鼻で笑った。散々ライヒを“御堅い正義の味方”と言ってはその言い分をからかって来たのだ。同じような事を吐き、それが女絡みとなれば笑われてもおかしくない。
否。皮肉な笑みを浮かべては「お前も変わったな」と言って喜ぶ事だろう。どちらにしても複雑な気分だが、今の自分が気に入らないとは思わなかった。
「……いえ、せっかくですけれど私はヴァナヘイムへ戻ろうかと」
「あ、そっか。今もヴァナヘイムは戦ってる訳だし、一度戻った方がいいよね。僕等も後から──」
「いいえ、そうではありませんよ葵様」
言って二歩三歩離れたイオリアは姿勢を正した後にギリアムへ、クーラへ、乃愛へと視線を移動させてから深く頭を下げた。
「皆様、他所の国の者にこれ程まで親切にして頂き、深く感謝申し上げます。しかし救援要請と言えば聞こえはいいかもしれませんが、私のやろうとしている事は道連れを作るだけなのではとずっと考えておりました」
顔を上げ、視線は葵へ向けられる。葵は眉をひそめているものの、ギリアムの信用出来る人物すら話に乗って来なかった事から何も言えないという表情だった。
「ですので、私は自分の責任を果たそうと思います」
「……国と心中するつもりか?」
乃愛が問う。聞こえは悪いが、的を得た言葉。乃愛の表情から察するに、賛同は出来ないと言いたげだった。
「負ける気はありませんわ。戦力差が戦力差ですから結果負けるのかもしれませんが、それはまた別の話ですもの。……そうですよね、葵様」
キングゴブリン。そして数々の魔獣と、最強の冒険者リオン・クロワール。葵はこの世界に降り立ち、並々ならぬ強者と戦って来た。そのどれもが奴隷級が対峙出来る存在ではないにも拘わらず葵は戦った。そして勝とうとした。それを知りその眼で見たからこそ、今の自分の気持ちを理解してくれるだろうと、イオリアは葵へ向けた視線を瞼で遮った。
「出逢ったばかりの私にこんなにも御親切にして頂き、とても感謝しています。本当に、ありがとうございました」
葵の視線を瞼で遮ったまま、イオリアは深く深く頭を下げた。
次の日。葵は荷物を背負ってギリアムと共に国境壁の防衛任務に赴いた。森の中に入り、作業員を注視しながら人目を避けるように奥へ進み、木の影に隠れて葵は荷物をそっと地面に降ろした。
「もう出て来ていいよ」
葵の言葉はギリアムに向けられたものではない。葵の視線は先程まで肩に担いでいた布袋に向けられており、まるで布袋は葵に返答するように口を開く。しかし言葉の代わりにその口から出て来たのは、煌びやかな黄金があしらわれたパンプスを履く細い褐色の足。
次に布袋の口を掴んでいた指を放し、両手を広げて布袋を押し広げてイオリアが現れた。どうやって納まっていたと疑問に思う光景だが、イオリアは得意気というより複雑そうな顔をしていた。
「葵様、対人戦闘は慣れていらっしゃるようですが女性の扱いは下の下ですのね」
「いや、だってバレないように運ぶにはこうするのが一番じゃない?」
「いえ、承知してはいるのですが、こればっかりは言っておかないと気が済まないと思いましたので」
頭を抱えるイオリアはため息を吐くと、物扱いされた事を忘れるように頭を横に振るう。ギリアムは腕を組んで苦笑いを浮かべているが、その光景を眺める葵は首を傾げていた。
「申し上げたくありませんが、女心を少しは理解なさった方がよろしいかと」
「ん? うん。でも何で言いたくないのに言ったの?」
怒ってるからだよとツッコミを入れたいところだが、イオリアは言うのをやめた。そもそも言いたくないのは女心を理解して乃愛と葵の距離が近付くのは、イオリアにとって癇に障るというか不利益というか。恋敵と好きな男の仲を進展させたいと望む女もそういないだろう。
「御気になさらず。やはり葵様は葵様のままでいて下さい」
言って、葵の胸元にそっと手を添えるイオリア。その胸の下、手に伝わって来る振動は乃愛の心臓の鼓動。
酷く、美しいと思った。
人間同士でさえわかり合う事は難しい。事実人類は戦争を起こし続けたし、ヴィーグリーズル王国を出た者達がヴァナヘイムを建国した。歴史が証明しているように、人類はいつだってそうだった。いつだって争っていた。
しかしどうだ。夜坂葵という人間の死を否定し、生涯共に在り続けたいと願い法則を使した乃愛という魔王。そして自分がどれだけ傷付こうとも魔王である乃愛を護ろうとしていた葵という人間。
二人の胸にある確かな繋がりを、イオリアは美しく感じた。
人間同士でさえ、これ程までに繋がりを持つ事は難しいというのにと、イオリアは二人と出逢えた事を嬉しく思えた。それは魔族という敵に対しての価値観を変える程に。
だが同時に疎ましくも感じた。やはり魔族は自分の敵であると、葵という男の横にいる魔王は何者にも勝る敵であると。
「葵様、一つだけ御願いを聞いて頂けませんか?」
「僕に出来る事なら」
葵の胸に添えた手を片手だけでなく両手にして、イオリアは半ば押し倒すようにして寄り添うとその鼓動に耳を傾けるようにして葵の胸の内に身を納めた。
押されて背中を木に預けた葵は逃げ場を失い、動揺に泳がせた視線の先で徐に視線を背けるギリアムを見つける。
「もし、もしもサイクロプスとの戦争に勝利して、生きてまた貴方様の下に帰る事が出来たなら……」
少しばかり動揺していた葵だったが、イオリアの声色に我に返る。その声と、肩が、僅かに震えているのを確かに感じたから。
「その時は私を御傍に……。妻として、私を選んで頂く事は出来ませんか?」
見下ろす葵の金色の瞳と、見上げるイオリアの碧い瞳が見つめ合う。葵はイオリアの放った言葉の意味がわからない間抜けではない。だがそれに応じる事は葵の出来る事ではなかった。
「僕は──」
故に断らねばならない。ハッキリと告げねばならない。イオリアを仲間だと思っているからこそ、嘘偽りない言葉を口にする必要がある。
好きな人がいるんだと、ただその一言を。
だが葵の口を塞ぐようにイオリアは人差し指を彼の唇に添え、首を傾げて笑って見せる。
「女心ですわ、葵様。受け取って頂きたいだけなのです、この想いを」
そう言いつつ、葵の唇に触れていた人差し指を自らの口元の前で立て、そのまま何も言わないでというかのような仕草をすると僅かにその表情を曇らせた。
「本当は葵様を誘惑して、嫉妬した乃愛をサイクロプス達にぶつける算段だったのです。勇敢で御優しい葵様を利用し、御二人の平穏を売って私は自分の国を買い戻そうとした。……王国の姫とは名ばかりの卑しい女なのです」
その言葉に眉をひそめる葵。期待されていようがいまいが気に食わないものを叩き潰さんとする葵としてはどうでもいい事だが、自分をダシにして乃愛を使おうとしたという発言に何も思わない訳ではない。
怒り。その感情が浮かび上がったからこそ、葵の表情は険しいものとなった。だが握り締められた拳がイオリアに叩きつけられる事はない。次いで開かれる唇から発せられるであろうイオリアの言葉を、どうしてか葵はただ黙して待っていた。
「けれど貴方は乃愛の境遇を知って怒り、人類最強の冒険者から乃愛を護って戦った。……誰にでも出来る事ではないと思うのです」
「リオンが退かせたのは村の人達だよ。仲良くなった咎崎だったから、みんなが護ってくれたんだ」
視線を背け、葵は答える。その表情に僅かに影が差したのは葵の放った言葉が事実であり、乃愛を護ると決めた葵自身の戦いの成果ではないからだ。
護ると決めたのに、たった一人の冒険者を前に敗北した。例え相手が魔王であれ人類最強と謳われる冒険者であれ、そんなものは言い訳にしかならないと葵は自身に怒りにも似た感情を向けていた。
「貴方はそうやって御自分を追い詰める。それは御自分が“間違っている”と思っての事なのでしょう?」
「……ッ、どうして──」
葵の頬に触れるイオリアの唇。二度目になるキスであったが、目を丸くした葵の言葉を遮るには充分だった。
「愛する殿方の事ですもの。風が教えずともわかるものなのです」
「…………さっき、誘惑とか算段だって……」
間違っているのが自分なら、間違った世界に生きたかった。葵はイオリアに言った覚えはない。乃愛が言った可能性もあるが、恐らくそれはないと葵は思った。わざわざ話題にする事でもないから。
「だから、二度目を。これが最後になるかもしれませんから」
言って、イオリアは葵から離れる。歩数にして二歩三歩の距離が、互いに酷く遠い距離に感じた。
「葵様、貴方の戦う姿を見て少年はリオンに石を投げたのです。貴方の在り方が間違っているのかを判断するのは葵様ではなく、葵様を見る他人なのです。けれどやはりもし間違いであったとしても、それならば貴方の考えや行動が“間違いでなくなる世界にしてしまえばいい”のです」
間違いでなくなる世界。何だそれはと葵は首を傾げた。そんな事が出来るのならやっている。それが出来ないから、葵はここではない世界で苦しんだのだ。
文明。知恵を持った生物が備える常識や概念。それ等総ては巡り巡って新しき生命の自由を妨げる。どの世界も、どの宇宙であってもそれは先達者が決める事なのだ。葵が考えるに惑星最初の生命体にでもなるしかない。
「異世界の常識など私は存じ上げませんが、貴方もこの世界の常識を存じていらっしゃらないようですね。その方法を既に葵様は手にしていらっしゃる事も」
言ってイオリアは葵の後ろ、元来た道を振り返る。国境壁のある方角だが、その瞳が真実見ているのは国境壁ではない。その先のカナンガ、そこにいる誰への視線かなど語る必要もないだろう。
間違いでなくなる世界にする方法。あと一つ、あるとすればそれは、
「乃愛も私も一国を担う者。魔族の王か人類の王か、貴方は選ぶだけでその資格を得る事が出来る」
一国を支配する王となる事。国の常識、戒律、それ等総てを独裁する他ない。
「…………そういう考えは好きじゃないよ。まるで道具みたいに利用するような事」
自分へと視線を移すイオリアから葵は視線を背けて答える。王になりたいから相手を選ぶ。そんな考えはまるで“不死の王”を得ようとする他の魔族と同じようだと葵には思えたから。
だがその葵の考えを察したイオリアは覗き込むように腰を折って微笑んでみせた。
「本当に、葵様は女心に疎いのですね。私は、そして乃愛もきっと望んでいます。殿方を王に出来る自分を誇りにすら思うでしょう。……そうなればその国は貴方の思うがまま。貴方を絶対のものとし、賛同する多くの民を貴方は従える事が出来る」
乃愛はニブルヘイムというかつての大国の魔王。そしてイオリアもまたヴァナヘイムの王族。どちらかと結ばれれば葵が王となる理屈は完成する。滅びた国と滅ぼされかけている国ではあるものの、その復興の旗印にはなるだろう。
イオリアの言っている事は間違っていない。世界が正しく自分が間違っている存在だと認識した葵が、どの世界にも居場所がないと感じたのならばその居場所を、国を、世界を創ってしまえばいい。
単純明快にして、葵の傍にその資格を有している二人がいるのだから簡単な話だ。隣のどちらかの女を抱いて王権を握ればいい。
乃愛やイオリアを道具のように、まるで装飾品のように扱う事になるとはいえ、それこそ本人が望んでいるのならば葵が気に留める事ではない。それでも、
「理屈の問題じゃないよ、イオリア。そういうのは気持ちの問題だと思うんだけど」
夜坂葵にその気はない。間違っている自分に世界を染める事など、我儘というものだから。
「だからこそ私や乃愛は貴方の為にこの身を捧げたいと思うのです。そこには貴方の女にして欲しいという、私の気持ちも含まれているのだけれど」
「……ッ、だからそんな一方的な──」
「そうですね。少し、葵様の風に流されてしまったのかもしれません。…………殿方とこうして話していられるだけで幸福だと感じていられるだなんて思ってもいませんでしたから、長くなってしまいました」
口元は笑みを浮かべ、どこか遠い所を見るように言ったイオリアは姿勢を正して頭を下げる。
「さようなら。愛しております、葵様」
顔を上げると同時に見せた笑顔は、しかしずっと続く事はなかった。時が止まったように目を奪われるのも束の間、瞬時に飛び上がり、木の幹を蹴り飛ばして駆け抜けるイオリアの背中はほんの一呼吸の間に手の届かぬ所へと遠ざかっていた。
「俺には見ての通り特定の女はいねえし、女心ってのが理解出来る訳じゃねえが」
イオリアが去ったのを確認したギリアムが葵の横に並び、去って行くイオリアの背中へと視線を向ける。
「戦う女の姿は長年見て来たつもりだ。死ぬ気だな、あいつ」
国と心中する気はないとイオリアは言っていた。しかし想いはどうあれ、サイクロプスという強大な魔族を相手に戦うというのならば、その覚悟なくしては在り得ない。
イオリアは葵ではない。葵ならば勝てる算段がなくとも戦い、そしてその結果が死であったとしてもただ怒りのままに戦うだけで死を覚悟するような事もないだろう。
「戻るぞ、葵。森の奥に長居し過ぎだ。他の冒険者に怪しまれるかもしれねえ」
「……うん」
戻ろうとしたギリアムは、ついて来る足音がない事で振り返りつつ告げる。イオリアの消えた方角を眺め続けていた葵は、ギリアムの言葉によって国境壁へと引き返すように足を運び始めた。
その足取りは重かった。
ヴァナヘイムの問題故に、イオリアは一人で去って行った。当然といえば当然。そもそも葵やギリアムにヴァナヘイムを救う義理などなかったのだから。
だが、それならばイオリアが今になって引き返す理由もない。救援要請に訪れたイオリアが今になってそう言い出した理由、それをイオリアは“道連れを作るだけ”と言っていた。
既にヴァナヘイムにはヴィーグリーズルの冒険者が向かい、サイクロプスとの戦争に加担している。救援要請というのは今回が最初という訳ではないだろう。ならばなぜ、イオリアは急に意見を取り下げたのだろうかと葵は重い足取りの中考えていた。
『さようなら。愛しております、葵様』
先程の言葉が脳裏を過ぎる。浮足立っている訳ではない。当然、嬉しくない訳ではないが葵には既に想い人がいて、そしてイオリアはその想い人を利用しようとしていた。本来ならば怒りを覚えるその行為、それを自分が怒らなかったのは負い目からだと葵は思っていた。
助けに行くと言ったのに力になれなかった無力感から、イオリアに対する負い目を感じていたから怒れなかったのだと、そう思っていた。
『だから、二度目を。これが最後になるかもしれませんから』
打算だったんだろと返した時に紡がれたその言葉の意味が葵にはわからなかった。そして自分自身、どうしてこれ程気分が優れないのかがわからない。
「ねえギリアム。どうしてイオリアは死ぬ気なのさ」
「は? いやお前、サイクロプスとの戦力差を考えれば当たり前だろ?」
イオリア・ヴァナヘイムは嘘を言っていた。他人を利用するのに他人の好意を利用するなど許される事ではない。それだけならまだしも、その真意は葵を利用して乃愛を使おうとしていたとなれば信用に値しない。その事実一つで愛しているという言葉は勿論、それ以外の関わってからの総てが信用に足らないものとなる。
しかしそうであるならギリアムの言う“死ぬ気だな”という言葉が引っ掛かる。ギリアムとて利用されたのだから、イオリアへの信用は低いだろう。イオリアは国を捨てて逃げるつもりかもしれないのだから。
「嘘吐いてたんだ。本当に戦いに行ったのかも疑わしい……と、思うんだけど」
葵自身、言いはしたもののイオリアが国を捨てる気はしない。しかし、イオリアの何を信用していいかが葵にはもうわからない。愛しているという言葉が、情に訴える最後の嘘かもしれないのだから。
「……まあ、嘘吐いてたってのは確かに許せないよな。けど、全部が全部嘘じゃないってのはお前にもわかってんだろ?」
言われずともわかってるんだろうと告げられて、イオリアと話した事や表情を思い出す。いつだって年上の余裕のようなものを感じさせる人だった。国の未来を背負っているのだから、よくない事ではあるが時には人を利用するのも仕方のない事だろう。
護りたいから護る。ただそれだけしか行えず、それすらもリオンの圧倒的な強さを前に行えなかった。もし嘘を吐く事でリオンを退かせる事が出来たとしたら葵自身も嘘を吐くだろう。
「ねえ、ギリアム。頼みがあるんだけど」
立ち止まり、背後で足を止めて俯いている葵に視線を投げるギリアム。そこで葵はイオリアが納まっていた袋をギリアムに放り投げ、顔を上げた。
「咎崎にごめんって伝えて欲しい」
「お前まさか……」
総てが総て、嘘ではなかった。イオリアが一人でヴァナヘイムに戻ったのは何よりも葵や乃愛、ギリアムやクーラを危険な目に合わせたくなかったからだ。
どうしてイオリアはそんな事を今更案じたのだろう。
そう頭に思い浮かべた時、葵の脳裏で歯車が噛み合ったように思えた。至極単純で、誰もが思いつくようなありふれた気持ち。端的に、戦いに関わらせたくない程に葵達を大事に思ったのだろう。
総ての魔族がルシフェリア・ニーベルングという栄光を手に入れようと狙っていた過去がある世界で、魔族との戦争に乃愛が介入してその存在を知らしめるのは危険極まりない。
その平穏を護る為にも戦争に参加させてはならない。イオリアはヴァナヘイムを救いたいという気持ちよりも強く、葵達を死なせたくないと思ったのだ。
「僕もイオリアを死なせたくない」
だから葵はギリアムに背を向けて走り出した。嘘を吐いていたという事実や、葵の気持ちを利用して乃愛を使おうとしていた思惑もどうでもいい。大切なのは自分の気持ち。他人がどうのと、世界や常識がどうだとか知った事ではないのだ。
夜坂葵。異世界にて多くの未知を体験したが故に彼も忘れていた。己の在り方を、その疾走を。
自分を愛していると言ってくれた人を護れずに、愛している人を護る事が果たして出来ようか。そんな理屈すら最早どうでもいい。
奪われるなら奪え、殺されるなら殺せ。
自分達の身を案じて一人で戦いに戻った仲間を奪われる訳にはいかない。殺される訳にはいかないのだ。
ただ助けたいが為に、己が全霊を懸けて葵はイオリアの背を目指す。




