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楽園変生 第一部 ──不死の随伴者──  作者: 紅葉 昂
第一部【不死の随伴者】
33/52

第031話

 世界は舞台劇のようなものだと思っていた。


 予め定められた配役の通りに演じ、運命(シナリオ)を辿って終わり(エンディング)を迎えるものだと思っていた。


 私は私として生を受けはしたものの、それは役者の多いこの世界で何の価値(台詞)もないものだった。貧しい生活に苦しみながら双子の兄は死に、いつしか私は奴隷商人に連れ歩かれるようになった。攫われたのか売られたのか私には不明なものの、狂ったように父の帰りを待つだけの母親と暮らすよりは色々諦める事が出来た。


 諦めるだけの人生だった。


 兄の死を悲しいとは思わなかった。そもそも生きる望みも未来も見えてなかった私にとって、必然的に訪れた兄の死は充分に予測出来るものだったから。納得出来るという訳ではなく“こんな過程があるのだからそういう結果があって然るべき”という客観的な理解だった。


 客観的に見て貧しいなら子供を売ってもそれ程おかしいとも思えない。貧しい家の子を攫って金にするのも同様に、それ程珍しい事でもないだろう。普通の家庭を知らない子供ではあったが、恐らくいい母でもいい子供でもなかった故にその廃墟()に未練はなかった。


 だから恨む事も怒る事も、他を妬む事もなかった。


 けれど売りに出される前日、ある一人の青年の男が私を檻から連れ出した。居場所というものが存在しなかった私にとって、母の傍だろうと商人の檻の中だろうとどこでも同じ事。だから男が私の手を引いた時、その手を振り払う事なく彼の住処までついて行った。


 男の話では私を所有していた奴隷商人の買い手は“変わった趣味”の大物貴族が多いらしく、彼は「危ないところだったな」と私を自分のベットに寝かせた。知った事ではない。役者の分際で脚本家に意見をする事がないように、価値(台詞)のない私がどうなろうと私の心は動じる事はない。関係のない話なのだからと、その時はそう思った。


 しかし来る日も来る日も男は私に食べ物を与え、まるで実の兄であるかのように接して来ていた。私は初めて人間として扱われ、それはまるで価値(台詞)を貰えた役者のような日々だった。それが嬉しく、私も次第に妹のように兄の後ろをうろつくようになった。

 そしてその運命(シナリオ)に感動さえした。価値(台詞)がある事がこんなにも素晴らしい事なのだと思うようになる。けれど私は主演になったつもりはなかった。


 この人なのだと思ったから。


 脚本家に意見を言えるのは主演くらいだろう。私に価値(台詞)を与えた彼こそが主演であり、私はそれを引き立てる脇役になりたい。宝石を輝かせる為の装飾でありたいと望んだのだ。

 冒険者だった兄の誘いで私も冒険者になり、兄に褒められるのが嬉しくてただひたすらに戦い続けた。どんな時だろうと剣の鍛錬に励み、兄の言う事は何でも聞いた。


 そんな生活を続けて半年、兄が傭兵級になった。当然だ。主人公なのだから。


 念願だった昇格に兄は泣く程に喜び、その日は豪華な食事を食べた。二人で頑張ってやっと兄が傭兵級になった。こんなに兄が喜ぶのならもっと強くなろう、それが私の配役なんだと心に誓った。


 私に生きる意味が出来た。隣で私を見てくれる人がいる。主演である兄をもっと輝かせる為に、私はその為に横にいる役者なのだと、そう思っていた。


 その次の日、私達は傭兵級の主な依頼であるゴブリンの掃討を行った。可能であればゴブリンの巣を見つける事を目的としたその依頼の最中、浮かれていた私達は予定地点よりも奥へと進んで大型の魔獣と出くわした。


 通常傭兵級が四人一組で討伐する大型の魔獣をやっとの思いで討伐し、私達は街に戻る事にした。巣を見つけられず戻る事になった原因は、当時剣闘士(グラディエーター)だった盾役の私が負傷したからだ。帰路の途中、気を沈ませた私を兄は何度も元気づけようとしてくれた。


 いつも助かってる。お前がいてくれるから俺は攻撃に専念出来るんだなどと、いつも笑って言った後で兄の表情に影が差す。どうしてそんな暗い顔をするのだろうか。それがいつも気になっていたけれど、その日のそれはいつにも増していた。


 私がこんな負傷したからだ。私がもっと強ければ。主人公である兄を輝かせなければ脇役()に意味はない。


 前を歩く兄の歩幅がいつもより短いのを見ながら、私は何度も何度も自分を責めた。こうやって街に帰る時にすら迷惑を掛けて、私は自分が情けなかった。


 そんな時、私は前を歩く兄の近くの茂みからゴブリンが飛び出したのを見た。兄の背中から飛び出した鋭利な鉄の塊を目にし、その瞬間兄へと真っ赤に染まった手を伸ばしていた。


『リオン!?』


 そして、私は兄の名を呼んだ。











「葵ッ!」


 満身創痍。既に立っている事すらおかしい程の重傷。ようやくその膝を折る葵へと目覚めたばかりの乃愛は駆け寄り、その背中を抱き止めた。

 何かを探すように周囲に泳がせた視線が一点に止まる。その視線の先には杖があった。乃愛はその杖を取ろうとしたのか、一瞬立ち上がるような素振りを見せる。が、乃愛が立ち上がる事はなかった。


「く……ぅッ!」


 何かに気付いたように乃愛は見上げた視線を険しくし、抱き抱える葵を庇うように強く抱き締めて僅かに後ろに隠す。その見上げた先はリオンだった。意図せず杖の前に立ち塞がる形となったリオンは背後の杖を一瞥した後に、自身を睨みつける乃愛に視線を落とした。

 右眼は光り輝き、出現している魔法陣と十字の光。それは雲を貫く程の威力を秘めた魔法──ヴェルミクルムの前兆である事は聖痕の眼を持たない者とてわかる事。だが、リオンは微動だにしない。乃愛が魔法を撃たないと悟っているからだ。


 真上ならともかく横に撃っては村人がいなかったとしても村自体を破壊してしまうから。歯痒そうに犬歯を剥き出しにした表情を浮かべ、乃愛の頬を伝う涙が葵の頬に零れ落ちる。


「……泣い、てルの……?」


 それは質問。不死とて意識を失わない訳ではない。故に葵は朦朧とした意識の中で視線を彷徨わせながら問い掛けたのだ。自分を抱き締めている乃愛すらも見つける事は出来ず、しかし乃愛が漏らした震えた吐息を聞いてその視線は止まった。


「そウ、か」


 葵は言い残し、再び立ち上がる。その眼は何も映さず、壊れたゼンマイ人形のような足取りで一歩リオンへと近付いた。気付けば葵の身体はもう血を流していない。しかしそれはもう身体の中に血液が残っていないだけで、傷を塞いだ訳でも止血をした訳でもない。だから動ける身体ではないハズだと、それでも動く葵を前にリオンは無意識に後退した。


 何だこいつは、何なのだ。死なないのはともかくなぜ動ける。死という万物の常識を覆す不死の魔王ですら先程まで気を失っていたというのに、魔族ですらない者の何がその身体を動かしている。


 そう動揺するリオンは無意識に後退した足に気付く事はなく、ただ目の前の狂った男を見続けていた。


「泣か、なイ……で。ぼ、クはマ、ダ……戦え……ルか、ら」


 笑みを浮かべ、握り締めたカランビットを振り上げる。しかし葵の膝は身体を支える事も出来ずガクリと折れ、振り上げたつもりのカランビットはその実肩の高さで水平に伸ばされているに過ぎない。


 再び乃愛の両手が葵を包み込む。魔法は撃てない、葵ももう戦えない。勝敗は明らか。死なないならば手足をもぎ取ってしまえばいいだけの事。だというのに、リオンはその二人を眺めて動く事が出来なかった。


 その時だった。飛来した石がリオンの兜に当たって地面を転がったのは。


 投げつけた視線の先、リオンは村人の少年を見つける。リオンを恐れたその手足は震えているも、涙ぐんだ瞳は乃愛と同じようにリオンを睨みつけていた。


──…………私は、どうして睨まれている?


 母親だろうか、許しを請うように頭を下げる女が少年を抱えた。その少年が投げつけた石を見下ろし、リオンは自分が“何かを忘れている”気がした。

 この戦いの結果は紛れもなくリオンの勝利。互いの全力で乃愛とリオンが戦ったとしても、この結果が覆る事は早々ないだろうとリオンは思った。だが勝った気がしない。勝ち得たものが何もない。


──……この名を汚してはならない。


 故に、リオンは歩き出す。男を抱える女。どこか見覚えのある乃愛達へではなく、身体から吹き飛んだ葵の右腕が握り締める大剣へと。拾い上げ、引き返し、乃愛の前に立ち止まった。


「名を御聞きしてもいいですか?」


「私はルシフェリア・ニーベルング。……いや、こいつは夜坂葵だ」


 乃愛は名乗った後、リオンの視線の先が葵だという事に気付いて言い換える。するとリオンは「そうか」と呟き、片手に持った大剣を肩に担ぎ上げた。


「夜坂に伝えて下さい。隣の女が魔王として人々に危害を加えれば、次は必ず始末しますと」


 言い捨て、用は済んだと背を向けて歩きだすリオン。主が自身に向かって歩き出したのを見て黒馬もまたリオンへ駆け寄って頭を垂れる。


「……見逃す、という事か?」


 大剣を黒馬の後ろ脚に取りつけ、馬に跨ったリオンは乃愛の言葉を聞いて鼻で笑った。


「それは適切な言葉ではありませんね。見逃がすとは、勝者が敗者の首を刎ねない場合に用いる言葉です」


 そう言い、リオンは先程石を投げた少年を見下ろした。怯える母と、睨みつけながら震える少年。背後の人混みの中から少年の様子を窺う子供達。


「少年、君の勝ちだ。しかし今後、母を心配させるような事は慎みなさい。勇敢と向こう見ずは違うものですから」


 少年は恐る恐る頷く。母は安堵の表情を浮かべた後に泣き出し、再び何度も頭を下げる。それを受け取ったリオンは馬上から周囲の村人達を見渡した。皆死人が出ない事に安堵し、笑顔が戻りつつある。


 にわか信じ難い事だが、この村の住人達は魔王であると知ってなお乃愛を受け入れようとしている。言葉だけなら誰にでも言えるだろうが、今周りに咲いている笑顔はリオンの眼には偽りとして映る事はなかった。


 無害な魔族などいるのだろうか。


 リオンの脳裏に過ぎる疑問。奴等は殺戮を好む傾向がある。だがそう思っていたのは天敵である天使族の影響がないとは言い切れない。天使族は人間を襲い、殺す。他の魔族のように食べる事も攫う事もせず、ただただ蹂躙する。その違いはあれど、結果が同じ故に人類の対応は魔族も天使族も変わらない。


 だが同じ人間でも肉を食う者嫌う者といった好みがあるように、魔族にも乃愛のように人間に害のない者もいるのではないか。であれば種族、いや個々に和解が出来るかもしれない。


 そこまで考え、リオンは笑った。魔族領域に赴き、数多の魔族を殺し続けた張本人が今更何を、と。


「ルシフェリアと言いましたね。近い内にまた貴方を訪ねると思いますが、その時になって私がまた刃を向けるような事がないよう祈っています」


「魔族を、魔王の存在を放置していいのか?」


「…………私はこの村に来なかった。それは貴方々とこの村の人々次第ではありますが」


 言って、リオンは手綱を勢いよく引いた。黒馬は天を仰いで吼え、村人達が開けた道を走り去る。その蹄が打ち鳴らす足音が聞こえなくなってようやく乃愛はため息を零すも、同時に村人達が群がってそれどころではなくなった。











『…………』


 暗闇の中、夜坂葵は冷ややかな視線を送られていた。呆れて何も言えないといったようにコーラスは深いため息を吐いた後、頭を抱えては玉座にて項垂れている。

 それを黙ったまま見上げる葵は若干申し訳なさそうな表情をしていたが、沈黙に耐え切れず苦笑いを浮かべて口を開いた。


挿絵(By みてみん)


『ど、どうも──』


『馬鹿かお前は? 勝てない相手と戦うなとは言わないが、生き急ぎ過ぎだろ』


 案の定、挨拶は遮られて罵倒される。そんな気はしていたので葵は変わらず苦笑いを浮かべていた。


──だいたい前の別れ方的に二度と来ないか、しばらく間を空けるくらいするだろうに。


 とはいえ前回“不死王の座”に来たのは訪れたというより迷い込んだというのが妥当であり、今回も葵自ら訪ねようとした訳ではない。

 そもそも継承者ではない葵がここに来る理由など、今回の事でやっとコーラス自身が凡その見当をつけたばかりだ。それを思い出し、いやしかしこんな早く来るなよと思いながら深いため息を吐き出して、コーラスは玉座より立ち上がった。


『まあいい。とりあえずお前がここに来る理由が凡そわか──』


『それより咎崎はどうなったの?』


『黙って聞け』


 葵が言葉を遮ると階段を下りる途中だったコーラスは軽やかに飛び上がってから華麗なトリプルアクセルを披露し、葵の傍まで舞い降りながらその言葉と共に飛び蹴りを叩き込んだ。


『不死であっても気を失う場合がある。つまりは眠っている時な訳だが、長時間目覚める事の出来ない程に身体が損傷している場合にこの場所に意識が迷い込む、という仕組みなのかもしれない』


 フワリとドレスの裾を靡かせて着地するコーラスは、たった今蹴り飛ばした葵が六メートル程吹き飛んだ後に床を転がって倒れているというのに気にも留めずに話し始める。


 この場は墓場。“不死の王”を継承した者が死後に訪れる地であり、本来部外者は一切訪れる事はない。その初の例外故にここの主であるコーラスですら、葵がこの場に訪れる条件を凡そでしか語れないのだ。


『長時間? じゃあもしかして今──』


『ああ、お前がリオンという騎士に負けてから三時間程経過している。だがまあ、安心しろ。ルシフェリアは無事と言えば無事だ』


 立ち上がりつつ問う葵だったが、それに対する回答はさておき現状の報告は何とも曖昧な言い方だった。コーラスが笑っているところを見るとその言葉は的を得ているのだろう。しかし葵の望むような“無事”なのか、乃愛と違って性格の悪いコーラスの笑みは逆に不安を覚えた。

 故に葵は問い掛ける。するとコーラスは「無事と言っただろうに」と小声で呟いてはため息を吐き出した。


 最後の記憶は少年が石を投げつけた辺りだと葵は説明し、コーラスはその後の事を話し始めた。


 リオンが葵に伝言を残し、村を去った事。結果的に死者は出なかった事。葵がリオンを斬り飛ばした事で壊れた家を目覚めたばかりのクーラが修復している事。

 イオリアの足の怪我を治した乃愛は次に葵の身体を治癒魔法で元の形に戻すも、まったく血が通っていないせいで葵が目覚めないと泣き出し、家の修復を終えたクーラが今現在治療に当たっている事。

 手の空いた乃愛やイオリアは葵の傍を離れようとしなかったが、今は集まって来た村人に事情の説明などをしている事。


 ついでに治癒魔法は細胞を強制的に働かせて傷を修復するというもので、失った血を戻したり身体が跡形もなく消滅すると現在の治癒魔法では葵の身体を修復出来ない事。

 そして消滅した場合の対策として、乃愛が日頃屋敷の地下室で葵専用の治癒魔法を構成中だという事までコーラスは語る。


『もういいだろ、説明ばかりで疲れた』


『あ、うん。ありがとう』


 飽き飽きだと言わんばかりの表情をしているコーラスだったが、今の現状だけでなく魔法の説明までした辺り実はそんなに悪い性格じゃないのかもしれないと葵は評価を改める。


『これだけ話しておいて何だが、私に聞かずとも目覚めた後で色々聞かされるだろ。…………ああ、そうだ。その時は“動けなくても聞こえてた”とでも言うといい。それである程度同じ説明を二度聞く事もないと思うが』


『……? まあそうだね。そうするよ』


 コーラスが何やら思いついたように言った助言。何か声色に違和感を覚えるも、確かに効率がよさそうだと葵は納得して頷いた。そうして互いに黙り込む。今まで紛らわすように喋っていたが、そろそろ“今の現状だけを話題にする”のは限界だった。


『…………聞きたいか?』


 コーラスは笑っている。その笑みは楽しそうではあるが、その笑みの意図するものは前回の最後の話題しかない。


“どうせ覚えてないくせに”


 コーラスは言った。葵は葵の居場所を自ら壊したのだと。その居場所とはどこで、何をして壊したのか、葵は知らない。それは葵が忘れてしまっている過去の事であるのは言うまでもない。

 前の自分が行った事。過去を知りたいと思っていたハズなのに、乃愛にもコーラスにも葵は聞かなかった。聞くのを忘れていた訳じゃなく、無意識に避けていたから。


 思い出すと自分が自分でなくなるのかもしれない。


 今の葵の価値観とは即ち“一ヶ月間記憶を失って築いてきた”ものであり、過去の十数年の記憶が戻ると消え失せてしまうかもしれない。


『いや、聞くとしても咎崎に聞くよ』


『聞くとしても、か。お前が以前の記憶を誰にも聞こうとしないのは、私が前に驚かせたからではあるまい?』


 言葉の端を捉え、葵の本心を探るように顔を覗き込むコーラス。驚かせたというよりは嘲笑っていただろと口にはせず、葵は視線を泳がせる。


『私は一ヶ月、ルシフェリアの視線からずっとお前を見ていた。誰も称賛する者がいないにも拘わらず、懲りもせずに騒動に首を突っ込んで文字通り叩き潰す。見ていて愉快だったよ。記憶を失おうとやる事の変わらないお前を見ているのは』


 葵の身体が再び薄れ始める。前回も経験したそれは現実に戻る前兆。コーラスの言っていた事が本当であれば肉体が目覚める準備が出来たという事だろう。


『お前はいつだって全力だった。なのに記憶は触れようともしない。過去の自分を思い出すのがそんなにも恐ろしいのか?』


『…………怖い、か。たぶん違うよ』


『ほう?』


 消えていく自分の手を見下ろして、葵は答える。自分が自分でなくなる。それは間違いなく恐怖を覚えるものだが、葵は否定した。思い出すだけでは多少価値観を損なったとしても今の記憶まで消え失せてしまう訳じゃない。だから自分が変わってしまうとしても、それ程大きな変化はないのかもしれない。この異世界に訪れるまでの葵なら、間違いなく聞いていた事だろう。


 だが、大切なものが出来た。


 朝起きて階段を降りると食事を並べるクーラがいて、そこで乃愛が座っている。街に出掛けてギリアムと待ち合わせ、いつものように仕事をする。くたくたになって帰れば笑顔で出迎える乃愛と、それを手の掛かる妹のように眺めるクーラがいる。


 失いたくないものが出来た。この日常が永遠に続く事を葵は望んだ。


『これからに、これまでは必要ない。今の生活に過去は関係ないって、そう思っていたいんだ』


 本当はわかっている。乃愛が隣にいるのは過去の自分との関係があってこそなのは。けれど葵は違う。あの時、乃愛に頬を叩かれて初めて痛みを感じたあの時から、ずっと乃愛の事を考えるようになった。


『咎崎には今の僕に振り向いて欲しいから、僕は過去の僕を僕だと思いたくないんだと思う』


『…………そうか。ならば精々振り返る事なく立ち止まらずに励め。“不死の王”の始祖として、現継承者の幸せを願っておく』


『あ、そっか。初代の“不死の王”って事は咎崎の遠い婆さ──』


 瞬間、コーラスの右足が光の速度で薙ぎ払われ、葵の側頭部に叩き込まれる。葵の意識は「余計な事言うんじゃなかった」と後悔しながら宙を舞って“不死王の座”より消失した。

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