第030話
世界が滅べばいいと思っていた。
取るに足らない思春期の妄想。無価値で、けして口にはしなかった呪いめいた言葉。僕の記憶はたった一ヶ月だったけど、そのたった一ヶ月で僕はそう考えるようになった。
生まれた時、僕にとってはある日気がついた時から、既に定められた理が世界には存在していた。例えば年功序列。例えば身分。例えば善と悪。何でもいい、この世を形作る総てがもう既に用意されていた。
この世界は複雑で残酷だ。圧倒的多数の者が間違っている事を正しいといえばそれが総て。その理由は“みんなそうやって来たから”という、納得出来ない理由ばかり。当然そうじゃない事も多いけど、僕の中で正しい事や悪い事を決めるのはあくまで僕でいたかった。
極端な話、奴隷として生きろと言われて今の世の中は頷く事が普通で常識で、当たり前のように蔓延る理だ。例えば会社、例えば学校で、集団の中で権力を持つ者が持たない者に命じる理不尽は耐え忍ぶもの。それが正しく、口答えする事や拒絶する事は間違いらしい。間違いを犯した者は罰を受け、迫害され、居場所を失う。
この腐敗し切った世界はもう手遅れだと、僕はたった一ヶ月でそう感じた。肯定出来る部分もあるし、笑って過ごせる時間や場所もあると思う。けれど、どうしたってその時間や場所は僅かな一部に過ぎなかった。
どうして、誰が決めたかもわからない常識やルールに従わなければならないんだろう。どうして、そう思ってる事を隠して生きていかないといけないのだろう。多数派と少数派という話だけじゃない。この世界を小説や椅子取りゲームで例えるとわかりやすいだろうか。
小説であれば配役。僕が登場する前に主人公は決まってて、僕は脇役として他の登場人物に風景の一部のように見られる。
椅子取りゲームでは椅子が身分。フライングした奴等が我が物顔で椅子を占領し、僕を取り囲んで嘲笑しながら見下ろして来る。
生まれる前に決められた事を順守する必要がどこにあるのかわからない。一つ早く生まれたから偉いだとか言ってる年上や、自分は景気がいい時に成り上がったくせに今の若い奴等はと笑う権力者。平然と、まるで息をするように上という存在は下を苦しめる。その上下関係すら、既にあっただけの理だというのに。
順応し、従い、耐える事。この世界はそれが総てだ。弱肉強食、適者生存。救いはあるかどうかもわからない未来に縋る事。それが僕を含めた人間という生き物が支配する世界の総て。
許せないと思ったんだ。
本当に滅びてしまえばいいなんて思っていない。本当に腐っているだなんて思っていない。けれど、そうやって客観視でもしなければ不条理を受け入れるだけの家畜としてしか生きられない。
僕は僕として生きていたい。
誰だってそう思ったハズだ。誕生した瞬間に自我があるとすれば誰だって誰がつけたかわからない自分の名前に違和感を覚えるし、一方的に自分を知っている風に見られているのは気色が悪い。
今を生きているのだから、過去の産物に縛られて生きるのに何の意味がある。あるかどうかもわからない未来を夢見て今を諦める。そんな事、僕に出来る訳がない。
大勢に襲われたから、間違ってるのは向こうであっても頭を下げなければならない?
車と衝突したから、正しくルールに従っていたのに死ななければならない?
子供だから、正しい事を言っているのに大人に笑われなければならない?
いや違う。そんな事があっていい訳がない。ルールだとか常識だとか法律だとか宇宙の自然法則だとかどうでもいい。
今を生きているのだから、過去の産物に囚われる必要なんてどこにもない。襲われるなら襲え、殺されそうなら殺せ、笑われるなら黙らせて笑ってやれ。僕は他の誰かが主人公の物語なんて御免だ。
「許さないよ」
世界が正しく僕が間違っているのなら、僕は間違った世界で僕として生きる。
誰にも邪魔はさせない。僕が正しいと思う事を、他の誰でもない僕自身が行う。正しいと思えば脇役の言う事だって聞くだろうけど、間違っている事を正しいだなんて言うつもりはない。
ああ、そうだ。魔族として生まれたからとか、世界の均衡を壊すような力を持って生まれたからというくだらない理由で、咎崎が望まない人生に流される事を僕は絶対に許さない。
「許さないよ」
振り下ろされた黒き刀。しかしそれはイオリアの首を跳ね飛ばす事はなかった。リオンの右手首を握り締めるのはイオリアの前に立ち塞がった黒髪の冒険者。前髪の隙間から覗く金の瞳はリオンを正面から睨み上げ、軋み上げる程に握り締めた右手の拳をその兜に叩き込む。
その拳の威力に二歩三歩後退するリオンと、全力で殴りつけた勢いで前屈みによろめく冒険者──葵。葵の拳から噴き出た血が二人を結ぶように宙を舞った。
「……ッ!?」
右腕を掴まれ、左腕で乃愛を抱えていたリオンは葵の拳を防ぐ事は出来なかった。否、そもそも革の手袋をしているとはいえ素手で殴りつけて来るとは思っていなかった。
リオンは兜に付着した血を拭ってから動かない。それは意表を突いた攻撃だったから様子を窺っている訳ではない。確かに威力も乃愛程ではなかったがかなりのものだった。しかしその攻撃によって傷ついたのは葵で、リオンはまったくの無傷。
葵の指は折れてはないようだが罅は入っている。聖痕の刻まれた手を持っていたリーベが葵の骨折を触れただけで見抜いたように、聖痕の眼を持つリオンは見ただけでそれがわかる。だがリオンが葵を見たまま動かないのはそんな事を見る為ではなかった。
「貴方は人間ですか?」
紡がれた言葉は問い。聞いていた者はそれがどういう意味か疑問に思う者もいるだろうが、少なくとも葵は考えなかった。
「葵様、相手は覇者級の冒険者です。どうか、御気をつけて──」
「どうでもいい、咎崎を放せ」
答えない葵だったがその言葉と先の行動、そしてイオリアが話し掛けた内容で彼の立場をリオンは理解した。魔族、ではないようだがイオリアと同じように魔王の味方をする者。であれば、そもそも人間だろうとなかろうとリオンには関係ない。
「断ると言ったらどう──」
「うるさい」
覇者級の冒険者であるリオンの言葉を遮って葵は歩き出す。腰のベルトから取り外したカランビットを右手に握り締め、敵と認識したリオンを睨みつけながら。
「咎崎を返せ」
奪われてはならない。これ以上、自分が大切だと感じたものを。キングゴブリンには奪われた。だからこそ、苦しんだ過去を背負うからこそ、繰り返したくないから葵は何度も口にする。
「咎崎を返せ」
──……まるで獣のような人ですね。
ゆっくりと歩いて来る葵を正面にしながら、リオンはそんな事を考えていた。体勢は低く垂れ下がった両手を横に揺らしながら、しかしその金色の眼はリオンだけを見ている。それは森の茂みから近付いて来る獣のそれに似ていた。
そして獣はゆっくりと忍び寄った後、ある一定の距離でその動きを止めるもの。眼の前にいる葵もまた然り。獣が動きを止める距離、それは自身の牙を瞬時に獲物の首に突き立てる事が出来る距離。
故に、来る。
リオンがそう感じた時、葵は地を蹴った。手にしているカランビットは乃愛の杖やイオリアのダガーのように大きくなく、全身甲冑の隙間を縫う事が出来るもの。故、狙っているのはいずこかの関節部分。
しかし、小さいが故にリーチも短い。葵が飛び込める距離は長くとも、カランビットで攻撃を仕掛ける瞬間は限りなく零距離に近い。故にそこまでの接近が必要であり、片手とはいえリオンが自身に不得手な距離まで接近させる訳がない。
刀の間合いはカランビットよりも圧倒的に長く広い。飛び込んで来た葵があと一歩踏み込めば、そこは即ち葵にとっての地獄となるだろう。まるで断頭台の刃の如く、葵の首を刎ねる為に黒き刀は鈍い光を反射しながら天に掲げられた。
しかしその瞬間、獣の牙がリオンを襲う。
当然、それはリオンにとって予測し得ぬ事態だった。自分より相手の方が長い剣を持っている状況で、唯一の武器であるナイフを投げる者がいるだろうか。投げナイフならともかく、大剣を相手に長剣を投げつけに飛び込んで来る者がいるだろうか。
答えは否。故に葵が先制を取る形となる。
だが、リオンには通じない。予期せぬ事態など人類最強を前にいったいどれ程の影響があるだろうか。かつてリオンは幾百幾千の魔族を殺し魔王すらもその手に掛け、人類の天敵である天使族の群れを単騎で全滅させた。
そして何度も人類が知り得ない魔族領域を単独で旅をしていた。これまでに幾つもの修羅場を潜って来たが故に、この程度の読み合いなど外れたとしてどうという事はない。
襲い来るカランビットを刀で叩き落とすリオン。
これにより葵の奇襲は終了。そして牙のない獣など屠るのは容易く、そもそも戦いの相手にすらなり得ない。リオンはそう思っていた。その眼に何も映らなくなるまでは。
カランビットを持っていたのは右手。リオンへ最初に殴り掛かった事によって出血していた右手だ。
「少しはやるようですね」
カランビットの投擲は囮。葵の真の目的は投げた際に飛び散る血でリオンの視界を失くす事。まんまと騙されたリオンは呟くと同時に刀を手にしたままの右手で兜に触れる。瞬間、右手が少量の水を放出して兜に付着した血を洗い飛ばした。
確かに葵の作戦は成功した。しかしそれは大した時間も稼げてはいない。その間にリオンは葵の姿を見ていないが、左腕に抱える乃愛の感触は残っている。眼を潰して戦わずに目的を成そうとした訳じゃなくこの期に及んで逃げたのだろうかと、リオンはふと考えた内容を頭から追い出すように笑い飛ばした。
あれだけの剣幕で「返せ」と啖呵を切ったのだ。
あのような闘争心に溢れる眼をしていたのだ。
そして血の目潰しも偶然ではなく狙っていた。奴は逃げない、絶対に。ベルトに取り付けていたプレートは奴隷級。しかし葵はそもそも“人間ではない”のだからと、他の誰かが評価した格付けよりもリオンは自身の眼と感覚を信じて気配のした背後を振り返った。
重苦しい金具が取り外される音が響く。
視線の先の光景にリオンは愕然とした眼を葵に向ける。リオンの黒馬の後ろ脚、そこに取り付けられた斧のような大剣の金具を取り外し、背負い込むように持ち上げる葵。
「最初から狙いはそれでしたか」
リーチの差、全身甲冑。どうあってもこの差は埋まらない。カランビットで全身甲冑の隙間を狙って戦うには絶対に技術が追いつかない。イオリアに覇者級が相手と言われても怯みはしなかった葵だったが、愚か者であっても馬鹿ではない。しかし乃愛が囚われている以上逃げる訳にもいかず、戦うしか救い出す道はない。
勝つ事も負ける事も死ぬ事も、逃げる事も乃愛をリオンの手から奪い取る事も考えない。彼、夜坂葵が考えたのは“圧倒的な力を前に今どうやって戦うか”だ。
結果がどうなろうと知った事ではない。今この時この場で、乃愛を攫おうとする者が気に入らない。気に入らないなら叩き潰せ、その為の方法を考えろ。リオンの見た通り、葵の思考は凡そ人間の考え方ではなかった。
「咎崎を、返せッ!」
瞬間、夜坂葵は正しく獣のように咆哮し、背負った大剣を叩きつけるようにリオンへ振り下ろした。リオンは刀で防ぐもその威力に弾き飛ばされ、民家の壁を破壊して砂煙の中へと消える。
何だ今の一撃は、とイオリアは茫然と葵を見つめる。密偵ではなかったのだろうか。いくら覇者級の冒険者であるリオンの大剣であろうと戦技を使用したようには見えなかった。硬度や重さなど当然質はいいのだろうが、ただ純粋な力あっての威力だった。そもそも力がなければ身の丈以上の大剣など持つ事すら出来ないのだが、密偵という身で大剣を持てる者などそうはいないだろう。
とはいえ勝敗は筋力のみで決まるものではない。夜坂葵は痛みを知らないが故に化け物じみた怪力を使用出来る。だが、果たして魔王を二度殺した者もまた人間と呼べるだろうか?
「なるほど」
答えは否。
砂煙より弾き出された民家の家具。見事な放物線を描く棚は本を撒き散らしながら葵や村人達のいる広場を通り過ぎて葵達の屋敷の庭に落ちる。
砂煙が晴れた民家の中に立つリオン。甲冑は無傷で、刀も折れていない。依然その左腕は乃愛を抱えている。
「他人の武器を盗んで使うとは手癖の悪い。しかし、どうやら大剣の扱いには慣れているようですね」
民家を飛び出し、葵の正面に立つリオン。その言葉は世辞ではなく僅かに嬉しそうな声を含み、邪魔な荷物を捨てるようにして乃愛を後ろに放り投げる。
「少々本気を出しますので、死にたくない者は彼から離れなさい」
刀の切っ先を天に向けて放ったリオンの言葉に、村人達は動こうとしなかったイオリアを連れて後退する。
そして覇者級の冒険者が紡いだ“本気”という言葉に誰もがその身を震え上がらせた。
「では、参ります」
刀を己の肩の高さで水平にし、その柄と刀身の狭間に左手を添えた。その左手より生まれし炎を刀身に移すように、その左手が刀身を撫でる。
刀身を炎が包み込むと、リオンは円を描くように切っ先を回した。右足を後ろに引くと共に、熱で揺らいで見える燃え盛る刀身を身体で隠すように右肩を引いて腰を落とす。
──……リーチはこっちが長いのに、剣を後ろに構えて止まる。……どう考えても誘ってる。
葵はそう考えるも、視線はリオンの背後で倒れている乃愛へ。リオンが魔法のようなものを使用したのは警戒すべき事だが、どの道倒さねば奪い返す事は出来ないだろうと葵が身構えた瞬間、それは起きた。
「“灰塵衝波”」
脇構えより、地を抉りながら振り上げられた刀。リオンも葵も踏み込んでいない故、間合いは十メートル程。その地点で刀を振るった所で本来無意味であったが、刀を覆っていた炎は別だった。
飛来する炎の衝撃波を前に葵は大剣を盾に防ごうとするも、実体なき攻撃を物理的に遮る事は出来るハズもない。
大剣によって二手に裂かれた炎が葵を抱擁するように包み込むと、葵の身体は大剣ごと後方に飛ばされ大地を転がった。
「葵様ッ!」
村人を振り払って、イオリアはよろめく足で葵に近付きその手を伸ばす。その様子を見てリオンは深くため息を吐いた。
──……私は何をしているんでしょうか。
それは自己嫌悪だろうか、リオンは刀を鞘に納めて葵に背を向ける。
──彼は強い。職選びさえ間違っていなければ、この時代の聖戦級になどすぐ到達していた。
歩き出したリオンの視線は乃愛。自分の為に戦った男が今死んだというのに眠っている乃愛を睨んでいたが、そもそもそれは自分がした事で、村の中の戦闘でなければ互いに全力で戦えたというのにと、リオンは再び深くため息を吐き出した。
──そうすれば彼等はもっと強くなっていた。
それは恐れではなく、期待。リオンの目的とは名声ただ一つ。であればある程度泳がせて強くなった二人が有名になり、魔王だと発覚した乃愛を葵共々打ち倒した方がリオンにとって都合がよかった。
それもこんな地図にすら載っていない辺境の村ではなく、王都や大きな街であれば尚更。と、そこまで考えたところで名を売る為とはいえ人類に被害があってからを前提としている事にリオンは嫌気が差して鼻で笑う。
「リオン、どうやら私は──」
乃愛の倒れている場まであと少しのところで、背後で枝が折れる音が響いた。近くで聞こえたが故に独り言を呟く口を閉ざして素早く振り返った視界の中、リオンが見たのは黒い煙を上げながら大剣を振り被った葵の姿だった。
何故生きている。
焼けた跡はあるものの葵は見る限り軽傷。少なくとも音もなく駆け寄り、罅の入った右手だけで大剣を振り上げる程には力を残していた。それがおかしい。
振り下ろされた大剣を舌打ち交じりに横に躱すリオン。しかし葵はリオンが武器を納めた今が好機と次々とその大剣を振り回す。
時には両手を使い、まるで長剣でも振るうかの如く巧みにリオンを攻め立てる。反撃の隙がないと見たリオンは徐々に後退しながらそれを悉く躱していくも、その背に愛馬がいる事に気がついた。
躱せば馬が死ぬ。しかし反撃の隙はない。
であれば作るまで。振り下ろされる大剣を見据えたリオンはその右手に雷を宿して腰の刀を握り締める。
襲い来るは絶命の一撃。数多の魔族を討ち滅ぼしたその大剣の威力はリオン自身が最も知っている。本来片手で振り回せるものではないが、リオンはある仮説を立ててその事実は受け止めている。
無痛症。稀に見る痛みを感じない病。もしくはそれを引き起こす薬の常習者。そういう者がいる事は知っている。しかしそのいずれも冒険者となって早死にするか、日常生活の中で身体の異常に気付けずに自滅するかのどちらかではあるが。
「“紫電──”」
しかしそんな事はどうでもいい。躱したところで愛馬は死に、状況は好転しないまま攻め続けられるだけ。痛みを知らぬが故に筋肉が引き千切れるまで葵は攻めて来るだろうから、自分に残された手は一刀の下に葵を黙らせるのみと決め、リオンは帯電させた刀を全霊を以って引き抜いた。
「“──一閃”」
迎え撃つは世界最速の一撃。電磁誘導を用いた超電磁抜刀術。曰くその一撃を前に生き延びた者はおらず、それは防ぐ事も躱す事も許されない直死の一撃。だが必殺のその一撃を“攻撃ではなく防御で使用した”のはリオンにとって初めての経験だった。
気付いた時、葵は澄み切った青空を見上げていた。そこにあるのは白い雲と、血を撒き散らす事も忘れて飛んでいく自身の右腕。痛みを知らぬが故に右腕が握り締めた大剣ごと肩から吹き飛ばされている事に気がつかなかった訳ではない。そもそも何が起こったのかすら速過ぎて知覚出来なかった。ただ一つ、敗北という二文字以外は。
だが、葵は視線を下ろして踏み止まる。そして腹の底から咆哮した。そこにあるのはただ怒り。大剣と刀が衝突した瞬間、衝撃に耐え切れず身体から吹き飛んだ右腕が今も尚大剣を握り締めているように、夜坂葵自身も右腕を失ったからといって止まりはしなかった。
──殺すしかない。
人の命が鳥の羽のように軽いこの間違った世界で、生き抜く為には力がいる。相手の息の根を止める殺意がいる。
──咎崎は、誰にも渡さない。
しかし足りない。力も、殺意も、それを呼び寄せるが如く吼えるも葵の身体は限界に近い。どれだけ願っても体力はその肩から噴き出す血と共に身体から抜けていく。
──許さない。
目の前の敵も、弱い自分も。肩から抜ける血を無理矢理押し留めるように左手で塞ぎ、視線は戦う為の力を探す。
──お前を殺す。
見つけたカランビットを足下から拾い上げ、リオンを睨み付ける。その視線の中心から広がる視界の亀裂。キングゴブリンと戦った際にも見えたその亀裂が何なのか葵にはわからなかったが、そもそもそんな事はどうでもいい。実際に亀裂が入っている訳ではないのだろうから、目の前の敵を殺すのに邪魔なそれに刃を突き立てようと左手を振り抜いた。
その亀裂の線に沿うように、その亀裂の中心に辿り着くように。
しかしその線に触れたカランビットは、それを握り締める左腕はその亀裂に拒絶されるが如く後ろに弾き飛ばされる。
「残念です。やはりあのような薬は狂って自滅するのが関の山ですね」
その様子を眺めていたリオンはそう呟き、ゆっくりと歩み寄っては平然と、そして淡々と葵の胸へ握り締めていた刀を突き刺した。
「火竜の皮のマント、ですか。なるほど、どうりで焼け死なない訳だ」
心臓への一撃、確実な死。間近で見た事で炎で死ななかった理由は知ったリオンは納得するようにそう呟いた。
だが、それでも葵は止まらなかった。
最早鎧の隙間を縫うなど考えていないのか、リオンの鎧に何度も何度もカランビットの切っ先を叩きつける。リオンは急ぎ刀を引き抜き、警戒して一歩後退した。
──なぜ死なない?
そもそも右腕の出血で動けるハズはない。心臓を刺されれば動けても数秒。そもそも痛みがなくても苦しまない訳でも死なない訳でもない。ではなぜ生きている、なぜ動ける。そこまで考え、ふとリオンは“死なない存在を他に知っている”事に気がついた。
振り返るリオン。その視線と擦れ違うように、その者は駆けていた。今であれば完全な不意打ちが出来たものを、その者であればリオンを殺す事が出来ただろうに。
──…………涙?
その者──咎崎乃愛は振り返ろうとするリオンを通り過ぎて、永遠を誓った葵の下へと駆けて行った。




