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楽園変生 第一部 ──不死の随伴者──  作者: 紅葉 昂
第一部【不死の随伴者】
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第029話

 リオンの放つ言葉は死刑宣告に等しいものだった。


 乃愛がクーラを治癒する数秒の間イオリアは防御に徹する事でどうにか凌いだが、リオンが加減をしていたのは明らかだった。リオンは冒険者であって騎士ではない。依頼があれば王の命令を聞く事もあるだろうが、恐らくイオリアを殺せという直接的な命令は受けていないからこその手加減だろう。


 故に、かつて人類最強であった祖父にすら及ばない自分がリオンの攻撃を実力で防ぎ切ったなどと奢る事はなく、手加減されたからこそ持ち堪えられたのだとイオリアは自覚している。

 だが、次からは違う。人間同士殺し合う事のない冒険者も、警告した後ならば言葉の通り斬り伏せに来るだろう。


 しかしだからといって当然逃げる訳にはいかない。あくまでも冒険者リオンの目的は乃愛ただ一人。置いて逃げれば命は助かるが、もしそんな事をすれば留守を任された者としてあまりにも無責任だから。


「イオリア、気にせず一度国境壁まで退け。奴の狙いは──」


「ちょっと黙っていてくれる?」


 当然そんな責任感など捨てて祖国の為にも生き延びねばならないが、ここで自分だけ逃げ出してその後で祖国を助けてもらう。それはあまりにも都合が良過ぎるし、乃愛の申し出を甘んじて受ければ女として負けた気がするだろう。


 我ながら自分でもどうかしてると思いながら、イオリアは人類最強を前にして眩暈を覚えた。


「……私だって逃げたいのは山々なのだけど」


 しかし足は退こうとせず、その手は呑気に頭を抱えていた。本音としては当然言葉の通りだった。だが目の前の人類最強はともかく隣の女には負けたくない。隣の御人好しで少し間の抜けた女が自分が狙われているというのに、他人の心配をしているのもイオリアは気に食わなかった。


 そうさせているのは葵の存在だ。葵の事を最初は聡く、甘く、そして命知らずな人だと思った。他の者と違う風を纏う事は気に掛かったが、特にそれ以上の印象はなくあくまで“乃愛という最強の魔王を使う”上で必要なプロセスとしてキスをした。


 葵なら必ずヴァナヘイムへ足を踏み入れる。そして他の魔族に生きている事を悟られたくない乃愛も、葵に色情を以って接すれば嫉妬して必ず同行する。そう考えていただけだった。


『僕は咎崎を護ると決めたんだ。咎崎を狙う連中が生きてるなら殺すしかない』


 夜坂葵のその言葉を聞くまでは。


 否、正確には乃愛が教えた争奪戦の目的に対して葵が激怒してから。

 魔王は各々絶対的な力を持っている。故に恐れられているし、未だ人間はスライムの加護に甘んじている。しかし、それを是としない者がいた。


 フィル・ヴァナヘイム。


 イオリア・ヴァナヘイムが祖父、ヴァナヘイム王国の建国者。カーライル教を絶対のものとせず、その圧倒的な力でエルフ族を退けた英雄。生まれる前に父を亡くし、母親の顔を知らぬイオリアにとって最も自分を愛してくれた人物だった。

 戦い方を教わり、寝食を共にし、我儘もある程度叶えてくれる祖父をイオリアも愛していた。そんな祖父は王とは何かとよくイオリアに語って聞かせていた。


『王とはなイオリア。産まれた時既に王なのだ。当たり前と思うか? しかし、私が言いたいのは血筋ではない。故に私はお前の父に王位は授けなかった』


 王は血統。リーズル家の長男が代々ヴィーグリーズルの王に即位するように、ヴァナヘイムもまたフィルの息子が王になるものと誰もが思っていた。


『当然、お前にも王位は譲らない。しかしイオリア、代わりにお前には王を選ぶ役目を託す』


 だが、フィル・ヴァナヘイムは王で在り続けた。祖父の語る王の資格とは力なのだとイオリアは思った。ヴァナヘイムにはスライムの加護がない。代わりに覇者級の力を持つフィルがいた。だから新たな王は覇者級冒険者かそれに相当する強い力を持つ騎士なのだと。弱い今の自分には王の座を得るだけの力がないのだと。


 しかし、祖父の言葉は違っていた。


『よく聞けイオリア。王とは不条理に立ち向かう意志を持つ者だ。常識、良心、普通、最善、妥協。それ等に縛られぬ不屈の意志は、生きていれば必ず降り注ぐ災厄や不幸を捻じ伏せる強き力となる』


 だからこそ私はここまで来れたのだと、フィルは続けて言っていた。何度も、まるで寝かし付ける際に読む御伽話のようにフィルは語っていたが、イオリアは今までその意味がわからずに生きていた。


「貴方は死なないのだし、見捨てても問題にはならないのかもしれないけれど」


 葵が乃愛の受ける不条理に激怒したその時、葵の風は祖父に似るのをイオリアは感じた。貴方こそヴァナヘイムの王に相応しいと言いはしたが、まさか祖父の風に似るなど思いもしなかった。そして思ったのだ。


 ああ、祖父が言っていたのはこの人だと。


 王を選ぶ権利とは即ち見定めた者を婿とし、玉座を預け王冠を授ける事。祖父に任された大役を成し遂げる事なく国が滅びそうな今、ようやく見つけた王の資質。


「葵様に見損なわれるのは、御免なのよ」


 その所有者たる葵に嫌われるのは断じて避けたい。王の選定者としても女としても。そして後者の意味で、隣の女に負ける訳にはいかないのだ。


「お前、まだ言ってるのか」


「あら、葵様程の殿方ですもの。女として御慕いするのは当然ではなくて?」


「それはまあ……じゃなくて──」


 乃愛が納得しそうになったその時、突如リオンは動き出す。音もなく足下に踏み込んで来たリオンに乃愛は視線を向ける。

 やはり先程その疾走が遅く見えたのは乃愛の攻撃によるダメージではなく、乃愛の油断を誘うフェイク。むしろその必要がない程に速い踏み込みを、乃愛は今体験した。


「随分余裕ですね。いや、ただの間抜けでしょうか」


 瞬間、リオンの刃は乃愛の喉を斬り裂いた。


「乃愛ッ!?」


 確かな手応えを感じ、リオンは仮面の下で鼻を鳴らすように笑う。最強の魔力を持つ魔王が聞いて呆れる、そう言うかのように。

 しかしリオン程の剣士が確かな手応えを感じるという事は即ち致命の一撃。死に至る傷である事を意味する。


 故に、瞬時に“不死の王”は発動する。


 斬り裂かれた喉元から噴き出る血飛沫。その合間を縫って、リオンは乃愛が浮かべる不気味な笑みを見た。


挿絵(By みてみん)


「ーーーッ!?」


 喉と、先程折った右肩。その周囲から突き出る紅い結晶体。まるで杭が身体から生えたようなそれを乃愛の攻撃と感じたリオンは飛び跳ねるように後退するも、乃愛の“動かないハズの右腕”によって左腕を掴まれる。


 瞬間、紅い結晶体は砕け散る。


 その破片は跡形もなく消失するが、消えたのはそれだけじゃない。先程斬り裂いたばかりの乃愛の喉元、その傷口が跡形もなく消え去っていた。


「そろそろ悪さ(おいた)は終わりだ」


 そう言いつつ木の枝でも持ち上げるように易々とリオンの身体を振り上げると同時にフワリと飛び上がる。それはまるでバレーのスパイクでも決めるかのように。


 国境壁まで蹴り飛ばすつもりだった先の蹴りを受け、村から出る事もなく踏み止まった相手。人間とはいえ父の鎧を纏う者。その二つを考慮し、岩盤を割る勢いで叩き付ける。そうするしか道はないと感じたのだ。

 吹き飛ばしても居場所を知られている以上、必ずこの冒険者は襲って来る。ならば無力化し、言って聞かせる以外に道はない。


「放しなさい乃愛ッ!」


 しかし、聞こえた声に乃愛は振り上げたリオンを見上げる。空中において回避不能は御互い様。そして今二人は乃愛がリオンの手首を掴む事で繋がっている。既に攻撃態勢に入っている乃愛だったが、果たして先に攻撃を繰り出す事が出来るのはどちらか。


 それは言わずとも明白だ。リオンの刀は既に乃愛へと向かって振り下ろされているのだから。


 乃愛は舌を鳴らし、手首で投げるようにリオンを放す。攻撃ではなく回避の為に。故にそのリオンの刀が乃愛を斬る事なく空振りするも、乃愛もまた千載一遇の好機を逃す結果に終わってしまった。


「本当に人間かこいつ」


 言いつつ着地して乃愛はイオリアの隣にまで後退する。投げた事で再び距離は空いたが、相変わらず村の中では得意の遠距離魔法は使えない。

 右眼から放たれるヴェルミクルムは本来零距離だろうと“この魔法一つで大丈夫”なように乃愛自身が編み出した魔法。しかし照射地点を爆破させる光線魔法など、村のド真ん中で使えば大惨事。


 加えて、乃愛の手札は“この魔法一つで大丈夫”という考えもあってそれ以外の魔法は身体強化と翻訳魔法のみ。如何に最強の魔力を持つ魔王として君臨した過去があったとしても、それは僅か十歳児の女子供。そこから魔法のない世界で暮らしたとなれば、手札が少ないのは仕方がないと言える。


「妙な力を持っていますね。確かに殺したと思いましたが」


 当然この世界に戻ってから魔法の修練はしていたものの、それはこの世界の人間が扱う武具の魔法を魔族であっても使えるようにしただけに過ぎない。つまりは神官としての回復魔法であり、眼前にいる人類最強の冒険者を打倒するのに一切使い道がないものだけだった。


「生憎ちょっとやそっとじゃ私は死なん」


「だというのに人間の、それも神官の武具を無理矢理使っていますね。冒険者の真似事をするにしても、死なないのならば重戦士や狂戦士にでもなればよかったものを」


「それは私のヒロイン像と違うんだ」


 乃愛の言葉にリオンは首こそ傾げる事はなかったものの、その内容は一切理解していないだろう。しかし、それでいい。使える魔法が少ない事や“不死の王”の力、女の何たるかをわざわざ教える必要は微塵もない。特に最後のは至極どうでもいい。


「いずれにせよ人間領域に足を踏み入れていたのならば、この巡り合わせは避けて通れぬものであったのでしょうが」


「ちょっと口を挟ませてもらうけれど、私はこの御馬鹿な魔王──」


「おい誰の事だ?」


「──が人類に有害だなんて思えないわ。それは誰の眼から見ても確かだと思うのだけど、何の為に貴方は乃愛を狙うの?」


 言葉を遮ろうとする乃愛の台詞を一切気にも留めずに言い切るイオリアの言葉に、リオンは周囲の村人達を眺めた。

 動揺はしている。しかしそもそも魔王がいたとしてギャラリーなど出来上がるだろうか。


 自分の身をある程度護れる冒険者のギャラリーとは違い、周囲は村人で覆い尽されている。本来ならば慌てふためき、我先にと逃げ出すのが普通だ。リオンの知っている“人間”という種族はそういうもののハズだった。魔王ではなくただの魔族が襲撃して来たとしてもそれは変わらないだろう。


 ではなぜ、村人達は逃げない?


 可能性があるとすれば、その魔王と対峙するのが人類最強の冒険者だから。しかしその考えは些か作り話のようだ。魔王といえば世界の理を好き勝手に変質させる強大な力を持ち、高い魔力を保有していれば災害といって過言ではない程に強力な魔法が使える事は今の世の中子供でも知っている。エルフ族の魔王がそうであったように。


 しかし、人類に未だそんな力は発現していない。カーライル教の伝承にある“聖剣の勇者”であればその頂に届くのかもしれないが、リオンがそうでない事は本人が一番よく知っているし、公の場で否定済みだった。故に、リオンがいるから逃げないという理屈は無理がある。子供の喧嘩や酒場の殴り合いではないのだから。


 であれば、なぜ?


 まさか人類史に記録のない優しい魔族だとでも? その存在を村人が信じていると?

 馬鹿馬鹿しい。温厚なエルフ族でさえ人間が領域に足を踏み入れれば殺しに掛かって来るというのに。


 そもそもその思想は、魔族を絶対悪とするカーライルの教えに背く王政への反逆罪と見なされる恐れすらある。なるほど、スライムの加護に護られていないが故のカーライル教ないし王政への不満というのも頷けなくはないとリオンは納得する。


 だがそれはどうだ? 例えこの村が御涙頂戴な心優しい哀れな反逆者達の住処だったとして、付近のトゥーレやヴィーグリーズル全体の意志は魔族をこの地に住まわせる事を是とするだろうか。


「魔族は悪。人々は悪の淘汰をひたすらに望むもの。故に私は人類の総意として魔王を殺す。一つも例外はなく、ただ一人として魔王の存在を認めない。そこに個人的な感情など必要ありません」


 答えは否。故に反逆者に等しい者達の言葉でリオンは刃を納めない。


「わからない人ね。馬鹿とハサミは使いようと言うじゃない」


 リオンは何を言っても止まらない。乃愛も力を以って黙らせる必要があると感じたように、イオリアもリオンには最早言葉が無意味であると理解した。故に、相変わらず怖気づいた両手の震えを鎮めるように一度瞑想する。


「私に必要なのは名誉ただ一つ。この世界総てに我が名を刻む為、総意に準じてそこの魔王には死んでもらいます」


 言い放ち、リオンは再び乃愛へと走る。しかし言葉とは裏腹にリオンの脳裏には疑問が浮かんでいた。果たして、乃愛と呼ばれるこの魔王を殺す事が出来るのだろうかと。


 戦力という点において乃愛もイオリアも敵ではないとリオンは感じている。しかし“確かに殺したハズの乃愛が生きている”事が不可解だった。


「覇者級だっていうから立派な殿方なのだと思いましたが、どうやらそうでもないようね」


 間に割って入ったイオリアがリオンの刀を受け止め、その斬撃の軌道を反らす。風を読む力は本来実力が足りていない場合程効果を発揮する。圧倒的強者に対して行動が凡そ理解出来るその能力は、本来ならば防げない速度であっても先に動く事で対応出来るからだ。


 そしてイオリアの能力が防御に優れているのであれば、イオリアの影より飛び出した乃愛は攻撃に特化した力を保有する魔王。地面を砕く勢いで上空に飛んだ乃愛はクルリと身を翻し、両手に持った杖を鉄槌の如く振り下ろす。杖の使用用途としてあながち間違いではないが、振り下ろされた杖のもたらす結果は正しく鉄槌のそれだった。


 瞬時に横に飛んで躱したリオンの元いた地面は乃愛の振り下ろした杖によって砕け散り、破片は舞い上がる砂煙と共に周囲に広がった。


「ちょっと、私の事も考えなさいよ!」


「加減した攻撃なんか躱されるだろ!」


 砂煙から飛び出しつつ言い合う二人。攻守共にバランスのいい共闘ではあるが、仲がいいとは御世辞にも言えそうにない。もっとも、仲良くしたところで勝てるという訳でもないが。


「……ッ、来るわよ乃愛!」


 砂煙より飛び出したばかりの着地間際、イオリアは砂煙の中に風を感じ取る。自分を狙っているのであれば着地前でも多少防ぎようがあるものの、その風が狙うのは乃愛だった。


「は?」


 砂煙より飛び出すリオンの左手が乃愛の右足首を掴み、乃愛の視界が上下反転する。


──こいつ、砂煙の中でも私が見えたのか!?


 その手が正確に乃愛の足を掴んだ事実にそう考えるしかない。しかし、今更リオンがそんな力を持っている事を知ったところでこの状況をどうにか出来る訳ではない。

 出来るとすれば今着地して駆け出したイオリアだった。リオンが乃愛を振り上げた事で掻き消える砂煙。中にいたリオンへイオリアは駆け出すも、その正面から放たれる刀がイオリアの足を止めさせた。


 風を感じるのと同時に襲い掛かる刀の投擲。それを前に間一髪で弾き上げたイオリアだったが、命は拾っても体勢を崩して背中を地面に叩き付ける。

 故にリオンの次なる攻撃を二人には防ぐ術がない。リオンが乃愛を掴む左手を振り下ろし、俯せに地面へ叩き付けられた痛みに乃愛は杖を手放してしまう。


「……なるほど、やはりそうですか」


 痛みに乃愛が一瞬瞼を閉じた時、リオンは納得するように呟いた。すると次は乃愛の腰を固定するように膝をつき、その右手で乃愛の頭を持ち上げるように首を締め上げる。


「くそ、放せ──」


 瞬間、首を掴むリオンの手を引き剥がそうとした乃愛の左二の腕へ、リオンはその鎧の鋭い爪を刺し込んだ。ゆっくりと、しかし容赦なく抉るように指を動かし、乃愛は言葉に出来ない痛みに苦しみ呻く。


「やめなさ……ッ!? 足が……ッ」


 先の投擲によってバランスを崩した際に捻った足の痛みで再び膝をつく。立つ事の出来ない足を両手で抱え、イオリアはリオンを睨む。

 一度イオリアに視線を向けたリオンだったが、動けないと知った矢先再び乃愛に、強いては先程爪で抉った乃愛の左腕の傷口に視線を向けた。


 そこにあったのはリオンが予想していた通りの現象。傷口付近に現れる小さな結晶体が傷口を覆い隠そうと乃愛の肌の上に浮かび上がって来ている。瘡蓋(かさぶた)のようだが、それはあまりにも早い細胞の修復。しかし先程喉を斬り裂いた時よりも遥かに、そして明らかに遅く小さい。


「なるほど」


 そう呟いた時、イオリアから飛来する二つの刃。膝をついたまま投げた半月型のダガーは回転し、その遠心力でリオンを挟み撃ちするかの如く襲い掛かる。


 しかし、リオンはそれを鼻で笑い飛ばした。


「“防導岩土(ぼうどうがんど)”」


 乃愛の首を放し、リオンが左手を地面に叩き付ける。すると突如地面が隆起し、まるで柱のような二つの土の壁がイオリアの投げたダガーを弾き飛ばした。


「そんな……ッ!?」


 見え透いている。まるでそう言うかのようなリオンの対処にイオリアは言葉を失う。元より聖戦級クラスとヴァナヘイムで定義されていた自分の実力で覇者級であるリオンに勝てると驕っていた訳ではなかったが、こうも手も足も出ないとイオリアは思っていなかった。それも二人掛かりで、だ。


 そんなイオリアの心境などいざ知らず、リオンは必死に息を整えようとする乃愛へ今度はその首に掛けるように両手で輪を作る。そしてその両手を引き、膝に体重を掛けて乃愛の首を締め上げ出した。

 乃愛は首を締め上げるその手を引き剥がそうともがくが、背中に乗られている状態では意味を成さず、それどころかリオンは更に強く腕を引いて乃愛の首だけではなく腰を逆に曲げていく。


「お前の馬鹿力は身体能力を強化する魔法によるもの。それも、魔力で覆った身体の一部だけしか発生しない。そしてお前の魔法は右眼の視覚外には一切適用されない。そうでしょう?」


「なん、で……お前が……?」


 どうして人間であるハズの冒険者が、七年前の他の魔族と同じように自身の弱点を知っているのか。当然の疑問だった。争奪戦の発端である乃愛の情報の漏洩、それも葵達にすら“私の総てが魔族領域全土に知れ渡った”としか言っておらず、内容については伏せていた。


 この場にいて乃愛の弱点を知っているとすればクーラだけだったが、クーラが裏切るような真似をする事は絶対に在り得ないと乃愛は言い切れる。


 ではなぜリオンはそれを知っている。


「聖痕の眼、と言えばわかりますか? 私には総ての魔力が見えてるんですよ。こうしてこの村に来たのもお前が何度か使用した魔法の魔力を遠くで見掛けたからです。何をしていたのか知りませんが、随分魔力を垂れ流していましたからね」


 聖痕。少数の人間に現れる生来の特殊能力。浮かび上がる聖痕の部位は様々であり、その力はその部位によって“対象を知覚した場合に様々な事柄を知る”事が出来るというもの。葵はリーベから教わり、そして乃愛もクーラから多少聞いてはいる。

 知る事の出来る事柄やその量は所持者により個人差があるというものだったが、魔法を見てその魔力の流れから魔法の仕組みすらも見抜けるというのは破格にも程がある。


 聖痕は魔族にとって特に有害という訳ではないと昔教わった記憶もあるが、何事にも例外があるという事だろう。クーラに言われて葵の役に立つように新しい魔法の構成や杖の魔法を使用出来るように修練を積んでいたのが仇となった。


「しかし先の結晶体には魔力を感じなかった。つまり死なない理由は魔法ではなく、法則かあるいは生態に近いもの。法則を使ったようには見えませんでしたから、身体に負荷のある傷であればある程に即座に修復する種族か、あるいは突然変異か。どちらにせよコントロールが出来るものではない。……違いますか?」


 頷かない乃愛を見て、リオンは締め上げる力を更に強くする。


 一度目の致命傷はやろうと思えば躱すか防ぐか出来ただろう。相手が強いと見て葵の真似事をして見たものの、むしろそれが仇となった。否、あの時イオリアのダガーを弾いたのは魔法だった。恐らくあれだけがリオンの使える魔法や戦技という訳ではないだろう。


 乃愛が村への被害を考えてヴェルミクルムを使用しなかったように、リオンもまた戦技ないし魔法を使用せず戦ったという事である。であれば、その気になればリオンは乃愛に致命傷を与える事は可能だった。つまり過程はどうあれ、結果は同じ。


 背骨や首の骨が軋む音が聞こえて来る。乃愛にとっては途轍もなく長い間成す術なく首を締め上げられていたが、それも終わりが来る。まるで木の枝が圧し折れたような音と共に乃愛の意識が途絶え、不死の王が発動した。

 両側の肩甲骨の間に生える先程の瘡蓋よりも圧倒的に大きい結晶体。その正体不明の結晶体を前にリオンは両手を放して観察する。


「ごほ、ぁ……くッ!」


 まるで心肺蘇生法により息を吹き返したように、刹那の間意識が途切れていた乃愛が目を覚ます。しかしそれも束の間、リオンは次なる手とでも言うように乃愛の後頭部を鷲掴みにして右眼を地面に押さえつけた。


「体内の即死レベルの負傷も瞬時に治癒するとなれば、あとは眠って頂くしかありませんね」


「何を──」


 乃愛の問い掛けすら待たず、乃愛の後頭部を鷲掴みにする右手が放電を開始する。乃愛の悲鳴と鞭を打ち鳴らすかのような電流の音が響く村の中、村人達は眼と耳を塞ぐ。その光景があまりにも見るに堪えないものだったから。


 やがて悲鳴が止み、のた打ち回っていた乃愛の四肢が電流によって規則正しく跳ねるような動きに変わったところで放電は止んだ。まるで荷物を拾い上げるようにリオンは乃愛の身体を左脇で抱え込むと、刀を右手に拾った。

 次に口笛を一つ。呼ばれた黒馬が主の下へと駆け寄った。


「待ちなさいよ、乃愛をどうするつもり?」


 そこで、やっとの思いで立ち上がったイオリアが挫いた足を庇いながらリオンへと近付いていく。


「眠っている間にスライムの群れの中に放り込み、王都の研究者に引き渡すつもりです。法則が不可解ですが、殺せない以上私に出来る事はそこまで。後は延々と解剖するも軍備素材にするも国次第。……私には関係がない」


「平然と言うのね。反吐が出るわ」


 その言葉にリオンは「ああ、そうだ。忘れていました」と呟きつつイオリアへ振り返ると、その腹に膝蹴りを叩き込む。そしてイオリアを見下ろしつつ徐に刀を振り上げた。


「私にとって何の価値もありませんが、その首を頂きます」


 膝蹴りによって一度浮いたイオリアは腹部を両手で抱え両膝を折る。それはまるで跪くように、首を斬るのに程よい高さで。

 目の前の人類最強を見上げ、自らの祖父と同じ覇者級冒険者の頂を眺めながらイオリアは謝罪する。


 祖父フィル・ヴァナヘイムへ、役目を果たせず死に逝く事を。


 国民達へ、王家の名を継ぐ者として責任を果たせなかった事を。


 今攫われようとしている乃愛へ、助ける事が出来なかった事を。


 そして、


「葵様……ッ!」


 初めて恋をした少年に、その恩義と信頼に報いる事が出来なかった事を。降り注ぐ黒き刃を前にして、死ぬ事よりも謝罪を伝える術がない事にイオリアは涙した。

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