第022話
「おい、何だこの騒ぎは?」
葵とギリアムの二人は人だかりへ駆け付けると、見知った顔が遠巻きにいたので声を掛ける。
「ギリアムか。そこにいるボロボロの外套を羽織った奴が通りたいって言い続けてよ。冒険者じゃ話にならねえから現場責任者出せってうるさくてな」
男が指す方に視線を向け、ようやくその人物を確認出来た。汚れ切った油のような色をした外套で全身を覆い隠したその人物は、フードに隠れて顔は確認出来ないもののその体系は細く、子供でないならば女だろう。
「で、その物言いに我慢出来なかった奴が掴み掛かろうって所か」
顔を隠すように俯くその人物の前には大男が立ちはだかり、それを取り囲むように人が集まった。その数、休憩中だった者や作業員も含めて三十人程。そのほとんどが大男に対して「やっちまえ」などと野次を飛ばしては笑っている。
「俺等がその辺の冒険者に見えんのか!? ここにいるのは守護級以上だ。聖戦級だって大勢いるんだぜ!?」
周囲を見るように促す大男。葵は苦笑いを浮かべて頭を掻いているが、遠巻きにいるので言い争ってる二人から腰のベルトに取り付けた奴隷級のプレートが見られる心配はないだろう。
そもそもこの言い争いに介入する気がある訳ではないが、葵の苦笑いしたもう一つの理由として、その大男の首に掛けられた銀のプレートだ。聖戦級の名前を謳いながら自身は一つ下の守護級である事が滑稽に見えたのだろう。虎の威を借る狐そのものだ。
「私の発言が不適切であった事を認めるわ。貴方々冒険者の反感を買うのは私としても本意ではないもの」
対する外套の女はそう言って外套の隙間から出した右手を胸元に添えるようにして頭を下げる。その行いに周囲の野次は消え、代わりに戸惑いのような顔を皆が浮かべている。
「お、おう。わかりゃいいんだよ」
面と向かって対峙していた大男も恥ずかしそうに頭を掻いている。相手がこうもすんなりと非を認めるとは思っていなかったのだろう。やり場のない怒りはその対応を前に恥として霧散した。
「なら──」
しかし、そもそも何故ここで口論になっていた?
冒険者では話にならない。その言葉の意味は一見蔑むもののようにも聞こえるが、それが適切であるならば雇われている者に話しても規約を変えようがないという事。
この場において冒険者の役割とは国境壁を造る技術者の護衛と、
「──ここ、通ってもいいかしら?」
森からトゥーレへ赴く存在の排除と、その往来の阻止だ。
「いや、だからそいつは無理だつってんだろ」
「だから責任者の方を呼んで頂きたいのよ。あまり待っていられる状況ではないから、誰か──」
「何の騒ぎだ?」
そこに割って入るのは豪華な装飾が施された甲冑の男。甲は被っておらず、歳は三十代後半だろうか、見るからに堅物そうだった。周囲の者とは明らかに違うその甲冑は、その胸にヴィーグリーズルの紋章が刻まれている。
「ああ、隊長さん。実はこの女が用事があるようで」
「ヴィーグリーズルの騎士団の方ね。この度は御騒がせを──」
「何をしている?」
騎士団の隊長は女の言葉を遮る。それどころか、彼女を見てすらいなかった。その言葉は周囲の冒険者、そして目の前にいる女の前に立つ大男に向けられた言葉だった。
「貴様等冒険者はギルドに正式に通達した依頼もこなせないのか? それとも内容を把握していないのか?」
周囲が騒ぎ出す。依頼の内容を承知していない者はこの場にいない。依頼内容には“森を抜けてトゥーレへ赴かんとする存在の討伐”と記されている。
この森を抜けた先、広大な草原の先はヴィーグリーズル王国北方都市の街、トゥーレがあり、現状ヴァナヘイムからヴィーグリーズル王国へはこの草原を抜けるしかない。しかし、言わずもがな目の前にいるのは人間だ。
「殺せ」
端的に、明確に、周囲の冒険者の脳裏に過ぎった言葉をいとも容易く口にする騎士。
「御待ちなさい! 私は──」
当然女はそんな事態を望まない。周囲に訴えかけるように声を上げるが、
「悪いな」
これだけの数の冒険者がいる。葵のいた世界ではほぼ誰でも持っているような常識にして道徳的価値観である“人間は殺せない”という気持ちを、この数の冒険者総てが矜持しているとは限らない。
「……ッ、これはいったいどういう事なの!?」
人混みの中、まるで通り魔のように人と人の間をかき分けて突進して来た男のナイフを避け、外套の女は騎士に問う。
そもそも、むしろ冒険者はそんな道徳的な価値観など持ち合わせていない事の方が多いのだ。この国は民主制ではなく王制なのだから、王の意志が法であり、王に仕える貴族や騎士の言葉は王の命令と言っていい。
望む望まないに関係なく、やらねばならない事。依頼として引き受けたなら冒険者としても当然の事。
王に逆らう者に未来はない。騎士もまた、望まないとしても王の意志を尊重し従うが使命と考える。故にその表情を曇らせようとも、成さねばならないと討伐対象を睨み付ける。
その意志はやがて空気となり伝染し場を支配する。総勢四十名の冒険者が武器を取り、その視線から女を見ていた色眼鏡が消え、各々標的を見る狩人の眼に変わっていく。
「それでいい」
騎士が呟く言葉が火種となり、その場に殺意が爆発する。その雄叫びと津波のように押し寄せる総勢四十名の冒険者を前に女は背を向けて森へと駆け出した。
「ギリアムはさ、どうして国境壁を越えようとする人を殺すのかわかる?」
それを追う津波の背を見送りながら、ボソリと口を開いたのは葵。藪から棒に問い掛け、今にも走ろうとしていたギリアムの足を止めた。
ヴィーグリーズル王国、王都カーライル。石造りの建物が並び、煉瓦を敷き詰めた道がまるで迷路のように続いている。建物の造りこそ北方のトゥーレと大きな違いはないが、行き交う人々の多さや話し声、身なりが違う。
裕福な家庭で育ったであろう子供は幼児用のタキシードを纏い、走り回る事なく姿勢正しく友人と会話をしている。その傍では歩く事には不便な長いスカートのドレスで着飾った母親達が扇子のような物を片手に笑い合う。
道の中央には馬車が通り、至る所で甲冑を纏う騎士が不審な者はいないか目を光らせている。そこに冒険者というような身なりをした者は少なく、いたとしても身に着けている装備は煌びやかな物だった。使っていない故に綺麗であるという意味も含めて、そもそも造りがトゥーレの冒険者が装備しているものとは違っていた。理由は不明だが過剰に見栄えを意識しているのだろう。
その王都の中央、空から見下ろせば大穴が開いているような崖があった。自然に出来たとしては不自然なその大穴を囲むような形で人々は生活しているのだ。
街の一つや二つ容易く飲み込める程のその大穴の中心、神殿のような建物は橋こそあるものの、その神殿が建てられた岩盤を支える物は何もない。大穴の外円部、カーライルの街内円部全角度から見る事の出来るその神殿は、正しく神の成せる業を示すが如くそこに浮いているのだ。
カーライル大神殿。
王都カーライルを囲む東西南北四つの巨大な街の中心にある神殿は、神官になる者であれば最初に必ず訪れる事になる。その総本山たる大神殿は正しく名の通り神聖の二文字を体現するかのように王都の中心に聳え立っていた。
そこに行く事の出来る唯一の橋は、王城から続いている。カーライル大神殿を護るは現人間世界において唯一の王家といったところか、その橋に行きつくにはまずその城の門が立ちはだかる。大人の男性の横幅程の分厚い鋼鉄で出来た城門の先、城の扉もまたそれと同等。そこを抜けた先には大広間という名の道があり、その奥に橋へと続く最後の扉がある。
計三枚の巨大な鋼鉄の扉によって護られたその神殿だったが、その内の二枚が今は開いていた。
代わりに多くの騎士達が城門から大広間にかけて道を作るかのように左右に並んでいる。貴族や、腕を買われて騎士に至った者。多くの騎士が武勇に優れ、総ては王に忠誠を誓って戦う誇り高き騎士である。故に、その騎士が並ぶ道に敷かれた紅い絨毯を通るは要人や、あるいは王の本人か、そのどちらかであるのが当然だろう。
しかし、違っていた。
豪華にして品のある装飾が施されたその紅い絨毯を踏みつけるは蹄。普通の馬より少し大きめなその蹄を残すは黒き馬。漆を塗ったような黒鉄の鎧を纏うその姿はまるで魔獣のようだった。そして、それに跨るのもまた異形のように六つの紅眼を象った鎧の黒騎士。
周囲の騎士のような煌びやかな装飾も、甲冑に刻まれた紋章もない。あるのは只ならぬ雰囲気と、まるで魔族のような威圧感。だからか、城門を抜けて大広間へ続く扉を潜る際にも馬から降りぬ非礼を誰も咎める事が出来なかった。
「リオン様、御無事で何より」
深々と頭を下げるのは、大広間にて黒騎士を待っていた一人の騎士。黒騎士とは対照的な騎士甲冑を纏う彼は、冑を片手に顔を上げる。金色の髪に同色の瞳は真っ直ぐと黒騎士──リオンを見上げていた。
「討たれる心配でもしていましたか?」
「とんでもない。貴方様に限ってそれは在り得ませんよ。しかし友人として、危険な真似はいかがなものかとは思いますが」
黒馬より降りた黒騎士は、その金髪の男の言葉に僅かに顔を背けた。その際、鼻で笑ったかのような声が僅かに聞こえたが、金髪の男が気付いた様子はない。
「であれば、その友人に言ってあげてはいかがですか?」
続けてそう言い残し、リオンは彼の横を通り過ぎる。それでも金髪の男は顔色一つ変えずにその歩みを追った。
「ええ、ですから言ってるんです」
「…………スリム・ローデマント近衛騎士団長、貴方は顔も知らぬ相手を友人と称するのですか?」
馬鹿にするように、リオンは若者──スリムに問い掛ける。リオンは呆れているようにため息を挟んでいたが、一方で隣に並んで歩くスリムは含んだ笑みを浮かべていた。
「そう言うなら、そろそろ御顔を拝見したいものですね」
「生憎、御見せ出来るような顔を持ち合わせてはいないので」
その笑みの意図がわからないリオンであったが、スリムに対して何の関心も持っていないが故に見なかった事にし、厳重に警備された扉の前で立ち止まった。
「ローデマント近衛騎士団長も御一緒に?」
扉を開けようと手を伸ばす警備の騎士が問い掛けると、スリムは「まさか」と言って首を横に振る。それを視界の隅で確認したリオンは、やっと付き纏われないで済むと小さく一息吐いた。
「ではリオン様、皆様によろしく御伝え下さい」
スリムがそう頭を下げると騎士達が扉を開き、リオンは中へと足を進める。
静寂。
うるさい程に静かなそこは、扉の外とは別世界のような感覚をリオンに与える。先が見えぬ程長く、大人の男が五人並んで歩いても余裕のある程の幅の階段が続き、リオンは立ち止まらずに進み続ける。
そして気が遠くなる程の階段を上った先、巨大な空間に足を踏み入れた。
宝石で造られたステンドグラスに照らされた真っ白な大理石の床。黄金の装飾が見飽きる程視界に入る中、リオンは真っ直ぐ先を見続けながら進む。
自身の足音しか聞こえないその巨大な空間は遠近感や平衡感覚といったものが上手く機能し辛いものであったが、リオンはここに初めて訪れた訳でもない。進み続けた先で足下の階段を目にし、先程までのように堂々とした態度とは違いそこに跪いた。
「帰ったか、待っておったぞリオン。面を上げよ」
頭上より降り注ぐ言葉。応じるようにリオンは顔を上げた。黄金の階段、五段の内一段目から四段目までに顔を隠した司祭が一人ずつ左右に並び立ってリオンを見下ろしている。そして五段目、リオンの正面にして最も遠い位置には玉座があった。
「此度はあのサイクロプスを倒したそうだな。我が騎士達二十人でも打ち倒せぬ種族と聞いておったが、あのような巨大な体躯をした化け物だろうと意に介さぬとは……其方は誠覇者のようであるな」
「御褒めに預かり光栄です、陛下」
座するは王、ヴィーグリーズル王国を統治する男、名をセールイズ・リーズル。関心するように唇の端を歪ませては頬杖をつき、跪くリオンを見下ろしている。
「しかし、我はそのような命を下した覚えはない。何故サイクロプスと戦った? よもや我の意に歯向かうつもりでもあるまい?」
だが、その表情は一転する。眉間に皺を寄せては顎を釣り上げて我が問いに答えよと命じ、返答次第ではただでは済まないと威圧する。
「なりませんよ陛下。そのように御怒りになった陛下の前で口を開くなど誰が出来ましょうか」
そこに口を挟むのは王の右手に控える子供。座しているセールイズを見上げる程の小さな少年は口振りは不気味な程に大人びているものの、その小さな身体を左右に振ってまるで幼子のように笑っていた。
「アシュトン、我は理由を問うておるのだ。大司教である其方が斯様に庇い立てる者の意を無下にし、その生命を絶つ事など王である我とて致しはせぬ。が、しかし──」
まるで我が子を見るような暖かな笑み。言い聞かせるようにその子供──カーライル大司教アシュトン・ショゴスに告げながらアシュトンの頭を撫でた。
「──この者はけして顔を見せぬ。そして我が騎士ではない。我の誘いを幾度となく断り続け、冒険者である事を選ぶ変わり者。その心中に忠儀はなく、王である我を前に仮面を外さぬ黒き騎士。我とこやつにあるのは信用と忠儀ではなく、利害の一致だ。……故に聞かねばなるまい?」
その視線がもう一度リオンに降り注ぐ。
「…………武器、喉元、脳天に一太刀ずつ」
呟きながら、リオンは王の前で立ち上がる。その場にいた八人の司教がその無礼に叱責の声を上げようとするも、セールイズの手振りによって遮られ、黙して頭を垂れる。
「陛下、これは私がサイクロプスに対して刃を振るった数です。振り下ろされた斧を斬り飛ばし、喉元を切り開き、頭部を破壊しました。最後の頭部への一太刀は、思う所があっただけに過ぎず、喉元の一太刀で充分に死に至ったかと」
「では其方は、あの持ち帰った巨大なサイクロプスを一撃で殺したと申すか?」
リオンが頷き、司教達がどよめく。セールイズもそれには驚きを隠せないようだった。
その前で、リオンは両手を軽く広げてみせる。それは身の潔白を示すかのように。
「貴方は“何故サイクロプスと戦った”と問われました。しかし王よ、私は戦った覚えはありません。戦いとは対等に近い力の衝突です。故に、あれは戦いと呼ぶには相応しくない。……それとも陛下は、地を這う虫を踏み潰す事、これを戦いと仰せになりますか?」
玉座の巨大な空間に再び静寂が訪れる。サイクロプスは大きな個体で十メートルを越える正真正銘の化け物だ。現在人類領域で出現したと確認されている魔族の中、最も獰猛で力の強い種族である。それをリオンは虫と称したのだから静まり返るのも無理はない。
「二十一年前、フィル・ヴァナヘイムがやっとの事で成し遂げたエルフ族魔王の討伐。最強の覇者級が残した伝説を其方はその若さで凌駕した。……やはり、古き伝説より生きた伝説と称される其方は格が違うといった所か」
二十一年前のヴァナヘイムにて、ヴァナヘイムの王であるフィルは、かつて建国時に取り逃がしたエルフ族の魔王をついに討ち取った。
歴代最強と謳われ、建国まで成し遂げたフィル・ヴァナヘイムですら一体の魔王を殺すのが精一杯だった。その記録を塗り替えたのが黒騎士リオン・クロワール。
その名は全人類が知っている。まさに力を象徴とする者であり、武力といえばヴァナヘイムが勝るという一般的な民のイメージを完全に払拭した。
エルフ族の魔王の死後、オーク族という新しい魔族がヴァナヘイムに攻め入るようになった。ゴブリンとは比べ物にならない屈強さを持つその種族は長年に渡りヴァナヘイムに攻め入っていた。
ヴァナヘイムの騎士団によって撃退は出来ていたものの、フィルは床に伏してからは防衛がやっと。その多くもヴィーグリーズル王国の冒険者が派遣されて、だ。
当然、オーク族の魔王を打ち倒す事は誰にも出来なかった。
しかし今より五年前、リオンはオーク族魔王を討伐に成功し、長きに渡るヴァナヘイムとオーク族の戦争に終止符を打つ。その後も新種の魔族を発見しては打ち倒し、度々襲撃して来る天使族の群れを単身で全滅させるなど目覚ましい活躍をしていた。
誰もがフィルを越える冒険者と噂し、そして半年前に遥か遠くの魔族領域にて竜人族の魔王を殺害した事でそれを証明してみせた。
またリオンは独自によって編み出した奇怪な魔法にて生成された荷馬車に乗せて討伐した総ての魔族の死骸を持ち帰って来る。
それにより魔族の生態研究もこれまでより遥かに進歩し、ヴィーグリーズル城の研究機関もリオンを褒め称えるようになる。
その生い立ちが孤児であるというのも相まってかつてない程に冒険者は増え、今では貴族が孤児を引き取り冒険者や騎士に鍛え上げたりするといったブームすら起こるようになった。
当然リオンを養子にしたいという貴族、婿に迎えたいと言い寄る貴族も多いが、本人にその気はないようだ。
「して、三度目の一太刀。思う所とは何だ?」
「…………その見掛け倒しに憤りを覚えたので、なんとなく」
今の時代、あらゆる風を吹き起こしているリオンという存在はやはり格が違っている。そう再認識してセールイズは大きく口を開けて笑い出した。
「よい、前言を撤回しよう。其方は虫を踏み潰した。故に不問とするが、その虫は今我に……いやヴァナヘイムの愚か者達への罰として必要だ。けして踏み潰し過ぎぬよう自重せよ」
「承知しました。それで、陛下より授かった命によりヴァナヘイム軍の様子を見て来ましたが、予想していた通り民を連れ込んだヴァナヘイム城に立て籠り、半数以下となった軍でその周辺を防衛しておりました。その中にヴァナヘイムの騎士ではなく我等ヴィーグリーズルの冒険者も見られました」
リオンの報告を聞き、セールイズは顎を撫でるようにして考え込む。
「やはり国境壁を急がねば我が国の民が犬死するばかりか」
「命あらば、ヴァナヘイムの魔族総てを私が」
「出来るのか?」
「幾重に踏み潰すのは流石に面倒ではありますが、魔王がいない状況であれば容易いかと」
その言葉に決心したようにセールイズは顔を上げ、
「なりませんよ陛下」
横で首を傾げるように王の顔を覗き込んだアシュトンに遮られる。
「ヴァナヘイムは本来あってはならない国。神の加護なくして滅びは必然であり、それこそが神の意志。教えに殉じる良き民達をそのような死地に赴かせるべきではありません」
子供に似つかわしくない言葉を、底知れぬ幼い瞳で語るアシュトン。その眼にセールイズは見て取れる程うろたえた表情をした。
「……しかし大司教。既に応援に向かった民がいるのだ。それに魔族との戦闘を極力避けて我が国に迎え入れれば──」
「禁忌を犯した者の遺産を受け入れてはなりません。もし受け入れれば、かつてのように人と人が争う世に戻る事でしょう。ヴァナヘイムという独立を認め、人類に平和をもたらした陛下なら御分りでしょう?」
再びセールイズは考え込む。リオンはその視線をアシュトンに向ける。
アシュトン・ショゴス。大司教の血筋であり、その額に聖痕を刻まれた少年。大司教とはカーライルの教えの下、ヴィーグリーズルの王を支えるが為に大神殿より城へ訪れる。しかし、笑顔が似合う幼い少年は時に不気味で、そしてそれ故に残酷だ。
国境壁はリオンにも理解は出来る。勝手に国を出てスライムの加護がない国を作り、戦って死ぬなら自業自得。その救援を他国に要請するなど自分勝手も度が過ぎている。そして領土を取り返してもフィルがいない今かつて程の繁栄は取り戻さないだろう。
故に魔族を撃退しヴァナヘイムを救ってもヴィーグリーズルには見返りがない。沈む船を助けようとして自らの船を沈ませては意味がないのだ。
しかし、何故亡命を受け入れてはならない?
禁忌を犯した者、それがカーライルの教えを破って外を出た者を指すのならフィル・ヴァナヘイムだろう。
ではその遺産とは?
考え得るのは子供や遺物、そして教えや術。最も可能性があるのは教えや術。カーライル教とは違う教えや、危険な秘術。それ等を受け入れれば人間同士の争いが再び起こる可能性があるとは言える。
「どうしました、黒い騎士?」
その幼い眼光が降り注ぐ。碧い瞳は何の感情も読む事は出来ず、逆に見透かされているようでリオンは顔を背けた。そもそも一介の冒険者である自分が考える事ではないのだからと、リオンは思考を停止する。
「リオンよ、加勢も救出も時期を待て。その時は貴様の望む戦いの場を用意してやろう」
「承知しました」
頷き、一礼の後に背中を見せて歩き出すリオン。
「次はどこに赴くのだ?」
しかし呼び止められ、リオンは立ち止まる。振り返らず、僅かに顔を向けてアシュトンを視界に入れるのを避けるように王へ目を向けた。
「そうですね、次はトゥーレへ向かおうかと。道中、気になるものが見えましたので」




