表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
楽園変生 第一部 ──不死の随伴者──  作者: 紅葉 昂
第一部【不死の随伴者】
17/52

第015話

──そうか、そういう事か……ッ!


 鼓膜を襲う咆哮を前にして耳を塞ぎ、葵は答えに辿り着いた。不可解だったのは“どうして争った形跡のない見晴らしのいい場所に大剣が深々と突き刺さっていたか”だ。

 自身の武器をわざわざ置いて逃走するのは些か危険過ぎるし、争った形跡がないのはそこで戦いが起こっていない事を意味する。


 危険が迫っていないのに武器を置いて逃げる訳がない。戦わずして聖戦級が逃げる事も考えにくい。であれば、その大剣の所有者ではない何者かがわざわざ目立つ場所に突き刺したという事になる。


 撒き餌。


 獲物を誘き寄せる為に配置しておく餌。当然誘き寄せる為だけが目的ではなく、それに触れれば最後、逃げる事など出来ない罠が待ち構えている。葵は今、この状況は罠に掛かったのだと理解した。

 大地を揺るがす一撃は轟音を響かせ、葵やライヒの足元に亀裂を生じさせた。そう、まさしく下のゴブリン達は餌を待つ雛鳥だったのだ。体格を見る上では幼体ではなかったが、降って来る獲物を口を開けている様はまさに雛鳥と重なるものがあった。

 子供でもあるまいしと悪態を吐こうにも、完全に罠に掛かった今では舌打ちする程度が関の山。


 崩落する足場。葵もライヒも成す術なく地に落ちる。凡そ三階建ての建物の高さから落下した二人だったが、先に落下していた大きな瓦礫が奇跡的に平らな形をしていた事で受け身に成功し、素早く状況を確認する為に周囲に気を配った。

 それはゴブリンの群が集まっている所に落ちた故に、一刻も早く態勢を立て直さなければならないからだ。

 なのだが、


──……馬鹿かな?


 葵達を待ち構えていたゴブリン達は揃いも揃って瓦礫の下敷きになっていた。故に二人は周囲のゴブリンよりも、崖を崩落させた大型のゴブリンに意識を向ける。

 見上げた先にいるゴブリンはこちらを見下ろしながら黙して佇み、今すぐに襲って来るという気配はない。瓦礫の下敷きになっているゴブリン達とは違い、明らかに知恵があるのは先程の罠からも見て取れる。容姿も含め、明らかに他のゴブリン達よりも人間に近い。


「あれがキングゴブリン?」


「そのようだな。私も見るのは初めてだが、気をつけろよ奴隷級。一族の長である魔王は奇怪な力を使って来る」


 いくら下敷きになっているとはいえ、いつ瓦礫の中から這い上がって来るかわからない為、登れそうにない崖を見上げながら二人は瓦礫から離れて足場を確保する。


「奇怪な力?」


「“法則(ロギア)”と呼ばれる奇妙な能力だ。魔王が絶対的な理由の一つだが……今代キングゴブリンの法則は情報が知れている」


 言いながら「見ろ」と言わんばかりにキングゴブリンを指差すライヒ。その指先を追った葵の視線はキングゴブリンが首から下げている首飾りに向けられた。笛を模る骨がいくつかついたそれを見ながら、ライヒは背中に担いでいた槍を握り締める。


「奴の法則は“肉喰行進(ハーメルン)”と呼ばれている。骨を使って笛を作り、その骨笛と同じ種類の生物を操るそうだ」


「って事は人間も? それって結構マズくない?」


「そういう事だ。確か六百万ゼリーだったか? 奴の賞金は安値だが、依頼を受ける事が出来る階級は聖戦級以上。低級な魔族であるゴブリンに対して、人類は切り札とも言えるクラスの冒険者を使うしかない。……もっとも、その骨の使用期限もあるようだが、詳しい話は後だ」


 ライヒが一通り話し終えた所でキングゴブリンが崖上より飛び上がり、ライヒや葵の正面に降り立った。距離にして二十メートル程離れた位置だったが、シルトよりも大きい身の丈、魔王という事実も相まって威圧感で葵は一歩後退する。


 さすがの彼とて、魔族というただでさえ得体の知れない存在が自分よりも大きいのだ。痛みを感じないにしても身の危険は感じるし、恐怖していなかったとしても慎重にはなる。彼がどちらかと言えば、それは両方だ。恐れたし、しかし発狂したり逃げ出したりせずに理性が彼の動悸を必死に抑え込んでいる。


 自然と思い出したのだ。クマと出会った場合に逃げてはならない事を。その判断は正解ではあるものの、魔族とクマを同じにして考えた辺り葵の度胸はやはり並外れている。


「ふん。奴隷級にしては中々筋がいいと思っていたが、さすがに魔王となると尻込みするか?」


 それを見たライヒは嘲笑めいた言葉を吐くと共に担ぐように握り締めていた槍を薙ぎ払いながら振り下ろし、逆の手でその長髪を掻き上げる。

 嫌味なつもりはない。むしろライヒという人間性を考えれば褒め称えた方だろう。魔王相手に聖戦級でも尻込みするのは人間として当たり前なのだから。


「だが約束しよう。君の身の安全はこの私が保障すると」


 しかし彼、ライヒ・ヘリッヒカイトは違っていた。それは経験もさることながら、人類最強と称される覇者級に辿り着くまであと一歩の所まで来た今、眼前には待ち望んでいた魔王。最下級魔族であるゴブリンの魔王を倒したところで覇者級になれる訳ではなかったが、名を上げるにはこの上ない相手。いわばチャンスであり、例え長年連れ添った仲間がいなくてもこの好機を逃す理由になりはしない。


「勝手に決めないでよ。ここで逃げたら街に帰ったアンタに何を言われるかわかんないからね」


「ふん、好きにするといい。どの道奴を倒さねば無事に帰す手筈も整わん。とはいえ、邪魔はするなよ奴隷級」


 二人が声を掛け終えたと同時にキングゴブリンが駆け出した。まるで会話を待っていたかのようなタイミングに、真っ向から駆け出したのは葵だった。


 右腕を振り被るキングゴブリン。


 狂戦士適正の高い葵の判断──真っ向から攻めるのは無謀というもの。しかしさすがに葵とて考えはある。体格差が目に見えて違う相手のその見え見えの攻撃を受け止める必要はないのだから。


 駆ける速度を弱めず、突き出された拳の手首を下から両手で掴む。それを軸に駆け寄った勢いでスライディング。キングゴブリンの股の下を通過する最中、身体を捻って後ろから膝関節を蹴り飛ばした。

 否、蹴ったのは葵だったが、それによって飛んだのも葵の方だった。キングゴブリンの体勢を崩す事には成功したが、どうやら葵の馬鹿力を以てしても素手の打撃でダメージを与えられる程容易く倒せる相手でもないようだ。


「見事だ奴隷級。であれば、私も聖戦級としてその力を示さねばなるまい」


 自身の蹴りの反動を御し切る事が出来ずに地面を転がる葵を褒め称え、ライヒはその手に握り締めた黄金の槍を突き出した。

 狙いは首飾り。当然、可能ならばその胸に風穴を開けるつもりで放たれた槍は、しかしキングゴブリンが振り上げた左腕の拳によって軌道を変えられる。


 狙いを外された事、そして槍から伝わって来る衝撃に舌打ちをするライヒだったが、次の瞬間には槍を引き戻し、一歩後退した後にもう一度素早く槍を突き出した。

 同じくして右腕の拳がその軌道を変える為に振り抜かれるが、ライヒの手から槍が放れる事はない。

 攻勢に出る為にキングゴブリンは一歩前に踏み出すが、ライヒの槍がその踏み足を穿つ。


──浅いか。しかし、近付けると思うなよゴブリン風情がッ!


 再び一歩後退して槍を突き出すライヒ。その速度はまさに疾風の如く、ギリギリで躱したゴブリンの首筋に傷を残す。するとキングゴブリンは体勢を立て直そうと一歩後退するが、ライヒは逃げる事すら許さず前進して更に突く。


 後退、前進、後退、前進。


 幾度となく繰り返される槍の攻勢。それを躱し、防ぐキングゴブリンだったが、崖を崩した時や最初の攻勢とは打って変わって防御に徹している。

 それもそのハズ。用途こそ数あれど槍は相手のリーチ外から攻撃を行う為に作られている。大型の武器故に扱いには相当な練度を要するが、聖戦級であるライヒが未熟な訳がない。

 そして卓越した槍使いは大型武器の弱点とも言える攻撃の間隔も空けずに攻勢に出る事を可能にする。これは槍の特徴とも言えるが、理屈を理解したとしても易々と真似出来るものでも、ましてや見切る事が出来るものでもない。


 中腹に手を添え、それを軸に刃先とは真反対の柄を押し、引く。只管にその繰り返しではあるが、添えられた手が槍の矛先を縦横無尽に変質させる。

 一定の距離を保った後にこれを連続して行われては容易に近付けるものではなく、そういう意味では致命傷を避け続けているキングゴブリンも最下級魔族といえどさすがは魔王と呼ぶべきだろう。


「葵ッ!?」


 そのライヒの猛攻故に割って入る隙もないなと、聖戦級の強さに感服していた葵の頭上から声が掛かる。見上げてみれば、そこには肩を上下させたリーベとシルトの姿があった。様子から見るに崖の崩落の音で駆け付けて来てくれたのだろう。

 その見上げた視界、葵から見た二人の後ろでは今にも消えそうな陽の光と輝き始める星空が広がっていて、葵はもうそんな時間かと心の中で呟いた。


「あれは……魔王か?」


「どうやらそうらしいね。ライヒが何とかしてくれてるみたいだけど、その後はちょっと御手上げかな」


 言って、肩の高さにまで上げた両手をヒラヒラと動かしておどけてみせる。登れそうにない、という意志表示だ。

 ライヒの強さは明らかにキングゴブリンを圧倒している。彼の武器との相性が大きいのかもしれないが、その巨体に甘えて他のゴブリンと同じように武器を用いようとしなかった魔王の驕りが原因だろう。


「地図はライヒが持ってるし、引き上げも出来そうにない。なら降りて瓦礫を積み上げるのが一番か」


「え、ここ降りるの!?」


 シルトの考えに目を丸くするリーベ。仕方ないだろと溜息を零すシルトは彼女の肩を抱き寄せ、屈んで伸ばした腕でリーベの身体を抱き上げた。


──あ、御姫様抱っこだ。


「ちょっとシルト! いきなり何するの!」


「じゃあお前、一人で飛べるか?」


「そうだけどそうじゃないの!」


 リーベが顔を真っ赤にしてシルトの首に両手を掛けると、シルトは「んじゃちゃんと口閉じてろよー」と言いながら飛び降り、葵達が受け身を取った大きな瓦礫に降り、そこから葵の横へと降り立った。


「ったく、女の子に易々と触っちゃ駄目なんだからね」


「……? その割には嬉しそうな顔してた──」


 シルトの腕から降りたリーベの怒ったような口振りに首を傾げた葵だったが、見た事もない早さと速さで振られたリーベの手によって口を塞がれ、言葉は遮られる。


「ごめん、ちょっと虫がいた気がしたんだけど、もしかして何か言ってた?」


 両手を上げて首を横に振る葵。にじり寄ったリーベの威圧感に負けた。ある意味ではキングゴブリンよりも怖い。

 仲睦まじいやり取りな事だが、ここは戦場である。故に先程まで緊張感の感じられなかった三人だったが、人が変わったように切り替えられた視線をキングゴブリンに向けた。


「ライヒさんが優勢、かな?」


「うん、終始あんな感じだよ。ライヒは法則を使わせないつもりだろうね」


「ああ、確か今代のキングゴブリンは“肉喰行進”だったか? 魔獣共を引き連れて来るっつー厄介な」


 シルトの口振りは聞いた話じゃ、という言い方だった。彼は傭兵級であるから依頼を受ける権利はなく、話でしか知らないのは当たり前だったが、葵は何故かその言葉が気になった。


──……まあ、間違ってないハズ……だよね。


 自分の中でそう言い聞かせ、葵はカランビットを抜いてシルトと共に歩き出す。リーベもそれに続いて駆け出そうとしたその時だった。


「え?」


 物音がした事で後ろを振り返る。しかし視界の先には瓦礫の山と崩れた崖しかない。陽が沈んで暗くなった事で見えないだけかもしれず、背筋に悪寒を感じたリーベは両手に持った杖を抱き抱えるように身を細めて駆け出した。


 だがその足が二人に追い付く事はなく、群がるように飛び掛かった小さな影に口を塞がれるように抱き着かれ、リーベは視線を後ろに向ける。

 リーベの耳元で涎を垂らしながら口を開ける小さなゴブリン。思わず叫びそうになるリーベだったが、口も鼻も塞がれて助けは呼べず、前を歩く二人へ必死に手を伸ばすが届く距離ではなかった。


──い、息が……ッ。


 呼吸もさせて貰えず意識が遠くなりそうになるリーベに次々と群がるゴブリン達。


 二人に伸ばしていた手の意味はなく、逆の手に握り締めていた杖を奪われ、羽交い絞めにされては必死にもがくも虚しく、その全身をゴブリンが覆い尽した所で、


「何をしている、後ろだ奴隷級!」


 キングゴブリンと戦っていたライヒがそれに気付いた。振り向くシルトと葵の視界では倒れ伏したリーベの身体に群がる四体のゴブリンが奇妙な声を上げて笑っていた。


挿絵(By みてみん)


「貴様等ぁッ!」


 葵よりも早くシルトが駆け出した。その足音と怒号に気付くゴブリン達だったが、逃げる事も抵抗する事も、怒りのままに振るわれたシルトの大斧が許さない。

 リーベの身体の十数センチ上を通過する豪風纏いし大斧は三体のゴブリンを容易く両断し、残る一体はシルトの形相と大斧の威力に尻餅をついては震え上がった身体で後退るも、次に振り降ろされた大斧の一撃によって真っ二つに両断される。


「大丈夫か、リーベ!」


 一転動揺を露わにシルトは、いくつかの装備を剥ぎ取られたリーベを抱き起こし、意識が朦朧としている彼女の身体を揺り動かす。


「ごめん、シルト。……ドジっちゃったね」


「んな事はいいんだよ! 怪我は!? どっか痛む所あるか!?」


 言われ、リーベは身体を起こして立ち上がるも、すぐに顔を歪めて倒れ込み、寸での所でシルトに抱き止められる。


「あはは、足くじいちゃったみたい」


「治せるか?」


 問うシルトに首を横に振ってリーベは答えた。持ち上げた手には杖どころか二人で手にした傭兵級のプレートもなく、それを見たシルトは深く俯いてリーベにただ一言「すまない」と謝罪する。


「ごめん。杖とプレートを持って行った奴追いかけたけど、崖の上に逃げられた」


「二人が謝る事ないよ。私の不注意だったんだから」


 二人を元気付けるように笑うリーベだったが、逆効果だった。空元気で笑っているのが葵ですらわかる。

 杖はともかくプレートはずっとパーティーを組んでいた二人の思い出と言っても過言ではない。それを奪われたのだから、代わりの物を貰えたとしても悔んでも悔やみきれないだろう。


 静寂に包まれていた最中、響き渡る轟音に一同はライヒとキングゴブリンの繰り広げる戦いに視線を向ける。

 それは決着と言ってもおかしくなかった。致命傷ではないにしろ全身を傷付けられたゴブリンは、切り札である笛をたった今破壊され、体勢を崩している。

 対するライヒはここぞとばかりに前進し、防ごうともその腕ごと貫くに十分な距離まで接近し、矢を射るかの如く槍を引く。


「我が槍を前に散るがいいッ!」


 放たれる言葉を乗せて放たれる槍。何かの戦技か、光を纏う黄金の閃光がキングゴブリンに迫る。

 対するキングゴブリンは防ぐような素振りも、ましてや避ける素振りも見せず閉ざされていた大きな口を開いた。


「“我ガ法(Astral)則ヲ訊ケ(Logia)”」


 瞬間、葵は聞こえた言葉に心臓が跳ね上がらせ、背中に氷柱でも入れられたかのような悪寒を感じる。

 マズい。そう思った時にはシルトの制止を無視して走り出していた。

 何故シルトもライヒもその言葉に反応しないのか、葵にはわからない。そして今考える事は他にあり、無理矢理拭い去っていた違和感が葵の足を走らせていた。


 感じていた違和感の正体。それはライヒもシルトも言っていた“聞いた風の口振り”と、葵の今日の体験にある。


 魔獣を引き連れ、操る事の出来る法則。


 罠を張る程に高度な知能。


 そして“今代の”だ。


 ライヒもシルトも、何を見て奴がキングゴブリンであると断定したか。それは勿論、法則の発動条件である骨の笛。それを首から下げ、人の形に近いのだから、奴がキングゴブリンで間違いないだろう。


 本当に?


 葵が一番引っ掛かり、尚且つ初めての体験の連続で忘れてしまっていた事象がもう一つある。

 あの大剣を見つけるきっかけとなったのは、多種に渡る魔獣達との擦れ違いだ。


 キングゴブリンから逃げていた?


 キングゴブリンによって操られていた?


 どちらも妙なのだ。逃がすなら操って引き連れるべきであり、操られた結果擦れ違ったのなら、罠の場所にまで誘き出す為にそうした事になる。

 知能の高い奴がそんな不確かな行動に出るだろうか?

 逆に魔獣に葵達を追い掛けさせ、大剣のある場所に追い詰める方が確実で、尚且つ考えやすくはないだろうか?

 ありとあらゆる戦場では情報が勝敗を決める。故に手にした情報に違和感を感じるならば疑って然るべきではなかったか。


 もしキングゴブリンが魔獣を操る事が出来ない理由があるとしたら?


 もしキングゴブリンが笛を使う暇がないのではなく、使う必要がないのだとしたら?


 今ライヒが砕いた笛を首に下げていた理由が“今代の”キングゴブリンであると見せ掛ける罠に成り得るのではないか?


 そうする必要があるのは、魔王である絶対的な力を有効的に使用する為であり、


「“四十四番目ノ悪夢(Steal)”」


 自身を“先代の”魔王であると思い込ませる為だ。


 シルトもリーベも、ライヒすら理解しない魔王が発した言葉を葵が理解出来る理由はわからない。彼自身、異世界に来てから意味のわからない文字を読む事が出来ていた理由すらわかっていないのだ。しかし、そんな事よりも葵は直感を信じて駆け出した。


 その法則が“肉喰行進”などではないと。


 眩い光を纏う槍が肉を穿ち、血を噴水のように吹き出しながら仁王立ちする首なしの肢体。

 血に塗れた長い金髪は風に舞い、放物線を描いた後に葵の足元に転がった肉片の尾のように靡いていた。


 リーベとシルトが唖然とする中、立ち止まっていた葵の目の前で黄金の槍を握り締めたキングゴブリンが雄叫びを上げる。


──……武器を奪う法則、なのか。


 物言わぬ屍となったライヒがかつて持っていた武器。そのライヒが致命の一撃を与えんが為に僅かに前に踏み込んだ所を狙ったタイミング。手にしていた武器が奪われた瞬間が見えなかった事から、瞬間的に転移したとしか考えようがなかった。

 法則がどういう原理をした力なのかわからないが、結果がこうなっている以上信じ難い現象だろうと認めなければならない。


「撤退するぞ葵! ボケっとするな!」


 リーベを担ぎ上げたシルトが葵に呼びかける。我に返った葵は頭部の肉片と同時に吹き飛んだライヒの右手首から彼のプレートを拾い上げ、キングゴブリンから離れるようにして二人のいる場所まで後退する。


 法則という力が脅威である以上、対策をしなければならない。


 それにばかり気を取られて根本的なミスをした。もしあのキングゴブリンが別個体であると認識出来てさえいれば、ライヒが死ぬ事はなかったのかもしれない。そう後悔してシルトと合流する葵は周囲を見回す。

 ここは渓谷の底。どちらの崖も駆け上がるには高過ぎるし、リーベを抱えているシルトがよじ登る時間はない。ならば山の(ふもと)へと渓谷を駆け降りるか、それとも山頂へと渓谷を駆け上がるかの二択しかない。


──……土地勘がサッパリだ。そもそもどっちがトゥーレかもわからない。


 今日初めて訪れた異世界で、初めて来た場所で葵が判断出来る事ではない。故に葵は期待を込めてシルトを見上げるが、彼も判断出来ず焦り顔で左右に視線を向けている。

 せめて地図でもあればよかったが、キングゴブリンがこちらに歩き始めた事で持っていたとしても無駄だったろう。


「山頂の方へ行こう。麓に向かうと魔族領域に進む事になると思う」


「了解だ。行くぞ葵!」


 リーベの提案に頷いたシルトが駆け出し、葵もそれに続く。しかしその時、瓦礫の下から這い上がって来る十数匹のゴブリン達を葵は目にした。速度を維持して横切るも、ゴブリン達は足音に反応して葵達を見つけると、一斉に追走し始める。


「何であんな所から!?」


「んな事は何でもいいッ! とにかく逃げ切る、舌を噛むんじゃねえぞリーベ!」


 シルトもリーベもキングゴブリンの罠を見ていない故に、瓦礫の下敷きになっているゴブリンを知らなかったが、葵は別だった。瓦礫の下敷きになって自滅したと思っていたゴブリンの群れが今になって現れ、危機に陥っている状況は予想していなかった。否、とても予想出来た事ではなかったが、葵はあらゆる方向で物事を考えるべきだと、乃愛に言っていた自分の言葉を忘れていた事に苦虫を噛み潰したように表情を曇らせる。


「こいつは、参ったな」


 後ろを走るシルトから声が聞こえ、振り向いた葵の視線の先には苦笑いを浮かべるシルトと、後方に見えるゴブリンの群れ。ただでさえ重装甲の戦士であるシルトが、女とはいえ人間を抱えて逃げ切るにはゴブリンの速度は速過ぎる。元々極めて高い身体能力を持つ葵であっても逃げ切れるかどうかなのだから、今の速度で追い付かれるのは時間の問題だった。


「…………なあ葵。これは男と見込んでの相談っつーか、頼みなんだが」


「そんなのは後で──」


 走りに集中しようと前を向いた葵に聞こえた言葉。もう一度振り向いた葵の視界は、飛び込んで来たリーベの身体によって塞がれた。


「ちょ……ッ!?」


 慌てるリーベを受け止め、足を止める葵。


「止まるんじゃねえッ!」


 怒鳴り付け、足を止めたシルトは背中の大斧を握り締め、勢いよく抜き去ると同時に二人に背を向けた。

 その後ろ姿も、リーベを投げたその行為も、葵は見た事があった。実際に体験する事になるとは思いもしていなかっただろうが、彼の頼みとは詰まる所そういう事。


「何か言いたそうな顔だがこの場で一番強いのは俺で、速いのはお前だ。逆は無理だ、わかるだろ?」


「それなら私も──」


「回復出来ねえ回復役は御荷物だつってんだよッ! いいから行けッ!」


 舌打ちし、葵は走り出す。右腕で抱えているリーベが暴れるが、強く抱え込んで放さない。何かを喚いている気がしたが、葵はその総てを無視した。


“夜坂葵は他人の痛みがわからない”


 その言葉を心の中で何度も何度も反響させながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ