第012話
「酷い目にあった」
葵達が初めて訪れた街、トゥーレの中央に位置する大聖堂。多くの神官達が行き交う中、大聖堂の巨大な扉を出たすぐ横で咎崎乃愛は壁に手を添え、長い銀髪がダラリと地面に着くか着かないかまで垂れ下がる程度に腰を折っていた。
余程余裕がないのか優れない体調を隠す事はせず、しかし汗を浮かべるその口元は笑っていた。
「聖水、十字架、神に祈りを捧げるだのと、よくよく考えたら神官って一番私に向いてないじゃないか」
今頃何を言っているのだろうか。そもそも向き不向きなど彼女は考えていただろうか。
否。咎崎乃愛は異世界での職選びという大事な選択肢を、現代世界で培った知識により思う存分に偏ったヒロイン像を思い浮かべて選択した。
結果、異世界での生計を真面目に考えた夜坂葵が選んだ密偵とは微妙に相性の優れない且つ魔族に馴染みのない神官となった。
密偵になった葵がボロ屋敷を訪ねたのと同じように、神官になる為に大聖堂を訪れた乃愛だったが、彼女の呟いた通り神官になろうと思ったのが間違いだった。
聖水に浸かりながら十字架を胸元で握り締め、いるかどうかもわからない神への祈りを強制される。邪念が入っているなどと言われて聖水を頭から浴びせられ、その冷たさに心の中で悲鳴を上げながら平静を装っていた乃愛。
その際、神への祈りではなく「早く終われ」と祈っていたという事は言うまでもないだろう。なるほど、邪念の入っているという神官の言葉は的を射ている。むしろ邪念そのものだ。
──半分天使とはいえ、もう半分はヴァンパイアだからな。これが映画やアニメなら浄化されてるんじゃないか?
とはいえ、現実の異世界は創作の異世界とは些か異なるようだ。
聖水は魔族にとって毒や酸という常識も乃愛が無事である事からこの異世界では違うのだと窺える。乃愛に疲労というか心労が見られるのは、単純に嫌がらせを受けて参っているだけだろう。
「こっちの人間は他人の嫌がる事をしてはいけないって教えがないのか」
要するにヴァンパイア──乃愛にとって聖水を浴びせる事は嫌いな物を食べさせる行為で、十字架を持たせる事は虫嫌いに虫を触らせるような行為と同じという事だろうか。何にせよ地味な嫌がらせだが、自らその嫌がらせの場に突っ込んだのだから乃愛の自業自得だろう。むしろ神官を目指そうと思った時点でこうなる事は予測出来たハズだ。
「周りにいた同じ神官見習いにはヒソヒソ話されながら笑われるし、司祭は何か視線が不快だし、災難だよ本当に」
聖水で濡れた服が身体に張り付いた姿を異性に見られるのは、現代世界で生きた女でなくとも耐え難いもの。そもそも乃愛には聖堂を訪れて身体を清めるという経験がないのだから、いくら聖職者である司祭であっても異性は異性。男性の医者に身体を見られたくない乙女の気持ちと考えれば多少の共感は得られるだろう。
当然、聖職者や医者に対して失礼極まりない発言ではあるのだが。
顔を上げ、乾き切ってない衣服の胸元を左腕で隠しながら地面に置いた荷物を片手に周囲に目を配る。彼女の持っている荷物は大きな皮製の巾着と貧相な杖。彼女が着ている服が来た時と違っている事から、中には元々着ていた衣服が入っているのだろう。
見るからに貧乏そうな装い。布一枚で出来た薄汚れたワンピースは背中や肩を一切隠さず、裾の短いそれは売りに出される前の奴隷に見えなくはない程にみすぼらしい。
──さっさと着替えたいんだけど……。
周囲を見回しているのは人気のない所で着替える為だった。半ば追い出されるように司祭に見送られ、さっさと大聖堂から出たかった乃愛としても都合がよかったが、支給された装備に文句をつける訳にもいかず、着替える事すら出来ずに外に出たのだった。
だが大聖堂は街の中心地点。人気のない所など早々なく、そうでなくても外で着替えるのには抵抗があった。
となれば、頼る相手は一人しかいない。
掴んだ裾を伸ばしつつ逆の手で胸元を隠しながら、人目を気にしてなるべく隅の方を歩く乃愛の行きついた先は、メイド長クーラ・メディクスの診療所だった。
中からドタバタと物音がする所から、不在ではないようだと感じた乃愛はホッと胸を撫で下ろして笑みを浮かべ、縋るように扉に手を伸ばす。
「……休診?」
その扉にかかった札を見て乃愛は一度手を止めるも、知った仲だし自身の帰還を待ち侘びていたメイドが相手だ。現代世界ではマナー違反だが、クーラが怒るとも思えずドアノブに手を添える。
鍵がかかっていた。
青褪める乃愛の表情。呼鈴のような物が横にあったので鳴らしてみるが、中の物音が止む様子はない。
「そ、そんな……。ねえ、クーラ──」
大声で呼ぼうとした乃愛だったが周囲の目が気になった。ただでさえ視線を集める格好をしているのに叫ぶ訳にはいかない。貧相な以前に可愛くないし露出が多くて恥ずかしい。葵に見られたりすれば二日三日閉じ籠りたいと思っている程。
となればドアを叩くか呼び鈴を鳴らすかしかなく、
「休診の札見えます!? 今忙しいんです!」
怒鳴られて乃愛はたじろいだ。しかし諦める訳にはいかない。頼れる相手はクーラしかいないのだ。首を左右に振って気を取り直した乃愛の脳裏に、魔法でドアを破壊するという物騒な方法が浮かび上がるが、再び首を振って思考を追い払う。
──……こんな街中で魔法を使うとか、今更だけど馬鹿げてる。そもそも加減出来ずに診療所丸ごと消し飛ばしそうだ。
頭を抱えてどうするか迷った後、再びドアを叩いてみる。
「忙しいって言ってるでしょう!? 他の診療所が通りの先にあるのでそちらで御願いします!」
何をそんなに苛立っているのだろうか。子供に対して優しく話しかけていたクーラとは思えぬ声色だった。約七年前の記憶ではあるが、クーラが怒鳴ったり他の話を聞かなかったりする時は決まって乃愛の為に動いている時だけだった。
つまり今、クーラは乃愛の為に何かしら動いている最中と予測出来る。出来るのだが、乃愛としては自分の事を想ってくれるならまずこの扉を開けて欲しかった。
「く、クーラ。私だ、開けてくれ」
目立たないように小さく呟くが、聞こえないのか物音が止まない。そして診療所の前で扉を叩いている貧相な格好をした美少女の姿が目に止まった者達は立ち止まり始め、乃愛はそれを横目に何度も扉を叩く。
若干涙ぐんでいるが、野次馬からしてみれば知った事ではない。
「うるさいですね。休診って言って──」
そうしてようやく扉を開けたクーラが見たのは、扉の前でへたり込むようにして座り、自身を見上げる魔王の姿だった。恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら若干涙ぐんでいるその姿は、まるで親に締め出された子供のようで、
──ああ、もう尊いッ!
クーラの胸に強烈な一撃を叩き込んだ。
それから数分。クーラは診療所に招き入れた乃愛を椅子に座らせた後に暖かい飲み物を用意し、乃愛に手渡してから深々と頭を下げた。
「誠に申し訳ありませんでした」
「いや、いいんだ別に」
やつれたような乾いた笑みを浮かべ、乃愛は醜態を晒した事で途方に暮れていた。
魔王といえば魔族の、この異世界では一族の長の事だ。数ある創作物の過半数では魔王と言えば総ての魔族を統べる支配者となっているが、どちらにせよ締め出されて涙ぐむ者の事ではないと誰もが共感する事だろう。
だがルシフェリア・ニーベルング──咎崎乃愛はクーラの様子から魔王であった事に間違いはない。
「で、ルシフェリア様。何ですかその……控えめに言って不釣り合いな御召し物は」
「ああ、うん。神官になって支給された装備だよ」
そう言えば着替える為に尋ねたんだと、乃愛が荷物に手を伸ばしたその時だった。
「ルシフェリア様にそのような物を支給するだなんて許せません。王には王の……そうでなくとも女性には女性の装いというものがあります。あの大聖堂の司祭、今度腰痛で来た時に背骨の一つでも砕いてやりましょうか」
「いやそれはしなくていい──」
というか腰痛持ちかあの司祭、などと考えるのも束の間、荷物を取ろうとした乃愛の手は正面からクーラに捕まえられる。
「しかし感激です、ルシフェリア様。そのみすぼらしい装備を何とかしようとこの私を頼って頂けるなんて、何と言葉にすればよいのやら」
「え? いや別に制服あるし──」
だからさっさと着替えさせろと、クーラの興奮振りに呆れる乃愛が視線を逸らした矢先、クーラは立ち上がって乃愛の手を引いた。
「では参りましょうルシフェリア様! メイド長クーラ・メディクス、貴方様に見合う御召し物を必ずや探し当ててみせます!」
「え、ちょ……!? 着替えさせて──」
「ええ、勿論です。それは私の役目にございます!」
颯爽と駆け出すクーラに手を引かれ、乃愛は再びそのままの格好で診療所を出る。制止の言葉は明らかに浮かれたクーラの耳には届かず、思いの他力強いクーラの手を振り解く事は乃愛には出来なかった。
否。彼女は魔王であるからして、力任せに振り解く事は恐らく不可能ではなかった。が、自身を慕って長年に渡り人間に紛れて身を潜めていた元メイドをぞんざいに扱う事が出来るかと言われれば間違いなく出来ないのだが。
「さあ、着きました」
何やら満足気に目の前の建物を見上げるクーラ。若干息切れしてる辺り、相当な距離を走ったのか、それとも全力疾走したからなのか、はたまた興奮しているからか。
十中八九最後だが、何にせよクーラの横ではその手に引かれて走らされた乃愛が四つん這いになって肩を上下させている。とはいえその片手は未だにクーラに掴まれている故四つん這いという表現は些か間違っている訳だが。
災難な乃愛だったが到着したとクーラが言うのだからやっと着替える事が出来ると、クーラの視線を追ってそのままの体勢で建物を見上げた。
「…………は?」
ショーウィンドウに並ぶ豪華な装飾の入った鎧や煌びやかなドレス。アニメや漫画に出て来そうな洗練されたデザインの武具の数々と、そして店の玄関から店内に続くレッドカーペット。
明らかに、新米冒険者の装備を扱う店ではない。
「おいちょっと待て。まさかここで買うのか?」
「ここがこの街で一番の店です。王都カーライルに出張し、騎士団の装備を作る程の鍛冶師がいる店ですし、むしろ人類ではここ以上の店はないでしょう」
どうやら新米冒険者の装備どころの問題ではなくなった。
王国の騎士団の装備なんて一級品以外の何物でもない。小国ならいざ知らず、乃愛はこの世界の情勢を知っている。人間の王国は一つ二つしか存在しないハズで、見たり読んだりしていた異世界とは訳が違う。
故にその鍛冶師の腕は一流も一流。そもそも王都に出張する程の者よりも腕がいい者が王都にいるとも思えない。そんな一流の店で新米冒険者の装備を見繕うとは中々胆が据わっているものだが、しかしクーラ本人は魔王に見合う装備を見繕うつもりでいるからして、むしろ事情を知れば鍛冶師にとっても光栄だろう。魔族という一点にだけ目を瞑ればの話だが。
「流石にここはやめよう。場違いにも程が……」
そしてこの魔王は現代社会で暮らした女子高生。故に贅沢など一般的な水準で止まっており、王としての贅沢など少なくとも久しくしていない。
「申し訳御座いません。人間の手で作られた衣服など貴方様に相応しいとは思ってはいませんが、今の私にはこれが精一杯なのです。どうか何卒御容赦を」
「いやそうじゃなくて。新米冒険者だからな、私」
が、青春時代の大半を日本で生活していた乃愛の感性など、このメイドには一切知る由もない。
果てしない擦れ違いが起こっているが、乃愛も自身の感性が追い付いていないだけである事は理解している。故に、漫才のような擦れ違いを続ける事はなかった。
「つまり今の装いと同等の物を……?」
クーラは言葉にして思った。そんな事を認めてはならない、と。
かつてのニブルヘイムの王が自身の身に着けている服よりも安そうな、そして何より手入れもされてないくたびれた服を着る事をどうして認められようか。仕える身としてまず在り得ない。
しかし、他ならぬ乃愛が言っている事だ。尊重せねば不敬に値する。だが認めたくない。そもそもクーラ自身、乃愛を着せ替えたい。美しく成長した乃愛をより一層の美しさへ着飾りたい。
何より、見たい。
「ですが、ルシフェリア様……」
故に考えなくてはならない。この状況を打破する言葉を。本音を隠した建前で主君に再考させねばならないから。
しかし口を開いたクーラは次の言葉を並べる事が出来ない。本音が出そうで考えが纏まらない。それを言ってしまっては主君からの信用が崩れかねないから。しかしいい事を思いつき、ニヤリと笑みを浮かべた。
「あの殿方は、そういったみすぼらしい格好が御好みなのでしょうか」
「…………え?」
ふと脳裏に過ぎった葵と乃愛の姿。主君の隣に当然として居座る男に何かしら思う所がない訳ではないが、その一言で乃愛の顔色が変わったのをクーラは見逃さなかった。というかあからさまだった。
夜坂葵。魔力も何も感じないただの人間とクーラは見ている。そんな者が主君と恋仲になるなど認めたくはないが、それを乃愛が望むのであれば、その手助けをするのが仕える者の務め。
と、建前の構築が完了した。
「確かに殿方は女性の肌の露出を、生地の薄さを重視する傾向があります」
自身の格好を見下ろす乃愛。腕を見下ろし、腰を捻り、踵から腰辺りまで視線を流し、胸元に未だ若干張り付き気味の布を摘まみ上げる。
茶色く変色した白いワンピース。元々の色であれば多少異世界最初の服装として見栄えもあるかもしれないが、布一枚で背中がガラ空き。短い裾は僅かにほつれていてくすぐったい。
診療所には枝のような杖もあるのだから冒険者、という職業には見えなくもないが今の乃愛の姿を見て神官というカテゴリはまず浮かんでこないだろう。
「……そういう点で見れば今の装いも充分に武器になるかと」
「ちょ、ちょっと待て。さっきから何を言ってるんだ?」
改めて自分の格好を恥じているのか、それとも葵の事を思い出しているのかは不明だが、僅かに頬を赤く染めた乃愛はクーラの発言の意図が少しズレて始めている事を訴えかける。
「確か、夜坂葵様……。ルシフェリア様と共にこの世界に降り立った殿方の趣向、性癖の話です。……まあ、自身の女に汚い装いを着させる性癖をした変わった方もいらっしゃるとは思いますが」
「いや、特にそんな事は聞いた事ない」
「でしたら普通で大丈夫でしょう。……そういえば彼が最初に声をかけた戦士の連れの女性は神官でしたね。彼女は中々の装備をしていたようでしたが──」
「え? そうなの?」
リーベの格好を思い出す。彼女は確かに聖職者と一目でわかる服装であったし、杖も歴戦らしく雰囲気のある物だった。乃愛は今の自身と比べてどちらがヒロインかを考えたが、これで自分を選ぶのは流石に自惚れが過ぎるというものだ。
咎崎乃愛。彼女は自分に自信がない女ではない。優れた容姿である事は自覚している。しかしそれは彼女が彼女なりに努力している物があり、今はその努力が実っている結果を容姿として得られているかと言われれば否。この世界の最底辺の装いを着ている身でそんな事を口にする訳にもいかないだろう。
「ね、ねえクーラ」
胸の前で人差し指を互いに突き合わせている手を見下ろしながら、乃愛は言い難そうにしていた。
そんな主君を視界に入れながら、可愛いと思いつつも計画通りと内心ほくそ笑むクーラ。
クーラ・メディクスは大人の女性である。いくら魔力が上回っていようが、どれだけ力の差があろうとも、咎崎乃愛という女子高生はクーラにとって所詮年端も行かぬ少女なのだ。
「綺麗な服、着たい……かな」
故に、特定の異性を持つ年頃の少女の思考パターンなど、手に取るようにわかる。主君として慕っている者であり、けして軽んじて見ている訳ではない。のだが、恥ずかしそうに視線を明後日の方向に向けながらの言葉はクーラにとって中々の破壊力で、彼女の思考と行動を後押ししてしまう。
「勿論です! このクーラ・メディクスに御任せを!」
もう、何だこの可愛い生物はとでも言わんばかりに感激したクーラは乃愛の手を自身の両手に包み込み、
「あ、ああ。頼りにしてる」
その一言を受けて一礼し、店へと振り返る。
──……この七年、この時を待っていましたわッ。
主の命を受け、いざ出陣。と、クーラは乃愛の手を引きながら勇ましく店内へと入って行った。




