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楽園変生 第一部 ──不死の随伴者──  作者: 紅葉 昂
第一部【不死の随伴者】
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第010話

「せ、聖戦級より上がいるんだ……」


 森の中に入った葵とシルトとリーベの三人。リーベによって語られたのは冒険者の階級制度の続きだった。


 木のプレートを持つ奴隷級(スレイヴ)


 銅のプレートを持つ傭兵級(ハイアリング)


 銀のプレートを持つ守護級(ガーディアン)


 金のプレートを持つ聖戦級(クルセイド)


 名が売れると共に冒険者ギルドが昇級を認め、プレートを支給する。しかし先程教わったのは聖戦級まで。葵も金のプレートと聞いてそれ以上の階級は存在しないと思い込んでいたが、リーベはシルトの前で話すのを躊躇っていただけだと、葵のその思い込みを否定した。


 聖戦級と言えばジョブマスターがそうだった。曰く、あらゆる職の最高位の者が冒険者ギルドに依頼されてジョブマスターになるとされる。その聖戦級より上の階級が存在するという事は、ジョブマスターよりも強いとされる者がこの世界に存在するという事。

 葵は苦笑いを浮かべる。あの重傷を負った密偵のジョブマスターにさえ、倒される事がなかっただけで戦いと呼べるものではなかった。聖戦級の冒険者は人間をやめてるのではと思った程だ。それ以上となると、そもそも人の形をしているのかどうかも怪しくなって来る。


「そう。紅い魔石で出来たプレートを持つ覇者級(ロード)の冒険者。初代ヴァナヘイム王、フィル・ヴァナヘイムが覇者級の冒険者だったの。数々の冒険者を従えて魔族の領地に進軍し、エルフの城を占拠してそのままそこに建国したんだってさ」


「無茶苦茶だね」


「冒険者だから……。つまり自由人だったって事ね。でも建国してからも魔族との戦いは続いた。ただフィルに憧れる冒険者は多かったから、ヴィーグリーズル王国を出る冒険者が続出。次々とヴァナヘイムは冒険者や商人を集めて強くなった。魔族を倒せるって、誰もが信じてたと思う」


「……けど、そうじゃなかったと」


 森を歩き、指示されるがままに薬草を拾い集めながら、葵はリーベの口振りに結果を予想した。

 よく考えればわかる話ではある。結局の所、聖戦級ですら魔王には敵わない。密偵のジョブマスターの重傷は魔族ではなく騎士団の作戦で行われた事。あの包帯女は魔王の存在を口にしなかった。


 ただの魔族の群を焼き払う為だけに人間は聖戦級を生贄にしたのだ。聖戦級の冒険者が数多くいたとして、覇者級のフィルですら倒し切れなかった魔王を打倒す事が出来たかと言えば、きっとそうではなかっただろう。


 となれば、魔王を倒すにはヴァナヘイムの王となったフィルが必要不可欠であり、唯一の対抗馬という事になる。が、ここで問題になるのは種の限界だ。葵の言葉に頷いたリーベは、自身も拾った薬草を葵に渡すと同時に口を開く。


「建国時は若かったフィル・ヴァナヘイムだけど、老化には勝てなかった。優秀な冒険者を数多く従え、本人は当時人類最強だったけれど、自身の死の前に覇者級の強さを持つ騎士を育てる事が出来なかったの」


「で、フィルが死んだ事で人間よりも長寿の魔族達は悠々とヴァナヘイムを陥落させた、と」


「って言っても、まだ持ち堪えてるみたいだけどね。覇者級じゃないにしても、フィルの孫である王女は聖戦級クラスの騎士だったらしいから」


──……あ、来た来た。姫騎士さんか。何というか、異世界に絶対一人はいるよね。高飛車そうだなぁ……。


 心の中で御約束再びと考える葵だったが、話を聞いても理解出来なかった。

 フィル・ヴァナヘイムが強かった。だから魔族の領地を奪って新しい国を建国する事が出来た。ただ魔王に対抗できる人間がフィルだけだったから結局負けた。

 今の話は要するにそういう話で、シルトが気にする意味は不明のまま。


「で、シルトは何を気にしてるの?」


「あー、うん。結局その話だよね」


 覇者級の事を言わなかったリーベの事だ。なるべく避けて話したのだろう。そんな二人の事を気にして聞かないのも手ではあるが、異世界で情報収集を怠るのは自殺行為に等しい。シルトには悪いが、と思いつつ葵はそう問い掛けた。


「覇者級って勿論過去に何人もいるんだけれど、当時はフィル一人だけだったの。で、彼が亡くなる時に新しい覇者級の冒険者が現れたんだけど……」


 そこでリーベはシルトへ視線を向け、彼が少し離れた場所で周囲を警戒している事を確認すると葵にそっと寄り添った。


「シルトが初めて冒険者になった時、一度パーティーを組んだ年下の女の子が僅か数年で人類最強って言われるようになったの。冒険者なら誰でも少しは嫉妬するんだろうけど……」


「組んだ時に喧嘩でもしたとか?」


「喧嘩っていうより、相手にされなかったみたいね。勝手に一人で全部倒し回ったみたい。そういう性格なんだろうね、その女の子はヴァナヘイムが落ちた時にも魔族を倒し回ったんだけど、ヴァナヘイムに加担して復興に協力する事もなく自由気ままにどこかへ行っちゃったんだって」


──ああ、確かにシルトと仲悪そうだな。


 少ししか話していないが、シルトの口振りや職、振る舞いで葵は彼の事を多少把握はしている。

 正義感と責任感が強い故のタンク職。まるで騎士の鏡のような彼だが、騎士にはなれなかったのだろう。そして冒険者として初めて組んだ相手は年下の女子。加えて初めから相当腕のよかったその女子は、シルトのプライドなり理念なりを一切合切無視して戦った。

 嫉妬も怒りも、色々複雑な感情がその女子に向いててもおかしくはない。


 そして更に魔王を倒して覇者級となった彼女は、ヴァナヘイムの民や騎士達を見捨てて自由奔放に冒険するとあっては、シルトの正義感に抵触するだろう。

 最も、騎士ではない彼女からしてみれば自由気ままに動く事は当然といえば当然なのだが。


「名前はリオン・クロワール。確か、葵と同い年くらいの女の子だったと思うよ。二十歳くらい?」


「僕まだ十七歳なんだけど」


挿絵(By みてみん)


「あら可愛い。六つ下かー」


 拗ねる葵の頭を撫でるリーベ。自分はそんなにも老けているだろうかと考える前に、目の前の童顔少女が六つも年上だった事に苦笑いを浮かべる。


「おい、来たぜ」


 と、シルトの声が聞こえた事でリーベは身構えて周囲を警戒する。

 ずっと周囲の警戒をしてくれていたシルトの言葉であるから、そんな近くはないだろうと考えながら葵は腰のベルトから短剣、カランビットを取り出した。


「何体?」


「見た感じだと一体だ。戦士の俺にはこれくらいしかわかんねえ。どうだ、葵。いっちょ初仕事してみるか?」


 シルトの横に立って数を聞いた葵だったが、本来それは密偵の仕事。シルトの言葉に葵は頷き、瞼を閉じて瞑想を開始する。

 密偵のジョブマスターに叩き込まれた教えを試す好機。やらない訳にはいかないだろう。何かトラブルが起きても戦士のシルトと回復役のリーベがいるのだ。乃愛と二人で冒険する前の予行練習にはうってつけというもの。


『いいかい、優れた武器や防具は何も耐性や強度だけじゃない。所有者に魔法や戦技を与えてくれる物がある。アンタはちょっと突撃思考が過ぎるから、特別に私が使ってた外套をくれてやるよ』


──確か使用するには念じる事。使用する戦技や魔法の種類は魔石に依存し、効果の適用具合は使用者の適正や精神力、熟練度に依存する……だったかな。


 故にこれが初めての葵にはあまり効果は見込めない。これから使用するのは聖戦級の外套の戦技。熟練度はいくらあっても足りないが、せっかくの好機だ。少しでも使用して熟練度を上げた方がいいだろう。


「戦技“消音(サイレント)”」


 外套の止め具周辺に埋め込まれた魔石に集中し、葵が使用したのは名の通り、発生する音を消す戦技だ。隣の木を少し強めに殴り、その効果を確かめる。


「駄目だね」


 いつも通り殴った音が聞こえて葵は落胆した。


「魔法や戦技はこの世界の人間じゃないと使えないのかな」


「え、何だ? 何か言ったか?」


 葵は首を横に振り、戦技が全く使えない事を隠す。シルトに先行すると伝え、木の影から木の影へと歩き出した。

 目指す場所はシルトが見ていた方向。目的はシルトが見つけた敵以外に何体かいるのかどうか。周囲に気を配りながら茂みに潜んで進み、木に寄り掛かってシルトの発見した標的を確認する。


 ゴブリン。


 スライムの次か同程度の下級モンスターとして異世界創作の中で有名なそれは、しかし最初に異世界に降り立った際に彼が蹴り飛ばしたゴブリンとは少し違っていた。


 端的に、大きい。


 サッカーボール二個分の大きさだった最初のゴブリンの倍以上。葵の腰くらいまであるその異形に、彼は眉間に皺を寄せる。

 腐っても魔族。それがゴブリン。魔獣とは違い、高位な者程人間の形をしていると聞く。そういう意味で言うならば、最初に蹴り飛ばしたゴブリンと今見ているゴブリンにそこまでの差は感じなかった。


 が、今目の前にいるゴブリンは剣を肩に担ぎ、銀色の盾を逆の手で握り締めている。どう見ても知能のある者が作った造形だ。ゴブリン族が作ったのかもしれないし、冒険者を殺して奪った物かもしれない。

 どちらにせよ、最初のゴブリンとは格が違う。葵はそう考えた。


──周囲に敵はいない、か。


 ならば一人で、と考えるがそれは些か無謀かもしれない。せっかく戦士がいるのだ、ここはゴブリンがどれ程の戦闘力を持っているのか安全に観察した方が得策だろう。

 そう考え直して葵は来た道を引き返すが、歩き出した葵の足が落ちていた枝を踏み折り、静かだった一帯に乾いた音を響かせた。


「……ッ!?」


 振り返る葵。予想通り、その視界にそれは飛び込んで来ていた。


「ギシャーーーッ!」


 飛び掛かるゴブリン。葵は一瞬早く振り返っていた事で、襲い来るゴブリンを視界に入れる事は出来たが、その跳躍力に絶句する。

 葵の腰辺りまでの身の丈にも関わらず、飛び掛かるゴブリンは葵の頭上にいる。自身では真似出来ないその跳躍に恐れを抱いた葵は背筋が凍り付くような感覚を覚えるが、今はそんな事に気を取られていい場合ではない。


 振り下ろされる剣。ゴブリンの身長と同じ程の長さを持つその剣を、後退する足と共に身体を引いて間一髪で躱す。するとゴブリンは葵の正面を横切る形で着地し、たたらを踏んで再び葵に向き直った。


──最初に見たゴブリンよりずっと速い。


 我ながらよく避けれたものだと感じながら、葵はカランビットを構え直す。異変に気付いたシルトは駆け出しているが、結構な距離がある。シルトは力こそ見た目通り強そうだが、逆に走るのは苦手そうだった。


 救援まで凡そ三十秒。


 葵自身も全速力で後退すれば半分以下の時間で合流出来るかもしれないが、その場合ゴブリンに背中を見せる事になる。


──却下、かな。


 そんな事をすればどうなるか。語るに値しない考えを捨て去るように首を横に振り、葵は腰を落とすように足幅を広げ、前に突き出していたカランビットを持つ拳をゴブリンに向ける。


 通常、未知の生物との邂逅は鍛えられた人間だとしても尻込みし、冷静な判断が出来なくなるものだ。が、彼は最も無謀な背を向けて走るという行為をせず、落ち着いた心で臨戦態勢を整えた。


 ハッキリ言って、異常だった。


 シルトもリーベも、葵に駆け付けながらそう感じた。スライムを見た時もそうだった。葵はすぐさま武器を手に取った。彼は勇敢だ。きっとシルトもリーベもそう思った事だろう。現に葵の表情に変化はない。

 このまま制止状態が続けば危険はないのかもしれない。だが、シルト達の足音に気付かない程ゴブリンも馬鹿ではない。


 一対多数。


 この局面においてゴブリンの取る選択肢は二つ。邪魔が来る前に逃げるか、邪魔が入る前に目の前の人間を殺すかだ。

 そしてゴブリンは後者を選択した。逃走は当然葵に背を向ける事になる。速度が勝っているかどうかなど判断出来ない状況で背を向けるくらいならば、いっそ目の前の人間を殺して逃走するのが確実。


 今駆け付けて来ている者達の速度から考えれば、それからでも十分逃げられると判断した。


 剣を一突き。葵の持つカランビットは短剣。間合いを置きながらの突きであれば、短剣の刃が届く事はないから。

 魔獣とは違う、知能がある魔族であるからこその判断力。優れた知能はこの状況において最も有効で安全な方法を導き出した。


 少なくとも、ゴブリンはそう考えていた事だろう。


「ギシャシャシャシャ!」


 そして現に、葵はその突きを躱せなかった。ゴブリンの剣は葵の腹に突き刺さり、その返り血を浴びながらゴブリンは笑った。


 やはり雑魚。


 やはり弱い。


 勝つのは自分。目の前の敵が何の抵抗も出来なかったのが愉快だった。


「葵ッ!」


 しかし笑っているのは、


挿絵(By みてみん)


「葵、さん……?」


 ゴブリンだけではなかった。

 突き刺さった剣が更に葵の腹へ深く沈んでいく。ゴブリンが前進した訳ではない。


「さすがに刃物は初めてだよ」


 それは夜坂葵が、一歩前に踏み出した結果だ。笑みを浮かべて踏み込んで来た彼にゴブリンは笑うのをやめた。いや、笑う事が出来なくなった。その視界に映る人間の姿を見て戦慄を覚えたからだ。

 今まで出会った人間はこんな行動に出た事があっただろうか。刺さった剣を無視して前進し、傷が深くなるのを恐れず無理矢理短剣の間合いにする人間がいただろうか。

 答えは否。

 故に葵の尋常ならざる眼に怯えたゴブリンは剣を手放し、一目散に逃走を開始する。だがそれは先に選択をしなかった行為。


 戦いの場において、敵に背を向ける者に勝利は訪れない。


 背を向けて駆け出そうとしたゴブリンの背中に突き入れられる足。その衝撃に如何に優れた身体能力をしている魔族とはいえ、葵との体格差によって小柄なゴブリンは蹴り飛ばされ、その顔面を木に叩きつけられる。


 その無防備なうなじへ、密偵ならざる狂戦士は視線を向けた。


──………………殺せる。


 確信、故の一閃。


 木に寄り掛かったゴブリンのうなじへカランビットを突き刺し、力任せに腕を薙ぎ払って引き裂いた。

 悲鳴は聞こえない。いつの間にか駆け付けるシルトとリーベの足音も止んでいた。


 代わりに響いたのはゴブリンが持っていた盾が地面の石の上に落ちた音と、その首から噴き出す血の音。辺りが静寂に包まれたのは、血飛沫が止んでゴブリンが横たわってからだった。葵はそれを見下ろし、今気が付いたと言わんばかりに目を丸くして返り血のついた頬を拭った。


「血の色は僕等と変わらないんだね」

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