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楽園変生 第一部 ──不死の随伴者──  作者: 紅葉 昂
第一部【不死の随伴者】
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第009話

 ヴァナヘイム王国、辺境の地。

 防衛線を突破された今、既に滅んだといっても過言ではないこの地を、未だ我等の物だと戦い続ける者達がいた。

 銀の甲冑に身を纏い、手にした巨剣を振るって魔族に立ち向かう雄々しき騎士達。馬が駆け、森は焼け、手にした槍は折れようとも、その折れた先端を拾い上げて、騎士達は戦い続ける。


 自由を求めて魔の領地へ踏み入った誇りあるヴァナヘイムの騎士として、そして数十年と渡り魔族を退けて来た英霊達の名誉の為に。例えその剣が折れようと、例えその盾が砕けようとも、鋼の如き信念は折れず屈強なる身体は砕けない。


 それは現状を知らぬ者達が英霊となった騎士を称えて語る武勇伝。


「嫌だ、死にたくない!」


 現実と武勇伝は違う。先程まで雄々しく巨剣を振るっていた騎士が最後に残したのは、その武勇伝では語る事の出来ないような、しかし人間らしい悲観と絶望に溢れた言葉だった。


 彼は弱くなどなかった。冒険者で言えば聖戦級に位置する腕前であり、その巨剣に斬れない魔獣などいないとまで言われていた男だった。数えきれない程の魔獣を打倒して来た。魔族とも戦い、今まで生き延びて来た優秀な騎士であり、分隊長を務める程。此度のその戦果も勲章を授けられる程のものだった。それは当然、平時であればだが。


 防衛線が落とされたのは約一月程前。故に今は宛もない撤退による領土縮小を強いられ続けている真っ只中。武勲を上げる騎士に対して授ける勲章も地位も、敗戦国まっしぐらであるヴァナヘイムには何もない。

 頭を冑ごと噛み潰された彼の遺体を搬送し、墓を作る事すら出来ず、周りの騎士達は物言わぬ英霊の亡骸を捨てて退却を開始する。

 それは騎士道に反する事と、罰する者などここにはいない。それ程までに、目の当たりにしている魔族は強力なのだ。


 一つ目の巨人、サイクロプス。


 人間の何倍もの巨大な斧を肩にかけ、凡そ十メートルはある巨人は彼の冑と頭蓋骨を噛み砕きながら、その大きな口の端から彼の物だと思われる血をまるで涎のように垂らして足元を紅く染めている。


「……ッあ、ハア……ッ、クソッ! ガエリオが殺られたか……ッ」


 荒い息を落ち着かせ、折れた左腕を剣を持った右腕で抱える騎士は物陰に隠れて吐き捨てるに口を開いた。

 彼の名はベルター。頭を噛み砕かれた騎士──ガエリオの友人であり相棒だった男だ。左腕の折れた彼を庇って前に出過ぎたガエリオの末路を悲しむ事すら出来ず、顔面が見える程に砕けた冑の下からは血が流れ、真っ赤に染まったその表情は怒りに満ちていた。


「その声は、ベルターさんですか?」


 と、そこへ茂みの中から声がする。いつどこで敵が現れるのかわからない森の中を一人で歩き、気が狂いそうだったベルターはその声のおかげである程度の平常心を取り戻す事が出来た。


「君は?」


 問い掛けに応じるように茂みから出て来たのはベルターのような甲冑ではなく、軽装に身を包んだ二人の男女。

 金色の長い髪に蒼い瞳の女弓兵と、青い髪に眼帯をした偵察兵の男。どちらも若く、まだ二十にもなっていない歳だろう。


「自分はエイミー、彼はマルクと申します。こんな時ですが、双剣のベルターに御会い出来て光栄です」


「はは、言っても仕方ない通り名だな。この腕じゃ、もう生涯双剣を使う事も出来まい」


 自身を敬う若者に言う言葉ではなかったのかもしれないが、今や満身創痍の役立たず。年齢が上なだけで今や戦力として数に入れるべきではないと考えながら自嘲するベルター。


 当然、有名な騎士である彼にそのような事を言われても返事に困るだろうが、後先の事を考えていられる状況ではない。


「いえ、自分はベルターさんに憧れて騎士団に入りました。双剣のベルターに強刃のガエリオ、いつかそう言われるようになりたいと──」


「ああ、悪かった。なら生きて帰るぞ。そうすりゃ、少なくとも片方にはなれるかもしれん」


 マルクの言葉を遮り、ベルターは二人を連れて歩き出す。それは自身達に憧れてそうなりたいと言うこの少年に“自身達と同じ末路を辿らせない為に”だ。彼が言う片方というのは、今から相棒の亡骸を置いて逃げ延びるベルター自身に他ならない。


「おい弓兵、エイミーだったか。まだ矢は残っているか?」


「矢は残っていますが、弓が折れてしまって……」


「いい、気にするな。後方射撃部隊がいる地点まで後退してる前衛部隊に頭を下げる必要はどこにもない」


 それもエイミーやマルクのような若者がいる所にまで被害が及んでいるなら、それは手練れであるベルター達が責められる事ではないだろう。

 とはいえ相手は人間ではない。手練れのガエリオが泣き叫ぶ程に凶悪な存在だ。例え大人と子供の差が若者とベルターの間にあったとして、雷や津波などの自然災害からしてみればその二つに差などないのだ。人類が知る魔族の中でも、サイクロプスというのはそれ程までに格が違う。


「いいか。もし魔族と出くわしたら俺が足止めをする。その間に全速力で逃げるんだ」


「そんな……ッ!? ベルターさんと言えどその御怪我では──」


「聞き分けろ、すぐに俺も後退する。こんな状態で上官もクソもないが、年長者の言う事は聞くものだろう?」


 マルクの発言は最もだったが、それでも騎士の先達として若者の命くらいは守りたい。そして何より自身の身代わりとなったガエリオの相棒として、せめて新参者を生かして戦死するくらいの覚悟が必要だろうとベルターは考えた。

 みっともない相棒を庇ってガエリオは死んだなどと、誰にも言わせてはならないから。


「いいえ、私も戦います。戦って、勝って、三人で本陣まで後退しましょう」


「……ったく、聞き分けのないガキめ。見ての通りだ、俺に期待するんじゃねえぞ」


 しかし、ベルターは庇われる気持ちを理解出来ない訳ではない。一度騎士を目指した者が、仲間を置いて逃亡など易々と受け入れる事が出来るだろうか。それが憧れによって騎士になったばかりの若者なら尚更だ。


 ベルターは命の保証は出来ないと言いつつも、彼等を死なせるつもりはなかった。が、当然護り抜けるとも思っていない。それは先の事を理解するには状況がわからなさ過ぎるからだ。

 そこにあるのは不安と恐怖。そしてそれを抑制する手にした剣に懸けた誇り。


 ここは戦場。転じて墓場となり兼ねない森の中を、ベルターは若者二人を背にして進み続ける。彼程名の知れた騎士であっても、魔族がいつ現れるかわからない森の中は足がすくむ事だろう。

 しかしベルターにその様子はない。それは引き連れる二人がいるからだ。相棒を失ったばかりの彼が正気でいられるのはベルターを敬う者が傍に居るからこそで、実質救われたのはベルターの方だった。


「ん、何か音がしませんか」


 唐突に、エイミーが声を上げる。その言葉にエイミーとは少し離れた所で足を止めるマルクとベルター。が、戦場であるこの場では遠くからの物音など響き続けている。周囲を見渡すも、マルクの視界に異変を映す事はなかった。


「…………風の音?」


「伏せろッ!」


 叫び声と共に横にいたマルクの頭を抑え込み、ベルターは膝を折って体勢を低くする。それが何を意味する事なのか、ベルター本人ですらわかってはいない。

 ただかつて双剣のベルターと呼ばれるに至った経験が、彼にそうさせたのだ。

 瞬間、首のない騎士がエイミーの背中へと降り注ぎ、悲鳴を上げる事も出来ずに彼女は倒れ伏した。


「あれ、は……」


 その首のない騎士を、ベルターは知っていた。


 迎えに来たぞ。


 俺達はずっと共にいただろう。


 ただの幻聴。エイミーの背に覆い被さる首のない騎士の腕がベルターへ助けを乞うように伸ばされているのも偶然で、なくなっているハズの騎士の顔もベルターの見る幻覚。


「エイミー!」


 マルクは茫然とするベルターの腕を振り払い、倒れ伏したエイミーへと駆け出した。傍まで駆け寄った所で気が付いたエイミーは顔を上げるも、背中の痛みに苦い表情を浮かべる。


「立てるか、エイミー!?」


 騎士の亡骸を押しのけて、マルクはエイミーを立たせようと彼女の腕を担ぎ、逆の腕で引き寄せて背負うようにして立ち上がろうとするも、その身体は重かった。

 彼女は華奢で、軽装だ。本来ならば立たせるのは困難な事ではなかった。


「……ッ! 足が……ッ」


 エイミーの足は動かない。立とうとしない身体を支えるのは、いくらエイミーが重くないとはいえ体格のいいとは言えないマルクには難しい。


「ガエ、リオ……」


 その光景を視界に入れながらも、ベルターの視線の先は首のない騎士に向けられていた。ガエリオの言葉は幻聴。垣間見えた相棒の顔も幻覚。先程ベルターに向けられていた手も偶然。


 しかし果たして、ここに彼の遺体がある事は偶然だろうか。


「そうか、そうだったな」


 ベルターは持っていた剣を強く握り締めて立ち上がる。そう、偶然ではないのだ。ガエリオはベルターを迎えに来た。戦死した彼の意図も気持ちも別にして、偶然にも遺体が空から降って来て運悪く三人を襲撃する事はそう確率の高いものではないだろう。


 ガエリオの遺体はここに、彼等に向けて投げられたのだ。彼の命を奪った一つ目の巨人の剛腕によって。つまりそれは、サイクロプスの次なる標的が彼等である事に他ならない。


 まるで答え合わせでもするかのように聞こえて来る地鳴りのような足音。ベルターは歩き出し、マルクとエイミーの横を通り過ぎる。視線の先、大斧を担いで悠々と歩いて来るサイクロプスへと、かつての相棒がそうであったように、負傷した味方を背にしてベルターは巨人に歩み寄る。


「ベルターさん!?」


「おらガキども。ちょっくら無理してでもさっさとこの場を離れろ。あいつの相手は俺が──」


 振り返るベルターは笑っていた。マルクは彼の最期となるであろう笑顔に頷く。が、その笑顔が紡ぐ言葉は茂みから飛び出した小柄なサイクロプスがベルターに飛び掛かる事で遮られた。


「畜生ッ、こっちにも──」


 押し倒されたベルターは密着状態から剣を振るう。だが、サイクロプスの硬い皮膚に阻まれた剣は折れ、その肩に牙を突き立てられた。

 巨大なサイクロプスと比べ手足は細い個体であったが、それは魔族であって当然人間の基準ではない。ベルターの一回りは大きいそのサイクロプスは鎧ごと彼の肩を喰い破り、バシャバシャと音を立てながら噛み砕いて血を撒き散らす。


 最期に相棒であるガエリオを殺した巨人に一太刀は浴びせようと、そんな生易しい考えをベルターはもう考えていなかった。ただ悔んだ。力のない自分を、というありきたりな事ではない。


 どうして騎士になったのだろう。


 なぜこんな所に来てしまったのだろう。


 最後に女を抱いたのはいつだったか。それも特に浮いた話ではなく、身体を売って生計を立てる女を抱いただけ。


 彼は人生を悔いた。


 今思えば何一つ面白い事はなく、マルクのように隣に花があった訳でもない。


 つまらない。


 身体を喰われていく中で彼が感じたのは、何かに取り憑かれているように騎士として生きた自分の虚しさだった。男として生まれたのだ。最期にいい女を抱きたかったと、騎士にあるまじき事を頭に思い浮かべても悪くはないだろうと自嘲気味に笑った。


 もし天国という物があるのなら、女神というのはいるだろうか。女神はいくらで股を開くだろうか。ああ、浅ましくて醜い。これが俺だったのかと、最期に自分を知った彼の耳に、


「男なら死に際に泣くのは止した方がいいですよ」


 鈴の音のように綺麗な声が聞こえた。投げ掛けられた言葉は彼を律するものであったが、まるで女神が囁き掛けて来たかのようにベルターは感じた。


 瞬間、ベルターは漆黒の煌きを目の当たりにする。


 弧を描いたそれが太刀筋であるとベルターが気付いた時には、彼に覆い被さっていたサイクロプスは真っ二つに裂け、仰向けに倒れる彼の左右にそれぞれが横たわった。


「え? あ……!?」


 既に致命傷を負っているが、生きたまま喰われると思っていたベルターは間の抜けた声を張り上げて、視線はただ真っ直ぐに声の主を見つめていた。


「ですが、仲間を護ろうとした姿は正しく騎士の在り方でした」


 それは、女神ではなかった。


 聞こえて来る声は穏やかで、囁かれる言葉は正しさと自信に満ちている。聞けば誰もがその言葉に耳を傾けるようなカリスマ性。それがその声にはあった。


 だが、


「であれば今この時、私がその折れた剣の代わりになりましょう」


 馬上より降り注ぐ紅き六つの眼光は女神などではない。否、そもそも人間であるかも疑わしい。

 ベルターの視界で戦旗の如く風に靡くはヴェール。挙式に女性を飾る代表的な代物はしかし黒く、使い古されたそれは肩から提げられた同色の外套と共に陽炎のように風に揺られている。


 間の抜けた声を上げたベルターだったが、生の実感よりも死神が迎えに来たのだと感じた。ああ、ここが死者の集う冥界かと、ガエリオではなく目の前にいる者こそ冥界の使者なのだと。


 鋭い指先。触れるもの総てを傷付けそうなその手が握り締めているのは斧のような巨大な剣と、跨っている大きな黒馬の手綱。

馬もそれに跨る者も全身を漆黒の鎧で覆い、その容姿は声を聞かねば人間だと判断出来ない程に禍々しい。


 故にベルターからして死神か悪魔。言葉とは裏腹にその剣が斬るのは彼自身ではないかと、そう錯覚する程にその姿は人間離れしていた。


「…………頼む。アイツを殺してくれ」


 だが、最早助かる傷ではない。僅かなこの生命と引き換えに仇を討てるのなら惜しくはないと、ベルターは血を吐き出しながら悪魔との契約を結ぶ。


「引き受けた。その生命が尽きる前に御見せしましょう」


 馬より降りた黒騎士は手にしていた大剣を馬の後ろ脚の金具に取り付け、代わりに腰の黒剣を鞘から抜いた。否、その刀身は片刃。反り返っている刀身はまるで日本刀のようだった。


 誓いの言葉を口にして、ベルターに背を向けて歩き出した黒騎士の正面、森の木々を倒しながら現れたのは一つ目の巨人。ガエリオを殺した大型のサイクロプス。

 鼓膜を破る程の雄叫びを上げ、サイクロプスは巨大な腕を横一線に薙ぎ払う。出逢い頭に礼もなく言葉を交わす事もなくだ。しかしそれは当然、魔族は人間ではないのだから。


 吹き荒ぶ豪風。その一撃を黒刀で防いだ黒騎士だったが、その威力に受け止める事は出来ず吹き飛ばされる。当然だ。そもそも体格が違うのだ。まともに刃を交える事など出来るハズがない。


 だが、その体格差の一撃を防いで宙に投げ出された黒騎士は、空中で身を翻し、木の側面に着地する。すぐさま握り締めていた刀を逆手に持ち替え、自身が着地した木に振り向く事なく突き刺し、そのままの体勢でサイクロプスへ視線を向けた。

 とはいえサイクロプスの身体は木よりも大きく、その視線は未だその巨体を見上げている。


「あの一撃で生きてるなんて……」


 ベルターの傍にまで移動したマルクの口から零れる言葉。半ば信じる事の出来ない光景だったが、現実に黒騎士は動いていた。それもその様子を見るにダメージはない。

 黒騎士を見下ろす一つ目。下卑た笑みを浮かべるように巨大な口を開けると、今度は斧を頭上高く振り上げる。

 魔族にも知能はある。先の一撃で生きているのは吹き飛ばしてしまったからだと判断し、今度は吹き飛ぶような逃げ場を失くす為に斧を振り下ろす。


 だが、


「“激流崩撃(げきりゅうほうげき)”」


 斧が巻き起こす風の音が響く中で、黒騎士が言葉を紡ぐと同時に木に刺さった刀が水を噴射しながら引き抜かれる。


 振るわれる刀。


 その刀身を覆い尽す水流はまるで鞭のように伸び、サイクロプスが振り下ろすハズだった斧の柄を斬り裂いた。それによって斧の刀身部は遥か彼方へと吹き飛んでいく。

 叩き付けるハズだった斧を破壊されたサイクロプスは、盛大に空振りした事により体勢を崩した。無様にも柄だけになった斧を握り締めた腕を伸ばしながら膝を着く。


 刹那、黒騎士は木を蹴って空を翔ける。


 伸ばされたサイクロプスの手首に着地し、全身甲冑とは思えぬ速さで疾走を開始。瞬時に二の腕まで登る事が出来たが、サイクロプスは何も気を失っている訳ではない。

 立ち上がりながら、自身の右腕を駆け上がる黒騎士を叩き潰さんと左腕を振り下ろす。

 だが黒騎士には当たらない。飛び上がった黒騎士は空中で刀を鞘に納め、ヴェールと外套を靡かせながら見上げて来るサイクロプスを見下ろす。その着地場所は、右腕を殴りつけたサイクロプスの左腕。


 つまり、喉元の正面だ。


 立ち上がった黒騎士は姿勢を正して右腕を水平に横に伸ばし、その拳をゆっくりと開き始める。

 それはただ手の平を広げるだけの動作であったが、紫に光る蛇が指に纏わりつくように帯電した拳を無理矢理開いていた。

 開き切ったと同時に帯電は激しさを増し、僅かに苦しむような吐息を漏らしながら、黒騎士はその身を屈めるように、暴れ狂う右腕を左手の添えられた刀の柄へと伸ばす。

 その手が柄に触れた途端、腕に纏わりついていた紫雷が柄から鍔へ。鞘に封じられた刀身へと流れていく。


挿絵(By みてみん)


「“紫電一閃(しでんいっせん)”」


 解き放たれるは雷光。


 鳴り響くは雷鳴。


 左腕より喉元へと飛び込んだ黒騎士は、電磁力を利用した目視不可の超神速の抜刀からなる斬撃を用いてサイクロプスの硬い皮膚を両断する。


 撒き散らされる血と、傷口から噴き出す風の音。サイクロプスは黒騎士の放った剣圧によって背中を地面に叩きつけるように倒れ込み、その腕で傷口を抑えるように覆って暴れ出した。その足は地響きを鳴らし、断末魔の叫びは口ではなく斬り開かれた喉元から溢れ出す。

 呼吸が出来ない事と痛みに苦しむそのサイクロプスの頭の横に黒騎士は降り立った。

 するとそこへ現れるのは先程黒騎士が跨っていた黒馬。馬の後ろ脚に取り付けられた大剣を取り出した黒騎士は黒馬を撫で始めた。


「ありがとう、ヴィクトリア」


 一頻り撫で終えた所で後ろのサイクロプスへ振り返る黒騎士。まるでついでにと言わんばかりにサイクロプスのこめかみを振り返り様に斬り捨てる。

 そうして響き続けていた断末魔の叫びと地鳴りは止み、黒騎士はそれを茫然と見終えた後に再び馬に跨った。


 圧倒。


 まさにその一言に尽きる。巨大な敵に臆する事なく、むしろ体格差と称する事の出来ない格差を無価値の如く屠って見せた黒騎士に、見ていた三人はある一つの言葉を思い出した。


 魔王。


 人間に近しい形をした魔族の王達を示す言葉であり、最も人間とは遠い存在。


「あ、貴方は……?」


 ベルターの傍らにいるマルクが背負っていたエイミーが口を開く。問いをかけたのだから交流が可能な存在だと認識してはいるのだろう。しかしその肩は震えている。まるで人ならざる者を見るように。

 名の知れた騎士二人でも勝てなかったサイクロプスを容易く討伐してしまう程の強さなのだから、助けられたとはいえ魔王と疑うのも当然だった。


「……これでも貴方々と同じく人間なのですが、仕方ありませんね」


 その意図を察して、ゆっくりと歩み寄る馬に跨る黒騎士はそう呟き、両手で冑を脱ぎ去った。

 紅い右眼に蒼い左眼。色素の薄い白い肌とは真逆の黒い髪。エイミーと差のない年齢に見える彼女は、しかし自信に満ちた表情をしている。


「この左眼の聖痕がその証です。聖痕が人間独自の力である事は御存知かと」


「聖痕の眼……? アンタは、女……だったのか」


 黒騎士の蒼い左眼を見上げて、今にも消えそうな意識の中でベルターは納得する。しかし未だわからぬエイミーとマルクを見て、黒騎士はやれやれと言いたげに溜息を吐いた後で首下の甲冑の隙間に手を入れた。


「私はリオン。リオン・クロワール。ただの冒険者です」


 安心させるように笑みを浮かべた黒騎士の手はネックレスのチェーンを握り締め、僅かに開いた指からネックレスの先端が零れ落ちる。


 紅い宝石を材質としたプレート。冒険者の証がそこにぶら下がっていた。

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