論理的に考えてお前が俺の彼女にならない理由はない!!
ここにいる全員に聞きたいことがある。
小説やアニメ、映画に出てくる幼馴染というのが大抵、美男美女であることに疑問を持ったことはないだろうか。
ここで、疑問に思ったことがない人は俺の話を聞く必要はないだろう。
ここで、疑問に思ったことがある人には是非、俺の話に耳を傾けてもらいたい。
高校二年生の俺ーー工藤裕翔には女の幼馴染がいる。かれこれ十二年の付き合いだ。
彼女の名前は、佐川瑠璃。同じ高校に通い、美男美女の幼馴染として知られている。
俺たちは、自分たちが美男美女と呼ばれていることを受け入れているし、ありがたいことだとも思っている。
そんな俺たちがよく言われるセリフがこれだ。
「幼馴染なのに美男美女なんてすごいね!」
「美男美女の幼馴染とか実際にいるんだな!」
人生で数え切れないほど浴びせられてきた、この言葉。
俺にはこの発言が気持ち悪くて仕方がない。なぜなら俺たちは幼馴染かつ美男美女なのではなく、美男美女であるが故に幼馴染だからだ。
この意味がわかるだろうか。
十年来の幼馴染であることと美男美女であることは、別個で考えるべきではない。
想像してみてほしい。君が五歳で、仲の良い異性の友達が二人いたとする。一人は至って普通の外見、もう一人は顔立ちの整った子だ。君は知らず知らずのうちに、後者との関係を大切にするのではないだろうか?
いやいや、私は友人を等しく大切にする。そういう人もいるかもしれない。だが君は、幼少期にも同じことを考えていただろうか。子供というのは素直なもので、生物としての直感に身を委ねる。そんな本能で動く子供が、友達を等しく大切にするか? それも異性の友達を。俺の答えはノーだ。俺なら必ず容姿のいい方との関係を選ぶ。そして、このことは相手側にも言えることだ。
君が選んだその相手にも、君以外の仲のいい異性の友達がいるだろう。そして、その中から比較的容姿のいい者との関係を優先する。その相手が君でなければ君たちの関係は二、三年で終わりになるだろう。ところが君の容姿がよく、相手が君との関わりを選んだとすれば、その関係は数年に及ぶ。
そして、この選別は幾度となく繰り返される。
新たな候補との出会いを迎えた君たちには、選択の機会が生まれるからだ。出会いの度に、何度となく繰り返される審判を乗り越え、未だに幼馴染として関係を持つ君たちは美男美女であるはず。これは至極当然の結果だろう。君たちは、美男美女かつ幼馴染なのではなく、美男美女であるが故に幼馴染となった訳だ。
ただ、選択の壁と別に物理的な別れも存在する。
数年間の時を共にした幼馴染が、どこかに引っ越してしまう。別々の学校に通うことになる。そう言った壁が開かるだろう。これは、どの幼馴染にも等しく訪れるものだ。そして、溢れる幼馴染の中から美男美女を選抜する一種のふるいでもある。
こういった難所を乗り越えられる幼馴染というのは、互いに関係を尊重してきた者たち、ひいては、互いに執着しあってきた者たちだけである。相手に依存し、その者との幼馴染という関係で満たされる。そういった深い繋がりが無ければ物理的な壁は乗り越えられない。
よく分からないことを長々と語ってしまって申し訳ない。だが、これで理解していただけただろうか?
美男美女だからこそ十年来の幼馴染になれるということ。そして、幼馴染というのは互いを必要とし、依存する関係であることを。
「つまり、俺が何を言いたいかというとだな。瑠璃! 俺たちは高度な水準で依存し、認めあっている。だから、お前が俺の彼女にならない理由はない! 俺と付き合うんだ!!」
「えぇー……確かに裕翔はかっこいいし魅力的だと思うけど、どうも彼氏って感じじゃないのよねー。これも幼馴染の性ってやつじゃない?」
ちろりと舌を出す瑠璃はめちゃくちゃ可愛い。
可愛すぎて走り出したくなるレベル。
だがそんなことを言っている場合ではない。今回も失敗に終わってしまった。
「クソオオォォォオ!!!!」
俺は全力で走り出した。