下劣な作戦
熊男はゆらりと立ち上がる。
その時私は、熊男がわざわざ台所まで来た理由を察した。
熊男の手には包丁が握られていたのだ。
「…そんな物騒なもの持って、どうするつもり?」
震えを悟られないよう、なるべくゆっくりと落ち着いて問いかける。
「あ?んなもん、あの忌々しいアカデミーの魔法使いを殺すために決まってんだろ」
アカデミーの魔法使い…おそらく、エリージャのことだろう。
熊男は不気味に笑いながら包丁をべろりと舐めた。
「ここを探すのに苦労したぜ…おかげでいままで奪ってきた金のほとんどを失う羽目になっちまった
だが…魔法使いを殺して差しだせば、失ったもん以上の金が返ってくる。あいつを殺せば俺は復讐することができて金儲けもできるなんて…最高だなぁ。でもまさか、お前までここにいるとは思ってなかったけどな。あのクソ野郎を殺したら、お前の相手もしてやるよ」
「…残念だけど、あんたの探している人はここにはいない。無駄足ね」
私がそう言うと、男はゆっくりと私の方に近づいてきた。
にやにやとその口元を不気味にゆがませながら。
「それが、無駄足なんかじゃないんだわ。やつはここに来る。それに俺に殺されてくれるさ、必ずなぁ!」
そう言うと、熊男は近くに置いてあった大皿を思いきり叩き割った。
ガシャーンと大きな音が響き渡る。
少し遠くからイライザさんの声が聞こえ、パタパタとこちらに近づいてきているのが分かる。
「なんでそうなるのか教えてやろうか…」
男の手に持つ包丁が炎を纏う。
「アカデミーの魔法使いってのは、俺らみたいな野良と違って魔力を感知することができる。そこで、だ。ここにいるババァとジジィはアイツにとったら親も同然らしい…」
「まさか…!」
イライザさんとブラムさんは私のすぐそばまで来ていた。
そして彼女は様子を見ようと台所へと入ろうとする。
「ウミ!いったい何が…」
「逃げて!」
「もう遅ぇよ!」
熊男が持つ包丁がやつの手から離れ、イライザさんの腹部へと向かっていく。
見えているのに。
炎を纏った包丁が、宙を一直線に切り裂きながらイライザさんの方へと向かっていく。
まるでスローモーションのように、何が起こっているのか分かっているのに、体が動かない。
何も、できない
「イライザ!」
普段は物静かなブラムさんが大声を出している。
倒れたイライザさんに駆け寄り、何度も何度もイライザさんの名を呼んでいるのが聞こえる。
熊男が大笑いしているのが聞こえる。
まるで夢でも見ているかのように聞こえてくるそれらの声。
けれど、ハッと我に返りイライザさんのもとへと駆け寄る。
「イライザさん!」
何度呼びかけても彼女は苦しそうなうめき声しか発さない。
腹部を見ると、炎を纏った包丁は深々と刺さっているが、それが栓となっているのか大量の出血はない。
が、急いで手当てしないといけないことには変わりない。
「おっと、動くなよ。お前ら、両手を上にあげて、そっちの壁によりな。
その包丁はまだ俺の魔法の支配下にある。もし妙な真似しやがったら、その包丁抜いてやるよ。」
「そんなことしたら…!」
「察しがいいな。そうだおそらく大量出血であの世行きだ。…分かったらさっさと言われたとおりにしやがれ!」
私とブラムさんは逆らう選択肢を失い、熊男の言われた通り廊下の壁による。
目の前でイライザさんが苦しんでいるというのに何も動くことができないもどかしさが私を襲ってくる。
ちらりと横を見ると、ブラムさんは悔しそうに顔をゆがませ、ぎりぎりと唇を噛みしめていた。