2 少女とパンと、それから少年
シンデレラ。
世間の女子なら誰もが憧れる、最高のプリンセスストーリーとして大ヒットした乙女ゲームである。前世の自分は引きこもりだったため、どれほどそれが人気だったかはよくわからないが、しかし、テレビで特集されていたのは記憶にある。
巷でも話題だったようだし、SNSでもたくさんツイートされていた。
それほど、乙女心をくすぐられる王道ラブストーリーなわけだ。
その乙女ゲームを毎日欠かさずやりこんでいたのが、トレメイン家の少女・アナスタシア……の前世の自分である。メガネで癖毛で引きこもりだった、それしか覚えていないが。
ちなみに、アナスタシアはお察しのとおり、シンデレラをいじめる姉という設定で登場する。
自分を美人だと思っていて、世間知らずでわがまま。ことあるごとにシンデレラに嫌がらせをし、まさに〝悪役〟の人生を突っ走ってきた。しかし本人は最後に奈落の底に堕とされることも知らず、まさに「ざまあみろ」とでも言いたくなる結末だ。
……だけどわたしは、そんなふうにはならない。
もう決めた。自分は逆に、彼女の味方に回る。
人をいじめて罪悪感にさいなまれたまま死ぬなんて、まっぴらごめんだ。
そんなふうに死ぬなら、幸せなまま静かに死にたい。
***
「エラ。手伝いましょうか?」
昼下がりの午後のこと。
運良く姉のドリゼラと母親が隣町へ買い物に出かけてくれたおかげで、この屋敷にはシンデレラであるエラと、自分のみである。
「あ、いいですよアナスタシア様。わたしがやりますから」
「いいのよ。あなたひとりじゃ時間がかかるでしょ」
てきぱきと洗い物を済ませていくアナスタシアを見、エラは「家事が出来るんですね!」と明るく褒めた。一瞬どう捉えたらよいのか迷ったが、しかし彼女が笑顔で言うので、許してしまった。
皿洗いを終えた二人は、仲良く中庭へと向かう。エラが用意してくれた紅茶とクッキーを手に、白い椅子の上に腰を下ろした。最近ではここが、アナスタシアの憩いの場になっている。
「あ、ねえアナスタシア様。近頃街に、新しいパン屋ができたそうなのですけれど、一緒にいかがですか?」
ふと、エラが問うてくる。確かにパンは嫌いではないし、まあ正直に言えば、ドリゼラの買ってくるライ麦パンにも飽きてきたところだったので、いいわよ、と返した。
母と姉が出かけていったのが隣町で、本当によかったと思う。
もし二人でいるところを見られたら、何を言われるかわかったものではない。自分でエラを守ると言ったくせに、逆にひどくいじめられたりでもしたら、自分がなぜ悪役という看板を蹴落としたのか、意味がなくなってしまう。
「ちょっとエラ、その服は何?」
エラの着替えを手伝っていると、妙なものを見てしまった。彼女の手にあったその服は、色は悪くないのだけれど……。
なんとまあ、裾が土で汚れているわ破けているわで、とても街に出かけられるような装いではない。
しかも彼女の持っている服はどれも似たようなデザインばかりで、おまけに地味である。
「……ダメだわ。わたしの服を貸しましょう」
そうして腕を引かれるままにエラが連れてこられたのは、割と綺麗に掃除されている、アナスタシアの部屋である。
相変わらず寝台の上にはドレスが脱ぎ捨てられているが、まあそれはいいとして。
「う~ん、どれもあの子には似合わないわね。……ああ、これなんかどうかしら?」
そう言って彼女が差し出してきたのは、薄桃色の可愛らしいドレスである。たくさんのフリルがあしらわれており、派手すぎず地味すぎず、といったところだ。
「可愛いですね。いいと思います!」
「自分で言うのもどうかと思うけど……まあいいわ、じゃあこれを着て」
そうして髪を弄られ化粧をさせられ、およそ十五分後には、どこかの令嬢かと見間違うほどの容姿に変貌していた。とても先程までの野暮ったい、見るからに「使用人」な自分とは思えない。
「まあ、素敵です。ありがとうございます、アナスタシア様」
「当然でしょ、わたしの手にかかれば変身なんてチョロいもんだわ」
ほら行くわよ、と彼女の腕を引いて、部屋から出て行く。途中、書店で借りていた本もカバンに入れる。
「そういえば、アナスタシア様の好きなものについて、わたし、何も知りませんでした」
街までの道中、エラがそう聞いてくる。そういや自分について何も話してなかったなあと思いながら、うーん、と少し考えてみる。
「まず、食べ物は甘いものが好きね。とても嬉しい気分になるの。あと、本は恋愛小説が好き。自分は多分、これからも異性と恋に落ちることはないだろうから、小説で楽しんでいるの。それとねぇ……」
とそこで、あの、とエラから声がかかる。
「これからも異性と恋に落ちることはない、とは、一体どういうことですか?」
「どうも何も、言ったとおりよ」
さすがに『エラが王子と結婚したら、わたしたちは没落して死ぬから』とは言えない。ただ彼女を不安にするだけだし、言ってどうにかなる問題でもない。
「でもまあ、できるものなら、一度くらい、楽しんでみてもいいかもねぇ」
前世では、恋なんてほど遠い存在だったから、一度くらい、試してみても悪くはないと思う。でもまあ、エンディングまでを考えてみたら、そんな運命的な恋に恵まれる日は、一生こないと思うけれど。
***
やがて二人は、小さな港町へと足を踏み入れた。そろそろ社交シーズンなためか、店のあちこちで紙風船がばらまかれている。
頭に落ちてくるそれを手で払いながら、人で溢れるパン屋を見つけた。結構な賑わいである。まだ昼を過ぎたばかりだが、そんなに人気があるのだろうか。
「すごい人ですね。パン、残っているでしょうか」
心配そうに聞いてくるエラに視線を移し、大丈夫よ、と遠目で中を眺めてみた。店は思いの外広い作りになっており、その場で食べられるようテーブルまで備えられている。
まあ、とりあえず中に入らないと始まらないので、ぐいぐいと押されながらも店に突っ込んでいく。
……と、思ったら。
「きゃあっ」
後ろで、聞き覚えのある声がした。背伸びをしてそちらを向けば、エラがその場に尻餅をついている。
アナスタシアは逆戻りすると、エラに近寄って身体を支えた。
「どうしたの、びしょ濡れじゃない」
エラの横にはバケツが落ちている。どうやらこれに水を汲んで、ついでに家に持ち帰ろうとしていたようだ。
……よくもまあ、広場のど真ん中でやるなあとは思ったが。
「あーあ、せっかくコーディネイトしてあげたのに。仕方ないわね、パンはまた今度にしましょう」
エラの身体を持ち上げ、帰り道へと足を踏み出した。
その時である。
「おい、ちょっと待て」
ふと、背後からまだ年若い少年の声がした。
何事かと、そちらへ目を向けると。
――そこには、見知らぬ美しい少年が、こちらをねめつけて仁王立ちしていたのである。