5 襲う悪夢と記憶
「とても激しい歓迎だったわね」
控室からの帰り道、アナスタシアは隣で疲れた顔をするエレノアに向かって呟くように言う。
先ほど手厚い歓迎を受けたばかりのアナスタシアには、王宮ってこんなもんなんだあということしか考えられなかったが、エレノアにはそれ以上の疲労が重なったことだろう。
ただでさえ、王宮に来て間もないアナスタシアの世話や案内で苦労しているだろうに、あんな、その場にいるだけで疲れる場所にいたのだから、無理もない。アナスタシアは密かに同情した。
「申し訳ありません。病み上がりですのにあんな子どもの騒ぎに巻き込んでしまって」
「ううん、別に構わないよ。おかげでわたしも素の自分になれた気がするし」
王宮だからということで多少口調に気をつけていたが、あの可愛らしい子どもたちの様子を見ていると、自分もいつもどおりでいいんだと思った。無理に気を遣わなくてもよいのだと。
「それにしても驚いた。あんなかわいい子どもたちがここにいたなんて。これで楽しみが増えるわね!」
「そうでしょうか? ただの迷惑だと、わたしは思いますけど」
もしかしたらエレノアは、彼らの世話係でも任されているのかもしれない。だからあんなに親しげに会話できるのだ。
羨ましいと、アナスタシアは思う。
実家は街から数十分かかるところにあって、人と関わるなんて滅多になかった自分にとっては、そうやって誰かの世話係を任されることなんて、どちらかと言えばむしろ、羨ましいことなのである。
特に眉目秀麗な年下男子となると、余計に。
「姫様は大丈夫なんですか? ああいう騒々しい集団は」
「かわいくって、わたしはいいと思うよ。年下の男の子は大好きなの!」
こういう人間を、現世で『ショタコン』と呼ぶのだということに、アナスタシアがその時気づかなかったのは、いうまでもない。
***
『わ。今日は来たんだね、……さん』
『不登校だったのにね。てか、あーゆー顔してたんだ』
『入学式から一度も来てなかったんでしょ? やばくない、それ』
『ね、見ろあれ。……って、オタクだったんだな。意外』
『あれ、今流行ってるゲームのやつでしょ? ああいうの好きなのかな』
最近になると、夜、そういう夢をよく見る。
多分それは前世の夢で、その言葉遣いからして、現代ではない。
「なんで、また、あんな夢……」
そのせいで、今日も朝早くに目が覚めてしまった。
あの夢がもし、本当に前世のものなら、自分は、たぶん……。
「浮いてた、って、ことだよね……」
誰にも相手にされず、友達もおらず、ただ、一人で静かに生きる日々。
引きこもりの自分には、心を休める場所は自室しかなかったのだ。だから四六時中部屋でゲームを楽しんでいた。
それを、癒やしだった、と考えれば、引きこもりだなんて誤解を自分でもしなかっただろうに。
気持ち悪い。
目覚めの悪い朝、アナスタシアはそんな吐き気を感じた。
***
頭痛がする。
綺麗に晴れた晴天の日。外では小鳥が可愛らしい声で鳴いていたが、しかし、アナスタシアの心は沈んでいた。
「どこかお体の具合でも優れませんか?」
そう、自分のドレスを着付けながら、エレノアが言う。
うーん、と声を上げれば、頭が痛い、と一言。
「嫌な夢を見るの。何だかそれが自分じゃないみたいで、余計に気持ち悪い」
「それって、いわゆる悪夢じゃないですか。エリダヌスと同じですね」
エリダヌス? と問えば、ウェタ・ウィリアのです、と返ってくる。
ウェタ・ウィリア。通称「白薔薇の竜騎士」。
十三歳以上の異能力者を集めた、謎の騎士団。詳しくは教えられていないが、それは自国が本当の危機に陥った時に、正式に始動するとかしないとか。
そのウェタ・ウィリアの団員というと、あの、エリダヌスのことだろうか。
金髪碧眼の美少年。気にくわないある人もそういう見目をしていた気もするが、それとはまた違う雰囲気の持ち主。
率直に綺麗な少年である。
「エリダヌスも、悪夢を見るの?」
意外だ。言っちゃいけない気もするが、正直何の悩みもないように見えたからだ。いつも大人しくて笑っている、そんなイメージしかなかった。
「ま、一応あれでも団長さんですからね。仲間に心配をかけたくないんでしょう」
団長だったのか。
「気の毒な子です。幼い頃の記憶は何一つなくて、自身、その頃の話はあまりしたくないと」
そんな深いわけがあったことを、アナスタシアは何も知らなかった。それなのに年下男子に興奮して気安く接していたのか。
地味に思い悩むアナスタシアを見、エレノアが慌てた様子で手を振る。
「あ、だからといってあの子に同情で優しくしようとか、そういうのはなしですよ? あの子はああ見えて寂しがり屋なので、姫様に会えてとても喜んでいました」
「わたしに?」
「はい。あとで姫様について聞いてみたら『綺麗で優しそうな人だった』って」
迷いのない真っ直ぐな瞳で告げるエレノアに、アナスタシアはにっこりと屈託のない笑みを浮かべた。
自分のことをそういうふうに見てくれて、素直に嬉しい。
「やっぱり、かわいい子ね」
その二度目の笑顔に、エレノアはなんとも言えない表情をした。
いや、何というか。
まるで、何かに対して怒りを露わにしているような……。
「よかったです。エリダヌスのこと、そこまで気に入って頂けて」
「え……?」
なぜか、不快だった。
アナスタシアが、自分以外に興味を示すことが。
「じゃあ、伝えておきますね。姫様も、エリダヌスが大好きだと」
「ええ。……よろしくね」
そうやって、再度、自分に向けて笑いかけてくれる。
しかし、あんな綺麗な笑顔を見たことって。
たぶん、一度も……。
「ねえ、ここって、花の綺麗な場所があるんでしょう? 場所が分からないから、案内してくれない?」
ギュッと、不意に手を握られる。エレノアはハッとしたような顔を向けると、そうですね、と言って手を離した。
その様子に疑問符を浮かべながらも、アナスタシアは支度してくるね、と言って衣装部屋へと駆け戻っていった。
――胸の奥が、少し、もやもやする。
そう感じたエレノアは、無意識に、服の裾をギュッと、布が張り裂けるくらいにきつく握っていた。
***
『あ、……さん。これ、旅行先のお土産なんだけど、食べる?』
『やだカナコ。あれって』
『しっ。いいから見てて。おもしろいことが起こるから』
やめて。
『ちょっと……さん、大丈夫!?』
『先生、先生呼んで!』
いやだ。
『胃腸炎ですね。なにか、よくないものでも食べましたか?』
『あー、なんかさっき、校庭に落ちてたドングリ食べてましたよ。相当お腹が減ってたんじゃないですかぁ?』
うそつき。
『ねえカナコ。さっきのお土産、なあに?』
『え、あれ? そんなん消費期限切れてる大福に決まってんじゃん。家にあってもったいないなあと思ったから、……さんにあげたの』
なんで?
『だって、うざいんだもん。……さん』
なんで。
『なんか、不登校とか言っちゃってるけど、それって自分に問題があるってことでしょ? あたし、そういう子嫌いだから。ていうか、なんか見てていらつくし。運動音痴なとことか一番無理。体育でチーム一緒になりたくない人ナンバーワンだね』
そんなこと、いわないで。
『なんでみんな、あの子とあんなふうに会話できるかなあ? すっげえわ』
……ばかにしないで。
『ていうか、クラスの役に立てないんなら、もう学校来なくていいよ。なんで今さらになって来るかな。あの子の顔知ってる人いたの? あたしはあの時初めて見たよ。普通に無理だった』
やめてよ。やめて。
『あーもうだめだ。……のこと考えただけで腹が立つわ』
だまれ…………!!
『え、ちょっ、……さん!? 何よ、聞いてたの? 盗み聞きは犯罪……ねえ、こないで。あっちいってよ。やめてよ、ねえ! きゃあああああっ』
しんで。
――そこで、前世の記憶は、途絶えている。
***
「アナスタシア!」
誰かの叫ぶ声が聞こえて、ハッと目を覚ました。
半身を起こせば、そこにはいけ好かないある人物の姿が……。
「ぎゃあああ!? あんた誰っ!」
咄嗟に名前が出てこなかった。ただ、嫌な奴だということだけ理解した。
「誰って……てか、身体は大丈夫なの?」
すっと腕が伸びてきて、アナスタシアはそれを必死でひっぱたく。
走ってきたのだろうか、彼はハアハアと息を切らしているように見える。アナスタシアはそれを怪訝に思いながらも、身体を彼から遠ざけるように後ろへ下がる。
「なぜあなたがここにいるの。呼んだ覚えはないけど」
「お前がうなされてたっていうから、走ってきた」
うなされてた? わたしが?
「ひどい汗だったぞ。悪夢でも見てたのか?」
悪夢。
「セレネから、アナスタシアは病気かもしれないと聞いた。時々気絶するとか、ぼうっとしているとか。他にもいろいろよくないことを」
セレネ……って、セレンディーネ様のことだよね。誤解だって言ったのに、しゃべっちゃったのか。
はは、と喉の奥から乾いた声が出る。
「もう、大丈夫なんだろうな?」
そう聞かれて、アナスタシアは小さく頷く。
まさかとは思うが、もしかして彼は、自分のために、わざわざ走ってまで駆けつけてきてくれたのか。
ただ取引だけでここにいる、ある意味偽の婚約者である自分のために?
「……迷惑なのよ」
「は?」
「かっ、勘違いしちゃうから! わたしが泣こうがわめこうが、あなたには関係ない。だからわざわざ走ってなんて来ないで」
心が、揺れるから。
ただの嫌な奴だと思っていたから。
「走ってくるに決まってるだろ。婚約者なんだからさ」
「そっ、そんな理由で? わたしはあんたを婚約者と認めてないんだから。は、早く帰って。今から寝るし」
ぼふっと、毛布を勢いよく被る。顔を見られないようにしながら、ギュッと裾を掴んで目をつぶる。
「まあ、そんな元気な様子なら、もう大丈夫だね。心配して損しちゃった」
心配。
「ま、いいや。また明日ね、おやすみ」
また明日。
おやすみ。
そんな言葉を投げかけられるのが、何だか、懐かしいような気がしてしまう。
ほんの一週間ほど前まで、あの家で、エラと、家族と、おやすみを言い合っていたはずなのに。
なんでだろう。
胸が苦しかった。知らないうちに、涙がぽろぽろ溢れ出た。
もう一度、おやすみと、そう言ってくれたら、この苦しい涙の意味が、分かる気がする。
「ねえ!」
布団から顔を出した時には、もう、部屋には誰もいなかった。
……どこかで、見た。
朝起きたら、いつもひとり。
どこへ行っても誰もいなくて、朝ご飯の匂いもしなくて。
誰も、おはようと、そう言ってくれなくて。
これは、一体誰の夢?
自分ではない、誰かの、
知らない誰かの
――現実。
「ああっ――……!」
再度、頭痛がアナスタシアを襲う。あまりの痛みに声も出ない。
……んで。
声が聞こえた。誰かの。
……やめて。
どこかで、聞いた――。
しんで! やめて! だまれ……!
「いやああああああああッ!!」
消えたい。
死にたい。
そういう感情があったのは、今の自分ではない。
他の。
他の誰かの感情だ。
じゃあ、誰の?
一体、誰の……。
『……さんなんて、だいきらい』
……さん。
って、もしかして。
そう考えたら、次第に、心は落ち着いた。
ああ、そうか。これは、その人の夢なんだ。
その人のことを、夢に出てきた少女は、こう呼んでいた。
タカナシさん……と。




