厄介事
門番さんに身分証たるネームプレートを提示し、通してもらう。
すでに日は傾いて来て、夕暮れ時だ。ゆっくり帰ってきたのでそれなりに時間がかかってしまった。
ギルドへ向かっていると、視界の隅に誰かが路地裏に連れ込まれるのが映った。
いつもなら、前の世界ならば巻き込まれたくもないので素通りしたのだが、その誰かが微妙に見覚えがある気がした。
このステータスだし、ヒーロー的なことがしたいだけかもしれないけれど。
ともあれ、気になったので路地裏を覗きに行ってみる。
ひょいと建物の陰から様子を窺うと、テレーゼがモニカを庇いながらいるのが見えた。
その向かいには、当然だが知らない男がいる。
これは助けた方が良さげか。良いよね。だってテレーゼが完全に怯えているし、モニカいるし、脅しているようにも見えるし。
とりあえず話聞いてみようか。
「そこなお兄さん、何しているので?」
「ああ!?」
おお、強面なお兄さんだ。
でも不思議、全然怖くない。ステータスのおかげかな。
俺はスマホを取り出して写真を撮ってみる。ステータス確認。
「うわ、お兄さんどっか怪我してない? HPが三桁切ってるよ、やばいよ」
「はぁ?」
「あ、その腕かな? そこのお嬢さんに噛まれでもしたかな? 悪いことは言わんから大人しく帰り?」
「何言ってんだテメエ」
穏便に収めるのは失敗のようだ。
「……んで、何してんのって」
「テメエにゃ関係ねえだろ」
「いやいや大アリなんだわこれが。俺今その子に厄介になっててね、手を出されると露頭に迷っちゃうんだわ」
「ああ、こいつ今お前に世話になってんのか」
「逆逆。俺がお世話になってる」
「おれはこいつのお得意様だよ」
なるほどロリコンか。
「ちょっと用があってこの街を出てたんだが、久しぶりに戻ってきたらちょうど見かけてよ。いつもはこいつから誘うのに、今日はなかったんだわ」
「ふむ。それの何がおかしいって?」
「金払ってやるって言ってんのに頷かねえ上に、こいつ妹までいるじゃねえか」
話はよくわからんが、ちょっとヤりたくなったからテレーゼを連れて行こうとしたけど断られて?
妹がいたから一緒に楽しもうと思ったら断固拒否されて?
それで苛立って力づくで連れ込もうとしたってことか。
ふーむ。
これは手を出してもいいのだろうか。
テレーゼは生きるためとはいえ体を売ってお金を稼いでいるわけで、そのお得意様をダメにしてしまってもいいのだろうか。
俺はまだまだ冷静でいられているのってなんでだろうか。バカを前にしているからか、それとも元から冷酷な人間だからか。
おそらく後者かな。
「んー、と……あー、じゃあお兄さん。今その子を買っているのは俺だ。俺はまだその子を買っているわけで、所有権というかその子の権利はまだ俺にあるわけだ。だから、ここは退いちゃくれないか?」
「はぁ? どうしてそんなことしなくちゃならねえ」
「……金払って買ったものを勝手にどうこうすんな、っつってんだよクソボケ」
「……あ? 何、あんた。おれとやろうっての?」
そいつは標的を俺へと替え、こちらに体を向ける。
「言っとくけど、おれ強いよ? 何せ『ブルーサファイア』の一員だからな」
「犬っころが吠えてんなよ。達者なのはその口だけか?」
「……ぶち殺す!!」
額に青筋を浮かべて、腰につけていたナイフを振り抜いて向かってくる。
ナイフを顔面目がけて突き刺してくる。が、俺はそれを手で受け止める。
刃は目の前で止まるが、別に怖くもない。おそらくこの世界での死は、HPが0になったときだ。一突きで0になるとは考えにくい。
ナイフを受け止められ、慌てて離れようとするも、がっしりと握って離さない。
「どうしたお兄さん。ぶち殺すんじゃあないのかい?」
「なっ、くそ……離せ!」
「それで離す馬鹿がどこにいる」
手にゆっくりと力を込めていく。
痛みに耐えきれなくなったのか、まだ半分も力を込めていないのに膝を折って呻き始めた。
ナイフは手からこぼれ、痛む手をさすっている。
「て、テメエ何者――その刺青……!?」
「所属ギルドを言いふらす気はないんだが……それが強さの証明になるってんなら残念だったな。喧嘩売る相手は考えような?」
「ぐ、くそッ!」
そいつは負け惜しみの一言も言えずに逃げ去って行った。
その後ろ姿を眺めながら嘆息する。
ようやく落ち着いた。俺はテレーゼの方を見る。
彼女はモニカを抱きしめて小さく震えていた。
「……テレーゼ、大丈夫か?」
「…………すみません、お手を煩わせてしまって」
「これくらいなんでもないよ。それよりも――」
「でも、もう……関わらないでください。お願いです、お願いします……」
それは、その言葉は。
……やはり、そういう意味か。
彼女をこんな目に遭わせたのは、俺のせいか。
俺が、無駄に大金を彼女に与えてしまったせいか。
彼女はきっと、初めての大金でモニカと一緒に遊びに行こうとしたのだろう。普段ならそんなことは考えない。その日を生きるお金もないのだから。
妹を連れ出し、運悪くお客、それも奴の言う通りならお得意様と会ってしまった。
自分よりも大切な妹の存在が、ばれてしまった。
家はわからないかもしれないが、次からは買ってくれなくなるかもしれない。
失敗した。
一人の少女の、精一杯の努力を無駄にしてしまった。
何が努力が報われる世界だ。そんなものただの幻想ではないか。
結局、努力が報われる世界でも、努力できる者とできない者に割れるんじゃないか。
ステータスに関係のない努力をしていたテレーゼは、結局報われていないじゃないか。
「ごめん。……さようなら」
「お兄ちゃん?」
「モニカも、またどこかで」
最後に、俺は二人の頭をくしゃくしゃ撫でる。
テレーゼは泣いているようだった。モニカは何が何だかわからないと言った表情を浮かべていた。
できるだけ笑顔で、笑みを張り付けて、俺は二人に別れを告げた。