一晩の宿
酒場を出た後、教えられた宿屋に向かっていた。
日はもうとっくに暮れてしまい、腹時計的には夜の12時を回っているのではないだろうか。ちなみにギルドを出たのは夜の9時前。
あんまり酒を飲むのもダメそうな気がしたので、団員たちよりも先に帰ることにした。だから俺以外はまだ飲んでいるはずだ。
特に酔っているわけでもないのだが、夜風が気持ちよく感じる。
しかし、一日にしていろいろとあったな。どこか知らん世界にいきなり放り出されて、壁に激突してぶっ倒れ、剣闘試合に出されて、ギルドに入団して。
明日も少しだけ楽しみになってきた。
しかし、俺は努力をしていないんだよなぁ。前世の努力だけで、この世界を無双している。
それは確かに俺の努力なのかもしれないが、この世界の人々にとってはもう神のような所業でもあるんだろうな。
神の子と、呼ばれるくらいだし。
夜の街を歩いていると、もう日付が変わるというのに幼い少女が立っていた。
……うん? 何やら見覚えのある姿だが。
彼女は町往く人に片っ端から何かを売ろうとしている。だが、全員相手にもせず無視して歩き去って行く。
少女は俺に気付くと、駆け寄ってきて花を差し出してくる。その花は随分と萎れてしまい見る影もないが、昼にみた花と同じだった。
「お花……いかがですか……?」
「500G?」
「……1000Gです」
おやまぁ。値上がりしちゃってるよ。それも仕方ないのか。
しかしなぁ……別にロリコンなわけでもないし、少女とあんなことやこんなことをするのははばかられるのだが。
かといってこの萎びた花を1000Gで買い取るのも馬鹿らしい……。
「そうだ、じゃあ寝床を紹介してくれたらその倍で買おう」
「ね、寝床……ですか?」
「うん。どこか知らないかい?」
「…………わ、わかりました。ついて、来てください」
そういうと少女は歩き出した。
少女は慣れた足取りで路地裏に入りこむと、酔ってしまいそうなほどにぐるぐると回りながら進んでいく。
やっとたどり着いたのは、人が住んでいるとは思えないほど粗末な小屋に着いた。
「すみません、このような場所しか知らず……」
「雨風凌げるだけ十分だろ」
「あの、一つだけお願いがあります。……どうか、妹には手を出さないでください。私なら何でもいたしますので」
「わかった。約束しよう」
「ありがとうございます」
少女はお礼を言うが、警戒を解いてはいない。
それも当然だろう。自分よりも大事な存在がいるのに、軽々しく人を上げたくはないはず。
警戒して当然。むしろ警戒しておけ。
少女は一呼吸おいてから小屋の扉を開け、中へと促してくれる。
「どうぞ」
「失礼します」
中も外見と違わずかなりボロい。家具も置かれてはいるが、どれも手作り感満載だ。
あー、こういうのをアットホームな感じって表現するのだろうか? 違うな。
ボロいもんはボロい。
「あーっ! お姉ちゃんお帰りー!」
小屋の奥から少女よりさらに幼い……幼女が駆け出てきた。この子が妹か。姉とそっくりだ。
昼は帽子をかぶり、先ほどは暗くてわからなかったが、少女と幼女にはイヌのような耳がついている。リチャードと同じような人種なのだろうか。
妹は姉に飛びつくが、姉は慌てて引き剥がす。
「モニカ、お姉ちゃんまだお仕事があるから、あっちで寝てて」
「やだ! お姉ちゃんと寝る!」
「我がまま言わないで、お願い」
そのまま二人は言い争いになってしまった。
俺の相手をするためには妹がいては困る姉と、一緒に寝るために遅くまで起きていた妹。
まぁ、どっちも譲れないわな。
「じゃあそのままでいいよ。相手はまた今度にでも頼むとする」
「で、ですがそれじゃ」
「ちゃんとお金は払う。代わりに話し相手になってよ。こっちに来てからずっと一人で、退屈してたんだ」
「そんなのでいいんですか……?」
「いいよ。というか、女の子がそう簡単に売るもんでもないでしょ。いくら今まで売って来たって言ったって、いらないって相手にまで売る必要はないだろう?」
「……それは、そうですが」
「じゃ、決まり。とりあえずベッドにでも座りながら話そう」
部屋の奥にはベッドが置かれている。二つあるが、一つは使われている様子はない。おそらくいつも二人で寝ているか、姉が使っていないかだろう。
俺は使われていない方のベッドに腰掛け、対面のベッドに来るよう促す。
「そちらの方が汚いです、代わってください」
「君はいいかもしれないけど、妹ちゃんじゃそうはいかないでしょ。いいから座りな。適当に話でも始めるよ」
「……すみません」
妹と一緒に対面に座った少女は、申し訳なさそうな表情をしている。
「そんな顔で客商売はできないでしょ。笑いな」
「で、ですが」
「お客様からの要望だよ? ちゃんと答えないと」
ちょっと無理強い過ぎるか。だがそれでも少女は不格好な笑みを浮かべる。
その横で妹が満面の笑みを向けてくる。
「笑顔は妹の方が上手だな」
「やったー!」
「よ、喜ばないで!」
確かに、こんな客商売で上手だと言われても嬉しくはないか。むしろ嫌になるだろう。
「んで、話しやすいように名乗っておこう。俺はシシド。昼間に『ライオンキングダム』の登録を終えてきたところ」
「『ライオンキングダム』って、あの……?」
「どれかわかんないけどギルドの」
「……もしかしてお昼は嘘吐いたんですか?」
「嘘は吐いていない。何せあの時は本当に無一文で、採用試験でようやく収入を得たくらいなんだから。とはいえ、嫌味を言えるくらいには落ち着いてきたかな」
「あっ――すみません!」
「謝らなくていいさ。できれば名前を聞きたいところだけど」
「私は、テレーゼと言います。妹はモニカ」
「モニカだよ! よろしくお兄ちゃん」
「うん、よろしく」
真夜中だってのにテンションの高い子だな。真夜中だからこそ高いのだろう。
しかしさすがに夜更かしし過ぎな気もするが。
「さて、では適当に話でもしていくとしようか。こう見えて、俺は話を作るのが上手いんだ。語りは下手かもしれないけど、聞いてくれ」
「そんなのでいいんですか?」
「ああ。頭の中を整理するには、何かを話していた方がやりやすい。楽しんでくれたら嬉しいよ」
そういって、俺は前の世界での昔話を始めた。