午前2時のツインテール
2002年。そこは、今ほどスマートではなかったIT黎明期の戦場だ。
私の現実は、灰色のオフィスビルと、終わりの見えないソースコード、そして何を書いたらいいか分からないドキュメントの中にあった。
新人ソフトウェアエンジニア。聞こえはいいが、実態は「IT土方」の末端だ。夜二十三時に終電へ滑り込み、重い足取りで帰宅する。翌朝、七時四十五分にはまた家を出て、満員電車に揺られなければならない。
食事はコンビニのパン。会話は上司への謝罪。
そんな私の摩耗しきった魂を繋ぎ止めていたのは、深夜の自室で起動する、もう一つの世界だった。
『FINAL FANTASY XI』
そこは、私が私でいられる場所。
初期装備の、少し地味な茶色のチュニックに身を包み、二つの高い結び目が愛らしく揺れる、ツインテールのタルタル。
私は、バストゥークの無機質な石畳の上に、白魔道士として立っていた。
「皆様、こんばんは。本日もよろしくお願い申し上げます」
画面の下に流れる、私の丁寧すぎる挨拶。
現実の仕事で染み付いた敬語は、仮想世界でも抜けることはなかった。周囲のプレイヤーが「うっす」「よろー」と砕けた言葉を交わす中、私の礼儀正しいチャットは、少しだけ異質で、けれどどこか安心感を与えていたようだ。
白魔道士は、当時、圧倒的な人気ジョブだった。
サーチ画面に名前があるだけで、見知らぬ誰かから熱烈な誘いが飛んでくる。
『ピコン!』
静かな部屋に響く、パーティ勧誘の通知音。
まだ操作もおぼつかない頃、私はその音に、まるで仕事の電話を受けた時のように背筋を伸ばした。
「お声がけいただき、誠にありがとうございます。ですが、私はパーティというものを一度も経験したことがない初心者です。それでもご迷惑でなければ、ぜひお願いしたく存じます」
正直に、丁寧に。それが私の処世術だった。
快く迎え入れてくれた人々に導かれ、私は最初の戦場、バルクルム砂漠へと向かった。
そこで私は、オンラインゲームというものの「残酷さ」と「温かさ」を同時に知ることになる。
仕事でのミスが許されないように、この世界でもまた、癒やし手の一秒の遅れが仲間の命を左右する。
深夜二時。
明日、いえ、数時間後には、また厳しい現実が始まる。
けれど、ツインテールのタルタルが放つ『ケアル』の光だけが、私の心を確かに癒やしていた。
これは、絶望的なデスマーチの合間に、ヴァナ・ディールという名の希望を駆け抜けた、あるエンジニアの記録である。




