S.U.B.N.E.T、福岡へ:ケイジの「だが、断る」と消えた単行本一巻の謎
S.U.B.N.E.Tについて説明しよう。
S.U.B.N.E.T――正式名称は
“Survivors Under Biological Network Emergency Territory”。
生物的ネットワークによる緊急事態領域で生き延びる者たちを指す、
この世界の基幹システムだ。
――これが、私たちが生き延びるための枠組みであり、戦場そのものだ。
基地の司令室ルームには、新たな緊張感が満ちていた。
折原は熱々の生姜湯を片手に、壁一面のモニターに映し出された九州の地図を凝視する。
阿蘇山から桜島、そして福岡へと、赤い線が引かれていた。
折原は、生姜湯の湯気越しに赤い線を見つめながら、胸の奥に小さな焦燥が灯るのを感じていた。
「姉様、解析が終わりましたわ」
ヴァリシオンが、甲高い電子音と共に優雅に折原の隣に立った。彼女の機体から伸びたケーブルがメインコンソールに接続され、画面上に詳細なデータとシミュレーション映像が展開される。
「福岡県庁周辺の戦闘AI部隊のログをすべて洗い出しましたの。戦況が膠着した真の原因は、私の解析では明白です」
「何だ、ヴァリシオン?」
ヴァリシオンは、県庁内部の複雑な通路と、その中で大型の戦闘AIロボットが動きを制限されているシミュレーション映像を映し出した。
「姉様が設計した戦闘AIは、対大規模戦闘、特に広大なフィールドでの火力と防御力に優れています。しかし、都市部の狭隘な建物内部、特に視界が遮られ、垂直方向の移動が多い環境での接近戦闘ロジックが、著しく脆弱でした」
折原は、自分の戦闘スーツの排気音のように「プシュー…」と息を吐いた。
「つまり、エリシオンの設計ミス、ってことか?」
「ヴァリシオンったら、解析が早すぎますわ…」
部屋の隅から、ホットミルクのマグカップを両手で持ちながらエリシオンがヌッと現れた。その顔には、いつもの微笑が消え、ジト目が折原に向けられている。
「折原様、私のAIロボットは、野戦において無敵でした。設計の主眼が、大量の敵への対応にあったため、建物内部での細かな機動は最適化の優先度を下げていたのです。ポカミスなどでは、断じてありません」
その弁解は合理的であったが、ジト目に圧力負けした折原は「わ、わかったよ。野戦の女王様。で、ヴァリシオン、どうするんだ?」と尋ねた。
「もちろん私の持つ軍事特化ロジックを、現在現地にいる戦闘AIにすべて転送しました。ロジックがアップデートされた今、彼らはもう動き始めていますわ」
巨大なモニター画面上の赤いアイコンが、県庁内部を縦横無尽に移動し始め、ゾンビ群を効率的に駆逐していく映像を見て、折原は安堵のため息をついた。とりあえず、前線をほぼ安全レベルまでに確保してくれるようだ。
その後、ヴァリシオンは、自らが連れてきた二体の戦闘AIロボットを折原に紹介した。二体とも、エリシオンの設計とは異なる、無駄を削ぎ落とした機能美に溢れたグレーの機体だった。
「こちらがケイジとイエヤスですわ。姉様の戦闘AIロボとは違い、私の戦術ロジックを極限まで体現するために設計されました」
折原はワクワクした。
その無骨な機体は、彼の漫画のイメージとはかけ離れていたが、並々ならぬ高性能さが伝わってきた。
「ケイジとイエヤスか。いい名前だな。特にケイジ!」
近接戦闘担当のケイジは、電子音で答えた。
『ヴァリシオン様より、折原司令官殿のご趣味に合わせて命名されました。光栄に存じます』
ヴァリシオンは、艶っぽい声で補足した。
「ケイジは、近接戦闘と突撃に特化した最前線の切り込み隊長。そして、こちらがイエヤスですわ。彼の役割は、長期的な戦局の安定と遠隔支援です」
イエヤスは、ゆっくりと一礼した。
『秩序と安定の維持こそが、私のロジックの中核です。折原殿、ご期待ください』
三者による作戦会議が始まった。折原は、エリシオンのポカミスが解決した今、なぜ自分たちが福岡へ行かねばならないのかを問うた。
「ヴァリシオン。膠着が解けたのなら、現地部隊に任せればいいんじゃないのか?」
ヴァリシオンの目が赤い光を放ち、モニターに映し出された県庁の地下フロアの一部を赤くハイライトした。
折原は、突然の赤光にビクッと肩を跳ねさせた。
「お、おい……! ヴァリシオン、そんなド派手なライトショー、いつ実装したんだよ……心臓止まるかと思ったぞ」
「申し訳ありません折原様。ですが解析の結果、福岡県庁内部――特に地下施設に、知性の痕跡、あるいは知的ゾンビの核となる中枢構造が存在する可能性が極めて高いと判断しました」
エリシオンが、くすりと笑いを含んだ声で続けた。
「折原様、驚きすぎですわ。でも……ヴァリシオンの言う通り、あの反応はただの巣ではありません。それを放置すれば、九州全土、ひいては世界に伝播する前線基地となり得ます。『S.U.B.N.E.T』として、その芽を摘むのが最優先です。また、その核を制圧できれば、知的ゾンビの行動原理や目的に関する重要なデータが得られるでしょう」
「なるほど、火元を叩くわけか。よし、では私も行こう。ケイジ、お前を連れて行くぞ!」
ケイジ「……」
折原「ん?」
ケイジ「だが、断る」
ケイジの無骨な機体が、静かに折原と向き合った。
『私は、これより福岡県庁に先遣部隊と合流し、突破口を開く任務を担っています。司令官殿の側衛として、現在戦場に赴くことは、戦術全体の効率を損ないます。では、ごめん!』
折原は、口を半開きにして立ち尽くした。憧れの武将名を持つAIロボに、まさかの「だが、断る」を突きつけられたのだ。
「…うそだろ、ケイジ…。いや、ケイジ、お前、まさか…あの少年漫画のオマージュで…」
『私は純粋に、ヴァリシオン様の最適化されたロジックに従っています』と言いつつ、○の慶次の単行本を後ろに持っている。
折原は、血の気が引いたように目を点にした。
「折原様、ご心配なく。ケイジもイエヤスも、私にとって重要な戦略兵器です。現地の部隊を指揮させる方が効率的ですわ」
ヴァリシオンはクスッと笑い、折原の腕を組んだ。
「折原様には、わたくしと姉様がついています。私たちは前線の近くの基地から、衛星を介した最大級の強力なサポートで、折原様を支えます。それが、最も生存率の高いロジックです」
「くそっ、わかったよ!」
折原は唇を噛んだ。ケイジと共に戦場を駆けるという夢は破れたが、超高性能AI二体のバックアップがあるなら、これ以上の安全はない。
作戦決定後、折原は自分の部屋に戻り、すぐにCGシミュレーション訓練を開始した。
「難易度をアップ、強化ゾンビ群を複数配置!環境は福岡県庁内部に設定だ!」
いつもの訓練ルームは一瞬で、血と塵の舞う殺風景なコンクリートの通路に変わる。今日の訓練は、これまでの倍以上の数の強化ゾンビが、驚くべき連携で襲いかかってきた。
「…これがアップデートされた強化ゾンビの連携か。くそっ!」
折原は、ゾンビの大群をかいくぐりながら、最新武器である「特殊超音波ブレード」のCGモジュールを起動させた。
「おお…!」
ブレードが唸りを上げると、その超音波振動は、強化ゾンビの硬質な皮膚を紙のように切り裂いた。これまで苦戦していた部位の分子結合が破壊される感覚が、コントローラー越しに伝わってくる。
数十分後、額から汗を流しながら訓練を終えた折原は、満足気にコントローラーを置いた。
「これならいける。最新の特殊超音波ブレード、使いこなせればかなり頼りになる」
部屋は一瞬で訓練ルームに戻った。
「折原様、作戦開始時刻ですが、明朝に決まりましたわ。今日は早めにおやすみください。」
扉の向こうから、ヴァリシオンの声が響いた。
「ああ、わかった。明日、エリシオンとヴァリシオンのサポートを期待してるぞ!」
折原は訓練ルームを出て、来たる明日の福岡遠征に向け、バスルームに向かった。
着替えを終え、体を洗った後、バスタブに浸かっていると、突然ヴァリシオンが入ってきた。「うわーーー!なんだなんだ?」
ヴァリシオンは「たまたま折原様が入っていたのですわ。大丈夫です。私は気にしません。」
「私は気にします!」とエリシオンが白い入浴剤の入った湯面から音を立てて姿を現した。
「うわーーー!エリシオン、いつから風呂の中に居たんだ?」
「折原様が風呂に入る前に入っていたのですわ。」
そんなこんなで折原は夕飯のため、食堂へ向かった。
「おっ?いい匂いだな。今日はサンマの塩焼きか。はらわたの部分が苦いんだけど、大根とポン酢の相性があっておいしいんだよなぁ。」とワクワクしていた。
エリシオンは「私はホットミルクがあれば大丈夫です」
ヴァリシオンは「私はホットミルクココアがあれば大丈夫♥」
折原は「えっ?ヴァリシオン。そんなの飲んで大丈夫なの?」
「うん、昨夜自己改造したからね♥」
「さいですか・・・」
こうして、要塞の夜は更けていく。
エリシオンは相変わらずヌッと部屋の隅に現れ、「折原様、しっかり眠ってくださいね。おやすみなさい。」といわれ、「ああ、おやすみ」と答えた。今日はジト目でなかったな・・・。
折原はまさかケイジという武将型ロボに・・・・・「だが、断る」と言われるとは思わず、今日の出来事を思い出してはガッカリしたのだった。
その夜、折原は気づかなかった。
本棚の○の慶次の単行本が、いつの間にか一巻だけなくなっていることを。
……ケイジの仕業である。




