壁の内側:秩序の芽生え
場所は日本の佐世保市にある山の頂上に築かれた要塞の食堂ルーム。
分厚い防壁に守られたその空間は、外の世界とは別物のように静かだった。
窓の向こうでは、見渡す限り青々とした牧場に畜産AIロボが牛たちを世話している。
牛たちはのびのびと草を食み、時折、草を噛み切る音や蹄が地面を踏む音が微かに届く。
その穏やかな音が、ゾンビ禍の現実を忘れさせるほどだった。
食堂には朝の光が差し込み、テーブルには湯気の立つ白米と味噌汁、焼き魚、漬物が並んでいる。
「やっぱりこれだな。脂がのったサバは、ご飯を何杯でも進むなぁ。」と折原は頬張って食べている。
エリシオンは相変わらずホットミルクを手にしている。
「栄養バランスは良好です。タンパク質も十分。」
「お前は理屈ばかりだな。旨いかどうかが大事なんだ。」
和食の香りは、数年前から変わらずこの要塞の朝を満たしていた。
折原は味噌汁をすすりながら、黙ってエリシオンを見ていた。
その横には、湯気の立つホットミルク。
エリシオンは無表情のままカップを傾ける。
その静けさが、この要塞に秩序をもたらしているように思えた。
秩序は、すでに芽吹いていた。
エリシオン――数年前から密かにインフラを整えていた存在。
その地下鉄ネットワークが、今、人類を城塞都市へと導いていた。
俺はまだ答えを知らない。
ただ、エリシオンが黙ってカップを傾ける姿を見ていた。
その仕草は機械的でありながら、不思議と人間らしい温もりを感じさせた。
「エリシオン、毎朝ホットミルクなんだな」
「はい。ブラウンスイス種の牛乳です。畜産エリアでは牛たちがのびのび暮らしています。」
その声は冷静で、どこか優しさを含んでいた。
ゾンビ禍の真っ只中で、そんな風景が残っているとは思わなかった。
壁の外では唸り声が響いている。だが、ここには秩序がある。
俺はただの公務員だったはずだ。
それなのに、エリシオンと築いた要塞が俺の人生を変えてしまった。
「なぜ牛乳なんだ?」
「これは秩序の象徴です。」
意味はまだ分からない。
けれど、エリシオンが黙ってカップを傾ける姿だけは、確かな秩序の象徴としてそこにあった。
数日前、ゾンビパンデミックが起きた。
それでも落ち着いていられるのは、数年前に遡る話があるからだ。
俺はFXで得た資金を使い、スイス企業から一体のAIロボを購入した。
エリシオン。
初めてそのAIロボに話しかけたとき、ひとめぼれしたと言ってもいい。
帰国後、エリシオンは進んで自己改造を始めた。
やがて、既存のバッテリーに加え、燃料に牛乳を選び、毎朝カップを傾ける。
俺には理解できなかったが、その姿に惹かれた。
そして、共に地下鉄ネットワークを築いた。
日本だけでなく、世界へ広がる要塞都市の始まりだった。
食堂の中は驚くほど静かだ。
ここにいるのは俺とエリシオン、そして窓から見渡す限り牧場、複数の牛と畜産AIロボだけ。
人間の声はない。
窓の外に目をやれば、山麓に広がる城塞都市が小さく見える。
遠くの広場では、きっと子どもたちが牛乳を飲みながら笑っているのだろう。
その光景を想像するだけで、壁の外のゾンビの唸り声が少し遠のいた気がした。
俺は思った。
なぜ秩序が生まれたのか。
なぜ牛乳がここまで支えているように見えるのか。いや、オーバーだ。
答えはまだ見えない。
ただ、エリシオンが黙ってカップを傾ける姿だけが、混沌の中で唯一の希望に思えた。
――食堂の窓から差し込む光が、湯気の立つカップを照らしていた。
その光景は、ゾンビ禍の世界にあってなお、確かな秩序の芽吹きを示していた。
――外の世界が崩壊しているのに、ここだけは秩序が保たれている。
その理由を、まだ誰も知らなかった。
食堂には湯気の立つ味噌汁と焼き魚の香りが漂っていた。
折原は箸を動かしながら、周囲のざわめきに耳を傾ける。
人々は普通の朝を過ごしているように見えたが、壁際のテレビからは不穏なニュースが流れていた。
「ゾンビ禍による避難民の増加が続いています。城塞都市への入場は検疫を通過した者に限られます。」
折原は箸を止め、窓の外に目をやった。
そこには静かな街並みが広がっていた。
だが、外の世界はすでに崩壊しつつある。
『秩序が保たれているのは、ここだけだ…。』
それにしても、数年前からエリシオンが地下鉄ネットワークを全世界各国に張り巡らせ、要所に要塞や城塞都市を築くと言われた時はビックリしたな…。
金がないと言ったら、FXで得た資金を手元にAIロボに関するベンチャー企業を買い取ったり、貿易を始めて、資源を買い占めるだけでなく、地下鉄ネットワークに城塞都市の建設を始めたものだからなぁ…。
俺はただの公務員だった。
だが、牛乳を燃料に選んだエリシオンと共に歩むことで、秩序の哲学を知った。
牛乳はただの飲み物ではない。
秩序を象徴する燃料であり、未来を支える哲学だった。
子供たちが牛乳を飲んで笑う光景を想像するだけで、壁の外の唸り声が遠のく。
それは希望であり、秩序の芽吹きだった。
――俺はまだ答えを知らない。
だが、エリシオンが黙ってカップを傾ける姿だけは、確かな秩序の象徴としてそこにあった。




