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その夜、カズコは古びたアパートのキッチンに戻り、エプロンを締め直した。ガスコンロに火をつけ、大樹の好きなビーフシチューをコトコト煮込む。鍋から立ち上る湯気が、台所の蛍光灯にぼんやり映る。
カズコは小さなメモ帳を取り出し、鉛筆でゆっくり書き始めた。彼女の手は、長年の家事で少し荒れている。
「大樹、今日、社長室でえらい剣幕やったな。あの子、お父さんそっくりで、ストレス溜め込むタイプや。昔、お父さんが会社で失敗して、夜中に私に当たり散らしたこと、思い出してしまったわ。あの時も、こうやってシチュー作って、なんとか家族を繋ぎ止めたかったんや。
大樹は立派な社長さんやけど、部下にあたるのはお父さんと同じや。家族以外にストレスぶつけたら、大事なもん壊してしまうで。今日、ちゃんと話せてよかった。あの子、涙ぐんで『約束する』って言ってくれた。あの目、嘘やなかった。シチュー食べて、ちょっとでも心が温まってくれたらええな。
お母さん、いつまで大樹を見守れるかわからんけど、せめてシチュー作れるうちは、家族でいよう。心配性やけど、大樹のこと、信じてるで。」
カズコはメモを閉じ、鍋をかき混ぜる。シチューの香りが部屋に広がり、彼女の顔に小さな笑みが浮かぶ。大樹が帰ってくるのを、静かに待つ。