第6話 納得販売業
「……というわけです。国の陰謀に巻き込まれてはいけません! 家族や友人も国の言う事を信じ切ってしまっています! これはとても危ない事です!
私もいわれなき誹謗中傷を受けていますが、それも真実を知っている人間というのは施政者からしたら邪魔ものだからなんです! 皆さんは薬や放射線治療に頼らずに免疫力を高めましょう!」
厚皮が日曜日の昼間、100名以上収容できる会議スペースで行っていた講演を終えると、会場からは「割れんばかりの拍手」が響いた。
「ありがとうございます厚皮さん。医者の言う事は信じられませんがあなたの言う事だけは信じられます」
厚皮は握手を求め、感謝感激の言葉を伝えに来る講演の聴衆者、中には「よくぞ私の言いたいことを言ってくれた!」と感激し涙すら浮かべる人を見て、笑っていた。
いや、正確に言えば顔は笑っていたが、心の中では「ほくそ笑んで」いた。
会場内で売られている「高濃度酸素水」が、補充したそばから売れていく光景を見ている時は、特に。
「炭酸水メーカー」を改造して作った、さながら「酸素水メーカー」と呼べるもので作った酸素水が厚皮の宣伝で「羽が生えて飛ぶように」売れる。
しかも原価はタダ同然の水道水をカネを払って買ってくれるんだから、厚皮や酸素水を作ってる会社にとっては、それこそ「笑いが止まらない」事だろう。
まさに現代の錬金術……価値の無いただの水を価値のある酸素水に変えて、黄金ではなく金を無限に生み出せる「神秘の魔術」だった。
講演も大成功に終わり夕食はそれを祝って酸素水を作ってる会社の社長と会食だ。
社長はいわゆる「典型的な成金野郎」で上から下まで身の丈に合わない高級品で武装している、物欲を全身からギラつかせている男だ。
2人は都内にある高級洋食店の個室の席にドカッと音を立てて座った。
「講演の成功を祝って、乾杯!」
2人はワイングラスを「カチーン」とぶつけて乾杯した。
「いやぁ~厚皮先生! ありがとうございます! おかげさまで酸素水の売り上げは今月も絶好調で、唸る程儲かってますよ!」
2人はカチャカチャと食器から、あるいはクチャクチャと口から音を立てながら食事を続けていた。
「そうか、そいつは良かった。酸素水が売れないとオレの収入も無くなってしまうからな」
「にしてもこの仕事、ボロ儲けの商売ですよねぇ。がん患者に酸素水を売るなんてこんな簡単に出来るとは思ってなかったですよ」
「人間、納得できないものは医者の言う事でも納得できないんだ。そこへ納得できる助言を売って、その対価としてお金を受け取っているに過ぎない。あがりが大きいけど真っ当な商売だよ」
「納得を売る商売、ですか。良い事言いますねぇ」
医者のような「人を救う仕事」というのは常に感謝されるわけではなく、時には患者から激しい「憎悪」や「殺意」すら抱かれることもある。
人間というのは「正しい」事よりも「納得できる」事を優先するものである。その「納得できる」事が「医学的、科学的に間違っている」のなら、それを是正する真っ当な医者は「殺意」を抱かれてもおかしくない事だ。
だから本来医者という仕事は「納得できない患者から殺意をむき出しにされようが、正しい医療を提供する」ものなのだが、厚皮はその責務を放棄していた。
元々がん治療の方針などで医療に不信感を持っていた患者相手に「彼らが納得できる答え」を提供し、その対価としてお金をもらう。
最初から既存の医療を嫌っている人にとって、厚皮みたいな医者はまさに「こんな先生を待っていた!」と言えるくらいに待ち望んでいた医者であって、その辺のアイドル以上に熱中できるはずである。
厚皮は「これは詐欺ではない、納得を売る真っ当な仕事だ」と自分自身さえも騙していた。
「やっぱり医者としてのお墨付きの効果は絶大ですよねぇ。特にがんに罹ったってなると、みんな先生の言う事を信じてくれるのはチョロいですよねぇ。がんに罹るとみんな動揺しますし……」
「オレは10年以上も苦労して医者になったんだぞ? これくらいの見返りがないとやってられないよ。
普通の医者の言う事が信じられない。っていう人間を1万人集めて酸素水を仮に月1万円で売れば月収1億、年収12億だ。しかも元はただの水だから、とにかく経費がかからなくて上りがほぼそのまま残る。いい商売だと思うぞ」
「いい商売じゃなくて『ボロい』商売じゃないんですか?」
社長のニヤニヤした顔つきは止まらない。いやぁ、お金ってこんなにも簡単に稼げるものなんですね。っていう本心が、だらしなくニヤついた顔に書いてあった。
「そうだったな。人生って奴は相手にいかに気前よく、そして気持ちよくババを引いてもらうか? のゲームみたいなもんさ。
にしても信者共はオレの事を『先生、先生』ってワラにもすがる思いで持ち上げてくれるから『傑作』だよなぁ。何回見ても面白くて笑えるよ」
2人の会話は弾んでいた。ボロ儲けして懐は潤いに潤っているから、特に。
がん患者にとってがんとは「死に至る恐るべき病魔」であり「非日常」に属する。だが厚皮や社長のような連中からしたらがんとは「飯のタネ」であり「日常」に属する。
患者にとってがんは「非日常」であるのに対し、厚皮にとってがんは「日常」である。
この「日常と非日常の非対称性」こそが民間療法が今でも信じられる大きな力となる。
完璧だ。彼らの帝国は完璧にして無敵……のはずだった。