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第5話 この人殺しめ!!

 その患者は最初は「肺炎」という形で運ばれてきた。70代の女性とはいえ、今は4月中旬。風邪の流行るシーズンでもないのにおかしい。

 それに加えて背中や首の周りのリンパ節の腫れを訴えていたのでもしやと思って調べてみたところ、大当たりだった。

 彼女はがん……それも多臓器転移が認められ、医者によっては「治療不可能」と(さじ)を投げるほど重症のものだった。


麗子(れいこ)さん! どうしてこんなになるまで放っておいたんですか!?」

「だって厚皮先生が抗がん剤や放射線治療は副作用があるし、手術も危険だって……」


 入院中の麗子さんが「厚皮」という名前を出したのを聞いてもしやと思い、僕は「がん治療は免疫力で決まる」という本を差し出した。




「厚皮先生ってこの人ですか?」

「ええ! そうですそうです! あの人の言う事は不思議とスーッと身体に染み渡るように入っていくんですよね。すごい先生ですよあの人は」

「!! 厚皮の奴!」


 やはりそうか! 僕は「宿敵に対する積年の怒り」と言えるものを抱く。声をひときわ荒げて思わず「厚皮の奴」と名指ししてしまう。


「先生! 厚皮先生の事を悪く言うつもりなんですか!?」

「アイツは『がんには高濃度酸素水が効く』とかいうデマをばらまいて患者を殺してるんですよ! 殺人鬼ですよアイツは!」


 どうやら患者の麗子さんはアイツを信じてるらしく、厚皮を「先生」呼ばわりだ。




江川(えがわ)先生、何かあるんですか?」


 僕の怒り具合に何があったのか? と不安になったのか、彼女の夫が声をかけてきた。


「麗子さんはここ1年ほど出回っている有名なデマ本を信じてたんですよ。僕の医師仲間にも患者が彼の言う事を真に受けて亡くなった。っていう黒い噂が流れてるんですよ。

 麗子さんがここまで悪くなったのはアイツのせいだと言って構いません」

「……!!」


 麗子がここ1年ほど水をよく飲んでたのはそのせいだったのか。彼はようやく悟ったが、あまりにも遅すぎた。


江川(えがわ)先生……麗子は、妻はこれからどうなるんですか?」

「あまり申し上げたくないのですが、麗子さんのがんは「多臓器転移」と言って既にがんが複数の臓器に転移している段階で、完治は不可能と言っていいでしょう。余命は1ヵ月から持って3ヵ月程度だと思ってください」

「そ、そんな……」


「絶望のどん底」を顔で表現したような表情で麗子さんの夫は崩れ落ちてしまった。




 僕は奥歯をギリリとかみしめていた。またデマ情報で末期がんの患者が生まれてしまった。厚皮の奴、ふざけやがって!!

 がんが進行して取り返しのつかないところまで行ってしまっている彼女に対しては、現代医療であっても出来ることは少ない。

 せいぜいが終末医療で苦痛を和らげながら最期を看取る位しかできない。

 今後死ぬまでベッドの上で過ごすだろうと思われてから2週間後……。




 毎日のように妻の見舞いに来ていた麗子の旦那さんが妻のいる病室に入ると……彼女の顔には布が掛けられていた。


「麗子さんは昨夜、お亡くなりになられました」

「そうですか……」


 あまりにも悲しすぎて脳が壊れないように回路をシャットダウンして悲しいと思う感情自体が消えているのか、彼のセリフは明らかに「他人事」のように思える内容だ。


 家族が亡くなったことを知って即座に号泣するのはマンガやドラマの中だけの話。大抵は彼のように「心にぼっかりと巨大な穴が開いた」ように「虚無」になるもの。

 余命宣告されて死期があらかじめ見えていたとしてもそうだ。身内の人間の死を目の前にして大声で泣き崩れる、なんてのは医療ドラマの演出だ。そうした方が視聴者にウケるからやってるだけだ。

 実際には「死」を受け止めたら崩壊してしまうので感情のブレーカーが強制的に落ちるものだ。




◇◇◇




 都内某所のタワーマンション。そこのエントランスから厚皮が出てきた、その直後。


「この人殺しめ!!」


 白髪の男が、厚皮めがけて石を投げつけた。

 厚皮に当たったが、石が小さかったのもあって幸い大したケガにはならなかった。騒ぎを聞きつけてエントランスにいた警備員が、次いで彼が呼んだ警察官が駆け付け、男は傷害罪でその場で逮捕された。


 白髪の男の表情には「殺意」があふれていた。幼い娘を目の前で強姦されたあげく殺された父親のような、

 あるいは通りすがりの第三者にペットの猫を蹴り飛ばされて内臓破裂で死ぬところを見せられたような、例え神が許そうが俺だけは決して許してはならぬ、という復讐鬼だった。




「妻は厚皮に殺されたようなものなんだ! アイツの本を真に受けたせいで妻は死んだんだ! 全部アイツのせいなんだ!」


 取調室で、彼は厚皮に対し渾身の憎悪を叩きつけていた。その口からは「妻は厚皮に殺された」という怒りがあふれ出ていた。

「妻の麗子を厚皮に殺された」と証言する男は怒鳴り声をあげつつ、血管が切れそうなほど顔を怒張させていた。

 結局、初犯だったのと厚皮が大したケガも負わなかったこともあって「起訴猶予」つまりは「不起訴」処分が下った。


 一方、厚皮は「被害者」であったがために「加害者」として罰則を科せられることは無かった。

 テレビもネットメディアも「取るに足らない話だ」とどこも記事にしなかった。

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