第1話 無念の最期
「先生……江川先生。何で私は手術を受けずに酸素水なんかに手を出してしまったんでしょう。先生あの時言ってましたよね? 初期のがんなので、すぐ手術すれば転移も無しに9割がた完治しますって。何であの時、先生の言葉を信じる事が出来なかったんでしょう。
何であの時、手術に失敗したら命の危険にさらされる。って本から言われて怯えてしまったんでしょう。何であの時、手術のお金の心配をしてしまったんでしょう。
先生……死にたくない。私はまだ死にたくないですよ。行きたかったお店に行って食べたかったものだって沢山あったのに……」
病院のベッドに伏している末期がん患者は目から大量の涙をボロボロと流しながら僕に訴えかけていた。水をがぶ飲みしたわけでもないのに何でこれだけの量が出るのか不思議なくらいに。その口から出てくる言葉は、後悔の念ばかり。
なぜ先生の、僕の言う事を素直に聞けなかったんだろう? なぜあの時、手術を受けるのをためらってしまったのだろう?
なぜ医者である僕の言う事を信じる事が出来ずに、高濃度酸素水という民間療法に手を出してしまったのだろう?
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」
「なぜ?」の嵐は止まらない。
もしも僕の言う事を素直に聞いて手術を受けていれば、今頃がんの影におびえず元気に生きていたかもしれないのに。
「まだ死にたくない。先生、助けてください。私は……私は! まだ『死にたくない』んです!!」
患者は必死に訴えるが、すでにがんが進行して全身に転移してしまっている「多臓器転移」状態となると根本的な治療は不可能で、薬で症状を緩和して延命させる位しかできない。
患者の口から後悔と共に吐き出される言葉は「たら」「れば」そして数えきれないほどの「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」……。
がんと診断されても手術や抗がん剤などの標準治療を受ければ完治できたはずなのに、最近流行ってる「高濃度酸素水」という民間療法に走ってしまって、
退職金、老後の貯金、それら全てを奪われたあげく高齢者だというのに借金までも背負ってしまい、その上でがんが進行して全身に転移して治療不可能な身体で戻ってくる。
そんな患者は1人や2人で収まる話ではない。もう1度言おう。そんな患者は「1人や2人で収まる話」ではない。
そして誰もが決まって「何であの時、民間療法なんかに走ってしまったのか?」を死が全てを別つその瞬間まで後悔しながら最期を迎える事になってしまう。
そんな人生の終わり方をした患者を僕は「何人も」見ていたが、そのたびに民間療法を勧める連中に対し血が出そうなほど拳を固く握りしめてしまう。
善良な市民のカネだけでなく命までも奪っておいて、なぜ平然としていられるのだ!? と。
その患者さんはそれから1週間後、末期がんの苦痛に苦しみながら息を引き取った。
73歳というと十分生きたと思われるが、僕としてはがんの手術を受けていれば80、もしかしたら90まで健康に生きれたかもしれない。
……何てことを。何てことを! 救えない命では無かったはず。それを!
患者が亡くなった日に、僕は自宅でとあるSNSのグループに書き込みをしていた。
>今日、僕の患者が末期がんで亡くなりました。73歳でしたけど昔、1度うちの病院で初期のがんだと診断されてたんですよね。
>あの時手術を受けていれば再発も無しに生き残れた可能性が高かったのに、高濃度酸素水に走ってしまってがんが進行して亡くなりました。
>本当に憎いです。正しい治療を受ければ十分生き残れたはずなのにその可能性を摘み取ってしまった「厚皮 大樹」が本当に憎いです。
僕が書き込んでいたSNSグループの名前は「厚皮 大樹被害者の会」200名を超えるメンバーがいた。