9 伝染病の村
○【ケモイチ村】
「ヒヒーン」ガラガラガラッ!
夜の帳が ❝ケモイチ村❞ を覆うころ、村の広場で、輓馬は嘶き、馬車の車輪は石畳をけたたましく叩く、不穏な物音が響きわたる。
馬車から転げて出て来たのは、❝トロールの丘❞ へ農作物を運搬している交易商のアンドレ・マドレーヌだった。
村人たちが不安げに集まる中、彼の姿は誰の目にも、いつもと違っているのがわかる。顔は青ざめ、服は血と泥にまみれ、息は荒々しく途切れがちだ。
アンドレ
「彼らが、ウォートロールに! 変わっ… た……」
そう言うとアンドレは気を失い、村人たちによって彼の妻が営む小さな宿屋へ運ばれたが、村人たちの間にざわめきが広がる。
❝トロールの丘❞ は、ケモイチ村と山一つをへだてるのみの平和な隣人だ。そこに住むトロールたちは、気は荒々しいが義理堅く、互いに特産物を取引するなど信頼を築いてきた。
だがアンドレの言葉は、その絆がとても危ういものになったことを示している。村長たちは酷なこととは知りながら、詳しい事情をアンドレ・マドレーヌから聴き出さねばならない。
娘 マノン・マドレーヌ
「お父さん、お父さん!」
妻 ロザリー・マドレーヌ
「アンドレ……」
妻と娘は部屋の角へと追いやられ、医師立ち会いのもと、アンドレへの聞き取りは行われる。
村長
「聞かせてくれ、一体なにがあったのか。」
アンドレ
「病気だ…… 伝染る病気が彼らを変えた―――― うっ、げほげほ……」
アンドレは咳き込み、胸を押さえた。
アンドレ
「トロールたちが狂った、殺し合ってる…… 丘は… 血の海だ!…… ううぅ」
村人 アラン
「もっと詳しく、伝染病が流行ってるのかッ! アンドレ! アンドレ!」
医師
「これ以上は〜」
医師の静止も振り切り、村人のアランが激しく彼に迫る。
アンドレ
「そうだ、伝染病だ…… 狂暴に… する……
トロールの家に泊まった… 知りあいの…… 風邪が流行ってると、言ってたんだ…… 他におかしな… ことは無かった――――
その… そのはずなのに、次の日には…… 血の、血の海に…… ううっうぅ… げほげほげほっ……」
マノン
「お父さん! お父さん! お父さん!!」
ロザリー
「アンドレ! アンドレーーーぇぇぇぇ……」
アランはアンドレの肩を支えようとしたが、彼は力尽き動かなくなり、娘のマノンと妻のロザリーは駆け寄るが、
父を呼び名を叫んでも、アンドレの目はすでに光を失い、医師によって彼の最期は見届けられた。
冷たい夜の空へ、娘と妻の悲しみの涙だけが溶けていく。
村人 アラン
「マノンちゃん、ロザリーすまない…… この通りだ。」
二人に頭を下げる村人のアランは、アンドレととても親しい友人だった、彼の目にも涙がにじむ。
村長
「申し訳なかった、ロザリーさん。だが、大変なことが起こった。皆を集めて、皆を広場へ集めて。」
娘と妻は、アンドレの亡骸へすがり着こうとした。
しかし、伝染病で修羅場と化した、トロールの丘より戻ったアンドレの遺体は、さらなる感染者を産むかも知れず、二人はすぐさま引き離され、彼らの宿屋は閉鎖されたのである。
村人たちは、
「アンドレの遺体は穴に埋めるか?」「いや、馬車と一緒に燃やさないと伝染病が危ないだろう……」
などと話し合い。
抱きしめる母の胸からマノンが顔を上げると、ケモイチ村の夜は、まるで死の予感に囚われたかのように静まり返っていた。
亡きアンドレ・マドレーヌの魂は村を未だ漂い、広場へ集まりだした村人たちの間に広がる不安と共に、冷たい煙霧となってまとわりつくようだ。
マノン・マドレーヌの胸に湧き上がるものは、悲しみだけではない。父が命を賭して伝えたこの警告を、絶対無駄にしない―――― そう強く心に刻む。
母ロザリーから離れ置き手紙を残し、マノンは涙をこらえて一人、村を後にした。
村人たち
「火をつけろ!」
声がこだまして、灯された炎はとりわけ高く行く手を照らし出し、振り向くまいと進む少女に、道はつづらに折れ、決意を挫く。
娘を見守る篝火は、頬を伝う湯玉へ映り込み流れて落ちた。