54 ザ・マミー
○【世界衛生ウイルス研究所の廃墟】
炎の跡に一陣の風が吹き、赤い光の粒子は空へと舞いゆらめいている。
それは―――― かつて『ルージュ・パルフェ《完璧な赤》』と呼ばれた、ベラ・マルグヴェン所長の、泡沫の残光のようだった。
ガラスと鉄とコンクリートの残骸が、降り出す雨を浴び、
焦げた金属と、焼けた土の匂いが漂っている。
地上は死んだ。
だが、地下はまだ生きていた。
染み込む雨水が崩れた天井から滴り落ち、
ベラ・マルグヴェンは目を覚ます。
ベラはその雨滴を手で探りながら、ゆっくり立ち上がった。
ベラ・マルグヴェン所長
「…… まだ、終わってはいない。」
彼女は血の足跡を踏み残し、
熔けた手すりの階段を下りる足音は重く、
厚い鉄扉を押し開ける声が鈍く響いた。
彼女の赤色の防護服は焼け焦げ、頬には血がにじむ。
そしてその瞳には、灰を帯びる赤い光がまだ宿っていた。
○【世界衛生ウイルス研究所の地下室】
地下へ、さらに地下へ。
誰も知らぬ研究所の最下層、真の封印区画―――― そこに、複数のカプセルが並んでいた。
ベラは1基の休眠カプセルの前で、立ち止まる。
蒼白い光の中で、透明なガラス越しに、
眠れる地下室に一匹の芋蟲が姿を現した。
〈対疫病災害適応型人為生命体〉
コードネーム :DAHUT
人類が決して進化の過程で持ち得なかった、免疫体系を付与し、
新種の疫病災害に対し『変異で対処する存在』として設計された少女。
近付くと、透き通る真っ白な皮膚はグルグル巻きの包帯であり、毛虫の毒棘と思われたモノは、艶やかな絹の糸が如き銀髪だと解る。
ベラ・マルグヴェンは震える指で、スイッチに手を伸ばした。
迷霧は漂い、液体窒素の冷気は床を這う。
薄暗く蒼白き光の中で、ゆっくりと脈打ち、
カプセルは開いて行く――――
明滅する青色の非常灯の中、
白く霞が立ち上がり、
ソレはすこしずつ瞼を動かし、
その唇に揺らめく微笑が描かれ、
少女であろうことが微かに判断できた。
少女
「…… あら、お母さま。思ったより早く、いらしたのね。」
声は甘く、そしてどこか毒を含んでいる。
ベラの表情が曇った。
ベラ・マルグヴェン所長
「ダユー… まだ眠っていなさいと言ったはず!……」
少女 ダユー
「ここまで堕ちても、赤は消えないのねぇ、」
ダユーは軽く首を傾げ、唇の口角をあげる。
少女 ダユー
「だって、夢の中でずっと聞こえていたの。塔が崩れる音、貴女の叫び声。
―――― ねぇ、お母さま。もう ❝ルージュ・パルフェ〈完璧な赤〉❞ は壊れたのでしょう?」
ベラは一歩、後退った。
ベラ・マルグヴェン所長
「…… あなたには、まだ早いのよ…」
その瞬間、ダユーの瞳が妖しく輝き、
頭から大きく湾曲した赤紫色の臭角が2本、美しく飛び出して伸びる。
鼻を突く匂いが漂い、ベラ・マルグヴェンはよろめき姿勢を保つのもやっとだ。
包帯の繭が割れ、白い手は舞い立ち、まるで蝶が止まるようにベラの頬へ触れた。
少女 ダユー
「いいえ、お母さま。もう、わたしが貴女の続きをする番です。」
指先が閃いて音もなく、ベラの胴体だけが崩れ落ちる。
ダユーの手に、その首だけを残して……
やさしく掲げられた母の顔に、微笑みかける少女。
少女 ダユー
「これだけで、良いの。」
そう言い、彼女はベラの首へ真っ赤な唇を運び、
赤光へ浮かぶ影が、
静かにそれを、呑み込んだ。
液体のように赤い光が彼女の喉を流れ、全身へ駆け巡り、
少女の2本の臭角は力強くドクンと脈動して、髪は優雅な真紅へ変化し煌めく光沢を放ち始める。
ベラ・マルグヴェンの、記憶、知識、能力――――
その総てが、ダユーの中で静かに再構築された。
ダユー
「さあ…… これで、お母さまと娘との境界が消えたは。
❝ルージュ・パルフェ❞ は、わたしの中で息づくの。」
ダユーは目を閉じ、額に指を当て、
そこから赤き光が放たれ、念波は遠く彼方へ飛んだ。
○【ケモイチ村】
夜に包まれたその地で、ペストマスクの魔術師の意識がもどり、
少女は唇を開く。
ダユー
「ゴンタセス、聞こえてるんでしょ? 起きなさい。」
闇の中で魔術師ゴンタセスの、暗く濁る瞳が光りを浮かばせた。
魔術師 ゴンタセス
「ベラさま… 呼ばれましたか、」
ダユー
「アナタは今、わたしのことを、誰だと行ったのかしら。」
魔術師 ゴンタセス
「あっ、貴女さまはァ?…… ダユーさまぁ!」
ダユー
「お仕置きが必要なようね、ゴンタセス。アレと一緒にするなんて。」
魔術師 ゴンタセス
「ありがとうございます! おぉ〜 我が姫よ!!」
魔術師は跪き、手にした魔鏡を握りしめ、浮かび出された少女の様相を畏れ崇める。
ダユーの声はさらに甘く、冷ややかに続き、ゴンタセスの頭の中で、激しく木霊した。
ダユー
「行きなさいゴンタセス、ケモイチ村を襲うの。そこに、わたしの姉妹がいるから。」
ゴンタセスの眼に、暗い靄がグルグルと荒々しく浮かぶ。
魔術師 ゴンタセス
「かしこまりました、我が姫…」
ダユーは闇の中で、顔をほころばし。
ダユー
「…… そう、あの村には、愛しても愛しても、愛し足りない、わたしの姉妹がいるのだから。」
少女の指先へ緋色の炎が灯る。
それは、再び世界を焼くための小さな種火だった。




