6時55分の嘘
4時30分、目を覚ました。
誰もいない廊下を歩きキッチンの方に向かう。
水を一杯飲み、静かに自室へ戻る。
静まった部屋でカバンの中に手紙とペンを入れる。
絵を描こうとスケッチブックも入れ、最後に薬とずっと貯めてきたお年玉を全て入れた。
まだ日は上らない。
いつも怒鳴り声と泣き声の絶えないリビングも今は静まり返っている。
「今日が来なければよかった」
そう思う反面、心の中には安堵があった。
手紙とメモを書き、日の出を眺めた。
6時55分アラームを止める。
今起きたかのように振る舞い朝食を食べる。
鮭の香ばしい匂いに包まれる。
箸でほぐし一口また一口と口に入れる。
今日の味噌汁は大根が入っている。
味はあまり分からなかったがきっと美味しいのだろう。
当たり前のように出来立ての朝食にありつける自分が恵まれているのはわかっている。
だから理解なんかされなくていいんだ。
朝の用意を整え、覚悟を決めた。
そっとテーブルの隅に手紙を置いた。
「行ってきます」
いつもは帰ってくる返事はなかった。
いつも通り7時30分発の電車に乗る。
学校はこの電車で40分ほどの所にあるが、今日は途中で下車する。
伊紙月駅の改札を通過し、トイレへと駆け込んだ。
制服から真っ白なワンピースへと素早く着替え、トイレを出る。
観光客に混じり新幹線に乗り換えた。
お年玉では片道分しか買えない乗車券をもって新幹線に乗車する。
少し混んだ車内で窓際から景色を眺めた。
私の最初で最後の一人旅だ。
隣には疲れていそうなサラリーマンが座っている。
パソコンのタイピング音が耳に響く。
学校、部活、友達、恋人、家族、その全てから私は逃げてしまった。
誰にも告げず逃げてしまった。
罪悪感が膨らみ呼吸が乱れる。
ちゃんと息を吸えない。
横のサラリーマンは少しこちらに目をやり優しく声をかけた。
「君、大丈夫?」
サラリーマンは心配そうにしている。
息を落ち着かせるようにして大丈夫です、と答えるとサラリーマンは何かを思いついたようにカバンを探る。
サラリーマンはのど飴を差し出す。
「本当は甘いものがあれば良かったんだけど」
のど飴を受け取り、感謝の言葉を伝えた。
サラリーマンは照れくさそうにしながらまたパソコンに目をやった。
まだ、名古屋だ。
まだ、引き返せる。
サラリーマンは名古屋で降りるようだ。
こちらに会釈をし電車を降りる。
ここで降りても、
また日常に戻ってもいいのかもしれない。
だが、足は動かなかった。
扉の閉まる音がする。
朝に、罪悪感も後悔もすべて飲み込む覚悟を決めたのだ。
どこまでも逃げよう。
遠い遠いところへ。
二時間ほど経ち品川駅で乗り換える。
大宮まで行き昼ごはんに鮭おにぎりを食べ、東北新幹線に乗り換えた。
家族に、友人に、恋人に、私が投げ捨て逃げた人達に向けて手紙を綴る。
記憶が蘇る。
自分のことを好きだと言ってくれる人に出会った。優しい人だった。こんな自分を好きでいてくれることに本当に感謝していた。
でも、彼の周りにはたくさんの友達がいた。
彼と一緒に話しただけで周りから冷やかされた。辛かった。ただ、そばにいるだけなのにそれを否定されてる気になった。
委員会でやりたいものとは別の物にさせられることもあった。理由は彼と同じ委員会にしようとする人達がいたから。
ここで気がついた。彼らは自分と彼の恋を応援していたわけではない。
彼らは私たちを冷やかし、遊び半分で見ていたのだ。
本当に救えない。
学校に行きたくない。
学校が嫌いになっていった。
部活もそうだ。
バレー部。
ボール拾いしか出来ない部活。
みんなが練習をしている間ずっと。
休んだら怒られる。部活に行けば役立たず。
いる意味のない4時間を耐えなくてはいけなかった。
退部届は出せなかった。
部員も友人も親も、退部するなと言ってくる。
消えたって誰も気が付かないようなこんな空間で自分がいらない存在であると見せつけられているように感じた。
あぁ、消えたい、
怒声の絶えないリビング。
皿の洗い方、土日の予定、ふとした発言
そのどれもが喧嘩の原因となる。
大好きな両親がお互いに憎み相手を傷つけあっている。
どんなに大音量で音楽を聴いても耳が拾う音声は両親の喧嘩だけ。
耐えられなかった。
家に帰るのが苦痛で仕方がなかった。
それでも2人は大切な家族で大好きな家族だ。
だから、、
だからこそ辛かった。
誰も自分という存在をみてくれない、
全員がいっぱいいっぱいだから。
あぁ、もし。
もし、大丈夫って言ってくれたなら。
もし、無理しないでねって言ってくれたら。
誰かに気づいて欲しかった。
そう思うのは誤りだとわかっている。自分から動かなければいけない。
それでも人を頼ることはできなかった。
人を信用できなかった。
長い間満たされた毒のせいで人を心の何処かで疑っているのだ。
それでも、
それでもわかってほしかったなぁ。
十分自己中心的だと理解しているが、気づいて心配して欲しかった。
自分のいる意味が分からなくなってしまった。
なにもわからなくなってしまった。
ある朝のことだ。
ふと感じた。
もう、いいや
生きる意味を見いだせなくなった。
誰からも見てもらえない、生きてても無駄だ。
誰も私を必要としない、私がいたらいけない。
苦しい
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。
この苦しみから逃げたい。
逃げたい、、死ねば、、
死ねば逃げられる。
生きたくなくて死んで消えてしまいたくて。
だから、もう。
もう、いいでしょ?
ねぇ?
もう逃げたっていいでしょ?
逃げて楽になって、、それで、、
自分が本当に消える前に自分で終わらせよう。
ごめんね。
自分が生きる意味よりも死ぬ願望を優先してしまう。どこから間違えたのかな。
どこならやり直せたのかな。
北海道に着いた。
時刻はもう20:00を過ぎるところだった。
春先だがここは少しまだ冷える。
カーディガンを羽織り体を温める。
最後に見たかった景色。
それを目指してここまでやってきた。
海の波音が聞こえる。
ようやく着いた。
暗いからか人気はない。
小さい頃一度だけ見た青く光り輝く海。
これだけは最後に見たかったんだ。
浜辺に手紙を置いた。
ここに来るまでに書いた数十枚の手紙。
海風で今にも飛んでいきそうな手紙を鞄で抑える。
満天の星空、月の明かりを受けて輝く海。
何処まででも続く水平線。
海へと吸い込まれるように足を進める。
あぁ、冷たい
体が凍えそうだ。
この前ずっとあの水平線まで行けたらいいのに。
月に呑み込まれるように空を仰ぐ。
持ってきた薬を飲み込む。
一錠また、一錠と飲み込む。
頭がクラクラしてくる。
気分がいい。
このままずっとーー水平線の向こうへ。
持ってきた薬の最後の一錠を震える手で飲み込んだ。
眠い。
睡魔が襲う。
波に身を任せ、眠りにつく。
月に、海に飲み込まれる。