第7話 女神に見惚れた夜
ある日、いつものように採取した素材をランセル商会に持ち込んだ。店内は相変わらず賑わっていて、木の棚には薬草や鉱石がびっしりと並び、カウンター奥では商人と職員たちが忙しなくやり取りをしている。
その賑わいの中にいてもマルセラは、ひときわ目を引く存在感がある。
いつもと変わらず綺麗……のはずなのに、今日は雰囲気が違って見える。
髪型? それとも表情?
「いらっしゃいませ、翼さん」
笑顔で出迎えてくれる声が、少しだけ控えめに感じる。
グランベリーと数種類の薬草を渡すと彼女は、丁寧にチェックして金貨を揃え始めた。
そして出された金貨を受け取る。今日は金貨三枚の売り上げだ。
スッと、マルセラがカウンターから出てきて、俺のすぐ近くに立った。
……なになになに!! どうしたんだ!?
「……翼さん」
マルセラが呼んだその声には、かすかな震えがあるような。それでも、どこか静かな決意が宿っているようにも感じる。
「……えっと、その……今度、よければディナーにでも行きませんか……?」
言い終えたあと、マルセラは一瞬で顔を真っ赤に染めた。まるでトマトみたいに色づいている。
え、なにこの可愛さ。反則じゃん。
しかもこの距離感。こんなん勘違いしない方が無理ってもんだろ……!
「もちろんです! 絶対行きたいです!!」
いやいや、待てよ。
これ冗談じゃないよな?
いや、マルセラは冗談を言うタイプじゃない。
え、じゃあ、ほんとに……?
一応、辺りを見回してみる。
もしかして柱の影からマルコスが飛び出してきて、「テッテレー! ドッキリ大成功~!」とか言いながら、プラカードでも持ってニヤけてんじゃないかって疑いが拭えない。
あいつならやりかねない。マジで。
っていうかマルセラさんを使って仕掛けてくるとか、冗談でも許さねぇからな……
でも、どこにもマルコスの姿は見当たらない。いるのはただ、トマトになってしまったマルセラだけ。
……あれ、もしかして
これ……本当に俺、デートに誘われた?
「えっと……急なお誘いで、ごめんなさい。あの……明日の夜とか……空いてないですか?」
「……全然、余裕で大丈夫です!」
思わず即答していた。声がうわずっていた気がするが、もうどうでもいい。
「ありがとうございます……楽しみにしてますね」
そう言って笑ったマルセラの顔は、照れくさそうで嬉しそうでもあった。
──マジか。俺、ほんとに誘われた……!
何度もそのやり取りを頭の中で再生してしまう。
いやいやいや、なにこれ……絶対デートだよな? これ、デートって呼んでいいやつだよな?
既に緊張してきた。
冷静になれ、俺。
──でも、嬉しい。むちゃくちゃ、嬉しい。
◇◆
ザリアナの通りを、心の中でスキップをしながら歩いていた。
最高に嬉しい。楽しくて仕方ない。
明日の為に服を買いに行かないとな。
さすがにいつもと同じ格好じゃ、色気が無さすぎる。こういう時は、いつもと違う特別感が欲しい。
そう、これは【ドキドキ大作戦】今から本番前の準備をしなくては。
そんなわけで、ザリアナの服屋っぽい建物に入ってみた。
看板には【モニカ】という店名が描かれていて、どこか温かみのある雰囲気を醸している。ん? モニカって、マルセラさんの名前だったよな……
店内に足を踏み入れると、ふわりと布の香りが鼻をかすめた。壁際にはカラフルなシャツやチュニック、ローブ系の衣装がずらりと並び、中央には装飾品やマント、ブーツなんかも置かれている。どれも一品モノっぽくて、手作り感がやたらとある。
どれにしようか迷いながら、服を手に取っていると、何やら視線を感じる。振り返ってみるとメイド服の姿をした女性が立っていて、こっちをじっと見ていた。
いや、見てるというか……凝視してる。
しかも視線が俺の左腕。
じゃなくて、無くなった左側をまっすぐ見つめている、ちょっとだけ息が詰まる。
そして、彼女が言った。
「あなた、翼君でしょ?」
……こわ。なんで名前知ってるんだよ。
店の空気が、一気に別の温度に変わった気がした。
「……はい、そうですけど?」
「やっぱりね。最近、片腕の男がランセル家に入ったって噂を聞いてたのよ。で、何してるの?」
いやいや、ここ服屋だよ?
見て分かるでしょ?
「……普通に服、買いに来ただけですよ」
「もしかして、デート用の服でしょ?」
「えっ!?なんでバレ……いや、なんでもないです」
やべぇ。完全に動揺が声に出てしまった。
「ふふ、表情がね。なんかニヤニヤしてたから」
えっ、ニヤニヤしてたの俺? うわ、なにそれ、めっちゃキモいじゃん……
そして、気づけばそのまま雑談が始まっていて普通に盛り上がってしまった。
「で、その人とは、どうなの?良い感じなの?」
「いやいやいや、そういうのじゃ……」
「え~絶対そういう雰囲気だったって! 目が言ってるもん」
彼女は根掘り葉掘り聞いてくる。マルセラの名前は出さなかったが、俺もつい調子に乗ってニヤけながらのろけていた。
「……あ、そうだ。これなんか似合いそうじゃない?」
そう言って、彼女は棚から一着のシャツとロングコートを手に取り、俺に差し出してきた。
シャツは暗めのグレーで、襟の形がやや独特。いつもの俺のセンスなら絶対に選ばないデザインだったけど、不思議と抵抗はなかった。むしろ、どこか背筋が伸びる気がする。
その上に羽織るロングコートは黒。生地は厚手で上質、それでいて柔らかく動きやすい。縁にあしらわれた金の刺繍がさりげなく輝き、全体的に重厚さを感じさせている。
見ただけで、安物じゃないと分かる代物だった。
「ありがとうございます、選んでくれて助かりました」
「いいよ、別に。明日、ドキドキ大作戦、成功するといいね!」
はっきり言われて、顔がちょっとだけ熱くなる。
……初対面なのに、こんな事まで話せるなんて、変な感じだ。
だけどそれ以上に、なんだかすごく嬉しかった。この世界に来てから、初めて友達って呼べそうな人と話せた気がした。
◇◆
──次の日の夜。
「おいおい、どうした? その気合い入った服装」
マルコスがニヤつきながら俺を見てくる。
「……ちょっと、マルセラさんと飯食ってくる」
「へぇ~?」
「……なにその『へぇ~』は」
「ちょっと待ってろ。いいモンやる」
そう言うと、マルコスはどこからともなく小さな小瓶を取り出して、俺に手渡してきた。
「飲んどけ。男の武器が目覚める栄養剤だ。プレゼントってことでな」
「いや、それ絶対ろくでもないやつだろ……」
ラベルの文字が視界に飛び込んできた。
【柔から剛へ。反り勃つパワー、取り戻せ聖剣の力】
※持続時間:24時間(個人差があります)
「うわ……タイトルが凄いな。こんなん飲んだら変態扱いされるって!」
「……ケッ、つまんねーの。じゃあ代わりにシラスに飲ませよう。おい、シラーース!」
「ん? 呼びました?」
奥から何も知らない顔をしたシラスがやって来た。
「ほれ、飲め。美味いぞ」
「えっ……はい……ごくっ……」
えっ……何の迷いもなく飲んだ!?
大丈夫なのか!?
「……ん? なんか身体が熱いような……」
シラスが首を傾げた次の瞬間、彼の顔がみるみる赤く染まっていく。
「え、ちょ、なにこれ……え、ええええええ!!?」
ズボンの前が……盛り上がっていた。いや、盛り上がるなんてレベルじゃない。もう堂々たる山脈。立派にそびえ立っている。
マルコスは腹を抱えてゲラゲラ笑い出した。
「笑ってる場合じゃないでしょ!? な、なんですかこれ!? ふざけないでください、マルコス!!」
シラスは腰を引いて、ケツをぎこちなく突き出した変な姿勢で、両手で前を隠しながらジタバタ暴れている。
ふたりのやり取りを見てると、くだらなすぎて、笑えてきた。
怒鳴るシラスと、ゲラゲラ腹を抱えるマルコス。その光景が、どこか日常っぽくて、なんだか安心する。
「……じゃ、行ってくるわ」
背中越しに笑い声がまだ聞こえてくるけど、それも悪くないBGMに思えた。
◇◆
ザリアナの夜道は思っていたより静かで、少し冷たい風が顔を撫でている。
商会の前に着くと、既に彼女は待っていた。
……うわぁ、俺、絶対釣り合わない気がする。
そこに立っていたのは、いつものマルセラじゃない。
いや、いつも綺麗で可愛いけど今の彼女は、別次元にいる。
髪型は少し高めのアップスタイル。揺れる髪先が、光を受けてやわらかく煌めいている。
淡い青のワンピースが肌の白さを引き立てていて、自然なのに目を奪われる存在感があった。
その姿を見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられて息を吸うのも忘れ、ただ見つめてしまう。
やばい。綺麗すぎる。
目が合った、その一瞬で全部持っていかれた気がする。ただ立ってるだけなのに、まるで世界の中心にいるみたいで。
心臓の音がうるさい。呼吸の仕方すら、もう分からない。
落ち着けって言っても、無理だ……こんなもん、好きになるなって方が無理だろ。
やばすぎる……女神かよ。
俺の足はしばらく動かなかった。ていうか、ちゃんと挨拶できるかすら怪しい。そんな思考をリセットするかのように、女神は小さく微笑んでくれた。
「マルセラさん、お待たせしました」
なんとか言葉を絞り出すと、彼女はふわりと首を横に振った。
「いえ、私が早く着きすぎただけですから。……さあ、行きましょうか」
その柔らかい声に、幸せを感じてしまう。
どうやら、マルセラがレストランを予約してくれたらしい。彼女に案内されて歩いていくと、商会の裏手、小さな路地裏に続く道があった。
路地の奥に、こぢんまりとした店がひとつ。入口のランタンが静かに揺れている。ここだけ、時間の流れがゆるやかに変わったように思えた。
木の扉、暖色のランプ、控えめな看板。
名前は──「ラ・メモワール」
なんかお洒落すぎて入るの怖いんだが……
中に入ると、暖かな照明に照らされた店内は、木の香りとワインの匂いが微かに混ざり合い、まるで別世界だった。
テーブルは数席だけ。客たちは静かに語らい、グラスの音だけが心地よく響いていた。騒がしくなく、でも静かすぎない。まるで今夜のために選ばれたような場所。
……ほんとに、こんな時間、俺と過ごしていいのだろうか?
そんな不安も、隣にいる女神の笑みが、全部溶かしてくれた気がした。
「……素敵なお店ですね。マルセラさんのセンス、すごいです」
「ふふ、ありがとうございます。でも実は、私も初めてなんです。昔、先輩に教えてもらって……ずっと気になってたお店で」
そう言ってマルセラが少し照れくさそうに笑う。なんでもないようで、どこか特別な時間が始まる予感がして、それだけで胸が少しだけ高鳴る。
だけど、席に着いた瞬間、完全に忘れていた事を思い出した。
……どうしよう。
まだ片腕での生活には、正直慣れていない。
食器は持てないし、ソースをこぼしてしまったら……変に気を遣わせてしまったら……
大切な人の前で、そんな姿を見せるのが怖い。
そんな不安を抱えていたら、目の前に料理が運ばれてきた。
白い皿の上に、美しく盛りつけられた仔牛のステーキ。焦げ目のついた表面が香ばしく、ソースの甘くて深い香りがふわっと立ちのぼる。添えられた野菜や果実酒の彩りも、まるで絵のようだった。
あれ、この料理!?
ステーキも、野菜も、すべてが最初から一口サイズにカットされていた。驚いてマルセラの方を見ると、彼女の皿も同じように切り分けられている。
きっと……何も言わずに、お店にお願いしてくれていたんだ。
わざとらしくなく、気づかせることもなく、そっと寄り添うように。
「……ありがとうございます」
と漏れた声に、マルセラは小さく瞬きをして、ふんわりと微笑んでくれた。
何でもないように見えるのに、そこには静かな思いやりが確かにあった。
俺は右手だけでなんとか扱いながら、ぎこちなく口に運ぶ。
「……すごく、美味しいですね。こんな味、こっちの世界に来て初めてです」
「やっぱり、翼さんって転移者だったんですね」
「そうですよ。正直まだ右も左も分からなくて」
「分からない事があれば、私を頼ってくださいね、翼さんは、モニカ派の一員なんですから」
「ありがとうございます!」
居場所があるって、こんなに嬉し事なんだな……だめだ、顔が勝手に緩んでくる。
「翼さん、その服とても似合ってます。いつもと雰囲気が違って……素敵です……」
「そ、そうですか……? えっと……その、マルセラさんも、今日すごく綺麗です」
「……そう言って貰えて嬉しいです。ありがとうございます」
◇◆
「マルセラさんって、自分の派閥を持ってるし凄いですよね。もう商会では長いんですか?」
「そうですね……もう五十年くらいになります」
「えっ五十……」
思わずフォークが手から滑りかけた。
「……じゃあ、その……えっと、年齢って」
「二百三十歳です」
スプーンも落ち、ついでに俺の常識も地面を転がってしまった。
「それ、冗談じゃ……ないですよね」
「本当ですよ? 人間の平均寿命は八百五十歳くらいですから、私なんてまだ若い方ですよ」
どう見ても二十代。ていうか、八百五十歳ってなんだよ、俺の人生まだチュートリアルじゃん。
「……年齢なんて、気になりませんよ。翼さんとこうして話してると」
さらっとそんなこと言われたら、そりゃ心臓にも悪い。
「商会の前は、ザリアナ城でメイドをしていました。拾ってくださったのがランセル家の親のヴォルフガング様で……気づけば今の立場に」
「努力家だったんですね」
「いえいえ……昔、私は奴隷だったんです」
その言葉に、マルセラは少しだけ寂しげに目を伏せた。
「マルセラさん、辛い事は無理して話さなくていいですよ」
「……昔の事だし大丈夫ですよ。それに翼さんには、話したいんです……」
昔のこと、今のこと、言葉はとても静かだった。でも、その奥に確かに強さが見えた。
「今は幸せですよ。ランセル家の方々は本当に優しいので」
「いい人たちに出会えたんですね」
穏やかな笑みを浮かべたマルセラは、やっぱり芯の強い人だ。
「マルセラさんは、すごいですね」
「そんなことないです。むしろ、違う世界で頑張っている翼さんの方が……私は凄いと思いますよ」
「俺なんて……ただ、必死に生きてるだけですよ」
「それでも、凄い事です」
言葉が優しくて、真っ直ぐで。こんなふうに言われたのは、いつぶりだろう。
「……褒められるの、慣れてなくて」
「ふふ、可愛いですね」
マルセラがクスクスと笑う。その笑顔を見てるだけで、何かが満ちていく気がした。
この時間が、ずっと続けばいいのに。
楽しい時間は、本当にあっという間に過ぎていく。気づけば、二時間も経っていた。けど、体感は三十分ちょっと。時計がウソついてんのかと思った。
「……美味しかったですね。そろそろ帰りましょうか」
マルセラの声にうなずきながら、俺たちはレストランを出る。
夜のザリアナは、昼とはまるで別の顔をしていて石畳の路地に、街灯の明かりがゆらゆらと揺れている。
家々の窓からこぼれる光が、まるで星みたいにザリアナを飾っていた。静かで、穏やかで……なんか、いいな。こういう雰囲気。
「マルセラさんの家って、どの辺なんですか? 家まで送りますよ」
「えっと……私はザリアナ城のメイド寮に住んでるんです」
「寮?」
「はい。もうメイドは卒業したんですけど、大好きな先輩と同室で……離れられなくて、つい」
「そうだったんですね。じゃあ、ザリアナ城まで送りますね」
二人並んで、石畳を歩く。靴音が静かに響いて、マルセラの髪が夜風にふわりと揺れた。
ザリアナ城の門の前に人影が見えるな、誰だろう。こんな時間に。
「あれ……あの人って……」
見覚えがある。昨日、服屋で俺に服を選んでくれたメイド姿のお姉さんだ。
「あっ、イドナ先輩だ! ……もう、本当に心配性なんだから」
えっ……イドナ先輩?
「おかえりなさい、マルセラ。あの店どうだった? 良かったでしょ?」
「うん、すごく美味しかったよ。雰囲気も静かで、素敵だった」
「ふふ、それは良かった。……で、翼君」
イドナ先輩は、俺を見てニヤニヤしている。
「マルセラを送ってくれてありがとう。ドキドキ大作戦は、上手くいったかな?」
「──ッ!」
やばい、声が出ない。
……いや、いや、待て。ってことは、服屋で調子に乗って話した、のろけ話。マルセラに全部、筒抜けって事じゃないのか? まじかよ、めっちゃ恥ずかしいじゃん。
「どうしたの翼君、顔がトマトみたく真っ赤よ」
彼女、いや、イドナ先輩が、からかうように笑ってくる。
うっ、恥ずかし過ぎて消えたい。
「……イドナ先輩、あんまりからかわないでください。翼さん、今日ずっと緊張してたんですから」
「……え、緊張してるの、伝わっちゃいました?」
「はい。でも……その、私も緊張してましたし……えっと……緊張してくれたの、嬉しかったです……」
ふたりの視線がまた重なる。さっきと同じように、また自然と笑みがこぼれた。
「……あー、もう! 見てるこっちが恥ずかしいわ!」
イドナ先輩が両手をぱたぱたと仰ぎながら、けれどどこか嬉しそうに目を細めた。
「それじゃあ、私は先に戻ってるね。ふたりとも、おやすみなさい」
「はい。……おやすみなさい、イドナ先輩」
イドナが先に城の中へ消えていき、マルセラと俺は、門の前にふたりだけで残された。
ほんの数秒の沈黙。だけど、不思議と居心地は悪くない。
「マルセラさん……今日は、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。本当に、楽しかったです」
さっきと同じ言葉。でも、今度はちゃんと心の奥まで届いた気がする。
名残惜しさを胸に抱きながら、俺はそっと振り返る。
「……じゃあ、また」
「はい。また……明日」
その夜の空は、雲ひとつなく澄み渡っていた。たぶんこの夜を思い出すたびに、あの笑顔と声が真っ先に浮かぶんだろうな。